クリスマスの仕事。
いつかの出来事。
——ある夢の断片。
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普段はまだ人が溢れて止まないバザール街のセントラルストリートには現在、しんしんと冷たい静寂が巣食っている。流石に今日の様な日では
雪の降る中、今日に限って珍しく泥酔する彼は、まだ灯りを灯す建物を目の前にして、その入り口が木製の階段に座り込んでいた。
「……さむい」
黒く塗った顔が冷気で割れる。その隙間から覗いた鮮血は垂れる事なく固まった。
彼の着る色の落ちた毛皮はあまりに薄氷。とてもこの銀幕の降りた闇を歩く者のそれではない。
——ヒュオー……、と空虚な風が吹き抜ける。
「ぬぅ……おっとあぶへッ……!?」
ひどく冷え込む寒空の下、唯一彼が持ち物とする大きな皮袋が攫われんとしたが、それをオーバーアクションで阻止。結果として、頭からやんわりと深い雪へ突っ込み、残り少ない暖が奪われた。
「ぷはあッ……死ぬぅ」
なんとか抜け出した彼は氷柱のように硬くなった銀髪に雪を積もらせて、また階段の上で身を縮める。
「くそ、酔いがさめてきやがった」
しばらくして背後の灯りが消えた頃。
「ん……? サテライザーじゃねえーか」
震えながら白い息を赤い背景に溶かし死んだ目の男が、消し炭が如く静まった黒い彼——サテライザーの前にようやく現れた。
「——よ」
サテライザーが言った小言に真っ赤な毛皮を着た男は「あ?」と屈んで聞き直すが、
「ぶべっ……!??」
凍空を切り裂かんばかりのアッパーが頰を強打し、バタリと踏み固められ硬い雪に倒れ込む。
「んだよ、てめぇも埋まれってんだ」
やられ際に吹き出した赤服のヨダレが、宙で尖って持ち主の眼前に突き刺さる。
「な、……なにしやがる!!」
赤服はゾッとして全身を冷や汗が濡らし、飛び上がって叫ぶ。
「それは私の言い分だ。何がサテライザーじゃねぇかだ、私がもうどれくらい待ったと思う? なあ、アラマキよ?」
前のめりになって赤服——アラマキ=ハカゼがこちらも凍った髭を突き立てているが、それを一切相手にしない眼光がハカゼを退かせる。
「ちょっと遅れただけだろが、あんま怒るなよ。いつもけちくせぇんだよお前は!」
しかし、腰が引けて言うハカゼの様はまるで仔犬。たまらずサテライザーはため息を漏らす。
またしばらくして、段違いに腰掛けた二人は唯一の光源となった背後上方の灯りを見つめる。
そして、
「さて、寝る前に行くぞ」
「おう。って、お前は俺の御付きだろうが!」
赤服と黒ずくめの二人はそれぞれの袋を背負い、建物へと重い足を運ぶのだった。
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「こない……こないこないこない……なんでこない……」
暖炉の中でパチパチと薪の爆ぜる音を抑え、重さを帯びて渦巻く幼い声。
自分の身長とそう変わらない大きさの靴下を力一杯抱きながら、ただブツクサブツクサ。
その声は今にも枯れてしまいそうで震えている。
知らない天井。
幼き少女が瞼のシャッターを押し上げたとき、気づけばその下に居た。
母親にサンタクロースはまだ来ないから少し眠ったらどうかと言われ、渋りながらベットへ入り眠った記憶はある。
だが、ベットが移動するものだとは知らなかったし、誘拐された覚えもされる覚えもなかった。
なのに気がつけばこの殺風景な部屋に、少女はぽつんと一人っきり。
明くはないが決して真っ暗闇というわけで無く、むしろ自室の豆球に比べれば明る過ぎるほど。そして窓の外は暗く静かでおそらくは超寒い。
少女は思った、まだ今日の夜は始まったばかりだと。
