106頁目.ノエルと光と液体と……
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目を開くと、そこは暗い世界だった。
暗く、黒く、深く、自分の手元さえ見えない。
音も自分の声も聞こえず、何の匂いもしない。
触覚も味覚も、全てが存在しない。
ここは死の世界なのだと、そう思った。
だけど、『自分』は確かにここにいる。
そして、自分はこんなところにいる場合じゃない、ということもおぼろげに分かる。
立ち止まっている場合ではない、と。
そんなことを思うと、目の前に2つの光が現れた。
1つは綺麗で甘い、黒い光。
もう1つは仄かで濁った、白い光。
あまりに綺麗だったから、黒い光の方へと足のようなものを進める。
すると突然、白い光の方が強く光った。
その瞬間、胸元が痛くなる。
前へ行けば行くほど、そちらへ行くなと言うように痛みは増していく。
「え……? 痛い……?」
先ほどまでなかったはずの痛覚を感じる。
光はあれど、痛む胸元はよく見えないままだが、じんわりした痛みが突き刺すような痛みに変わっていく。
あまりの不快感に後ろへと下がった。
しかし、それを拒むように黒い光が段々と近づいてくる。
それと共に痛みの強さも戻ってくる。
「やめろ……! それ以上こっちに来るな……!」
次第に近づいてくる黒い光から逃げるために、反対側の白い光へと向かう。
痛みは弱くなり、むしろ心地良さを感じる。
白い光は今にも消えそうだったが、どうにか光で導いてくれているようにも見えた。
「もう少し……もう少しで……!」
そして、弱々しい白い光に触れようとして──
***
「…………」
ノエルが目覚めると、目の前には豪華な装飾の天井があった。
横を見ると、窓から陽の光が差しているのがノエルには分かった。
「……夢、だったのか? って……ここは……?」
ノエルが周りを見回すと、辺りには誰もいない。
どうにか動こうと、重い身体を持ち上げようとしたその時、ノエルはギョッとした。
「そ……そりゃ、身体も重くなるわけだ……」
布団をめくると、ノエルの胸の辺りで白猫が小さく丸まって眠っていた。
ノエルに気づいた白猫は目を覚ましてゆっくり起き上がり、ノエルの手を舐め始めた。
「お前は……そうだ、黒猫と一緒にいた猫! 昨日は暗くてよく見えなかったが、よく見ると綺麗な白色だったんだなぁ。お前が……ずっと側にいてくれたのか。ありがとな」
そう言って、ノエルは白猫を優しく撫でた。
白猫は自分の顔をそのまま擦り付けてきたのだった。
そしてノエルは「すまないね」と言って、白猫を持ち上げて身体を起こした。
「っ……!」
ノエルは頭を押さえる。
すると、そこに包帯が巻かれている感触をノエルは感じた。
「うん……? 頭だけじゃないな……。腕に……足まで!? いや、でも普通に痛みなく動くが……。うーん?」
首を傾げていると、ドアの方から声が近づいてきた。
ドアが開かれると、そこには食事らしきものが乗った台車を持ったサフィアとマリンがいたのだった。
その瞬間、ノエルの胸元にいた白猫はベッドから飛び降り、マリンたちの足元にいた黒猫の元へと駆けていく。
「あら、黒猫がついて来たかと思えばあなたも来ましたの。ノエルの番はどうしましたの……? って、あ……」
「あぁっ! ノエル様が起きてる!」
「なるほど、どうやらまた心配をかけたみたいだね」
「ふぅ……。無事で何よりでしたわ。痛むところはあります?」
「んー、頭が少し痛いくらいで他は全く。ところで、この過剰な包帯は何だ? むしろ動きにくいんだが」
「あぁ、それは……サフィーに聞いてくださいまし?」
ノエルは涙目になったサフィアと目が合う。
「だって、どこを打ったか分からない以上、少しでも身体を守らなきゃって思って……! お医者さんに診てはもらったんですけど、それでも心配でつい……」
「あー、医者に診てもらったんならいいや。心配で巻いてくれたんならその厚意はちゃんと受け取らなきゃな。ありがとう、サフィー」
「わたくしは過剰だと言ったのですが、そこの猫たちがどこからか包帯を咥えてきたのを見たサフィーが、それで一気にグルグル巻きにしてしまったんですのよ」
「うん、謝るついでにちゃんとその医者に包帯の分の金を返してこい?」
「それはわたくしが抜かりなく……。あ、ちなみに分かっているとは思いますが、ここは数日前から寝泊りしていたメモラ城内の客間……の隣の空き部屋ですわ。医者や場所はメモラ王が用意してくれましたの」
「どうやらそうみたいだが……。どうしてアタシはこんなところにいる?」
その言葉に2人は目を丸くする。
「え? 覚えていませんの? 昨日のこと」
「ええと……。確かアタシの家に行って、家の中を探索して猫を見つけて……って、どうしてその猫たちがここにいるんだ……?」
「ノエル様が助けたんですよ、倒壊しかけていたノエル様の家の中から。それで、どうしようもなかったんでそのまま連れてきちゃいました」
「そう……だったな。アタシの家が崩れて……。あぁ、そうだ、思い出したよ。と言っても、猫たちを抱きかかえたところまでだが」
