111頁目.ノエルと触手と誘導と……
ノエルたちの目の前に現れた黒いゴブリンは、不気味な笑みを浮かべながら手に持った斧らしき武器を振り回す。
先ほどまでとは違って明らかに流暢な言葉を発しているそれに、ノエルたちは言葉を失っていた。
斧を背負い直した黒いゴブリンは振り向き、後ろにいるゴブリンたちに向かってこう言ったのだった。
「おいおい……どうした、お前ら? 目当ての奴が目の前にいるってのに、何をもたもたしてる! さっさとあいつらを殺すんだよ! 何のためにここまでしてやったと思ってんだ!?」
そんな無慈悲な言葉を投げ放たれたゴブリンたちは、おどおどしたまま立ち止まっている。
すると、黒いゴブリンはわなわなと震え始め、やがてそれは怒りへと変わった。
「俺っちが一番偉いんだぞ! 言うこと聞かないとどうなるか分かってんだよなぁ!!」
その瞬間、黒いゴブリンの足元から、呪いの残滓のものと同じ黒い触手が現れる。
そして、その黒い触手は一番近くにいるゴブリン目がけて、勢いよく手を伸ばしたのであった。
混乱した状況をただ見ていることしかできなかったノエルは慌てて魔導書をめくるが、間に合う訳もなく、黒い触手はそのゴブリンを飲み込んでしまった。
「仲間のゴブリンを……飲み込んだ……だと?」
「な、なんて酷いことを……」
マリンの言葉も虚しく、触手に飲まれたゴブリンは中で暴れていたようだったが、やがて静かになってしまったのだった。
「はい、じゃあこんな風になりたくなかったらさっさと行けよ! この力使うのだって、タダじゃないんだからさぁ? あ、でもこいつの魔力で補給できるし、どうでもいっか!」
「補給……って、まさかあの触手、今食ったゴブリンの魔力を吸い取ってるのか!?」
「ヒヒッ、魔力回復ー! じゃ、魔力だけ吸ったらあとはどうでもいいし捨てとこっと」
すると、黒い触手は先ほど飲んだゴブリンを、他のゴブリンたちがいる場所へ雑に放り投げた。
一部のゴブリンたちはそちらに駆け寄るが、前衛にいるゴブリンたちは黒いゴブリンに睨まれ、それぞれ思い思いに突撃を開始したのだった。
「シニタクナイ! シヌノハ、イヤダ!!」
「きゅ、急に攻めてきました! どうしましょう、ノエル様!」
「くっ……形勢を立て直すにも、魔法が効かないんじゃ意味がない……! それに、あの黒いゴブリンに黒い触手……。どう考えても災司じゃないか……!」
「と、とにかく逃げますわよ! 土魔法で防御結界を張るのをお忘れなく!」
ノエルたちはゴブリンたちから逃げるために、反対側へと走り始めた。
しかし、逃げたのは3人だけだった。
ノエルが振り向くと、吐き出されたゴブリンの方へと走っていく影を見たのだった。
「なっ!? スアールさん、そっちは危険ですわよ!? 一体、何を考えて……!」
「たとえ危険だったとしても、罪もない生命を散らせるわけにはいかないでしょうが! 逃げるよりマシよ!」
「あぁ、くそっ! あのばあさん、行動が読めない! サフィー、急いで止めに…………って、お前もお前で何をしてる?」
サフィアの方へ振り向いたノエルは、彼女が走りながら召喚門を呼び出そうとしているのを見た。
サフィアは詠唱を続け、やがて召喚門からイエティたちを呼び出したのだった。
イエティの背中に乗ったサフィアは、スアールの方へと向かいながら振り向いてノエルに言った。
「スアールさんを止めるくらいなら、スアールさんへの危険を取り除く方が話が早いです! それに、あの人を守るのがあたしの役目ですし!」
「っ……! あー、もう、呼び出したんならしょうがないから、行ってこい! おい、マリン! アタシたちもできることをやるぞ!」
「言われなくてもそうするつもりでしたが、具体的には!?」
「直接魔法が効かないのなら、地形を利用するしかない! 討伐する目的は一旦忘れて、今はこいつらを足止めすることだけ考えるんだ!」
