77頁目.ノエルと壁と巨大な呪いと……
雪の巨人・イエティ。
人の3倍以上の大きさの身体を持ち、発達した筋肉は何もかも壊せるほどの剛力を生み出す。
人間と似た骨格をしているものの脳があまり発達しておらず、わずかな知性と野生の本能で行動する巨人型の魔物である。
本来であれば温厚で臆病な性格であるため、人目を避けて雪山の奥に集まって暮らしているはずなのだが、今は呪いの影響か全員が我を忘れて暴走しているようだった。
「と、とりあえず……『氷結壁』!」
サフィアが呪文を唱えると、コテージの周囲を囲うように氷の壁が出現した。
イエティたちはそれを壊そうと壁を殴るが、壊れたところから氷が修復され、簡単に中に入って来れないようだ。
「助かったよ、サフィー」
「いえいえ。ですが修復が持続するのは周囲の魔力次第なので、あまり時間はありませんよ!」
「時間が生まれただけでも十分だ。敵は全部で何体いる?」
「入り口の方に1体、左右に1体ずつ、アチキたちの後方に2体……。つまりは5体っスね!」
「呪いで暴れているだけなら、わたくしの指輪で浄化しても良いのでしょうけれど……」
「呪いの源をどうにかしない限り、ここで浄化してもまた呪いで暴走する可能性がある。こいつらには悪いが、討伐させてもらうぞ!」
***
それから20分後。
ノエルたちはコテージを後にして目的地へと足を進めていた。
「思ったよりも呆気なかったですわねぇ」
「いや、こればかりはサフィーのおかげだろう。何を自分の実績みたいに言ってるんだ」
「わたくしだってちゃんと貢献しましたわよ! サフィーのおかげなのはその通りですが!」
「いやー、まさかサフィアちゃんが一気に5体とも射止めちゃうとは思わなかったっスよ。素晴らしい腕前だったっス!」
「えへへ……。それほどでも……」
サフィアは鼻高々に照れている。
その瞬間、マリンはサフィアに抱きついて言った。
「言い出したのはノエルですから、作戦勝ちということにもなるのでしょうけれど……。それでもサフィー、良く頑張りましたわねぇ!」
「雪山に来てまで抱きつかないで! ほら、エストさんに怒られちゃうでしょ!」
「面白そうなんで、続けてどうぞっス〜」
「いえ、止めてください! お願いします!!」
「うおっ、思ってたより必死の叫びだったっス」
「そんなに拒まなくても……。はあ、しょうがない。今回はこれくらいにしておきますわ……」
マリンはしょぼんとしょげてしまった。
ノエルは笑いを堪えつつ、歩みを進めるのだった。
***
さらにそれから登山道を歩き続けて1時間が経過した頃。
突然、ノエルたちは背筋が凍るような悪寒に襲われた。
「このゾッとする感じは……。もうすぐってわけか」
「近づくだけでここまで嫌な魔力を感じるということは、今回は今まで以上に強力な呪いか、より大きな呪いの残滓ということですわね……」
「うわあ……。あの魔導書だけでも大概だったっスけど、この息苦しさ、アレとは比べものにならないっスね……」
「と、とにかく先に進みましょう! ノエル様はあたしの指輪の範囲内から、エストさんはお姉ちゃんの指輪の範囲内から離れないように気をつけて!」
ノエルたちが恐る恐る前進すると、途中で道が途切れている地点に着いた。
道が途切れていると言っても、道が雪で隠れているわけでも何かで道を塞がれているわけでもなかった。
そこには黒い固体の塊が、山の地面と側面を削るように巨大な穴を開けて鎮座していたのだった。
「こいつは……! なんて大きさだ!?」
「先ほどのイエティが可愛く見えますわね……」
その黒い塊は、イエティ3体分かそれ以上の大きさで、山の壁面に埋まって蠢いている。
エストは目を凝らして、指を差して言った。
「ん……? あそこ……残滓の近くに誰かいないっスか?」
「あ、ホントだ。身長からして……子供?」
「こんな呪いの渦中に子供なんているはずないだろう? 間違いなく、魔導士だろうさ」
「……近づいてみましょうか」
ノエルたちは魔導書を開いたまま、警戒しながら前へ進む。
そして、顔が見えるくらいの距離になった瞬間、ノエルは尋ねた。
「おい、そこのお前。こんなところで何をしている」
「ひっ……!? ま、まま、魔女!?」
「あぁ、アタシたちは確かに魔女だ。その言い方だと、お前は男の魔導士……魔法使いか」
振り向いた少年は、見てくれからして10代半ばほど。
華奢な体に防寒着を着込んでおり、手には長い杖のようなものを持っている。
「ど、どうして魔女がこんなところにいるんだ! まさか、ネーベを狙って……ゲホッゲホッ……!」
「おい、大丈夫か!?」
ノエルは苦しそうに咳き込む少年に近づこうとする。
「来るな……! こっちに来るな!!」
少年が叫んだ瞬間、呪いの残滓から黒い魔力が吹き出し、ノエルの行く手を遮ったのだった。
「こいつ、こんな巨大な呪いを操れるってのか!?」
「いえ、今のは……。呪いの方が自分から動いたような……?」
「い、いやいや、流石にそんなわけは……。まあ、アチキもそんな感じの動きを見ちゃったっスけど……」
「ど、どうします? 近づこうにも近づけませんし、ここから声、届きますかね?」
