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呪われ屋と小さな月  作者: 菫野
2/2

雨雲の呪い・2

それから、3日目のこと。

今日も晴天だった空に茜が射した頃合。シスターは1日の終いにと教会の表戸の錠と、皿に乗せた麹粥を手に外へ出た。

暗くなり始めた通りを見渡せば人影はない。

元々見せかけの教会だ。祈りに来るものなど初めから少ないし、神父もシスターも神など信じていない。

それを差し引いてもこの2・3日、教会はいつも以上に人が寄り付かなかった。

それは表戸のすぐ脇に座る、呪いわれた少女を気味悪がっての事だろう。


「…あんた、いい加減諦めたらどう」


土の上に小さく丸まって座る少女は俯いたままだ。

少女の少し横には、どこから寄ってきたのか野良犬が丸まってこちらを見上げている。

毛艶は悪くなく、どこか品の漂うその犬は、首輪こそしていないが以前は飼い犬だったのだろう。きっと逃げて野良となったのだろうが、それが何故この少女に寄り添っているのかはシスターの知ったところでは無い。余りに不幸な少女を哀れんだのだろうか。

少女が降らす雨に濡れない距離で寄り添う犬は、シスターが近寄っても吠える事なくじっと見つめているだけだ。


「今日はあんたの分もあるよ」


犬に向かって言うと、手にしていた粥の皿を2つ、地面に置いた。


「私がこんなお人好しだったとはねぇ」


カミサマもびっくりよ、と呟いてしゃがむと犬を目が合う。シスターは膝に頬杖をついてはぁ、とため息をついた。

ばう、と犬が小さく鳴くと、丸まって顔を埋めていた少女がのろのろと顔を上げた。

ここで野宿を決め込む少女の顔は腫れぼったく、涙の跡こそ無いが青白くくすんで悲惨な様だ。

眠っていたのだろう、シスターを見ると律儀にぺこりと頭を下げて、雨よけの外套の腰のあたりをごそごそと探った。目的のものを見つけたのだろう、数枚の硬貨を差し出して仄かに笑みのようなものを作った。


「はいはい、もらっとくわね。この強情娘」


教会から追い出された不幸な少女は、行くあてもないのか教会の前の路地に座り込んだ。

追い出したその日にはすぐに居なくなるだろうと放っておいたが、2日目の夕に後味が悪くなり、シスターは自分の食事のついでに麹を与えた。

今まで他人に食べ物を譲る事をシスターはした事がない。他人を憐れんでいては、この街ではすぐに足元を掬われる。飢えに耐えかねて物乞いするものなど、山ほどに居る。

そのまま死んでしまうものも少なくはないし、シスターはそうやって死んでいった子供達をたくさん見てきた。

それだというのに何の気まぐれか、気づけば少女の前に皿を置いていたのだ。


少女はそれを見て今日と同じように、頼んでもいない硬貨を差し出した。

金が欲しくて麹を与えたつもりのないシスターは、それを受け取らずに屋内にひっこんだのだが、翌朝に見てみれば、その麹には手がつけられていなかった。

少女はシスターを見つけると再び濡れそぼった小さな手を差し出した。

シスターはそれで仕方なく硬貨を受け取ると、少女はやっと麹に手をつけたのだ。

腹を減らしていないわけがないだろう。

なんという頑固者かと呆れたシスターが根負けしたのだ。


「あんたが兄をどうにかしたいのはよくわかったわ。私からも呪われ屋に言っておくから、一度帰ったらどうなのよ」


少女は真摯にシスターの言葉に耳を傾け、そしてふるふると首を振った。

雨に濡れた髪がぴちゃりと雫を飛ばす。


「んもう。あんた本当面倒ね。あんたみたいのは絶対友達になれないわ」


小雨ではあるが、それに打たれ続ける少女の唇は青い。小さく震えているから、寒いのだろう。

頬杖をついをついて息を吐き出したシスターは、仕方がないと立ち上がった。


「ここで倒れられても後味悪いのよねぇ。ちょっと待ってて」


小首を傾げる少女を置いて、シスターは教会の自室に向かった。


「いくら雨を通さないの着てるって言ってもねぇ。あれじゃ凍えるに決まってるわ」


教会の屋根裏はシスターの自室だ。

教会では修道服で通っているが、それはただの演出でしか無い。

街へ出るのに服を変える事もある。

ぱんぱんに詰まった衣装棚を探りながら、奥から引き出してきたのは深緑で染められた羊毛の肩布であった。どこかの男に贈られたものだったか、地味な色がシスターには気に入らなかったが、あの少女にはぴったりだ。

