57頁目.ノエルと礼儀と闘技場と……
エストがいるという北西の国、火山の麓の国・プリング。
ノエルたちが乗っている列車はようやく駅に到着し、時間は昼を回っていた。
列車を降りたノエルたちの目の前には、見上げるほど巨大な火山の山脈と国全体を覆う不思議な色をした光の膜が共存する、混沌とした景色が広がっていた。
その光景に2人が目を奪われている中、マリンはホッと胸を撫で下ろしていた。
「はぁ……ちゃんと指輪の効果が切れていないようで安心しましたわ……。わたくしのこの指輪が気分屋なだけでしょうか……」
「そうなんじゃない? あたしの指輪、魔法の効果が切れたことほとんどないし。神器に気分とかあるのかは知らないけど」
「まさか本当に暑くも熱くもないとは思わなかったよ……。いくらそういう魔法があると言われても、魔女のアタシですら半信半疑だったからねぇ」
「でもその効力は指輪で体験してますわよね?」
「それはそうだが、こんなに広い範囲に魔法を行き渡らせるなんて、その指輪を複製した程度じゃできない大仕事だ。数年前の結界でここまでの大きさで、しかも効果が切れてない……かは知らないが、あいつがここまでの凄腕だったとは……」
「流石と言うべきですわね。わたくし、姉様がこの世で最も優秀な魔女だと思っているくらいですもの」
マリンはまるで自分のことかのように胸を張っている。
ノエルは苦笑しつつマリンに聞き返す。
「って、はぁ? 姉様? あいつのことそんな風に呼んでたのか」
「年上で実力も上の方には、きちんと尊敬と敬意をもって接するのが礼儀ですもの」
「そうだな。だったらアタシにもそんな態度で接するのが礼儀ってもんじゃないか?」
「あなたは確かに年上ですし魔法の実力も認めていますが、あなたに実力で負けてるつもりは全くありませんわよ。それに、こんな腹黒な姉様がいてたまりますか」
「だ、誰が腹黒だ! そして実力はアタシの方が明らかに上だろ! いつもは本気出してないだけだからな!」
「2人とも!」
サフィアのその声でノエルもマリンも我に返った。
「はぁ……。腹黒は冗談なので謝りますが、そういうところですわよ……」
「喧嘩っ早いところはアレですけど……。あ、あたしはちゃんと尊敬してますから……!」
「うっ……。頼むからそんな憐れむような目でアタシを見ないでくれ……」
「でしたらもう二度とこんなことを言わないことですわね。わたくしたち3人の関係性はそんな簡単に変わるものじゃありませんもの」
「わ、分かってるよ……。くそー……。冗談のつもりだったのにこんなことになるとは……」
落ち込むノエルを撫でながら、サフィアは言った。
「そういえば、お姉ちゃんの姉様って、あたしはなんて呼べばいいのかな?」
「そのまま聞いた限りだとお姉ちゃんでいいんじゃないか? アタシからしたらややこしくてしょうがないが」
「だ、ダメですわ! サフィーのお姉ちゃんはわたくし、ただ1人ですもの!」
「別に本当のお姉ちゃんじゃないし、お姉ちゃんなんて呼ぶつもりはないから! エストさん? エスト様とか?」
「様ねぇ……。アタシが知ってるあいつはそんな風に呼ばれるようなタマじゃないから、『さん』で良いと思うぞ」
「分かりました、ノエル様! それじゃ、エストさんに会いに行きましょう!」
***
ノエルたちはマリンに連れられてエストの家へと向かっていた。
道中、多くのサラマンダーの獣人・プリング人とすれ違ったが、同じくらいの数の人間ともすれ違ったことにノエルは疑問を覚えていた。
「なあ、マリン。アタシたちは理由があってここに来てるから良いとして、他の人間は何しにここに来てるんだ? こんな岩壁に囲まれた場所を観光するモノ好きだったら別だが、火山の近くって決して安全な場所じゃないよな?」