少女にとって今夜はまだ2XX0年12月24日の延長、つまりはクリスマスの夜、サンタクロース襲来予定日の真っ最中である。
しかしながら、ここへ来てからといえば期待は薄れる一方、じっくりと満ちて行くのは不安ばかり。
ここはどこだろうか? ここへ来てどれだけの時間が経ったのだろうか? などの疑問でさえもう浮かべることは出来ない。
少女はただ蹲って靴下を濡らし、サンタクロースという救世主の出現を願い縋るだけだ。
「ざんたの……ばがああぁ……」
布団に潜り号泣する少女の口には当然のように涙。
クリスマスの夜に味わうには苦すぎる。
「——?」
そんなとき、ふと少女のガラガラ声が止んだ。
「だれ……」
誰かがやって来る。そう思うのも無理はない。
ドス……ドス……と階段を登る足音が二重に聞こえるのだから。
知らない場所でたった一人過ごす孤独は他人の存在を感じることでしか拭えない。そんな小難しい言葉ではないにしろ少女が現在身をもって学んだことだ。
しかし震えはだけは止まらない。
少女は鼻水を啜って、必死に耳を澄ませる。
ドス……ドス……とやはり聞こえてくる〝聞き覚えのない足音〟。
「ざんた……じゃん……?」
父親でもなければ母親でもない足音に対して、真っ先に浮かんだ人物はやはりサンタクロース。
「でも……、——」
——二人……?
その思考を理解した瞬間、足音が部屋の真ん前で止んだ。
ガチャリ
ぎぃーーーっ……
「泣ぐ子はいねぇがあ~~」
扉が開いて差し込んだのは、
「(な、なまはげだあああああああああああああああ)」
とてもジャパニーズで安心の出来ない北が大地に住まう子供の敵を思わせる喉太い声であった。
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なまはげ。
いつかテレビで見てしまったあやふやな恐怖。
日常生活の中ではまず思い出さないような記憶の切れ端。
姿すら思い出せないような不可思議な存在。
しかし、名前と決まり文句だけはしっかりと刻まれていた。
もう恐ろしさの限界を何度突き破っただろうか?
嫌な汗でびっしょりと濡れた少女はついに可笑しくなって、
「ふふふふ……あははははは……!!!!!!」
笑い出してしまった。
「おいポンコツハカゼ、そうじゃないだろ。先にビビって壊れちまったじゃねぇか。確か、最初はプレゼントをだろうが」
「ん? そうだった気もするな……ええい、ガキ! その中にいるんだろ? プレゼントをやるからさっさと出て来やがれ!!」
なんとも言えない会話に関係は無く、少女はゆっくりと外へ踏み出す。
「ふふふ……サンタ? サンタさんだよね? プレゼント……プレゼントをくれるんだよね……!?」
狂気に満ちた声が、そっと地を掴んだ片脚と共に不可視の闇から現れる。
「おい、サテライザー……」
「あ、ああ、今日ばかりは俺も同感だ」
「まだ言ってねーよ……」
次に現れたのは、闇より黒く床まで長い髪の毛。
「だが、仕事は仕事。やることはやるぞ。この子にはなんだったか?」
「いつもそうだこのクソ真面目が……ここは、上院議員で貴族のアイテクスの家だよな。ならガキのアイクは、親とは違って生真面目で良い男児だと書かれている」
サテライザーに問われ、腰に挿した筒から一本の紙を取り出したそれを見ながら落ち着かない声で言った。
「アイテクス……自分の子は将軍になるんだと奴が騒いでいるのを見たことがある……。しかし、コイツは」
「間違いなく小娘だな。どうやら家を間違えたらしい……つまりここは同じく上院議員ミサリア貴夫人の家。子供は悪女のミリアだ」
「つまり、菓子ではなく」
「石炭の塊をくれてやる事になっているな」
……。
時が死んだように一切が鈍間に見える。
互いの冷や汗や歪んだ笑顔、のっそりと立ち上がる少女、遅れて響く床が軋む音。