雨よけの下に濡れないように巻けば、それなりに温まるだろう。

それを手に階下に降りて、ついでに暖炉に掛かっていた湯を杯に酌む。

そこに蜜をひと匙と、乾いた柑橘の皮を入れてやる。


「この私がここまでしたんだから。呪いの報酬に色を付けてもらおうかしら?」


丁度新しい紅が欲しかったのだ。

あの変わり者の呪われ屋が是というかは分からないが、少女を味方に付けておけばその可能性は高まる。

いい考えだと上機嫌に外に出ると、そこは想像していなかった事態が繰り広げられていたのだ。


「あ、あんたたちなによ?」


扉を開くなりそこには、大柄と小柄の男が2人、少女を囲んで身構えていた。


「あぁ?なんだ修道女か。このゴミ邪魔だろ?俺たちが引き取ってやるよ」


男の1人が言うとつま先で少女の脇に置いてあった空の食器を小蹴りした。

途端に大人しかった犬が牙を剥いて威嚇する。

獰猛な獣の唸り声に、男はふんと鼻をならす。


「ははは!お犬様がお怒りだぜ」

「お前が守るってか?食用にしてやろうか犬ころ」


腰に下げた小剣を抜いて、男の片方がからかう様に犬に向かって振り回す。


「ふぅん?兄さんたち、そんなしけた娘が好みだっての?趣味悪いわねぇ」


シスターは状況を飲み込んで、途端に馬鹿にしたように笑った。

かと思えば男たちに近づき、髪を覆っていた頭巾をさらりと取り払う。

その清らかでいて色香を醸す、魅惑的な貌が露わになると男達ははたと手をとめた。


「その子はどうぞお好きにして頂戴ぃ。何の縁も所縁もないただ気味の悪い小娘よ。私の知ったことじゃぁないのよねぇ」


都合が良いとでも言わんばかりに、ひらひらと手を振ってからひらりと身を翻した。


「そんな事はどうでも良いわ。なんせ今日は週末なのよ。さっさとココ閉めて、私は街に遊びに出るの」


お腹すいたわぁ、と言うとちらりと男2人を振り返って、修道服の首釦を外し、首筋を覗かせる。


「んー、そうねぇ…思いっきり楽しませてくれる刺激的なイイ男、どっかに居ないかと思ってたんだけど。ふふ、もしかして見つけちゃったかしら…」



「…ん、俺の事だな?!」

「…いや!俺だろう!!」


男たちはピンと背筋を伸ばして、少女の事など忘れてしまったかのようだ。


「あぁ、でも…そうね。そっちのしみったれた娘がお好みなのよね、生憎オイソガシイみたいだし、諦めて他を当たるべきよね…」


女の顔をしたシスターが悩ましげに微笑むと、男達は電気が走ったかのように小さく震え上がった。

ゴクリと生唾を飲み込みながら、シスターの頭から足先までを舐めるように見定める。


「とんでもないぜ、こんなガキの事はいつでもいい。じょうちゃん。俺がいい店連れてってやるよ」

「お…おいおれだよ!俺が連れてってやる」


男達はシスターを引き寄せようと腕を強引に掴みにかかる。しかしそれをひょいとよけて、シスターは困ったように眉根を寄せた。


「兄さん達、こんな場所で困るわ。ねぇ、少し待って、人の目もあるもの…着替えなきゃ」


ちらりと教会を見上げて、背徳の漂う笑みを浮かべる。

そうしてシスターはあれよと言う間に待ち合わせ場所を決めて男達を返してしまった。


「ああちょろいわねぇ。脳みそが海綿みたいな男ほど扱いやすいもんはないっての。あんたも覚えとくといいわよぉ」


上機嫌に去っていく男達を見送って、シスターは黒い顔で笑っている。

あの様な約束してしまって大丈夫だろうか…少女の顏にはそんな杞憂が浮かんでいたが、シスターは全く気にしている様子はない。


「ダイジョブよ。街には頼れる知り合いもいるし、面倒な事になる前に上手く帰ってもらうわ。もちろん美味しいところは頂くわよ。それより」


くるりと振り返り、腕まくりしながらシスターは少女の前に立つ。


「冷めちゃったかしら、あぁ、まだ大丈夫ね。温かいうちに飲みな。これは私の奢りよ。冷めたら私の労力が無駄になるから絶対飲みなさいよね。あとこれ、ほら急いで首を出して」


