104頁目.ノエルと跡地と森の中と……
ノエルたちはメモラ王・ダイヤから借りた割符を手に、ノエルの旧家がある森の中へと向かっていた。
その途中で、マリンはノエルに尋ねる。
「そういえば、姉様もメモラにいた時期があったんですわよね? どの辺りに住んでいたんですの?」
「エストの家か? それなら西門の近くにあるよ。インクと羽根ペンを買うだけのために外に出るのが億劫だったんだが、近くにあいつの羽根ペン屋ができたおかげで助かったんだよな」
「魔導士にとって、ペンとインクは欠かせませんもんね。ましてや、ノエル様みたいに研究熱心な方はインクの消費が激しかったんじゃありませんか?」
「そりゃもちろん。ただあの頃はイースがいてくれたから、魔法の研究に没頭していてもインクの補充には困らなくてねぇ。あいつもエストの店が建ったことにはとても喜んでいたよ」
「わたくしも一度は立ち寄ってみたかったものです。まあ、流石にそのお店はもうないでしょうけど、跡地くらいは見ておきたいものですわね」
「しょうがない。アタシとイースの思い出の場所でもあるし、久々に行ってみるか」
***
それから数分で、ノエルたちはかつてエストの店があった場所へと辿り着いた。
そこにはかつてと同じ建物があったが、看板は無論なく、誰かの笑い合う声が中から聞こえてきた。
「あの頃の建物のままだな。ただ、中には新しい住人が住んでいるみたいだ」
「少し寂しいものを感じますね……」
「だが25年前、あいつは確かにここに店を開いていたんだ。ほら、あそこ。看板の跡が残ってるだろう?」
「あら、本当ですわね。……ですが、他人の家の前で突っ立っているのも悪いですし、もう行きましょう?」
「ん、もういいのか? 見たいって言ったのはお前なんだから、十分って言うんならそれでいいんだが」
「ええ、十分です。わたくしはただ、姉様がどんな場所でお店を開いて、ノエルを支えていたのか。それを知りたかっただけですもの。これからノエルを支えていく立場として、先人の想いを知ることは大切なことですわ」
そう言って、エストは足を西門へと向ける。
「さあ、行きますわよ! ノエル、サフィー!」
「う、うん……。ノエル様も行きましょう?」
「うーん……。ただ店の跡を見ただけで、エストの想いなんて本当に知れるものか?」
「はぁ……分かってませんわねぇ。これは気持ちの問題なのです。姉様のここでの頑張りはあなた自身が語っていたではありませんの。であれば、姉様が本当にここにいたという事実を知れただけで、励みになるというものですわ」
「それなら、あたしも何となくだけど分かる気がする。もちろん、今のエストさんもノエル様を支えるために頑張ってるけど、昔のエストさんもノエル様を陰ながら支えてくれていたんだもんね。それを知れただけで頑張れる気がしてきたわ!」
「なるほど、歴史の遺産を見て勇気をもらえるのと似たようなものか。それならアタシも経験あるな。ここがアタシにとって見慣れた光景でも、お前たちには人間が築き上げた立派な遺産みたいに見えたってわけだ」
サフィアとマリンはエストの店があった家に軽くお辞儀をして、西門へと歩いて行く。
ノエルは家の方を少しだけ見やり、そして2人の後ろをゆっくりと追うのだった。
***
西門を通ってしばらく歩くと、ノエルたちの視界の前に広大な森が現れる。
その入り口付近に立っていた兵士に、ノエルは割符を見せた。
兵士は割符を受け取ると、自分が持っていたもう片方の割符と組み合わせ、そこに描かれたメモラの紋章に相違がないことを確認した。
そのまま頷いた兵士は割符をノエルに返し、どうぞと森への道を開けた。
こうして、ノエルたちはノエルの旧家がある森の中へと足を踏み入れるのだった。
***
森の中は葉が揺れる音や鳥のさえずりが細やかに聞き取れるほど、とても静かな空間だった。
その静寂を裂くように、ノエルたち3人の足音だけが響き渡っていた。
「……何と言いますか、そわそわしてきましたわ」
「うん。怖い……というより、静かすぎて緊張しちゃう……」
「これくらいの静けさがちょうど良かったんだ。アタシを……いや、アタシたち2人を邪魔するものは何もない。そう思えるだけでアタシは魔法の修行に集中できたのさ」
ノエルたちは足を止めて目を閉じ、しばらく自然の音に耳を澄ます。
マリンはノエルに尋ねる。
「ところで……結局のところ、闇魔法はどのようにして修行をしていたんですの? 森の中ですから土や水、風などの魔力が豊富なのは分かりますが、闇の魔力なんて他と大差ありませんわよね?」
「じゃあ、逆に聞かせてもらおう。闇の魔力ってどういうところに多いと思う?」
「ええと……。闇の魔力に対する光の魔力は、太陽の光が差す場所に集まるんですよね。だから、影のある場所に……って、それだと家の中とかにたくさん集まってるってことになるけど……」