「なんだそのセンスは」
「俺も流石にどうかと思う」
のそり……のそり……
一歩一歩と着実に近づいてくる少女のその姿はまるで腐死者が如く。
「プレゼント、……くれないの?」
そっと赤服に差し伸べられる靴下。
「……ごめんな、これも決まりだ」
ハカゼだけでなくサテライザーもが飲み込んだ唾は、ただ静かに胃に落ちる。
「プレゼント」
催促されるが、依然変わらぬ鈍間でその靴下に赤服の持つ袋から漆黒の球体を移す。
「なに……これ……?」
髪が覆った顔面からは禍々しさ。
思わずハカゼは一歩後退して、
「これでも一応削って真球にはしたんだが……コレがプレゼントはねーよな」
ははは、と笑っていない笑い声が暖炉で爆ぜる音に負ける。
「じゃ、じゃあ、あとは頼んだぜ従者よ」
さらに一歩後退して黒ずくめの肩を叩く。
「震えてるぞ、お前」
「お前もな……。待っててやらんこともないから、はやく拉致っちまえ」
冷や汗に滲む黒塗りが垂れる。
「黒いあなたも、サンタさん……?」
腹をくくって、サテライザーが一歩前へ。
「嬢ちゃん、コレからは良い子で過ごすんだな」
サテライザーは握った皮袋の口を弛めて、
「え——ッ?」
黒いサンタタクロースを見上げる少女を、袋に詰まった闇が勢いよく呑み込んだ。
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「買ってきたぞ」
入り口が階段に腰掛ける黒服は、正面からの声に顔を上げる。
「ん? なんだハカゼじゃあねぇか」
「お前……まぁいいわ。飲むぞ」
サテライザーが座する横に、銀のスキットルを挟みハカゼが座る。
「アクアか? 強い酒を買ってきやがって」
〈アクア=ブラスト〉、アルコール度数54度と、値段も含め〈デュスコ帝国〉内では少し高めの代物である。
「夕方飲んでた酒に比べれば、サイコーにいい酒だろ」
「馬鹿野郎、アレはショットグラスで飲むから美味かった」
そう言いながらもサテライザー、しっかりとスキットルを握りしめて口を開ける。
それを見て、少しの文句を垂れながらハカゼも口を開けた。
すでに雪の止んだ銀世界に白い息が溶け込む。
「美味いな」
「だろ?」
並んで吐くため息は、なんとも軽やかで清々しい。
「で、どう思う」
切り出したのは、顔が破れに破れてボロボロになったサテライザー。
「どうって?」
ハカゼは酒を含んで聞き返す。
「私たちは聖なる夜に雇われて、——」
「——ニコラウスとループレヒトの代行者。良い子には菓子を、悪い子は攫って振って更正させる」
ぐびぐびと酒を飲みほさんとし、
「「おえぇ……」」
勢いよく雪原に吐散らす。
——改めまして、
「——前金制で人を斬るよりギャラのいい仕事ではあったが、」
「気づけば空家の中、袋は軽くなりガキは消えていた」
「「いい歳こいてひでぇ格好だな」」
見上げる空は星が満ち溢れ、それらは今にも降ってこんばかりの輝きを放っている。
傭兵二人が路銀を対価に越したある日の夜。
依頼者もいなければ、その標的もいない。
全ては夢の事、それでカタをつけても良かった。
しかしながら、顔の破れ方は酷く痛々しく、凍った毛束は鉄釘が如く。
背後で燃える炎は次第に強く燃え上がり、帝都は明るさを着飾っている。
「さて、戦火でないなら消火が騎士の仕事だ」
「酒代で全部剃ったからな。稼がねーと」
赤服の聖人擬きとその従者擬きが黒づくめ。
二人の行方は路銀か鮮血。
そのどちらかは誰にも分からない。
「「火の用心! 飲み過ぎ用心、火事の元!!」」
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「さーつーき♪ おはよ」
「にゅ……ふだゃりのしゃんたしゃんは……?」
メリークリスマス(イヴ)。