蜜入りの杯を置き、屈み込んだシスターは急げと外套の頭巾を下す。

首に急いで肩掛けを巻きつけ、ぐいぐいとそれを雨よけの中に押し込んだ。


「…さっきのはアレよ、人売り」


されるがままだった少女ははっと顔を上げてシスターを見る。

その緊迫感の走る表情に、シスターは苦笑う。


「あんなのは掃いて捨てるほどいる。あんたこの街の人間じゃないんでしょ。知らない人間に話しかけられたら十中八九変そんなのよ。面倒なことに巻き込まれる前に、帰った方がいいと思うけどね」


少女は俯く。その隣で犬は2度吠えて、少女の雨の滴る頰を舐めた。


「その犬は役には立たないし。あんた本当に無防備すぎるのよ、ムカつくくらいにね。次は絶対助けてやらないわよ」


それだけ言って襟巻きをぐるぐると巻きつけたシスターは、じゃね、と明るく言ってさっさと行ってしまった。

内から教会の錠前が閉まる音を聞いて、扉をぼんやりと見て居た少女は、渡されたカップの暖かさに下を向く。大事なものを包むような手でそれを運び、ちびりと口をつけた。

じわりと体が温まる。首に濡れないよう、うまく巻きつけられた羊毛の襟巻きも温かい。

もう一度湯に口をつけ、それから雨で濡れた手を拭い、側に座る犬の背を撫でてやった。

少女の肩を打つ小雨は、雨だれとなり、濡れた地面に溶けていった。







翌る日の朝。

神父は夜通し賭け場で過ごし、金を使い切ってふらふらと帰途についていた。


神父は三度の飯より女よりも賭けが好きだ。

大抵は昼間、教会での暇に昼寝をして過ごし、夜が来れば賭け場に入り浸るのが日課である。

時には儲けた金でその日の店中全ての飲食代を奢ったりもしたし、またある時は借金をしこたまこさえるほど負けたりもした。

そんな神父が神父と名乗り、認可も無い闇教会に身を置くのはそこに儲かる黒い仕事があるからで、家族のない神父はその稼ぎの殆どを賭博に費やす。

その日暮らしも大概で、大抵は首の皮一枚で食いつなぐ。

賭け場に出入りするやがらの中にはこの都の中でも特別おろそしい面々も紛れている。

碌でもない理由で危ない橋は幾度となく渡ってきた。

目をつけられ脅されて本気で小便をちびったこともある。

未だ命があるのは奇跡かもしれない。


それでも堅実に生きるなど神父には考えられなかった。神父は金儲けが好きなのではない、賭け事を愛しているのだ。


今日は負けが立て込んだ。

すっかり軽くなったポケットを往生際悪くひっくり返しながら川沿いを歩いていると、神父の住まう教会が見えてきた。

大分登った太陽に照らされた建屋は教会とは名ばかりのボロである。

教会だけでなく、この一帯の家屋はどれも同じだ。

様々な色の板で継ぎ接ぎをして、ようやっと家の形を保っているものばかり。

夜の華やぎの痕を残した表通りには様々な物が落ちている。

酒の空き瓶や吐瀉物、中身はどこへ行ったのか衣類がそのまま落ちていたり、空の財布やら折れ曲がったフライパンと本当に様々なものだ。

潰れて眠り込んでいる酔っ払いもよく見かける。

故に教会の正面扉に小さくなって座っている人影を見た時はその類かと思った。

しかし目を凝らしてみると、雨雲を頭上に冠した小柄な少女が座っていた。


「あの小娘、まだおったのか」


今の今まで呪われた少女の存在を忘れていた神父は、追い払ってしまおうと少女に向かって歩き出した。

呪いを身代わりするのは呪われ屋だ。

その呪われ屋が否といったのであれば、あの少女がいくら金を積もうが取引は有り得無い。

往生際悪くいつまでも居座られては、来客の妨げになるのだ。

しかし、すぐに別の影を見つけて足を止めた。

少女のとなりに、野良犬が1匹…それと、特徴的な出で立ちをした男が一人。

彼はどうやら盲声の少女を相手に何か話して居るようだ。

男の方はよそよそしく身振り手振りをしたり、肩を揺らして笑ったりした。

神父は男に見覚えがあった。


「…まぁ、あれなら放っておいても大丈夫だな」


少女へと向かっていた足の向きを変え、神父は路地裏に入り裏口から帰宅した。

今日はシスターは休みだったか。雇われの彼女は給料と休みの数にはうるさい。

取り敢えず教会を開けなければならないと、すぐに修道服に着替える。