「わたくし、地面に穴を開けるくらいしかできそうにありませんわよ!?」
「うーん……どうしたものか……。とりあえず考えるから、詠唱だけはしておいてくれ」
「えぇ、分かりましたわ……っと、危ない……!」
マリンの声に合わせてゴブリンたちの攻撃をひらりと躱しつつ、ノエルは頭を捻る。
そんな中、黒いゴブリンを見たノエルは、黒いゴブリンが言っていた言葉を思い出す。
「あっ……。そういや、こいつらの狙いはこの『ファーリの心臓』なんだっけ」
「『神の心臓』がどうとか言っていましたが、恐らくは。……って、何をするつもりですの? 流石にそれを渡すなんてことはしないと思いま──」
「そーれ、お前らの欲しいお宝だぞー」
そう言ったノエルは、一瞬で詠唱した土魔法で腕を強化し、首から提げていた『ファーリの心臓』をほぼ真上に遠投したのだった。
「何をやっていますのーーー!?」
「よし、マリン。あれを撃て」
「…………はい?」
「いいから。何回も撃って、こいつらが手が届かないくらい天高くまで上げるんだよ。どうせこいつらはアタシたちを殺すことよりも、あの心臓を欲しがってるみたいだからな」
そう言って周りを見回したマリンは、先ほどまで周りにいたゴブリンたちが一斉に心臓の着地点辺りに集まっているのを見た。
それを見たマリンはスッと冷静になり、遠くに飛んでいる『ファーリの心臓』目がけて爆発する火球を何発も飛ばしたのだった。
「……えいっ」
「おー、当たるもんだなぁ」
「……あなたはあなたで何をしていますの? 何やら熱心に魔導書に書いていますが」
「何ってそりゃ、こいつらを足止めするって言ったろう?」
「今のこの状況こそ、足止めになっているんじゃありませんの?」
「これはただの時間稼ぎさ。お前の魔力が尽きたり、うっかり狙いを外したりしたら一瞬で終わっちまうだろう? だから、その前にこいつらを全員罠にかけるんだよ!」
そう言ったノエルは、魔導書に書いた文字を読み上げ始めた。
すると、ノエルたちの少し前方の一帯に霧が立ち込める。
「名付けるとしたら、『霧幻沼』! 恐ろしい幻を見せる、晴れない霧さ。魔法を弾く鎧を着ていても、肉眼で見るものには逆らえまい!」
「念のために聞きますが、もちろん消すことはできますわよね? どんな幻かは知りませんが……」
「もちろんだとも。あぁ、興味があるなら少しだけ覗いてみるといい。なに、すぐに助けてやるから」
「絶対ですわよ?」
そう言ったマリンは、少しだけ霧に顔を埋める。
その瞬間、マリンは腰を抜かしてその場で必死にもがき始めたのだった。
「ちょっ、これっ、段々沈んで……た、助けてくださいましー!!」
「おぉ、思ったよりもいい反応するじゃないか」
「そんなこと言ってないで、早く!!」
「はいはい……っと」
ノエルはマリンの手を引っぱり、霧の外へと連れ出した。
霧から出た途端、マリンは肩で息をし始める。
「はぁ……はぁ……。ま、まさか底なし沼の幻とは……。幻と知っていてもあれは怖すぎましたわ……。闇魔法であんなことができるなんて……」
「それは何より。ちゃんと魔法は働いてくれているようだ。あ、心臓がまた降ってきたぞ。こっちの霧に誘導してくれ」
「ちょっ、急に頼むことじゃありませんわよ!?」
そう言いつつ、マリンは『ファーリの心臓』に火球を上手く当て、ゴブリンたちを霧の中へと誘導することに成功した。
心臓を追いかけていたゴブリンたちは、霧の中で溺れるようにもがき始めたが、しばらくして全員疲れから気を失ってしまったのだった。
「さて、と……。ひと段落したみたいだし、あの黒いゴブリンについて情報をまとめるとしようか」
「何を呑気な。スアールさんとサフィーを助けに行かなければなりませんわよ?」
「大丈夫だ。見たところ、あの黒いゴブリンは指示を出してばっかりで自分で動こうともしていないようだし、うまく統率が取れている様子もない。仲間割れすら可能性としてあり得るくらいだ」