「それで十分ですわよ。あなたが助けたかった命は確かにここにありますから。ねえ?」
2匹の猫は3人の話を全く聞いていないようで、部屋の中を駆けずり回って遊んでいる。
ノエルはそれを見て穏やかに微笑んだ。
「ただ、あなたは要安静だと医者から言われていますから、メモラ探索はもうしばらくしてからですわね」
「そうか……。この結晶体も守らなきゃならないってのに、不運なもんだねぇ……」
「って、ノエル様! 胸元、結晶体の跡が付いちゃってます!」
「え? ……あぁっ!? この猫、さては結晶体を枕に寝ていたな!?」
「ふふっ……! 本当ですわ! 胸のところに菱形がくっきりと……ふふっ……」
「もしかして、夢の中の胸の痛みってこいつのせいだったんじゃ……。はあぁ……」
ノエルはじゃれる猫たちを見て、深い溜息をつくのだった。
***
朝食を食べ終えたノエルは、マリンたちに尋ねる。
「で、どうするよ」
「安静にと言いましたでしょう? 大人しく寝ていなさいな」
「あぁ、いや、そっちじゃなくて。その猫たちのことさ」
「それは確かに……。っていうか、この子たちってノエル様の飼い猫……なわけないですよね。あれから何十年も経ってて生きてるわけないですし」
「アタシの昔話に猫が出てきたことなんてないだろう? それに、こいつらがアタシの飼い猫なんだとしたら、急に頭に飛びかかってきたりしな──あぁぁっ!!」
「あっ……」
突然、ベッドの正面から、走ってきた黒猫がノエルの頭に飛びついてきたのだった。
ノエルは一瞬で顔から猫を引き剥がし、そのまま上に掲げて睨み付ける。
どれだけ高く掲げても液体のように伸びる黒猫の身体は、ノエルの怒りを少しだけ和ませた。
「はぁ……。アタシみたいな性格の女が、ここまで舐められているのを良しとするわけがないだろう……なあ??」
「そ、そうですねぇ……」
「明らかに懐いているように見えるのですが……。まあともかく、その猫たちの処遇について、でしたわね? 旅に連れて行けない以上は野生に返してあげるのが一番かと思いますが」
「野生に返したら返したで、無責任に命を救ったみたいになっちまいそうで嫌だな……。まあ、アタシにこいつらの命をどうこうする権利はないが」
「あたしはこの子たちに愛着が湧いてきてるんで、飼うのも全然やぶさかではありませんよ! やぶさかでは!」
「もし飼うとしても、旅に出る時は誰かに預けなければならないんですのよ。逆にこの子たちに愛着を持たれてしまったら、寂しい思いをさせてしまいますわ……」
ノエルは黒猫をベッドの下に降ろし、目を瞑って考える。
すると、しばらくしてノエルは「うん?」と唸った。
「どうかしましたの?」
「い、いや……そんなはずは……」
ノエルは再び目を閉じる。
そして、また目を開いたノエルは叫んだ。
「そいつら、魔力を持ってる!」
「ええっ!?」
「ほ、本当だ! 体内から魔力を感じます!」
「しかもこの属性……片や光の、片や闇の魔力ですわね?」
「あの家に住んでたせいで……なわけないな。あの頃はあんまり闇魔法の修行なんてしていなかったし、光魔法なんて全くだった。じゃあ、一体どういう……」
「となると、野生に返すのは危険……というか、何が起きるか分かったものじゃないですね?」
サフィアの言葉にノエルとマリンは渋々頷く。
「変な連中に見つかって実験材料に使われる可能性だってある。災司とかな。そんなことされるくらいなら、アタシたちで保護する他ないじゃないか」
「わたくしはノエルがいいなら全然問題ありませんが……」
「それに、どうしてこいつらに魔力があるのか、調べなきゃ気が済まないしな」
「そちらが本音でしたわね? ですが何度も言うように、旅には連れて行けませんから、お城に預けるかもしくは……」
その時、3人の頭には同じ人物の顔が浮かんだ。
「「「クロネさんに預ける!!」」」
動物を育てる時は、忍耐力と無邪気さへの対応経験がモノを言う。
ノエルたちの知る中で、母親の経験と子供への対応経験が一番あるのはクロネ以外にいなかったのだった。
「まあ、すぐに旅に出るわけではありませんから、ちゃんと話をつけた上でということにはなるでしょうけど」
「でもよくよく考えてみると、学園の仕事もあるし、ノエル様がお願いした件もあるし……お世話している暇はなさそうですよね……」
「その辺りはどうにかしてくれるだろうさ。本当にどうにもできない時は断るだろうし、その時は大人しく他の大魔女たちに頼むよ」
「じゃあ、しばらくはあたしたちと一緒ってことですね! やったぁ!」
「仕方ありませんわ。図書館で猫の飼い方の本でも借りてきますわね。仕方なくですから」
「お前もウキウキしてるじゃないか……。ま、こいつら勝手に遊んでるし、猫が増えるくらいは多少問題でもないだろうさ。だが……こいつらに舐められっぱなしなのはちょっと癪だなぁ……」
それからしばらく、ノエルの怪我が治るまで何日も、ノエルたちは猫たちに翻弄される毎日を送ることになったのだった……。