「試してみるか。おーい、そこの少年! 無事かー?」
ノエルが叫ぶと、少年の声がすぐに返ってきた。
「お前たちに心配される筋合いはない! さっさと帰れ……ゴホッ……!」
「それで心配するなって方が無理あるだろ。お前のその身体、呪いに侵されているんじゃないのか?」
「俺に構わないでくれ! 誰もネーベには近づけさせない!」
「ネーベ……? 他にも誰かいるのか……?」
ノエルは少し考え、マリンたちの方を振り向く。
ノエルの目に映ったのは、マリンの指輪だった。
それを見たノエルはハッとして、ニヤリと笑いながら黒い霧の向こうにいる少年に言った。
「そういえば、アタシたちはこの呪いを消しにきたんだったー! 魔力の放出が止まらないんなら、とっても強力な魔法を使うしかないなー! あ、でもそれだともしかしたら、ネーベってのも巻き込まれちまうかもなー!」
「や、やめろー!!」
少年がそう叫んだ瞬間、黒い魔力の放出が収まった。
ノエルはその隙を突いて、急いで少年に駆け寄る。
しかし。
「ノエル、危ない!!」
「え……?」
マリンの声が耳に届ききる前に、ノエルの目には黒い魔力の塊が映っていた。
魔法を放つにも時間が足りない。
避けるにも速すぎる。
そんな思考をしていた刹那、ノエルと黒い魔力の間に青い光が飛び込んできた。
「やめろ、ネーベ!!」
少年の声を微かに耳に残したまま、ノエルは光に包まれ、その場から一瞬で消え去った。
サフィアたちは言葉を失い、その場で膝から崩れ落ちた。
***
「……き……て…………」
聞いたことのある声が、ノエルの意識を取り戻させる。
ノエルが薄れた瞳で周りを見ると、そこは見たこともない、不思議な光で包まれた空間だった。
「……ここは……どこだ……?」
周りを見渡すが、誰もいない。
ノエルは自分が今、立っているのか座っているのか寝ているのかも分からない、そんな感覚に襲われていた。
「そうだ、さっきの黒い魔力……。あいつに当たって死んで、ここが死後の世界……とかなら分かりやすくて助かるんだが」
「……おきて…………」
「うおっ!? ど、どこから声が……? って、そもそもアタシはもう起きてるぞ?」
「……おきて、めざめて、わたしを、みて」
「……この声、毎晩アタシを呼んでいた声だ。アタシは起きても目覚めてもいるが、『わたし』とやらの姿が見えない、か。何かを伝えようとしてはいるんだろうが……」
ノエルは黙って目を閉じる。
そしてしばらく考えて、ハッとした。
「そうだ、魔法! ここで魔法は使えるのか?」
そう言って、試しにいつも使っている呪縛鎖を展開しようとするが、全く反応しない。
「魔法は使えない……。ここには魔力がないってことか……?」
魔力の在処を探そうと、ノエルは魔力の探知を始める。
すると、あることに気がついた。
「ここ……水の魔力しかないじゃないか! どこをどう探知しても、水の魔力しか存在しないってことは……ここは水の中か何かなのか?」
とは言ったものの、ノエルは普通に呼吸ができていることに気がつく。
「……『起きて、目覚めて、わたしを、見て』か。あと心当たりがあるとすると……いや、待てよ?」
ノエルは自分のカバンが手元にあることを確認すると、その中から1冊の魔導書を取り出した。
それは、エストが拾ったという魔導書だった。
「こいつには大厄災の呪いが込められていた。そしてこれまでも、色んな呪いに触れてきた。確か、呪いに触れ続けた人間は魔力が見えるようになるって話だったよな……? だとしたら、もしかして、さっきから聞こえる声の主って……」
ノエルは再び魔力探知をしてみた。
すると、水の魔力が集まっている場所があるのが分かる。
ノエルはそこに近づき、手に持った魔導書を握り締めて恐る恐る、目を開いてみた。
「……やはり、そういうことか……」
ノエルの目の前には、青く光る小さな生き物が飛んでいた。
一見すると人型だが、背中には羽根が生えており、顔の輪郭がはっきりしない。
「……あなたは、わたしを、みた。……ノエルは、ネーベを、みた」
「なるほど、お前がネーベか」
「……ノエルは、ネーベを、おどろかない。……ネーベは、ふしぎ」
「納得がいってるだけで、驚いてないわけじゃない。今だって、文字通り自分の目を疑いたくなるくらいには驚いているさ」
「……ノエルは、ネーベを、わかる、わからない」
「あー……お前が何なのか、アタシが分かっているかって聞いているのか? じゃあ、質問には答えてあげないとな」
ノエルは溜息をついて目頭を抑え、真剣な目をして言った。
「お前は、水の魔力……。いや、正しく言うとすれば、魔導士たちから水の魔力として認識されている、意思を持った力そのもの。言うなれば……水の精霊だな?」
ネーベと呼ばれたそれは、くるくると飛び回ってノエルの前で止まり、可愛らしくゆっくりと頷いた。
ノエルは頭を掻きながら溜息をつく。
ネーベは言った。
「……ネーベは、クリスを、たすけたい」
「クリス……さっきの少年のことか。とりあえず、話を聞かせてもらおうか。水の精霊・ネーベと、そのクリスって奴の話を」