「ですが、そんなことはありませんわね。これは属性の解釈の違いですわね? 光は何も太陽や灯りばかりではありません。光は癒し、優しさ、希望。そういった感覚の下にもありますから。幸福な人の周りには光の魔力がよく集まっていますし」
「つまり逆に言うと、闇の魔力は絶望とか心の闇を持つ人のところに集まりやすいってこと……? だけど、この場所である意味がないわ……? それにそもそも、当時のノエル様の周りにそんなこと起きてないし……」
「ん……? 当時の、ノエルには……?」
その瞬間、マリンはハッとしてノエルに訊く。
「あなたさては、元々は闇魔法の使い手ではなかったんじゃありませんの?」
「ええっ!? ま、まあ、確かに火魔法でお姉ちゃんと渡り合ってた時期もあったけど……」
「元々言うつもりだったし、答えてやるよ。マリンの言う通り、ここに来た頃のアタシは別段、闇魔法の使い手ってわけじゃなかった。もちろん、闇魔法が使えなかったってわけじゃないから、魔導書には闇魔法も書いてたけどね」
「つまり、他の魔法を鍛えるためにこの場所を選んだにも関わらず、あの日を境に闇魔法の使い手として大成していったというわけですか……。本当に人生って分からないものですわね……」
「なに、結局のところ闇魔法の戦い方が性に合っていただけさ。逃げるのにはもってこいだったし、当時のアタシにはぴったりの魔法だった。それだけだ」
「んー……。ってことは、ここに住んでいた頃のノエル様の周りにはむしろ、光の魔力の方が集まっていたんじゃないですか? イースさんと幸せに暮らしていたのなら、光の魔力が集まる条件を十分に満たしてると思うんですけど」
それを聞いたノエルは笑い出す。
「あっはっは! よく分かってるじゃないか! とはいえ、アタシはどうにも光魔法だけは苦手でねぇ。魔力は勝手に集まってくるのに、全く活用できずに困った思い出が……」
「光魔法の才能を全て、姉であるソワレさんに吸われたのですわねぇ。もしかしたら、魔法の才能を全部吸われている可能性もありますが」
「魔法の才能を全部吸われている状態でもお前に勝てるアタシ、もしかして天才か!?」
「はぁ!? まだ決着をつけた覚えはありませんわよ! それに、そんなこと言われてわたくしが勝っても、全然嬉しくないじゃありませんの!」
「大丈夫です! ノエル様はそもそも天才ですから!」
「待ってくださいまし!? サフィーまでそんなことを言ってしまったら、もはや収拾がつかなくなりますわよ!?」
そんなことを話しているうちに、ノエルたちは光溢れる広場に辿り着いたのだった。
耳を澄ますと川のせせらぎが聞こえ、ノエルたちの喧騒はやがて静まる。
広場の中央にはなだらかな丘があり、その丘の上に家らしき建造物があった。
丘は雑草に覆われていたが、見た目としてはむしろちょうど良い緑色を呈していた。
「わぁ……綺麗な場所……。絵に描いたみたいに幻想的だわ……」
「心洗われるような絶景ですわね……」
サフィアとマリンは予想以上の美しい景色に圧倒され、目を光らせながら立ち止まっている。
ノエルはそんな2人を見て少し微笑んだあと、やや苦い表情を浮かべながら無言で前へと進んだ。
サフィアとマリンはそれを見て、言葉を噤む。
「……ここは何も変わってないな。あれからほとんど誰も足を踏み入れていないのか」
そう言ったノエルは、建物のある方へ足を一歩一歩ゆっくりと進めていく。
そしてその足は、蔦に覆われた建物の前で止まった。
サフィアとマリンも、ゆっくりとノエルの元へと近づく。
ノエルは木の扉に手を当てて小さな声で呟いた。
「すっかりボロボロになっちまって……。今にも崩れるんじゃないか?」
そう言って、ノエルは扉の取っ手に手をかけると、そのまま扉を押した。
すると、思いの外、蔦が絡んでおらず、腐った木の扉は軽く開いたのだった。
ノエルがそのまま扉の中に入ろうとしたその時、マリンがその肩を掴む。
「気持ちは分かりますが、そこまででやめておきなさい。今は蔦や苔で支えられてはいますが、見る限りどこも腐っているじゃありませんの。危険すぎますわ」
「そうですよ。どうしてもって言うなら、せめて土魔法で防御を張ってからにしてください」
「あ、あぁ……。すっかり物思いに耽ってしまって注意不足だったな。感謝するよ、2人とも」
「わたくしたちはここで待ってますから、好きなだけ思い出に触れてきてくださいな」
「分かった。じゃあ……『障壁盾』っと」
ノエルの身体の周りに土の魔力が迸る。
そして、ノエルは自分の手をもう片方の手で叩くと、確かにそれが防がれることを確認した。
サフィアとマリンが見守る中、ノエルは扉の奥へと入っていくのだった。