内側から教会の正面扉の錠前を外すと、すぐに応接間のソファに寝転がり、神父は朝寝を決め込んだのだった。







「おい、おじょうさん。だいじょぶか」


膝を抱え込んで眠っていた少女は、降ってきた声に顔を上げた。

隣の犬が吠えて、尻尾を振って居る。

辺りを伺えばまだ仄暗い。間もなく来る夜明けの気配に街は静けさが戻り、遠くの方から響くはしゃぎ声が夜の喧騒を名残をとどめている。


「それは呪いか?こんな所に座って、その…腹でも痛いてぇのか?」


見れば少し離れた所に男が立っていた。

辺りには他に誰も見当たらない。

薄暗がりに小柄な体をごまつかせて、付かず離れずの距離で少女を伺って居る。

少女はふるふると頭を振って、地面に落ちて居る石を取って返事を書いた。

ーだいじょうぶ、と。


「ほんとうか?顔が真っ青だぞ。その雨は止まないのか」


男は一歩こちらに近寄って、覗き込むように少女を見やる。

月明かりに男の姿が浮かんで見えた。背丈は少女よりも少し大きいくらいで、背中は丸まっている。

手や指が変なふうにねじ曲がって、たくさんの染みが浮かんでいる。

不自然に斜めに構えているのは、左の足が悪いせいか。

白毛混じりで一応整えてある髪は、自分で鋏を入れたのだろう、変わった髪型になっていた。

何よりも猫背で垂れた顔には青黒く片目を覆うような大きな痣があり、一度見たら忘れない人相であった。

少女は再び首を振って石を取る。

ーだいじょうぶです、ありがとう。


「そうか、ならいい。いや悪かったなぁ、ちょうど同じ年頃の娘が、俺にも居たもんだから」


もう5年も前に死んじまったけどなぁ、と男は呟いた。


「おじょうさんは、誰かと待ち合わせでもしてんのか?余計なお世話だがこの辺あぶねぇと思うぞ」


少女は頷き、そっと隣の犬を見た。

男の方は納得して、無邪気な笑顔を浮かべた。


「おう、犬ころがお供してっから大丈夫か?それは心強いな。あぁ、そうだ」


上機嫌になってポケットを探り、出てきたのは色とりどりの蝋紙に包まれた飴であった。


「これ、そこの街角で知り合いに貰ったんだけどよ。俺ぁいらねぇんでじょうちゃんにやるよ」


足を引きずるように運んで少女のそばに立つと、苦心しながら腰を屈めて、手を差し出した。

それを受け取って、少女はまじまじと飴玉を見る。それからぺこりと頭を下げて、地面に石で字を書いた。

ーありがとう。私はひとを待っています。


「お、そうか。すぐ来そうか?」


男の問いに曖昧に微笑んで首を傾げる。

少女は外套の中の服のポケットに飴玉をしまって、男を見上げて大人しく座っている犬の背を撫でた。


「そうかぁ、俺は仕事の帰りに散歩してたんだ。おじょうさんが暇なら、おっさんの世間話につきあってくれよ」


男は少女の返事を待たずに少しの距離を置いて座った。


「界隈じゃ青痣のじじいって呼ばれてるんだ。見たまんまで笑っちまうよな」


よろしくな、と笑って「青痣さん」はそれから関が切れたかのように饒舌に喋り始めた。

どこにしまっていたのか酒の瓶を取り出して、ぐいっと煽る。

ーつまらない仕事のこと、死んでしまった娘のこと、救いようの無い馬鹿な友達のこと、前より薄くなった髪の毛のこと。

男の話は夜が明けても止まる事がなかった。

男はくたびれた容貌からは想像できないほど、明るく話し、よく笑った。

声の出ない少女は男の話に控えめに相槌を打って、たまに一緒になって笑顔を浮かべる。

何かを聞かれれば短い返事を地面に書いた。

ここ2日間、必要なだけしか動かずじっと待っているだけだった少女にとっては、気の紛れる時間であったに違いなかった。


「おっと、こんな時間だ。もう寝ねぇと」


太陽が高く上がったのを見て、青痣さんは膝を叩いて立ち上がった。話して過ごした時間はあっという間だ。


「ははは、おっさんになってこんな可愛らしい友達が出来るとはなぁ。ありがとうな。待ち人が早く来るといいな。あと、その雨も止むといい」


少女は見た目だけ怖い陽気な青痣さんに、少し微笑んで手を振った。

重たそうに足を引きずり、青痣さんは明るい街に去って行った。



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