第10話 世界を変えましょう!
「山のことなら私が知っています」
宿屋の主人が、僕たちのテーブルに坐って教えてくれた。
「熊も野犬もハゲワシも出ます。なかなかやっかいな山で、越える人は滅多にいません。どうしても北に行くというなら、迂回することを勧めますよ」
「平気、平気」
セイラがいかにも楽しみなように、ケモ耳をピクピク動かして言った。
「私、動物が大好きだから、むしろ熊さんたちに会ってみたい♡」
「あなたが好きでも、向こうに好かれるとは限りませんぞ。人間と違ってケモノですからな」
「そう? こっちが好きなら、きっと好きになると思うけどなー。ま、なんとかなるでしょ」
セイラはたぶん、生まれつきの楽観主義者だ。
「せっかく冒険の旅に出たのに、危険だから迂回するなんて、ちっとも面白くない。だったら街にいて、商売でもしてたほうがずっといいよ。ね、アリスター」
「そうだね」
生まれつき心配性の僕だったが、セイラにいつの間にか引きずられて、「ま、なんとかなるさ」と思った。
「引き止めはしません。しかし」
宿屋の主人が、ヒゲの生えた顎をさすりながら、
「出発する前に、武器と防具を揃えたほうが良いでしょう。お2人とも、それでは軽装すぎます」
「いいのよ、バトルはなるべくしないから」
セイラが僕を横目で見て言った。
「アリスターは、あんまりバトルが好きじゃないの。バトルばっかりの世の中に、嫌気が差してるんだって。だから武器も持ってないのよ」
「いくら嫌いでも、バトルを避けて冒険はできませんよ。山越えなんてとてもとても」
「私の【変容】とアリスターの【眼福】で、そこは乗り切るつもりよ」
「……眼福?」
主人が顎をさする手を止めて、僕を見た。
「お客さまのスキルは、【眼福】なんですか? あの幻の?」
主人のリアクションに、ちょっと驚いた。
「【眼福】を知ってるんですか?」
「噂には聞いたことがあります。でもそれは、よくある伝説の類いだと思っていました。まさか本当にあるとは」
「伝説と言われると、結構恥ずいです」
「なんでも【眼福】をマスターできるのは、この世に1人しかいないとか」
「そうなんですか? 初めて聞きました」
「そして眼福マスターには、この世を【幸福】に変える力が宿るとか」
「この世を【幸福】にですって? いやあ、それはちょっと……たぶん伝説ですね。誰かが作った話ですよ」
「やっぱりそうじゃん!」
セイラが大声を出して立ち上がったので、食堂の視線がこっちに集中した。
「アリスター、世界を変えちゃいなよ! アリスターにはその力があるんだから!」
「シーッ! 声が大きい。みんな見てるよ」
主人が立ち上がって、僕らの代わりにお客さんに謝ってくれた。やがてセイラは声をひそめて、
「冒険の目的ができたね。世界を【幸福】にするの。それをできるのは、きっとこの世でアリスターだけだよ」
「そうかなあ。僕には1ミリもそんな気がしないけど」
「【眼福】のレベルが上がれば、だんだん自覚が出てくるんじゃない? 楽しみだね」
「僕はただ、辺境の地を耕して、自然を眺めながら眼福、眼福と言って過ごすつもりだったんだけどなあ」
そう呟くと、主人がいかにももったいなさそうに、
「東のミラ国とか、西のヒノ国には行かないのですか? ああいう人の集まるところでこそ、お客さまのスキルは役に立つと思いますが」
「貧乏なナン国の、辺境の地の〈イーゾ〉が、僕の土地なんです。まずはそこに行きます」
これは意地だった。理不尽にも隊長に追放された僕は、誰もが見捨てた荒れ果てた土地で幸せになり、街で燻っているかつてのパーティー仲間を見返してやりたかったのだ。
そうだ。
僕の本心は、世界を【幸福】にすることなんかではなく、自分が【幸福】になることだった。
【眼福】のレベルを上げたいと思ったのも、目的はそれだ。この世のいいところが視えるようになったら、それを自分一人の【幸福】として噛み締め、
「どうだ。僕はお前たちより、幸せに暮らしているぞ」
という自己満足に浸るつもりでいた。
でも今考えると、それは実にイジケた心根だ。前の世界で陰キャだったころ、自分をイジメた陽キャに対して、
「いつか見てろ。絶対お前たちより、幸せになってやる!」
と思っていた心と変わらない。どこか虚しい、レベルの低い考え方だ。
でも今は、少し変わった。
自分一人が幸せになりたいとは思っていない。
一緒に旅をするパートナーにも、幸せになってほしいと願っていた。
もしかすると、そういう心境の変化が、【眼福】のランクをFからBに引き上げたのかもしれないと、今になって思う。
「僕なんかに、みんなを【幸福】にできるかな?」
そこまでの自信はなかった。しかしセイラは、
「絶対できるよ。できると信じれば、世界は変わるよ」
いっさい疑っていなかった。この信じ切るという能力こそ、千年に1人のSSSランクを生んだ秘訣のように感じた。
「正直僕は、この世のすべての人が好きな訳じゃない。だからまだ、そういう人たちの【幸福】まで、心からは願えない。それでも大丈夫かな?」
「平気、平気」
楽観主義者のセイラは、明るくカラカラと笑う。
「アリスターの【眼福】、たった今Aランクに上がったよ。アリスター、変化してるんだね。ねえ、私、世界を変えたくてワクワクしてるの。これ以上のロマンって考えられないもん。あー、アリスターと出逢えて、本当に良かったなー♡」