「いえ、あの魔法は火山の噴火の被害も止めてくれるので安全ですわよ」
「……お前たちの指輪ってそんな効果あったっけ」
「そんな効果があったらあなたとの喧嘩の時に外しますわよ。土魔法の結界が一緒に貼られているだけですわ」
「も、もうどんな魔法がかかってても驚かないからな……。じゃあ、あの連中の目的は何なんだ?」
「それは──」
その瞬間、王都の中心方面から大きな歓声が響いてきた。
声の響き具合から、ノエルはかなり遠くから聞こえてきていることに気がついた。
「もしかして……今のか?」
「え、ええ……。どうやら数年前よりも盛況みたいで安心しましたわ……」
「アタシ、プリングは人が住めると思ってなかったから情報を集めてなかったんだよな……。良ければ教えてくれ」
「本当は姉様の家に行ってから紹介するつもりだったのですが……。まあ、いずれ帰る予定だったし、問題はないか……」
「お姉ちゃん? どうかしたの?」
「い、いえ、何でもありませんわ。百聞は一見に如かず! 声の元へと案内しますわね!」
***
数分後、ノエルとサフィアは目の前の立派な建物と、その中から聞こえる鼓膜を突き破るような歓声に圧倒されていた。
サフィアはその次の瞬間、風魔法『減衰の旋風』で外の音を消す空間を3人の周りに作り出していたのであった。
「おお……対応が早いというか、逃げ上手というか……」
「そんなこと言って、耳栓を取り出してるのをわたくしは見逃しませんでしたわよ?」
「とりあえず魔法が続いているうちに説明して! ここは一体何なの?」
「ここはわたくしが経営する『獣人闘技場』ですわ!」
「闘技場……。つまりは賭け事の場所か。やれやれ、期待して損……って、え? お前、今なんて……?」
「お、お姉ちゃんが経営!? っていうか、どんな建物なのかよく分かってないんだけど!」
マリンは少し考え、しばらくしてこう言った。
「説明はあとにしましょう! とりあえずお腹も空きましたし、支配人室に案内しますわ。そこなら歓声もほとんど聞こえませんし、落ち着いて話もできるでしょう」
「闘技場内にそんな場所が本当にあるのか……? あんなに遠くまでこの音量が聞こえてくるほどだぞ?」
「まあまあ、どうせそこに寝泊まりする予定だったんですから。つべこべ言わずについてきなさいな!」
「はぁ……。仕方ない。サフィー、耳栓やるから魔法切っていいぞ」
「ありがとうございます!」
「あら!? ちょっと、わたくしの分は!?」
***
3人は闘技場の関係者用通路を通って、地下にある事務所に来ていた。
そこでは数人のプリング人と数人の人間が働いており、皆マリンの顔を見るなり笑顔で挨拶をするのであった。
マリンがそこに戻ってくるのは1年振りだという。
「毎年里帰りついでにどこかに行っているとはサフィーから聞いていたが、まさかここだったとはねぇ」
「ええ、少し言い出し辛かったのですが……。支配人代理を立てているとはいえ、顔くらいは見せないと心配させてしまいますから」
「もしかして、ここもエストさんの提案で作られたとか?」
「いえ、ここはわたくしの提案で国が作ったものですわ。姉様はただ、自分のような人間が住めるための場所作りをしたかっただけですし」
「じゃあお前は何でこの場所を作ったんだ? ここまで大きな物作ってまで賭け事がしたかったわけでもないだろうし……」
「そういった話はわたくしの部屋でしましょう。そろそろ着きますわよ」
マリンは地下の一番奥にある鉄の扉の前まで行き、取っ手を捻って開けた。
すると、そこには人が4人ほど住めそうな広さの大きな部屋が広がっていたのだった。
マリンは部屋中のランプに火を灯し、2人をソファに座らせる。