「確かにイエティなら魔法を弾く鎧なんて無意味ですし、サフィーに任せて問題はなさそうですが……。まあ、念のためにさっさと話をまとめますわよ」
「だな」
そう言って、ノエルは空中から降ってきた『ファーリの心臓』を手で受け止め、マリンの火球で切れた紐を交換して首に掛け直した。
「あの黒いゴブリンの触手らしきもの……あれは間違いなく呪いの残滓かあの悪魔の力ですわね。あの方、などと言っていましたし」
「じゃあ、やっぱりあいつがこの騒ぎを引き起こした災司……? いや、でもあいつはゴブリンだ。魔法が使えるとは思えない」
「あのゴブリン、黒くなる前におかしなことを言っていましたわよね? 『違う』とか『ディート』とか」
「そうだ、『ディート』! 黒くなる前、そいつがゴブリンじゃなくて人間だ、って話もしてたよな? ってことはそいつが災司で、あのゴブリンを魔法で操ってる、ってことじゃないか?」
「ですが、そうなるとあの触手が説明できません。魔法で操られているとなると、あの触手を自在に扱うほどの魔力を元から有していることになります。ですが、あのゴブリンにそれほどの力は感じませんでしたわよ?」
「つまりは魔法で直接操っているわけじゃない……か……。じゃあ、あり得るとすれば別人格か……いや、それも魔力と関わりがない。うーん……」
すると、マリンはこう言った。
「このままだと時間がもったいないですし、少し論点を変えてみましょう」
「お、スアールさんの受け売りか?」
「そう思っていただいて結構ですわ。では、もしあの黒いゴブリンが災司に操られているとして、どうして災司はあのゴブリンを選んだのでしょう?」
「そりゃ、身体が一番大きいんだし、その群れで一番強かったからだろうさ。魔物にとって強さはそのまま立ち位置に反映される。群れの頭を操れば、実質的に群れを操ることと同じだからな」
「つまり、今の状況は災司にとって非常に不都合、ということになりますわね? だって、群れを全く操れていませんもの」
「そうだな。それにしても、1体を操るくらいなら全員操れる魔法にした方が好都合だったろうになぁ? そうしたらすぐにこの心臓を取れたかもしれないのに……」
ノエルはそう言って、近くで気絶しているゴブリンたちを見る。
すると、とあることに気がついた。
「そういえば今までは仮定の話だったが、実際のところ、どうしてこいつらはあいつの支配下にないんだ?」
「支配できなかったか、あえて支配していないか……。今の様子を見ても、あの黒いゴブリンは全くあの場から動こうとしませんし……」
「あの行進といい、今の状況といい、どうやらディートとやらは時間稼ぎがお好きなようで…………」
その瞬間、ノエルとマリンは顔を見合わせ、同時に嫌な予感をしたのだった。
「……時間稼ぎ、ですって?」
「……再度確認するんだが、そういやあいつって、この心臓が目的だったよな」
「ええ。ですから、わたくしたちを殺すためにゴブリンたちを寄越したのでしょう? わたくしたちの生命になんて興味はあるはずがありません」
「そうだ。そして、あいつは仲間……と言っても利用しているだけか。とりあえず、その仲間のゴブリンすら魔力を補給する手段でしかない。さらに、魔女相手に魔法対策をした上で無闇に攻撃させ、時間を稼いでいる」
「まるでこちらの魔力を削ろうとしているような……って、まさか災司の目的って……!」
「こちらの防御手段を奪った上での全範囲攻撃……。それも、操っていると思われるゴブリンの身体すらも巻き込むほど広範囲・高威力のものだろうさ。つまり……!」
ノエルとマリンが黒いゴブリンの方を振り向いた瞬間、黒いゴブリンの触手が集まり、中から禍々しい黒い光が溢れているのが見えた。
それがこれまでにないほど多量の魔力を有していることを、そこにいる魔女たちは一瞬で感じ取るのだった。
「自爆攻撃だ!!」