「週に一度掃除しているらしいので埃まみれということはないでしょうけど、一応気をつけて座ってくださいまし」
「はーい。それにしても、お姉ちゃんの部屋とは思えないくらい綺麗な部屋だね?」
「へえ、妹にそんなこと言われるほど部屋が汚いのか」
「もう、余計なことを……。まあ言い訳はしませんが、掃除してくれてる方が几帳面なのと、わたくしが帰っていないおかげで部屋が綺麗なだけですわ」
「なるほど。それに加えて広さも申し分ないな。歓声も聞こえないし、寝る場所さえあれば普通に住める環境だ」
「寝る場所といえばこの部屋、3人分のベッドはありませんが、2人がベッド、1人はそこのソファで寝れば問題ありませんわよね」
ノエルとサフィアは周りを見回し、ソファの大きさを見て頷き合った。
「それなら、流石にこのソファの大きさだからあたしがソファで寝るしかないね……」
「ノエルが猫のように丸まって寝れば入る大きさですわよね?」
「丸まって寝て体が休まるかっての。とにかくさっさと座って話の続きを聞かせてくれ」
「はいはい、紅茶を準備したらそちらへ向かいますから」
数分後、マリンがティーポットを持ってノエルたちの目の前に座った。
カップには紅茶が注がれ、マリンはそれを少し飲んで話し始めた。
「まず、サフィーには闘技場がどういう場所なのか説明しなければなりませんわね」
「うん。賭け事に使われてるってのは聞いたけど、実際にどんな場所なのかは分かってない」
「闘技場という場所は通常ならば剣闘士と魔物、もしくは剣闘士と剣闘士が戦い、最強の剣闘士を決める場所です。観客は誰が優勝するのかを事前に賭けて、わたくしたちのような胴元はその賭け金の一部を利益としていますわ」
「通常ならば……? この闘技場は何か違うってことか?」
「ええ、まあ基本的な仕組み自体は何も変わりませんし、ウチは剣闘士同士の試合しかしていません。ただ違うのは剣闘士たちといいますか……」
「ん? まあそりゃ獣人闘技場って銘打ってる以上はプリング人が戦ってるんだろうし、そこが違うってだけじゃないのか?」
「いえ、そうではなく……。ええと……実はそれがこの闘技場を作った当初の目的というか何というか……」
マリンは煮え切らない返事をしている。
ノエルは焦れったくなり、自ら尋ねた。
「あぁもう、言いたくないならそれでも構わないが、一応もう一度聞くぞ。お前はどうしてこの闘技場を作ったんだ?」
「はぁ……。昔のことなので今さら気にしても仕方ありませんわね……。それじゃ……2人とも耳を貸してくださいな」
ノエルとサフィアはマリンに顔を近づけた。
「その……お、お婿さん探しをしようと思って……」
その瞬間、2人は固まった。
思考が停止したのではなく、逆に過去のマリンの発言を回顧して思考を巡らせていたのであった。
そして、2人は同じタイミングで脳内の歯車が噛み合った。
「「強い人と結婚したいみたいなこと、言ってた気がする!」」
「あ、あの頃は修行相手を兼ねられる男性を探していましたから、そんなことも言っていましたわね……。今は結婚相手探しなんてしてる場合じゃありませんが」
「自分と結婚させる目的で戦わせてたのか!? 何たる悪逆非道な真似を!」
「ちゃんとわたくしと結婚したい人しか戦わせてませんー! まあ、近年は興業のためにそういうのナシで、懸賞金を巡って戦ってるみたいですけれど」
「じゃあ昔戦ってた人は今どうしてるの?」
「それはもちろん……あっ…………」
マリンはうっかりしていた様子を見せ、動揺している。
「もしかして……数年間そいつらに話をつけてないとか……」
「まさか……お姉ちゃん……」
「た、大変ですわ〜!!」
こうして3人はプリングに来て早々、危機に陥るのであった……。




