7 「お買い物は預かり札で」
目が覚めるとガルディスの顔。
うん。数日で慣れた自分が恐ろしい。毎朝怖がっているわけにもいかないしね。
朝食を作らなきゃと体を起こしたら、
「ぎゃ!」
太い腕が伸びてきてベッドの中へ引き戻された。なんで?
「まだ早い」
「早くないよ」
「早い。今日は仕事が休みだ」
え、そうなの? それならそうと昨夜言ってくれればいいのに。
「いい匂いだな」
首筋を嗅ぐな!
額に頬ずりするな!
「髭が痛い!」
もうその髭は凶器だよ。刺さるんだから。
「ああ、悪い」
謝りながら、額に唇を押し付けてくるガルディス。
「…………!」
な、なんで?
目を見開いてみれば、豪快な鼾をかいていた。……寝ぼけていたのか、まったくもう!
強く抱きしめられている腕からは逃れられそうにないので、仕方なく私はじっとしていた。
そして二時間後――。漸くガルディスが起き、私も起きる。
「ああ、よく寝たな」
「よかったね」
私は鼾で眠れなかった。
「ん? なにか怒っているのか?」
「別に」
朝食の準備をして食べて、洗濯と軽い掃除をする。休みだって言っていたガルディスは、だけど書類を持って帰ってきていた。
「書類仕事とかやるんだ」
「そりゃあな。一応隊長だから」
真剣な表情で書類に目を通すのを見て、ちゃんと仕事しているんだなと妙に感心してしまった。
掃除が終わりお茶でも用意しようかと思っていたら、ガルディスに呼ばれる。
「リズ」
「なに?」
「買い物に行くぞ」
買い物?
「食料品?」
荷物持ちをしてくれるのかと訊いたら、ガルディスは首を横に振った。
「食料品も買うが……、それよりリズはずっと同じ服を着ているだろう?」
「…………っ」
な、なんて失礼な! ちゃんと二着持ってて交互に着ているから! 洗濯もしっかりしているから!
……でも着替えはもう少し欲しいかも。
「服を買いに行こうな」
「……うん」
ここは素直に頷いておく。買ってくれるっていうんだからいいよね。
ガルディスはお金の入った引き出しを開けて紙幣を掴むと、それを無造作にポケットに突っ込む。財布は持たないのかな?
「よし、行くぞ」
来い、と言われて近づくと、いつもの片腕抱っこをされた。
「歩ける」
「リズは軽いな。もっと太れ」
……まあいいか。ガルディスと私じゃ歩幅が違うしね。
抱っこされて連れて行かれたのは衣装店だった。ガルディスは当然のように男の子服の売り場に行く。うん、まだ完全に男の子だと思われているね。
店員を一人捉まえて、「この子に合いそうな服を何着か頼む」と言いながら、ガルディスは私を床に下ろした。
店員さんにサイズを測られ、それからいろんな服を見せられる。試着を勧められたけど、それは断った。それより……。
ちらりと見た値札に驚く。この店、結構な高級店だよね。入る店を間違えてるんじゃないかな。
「ガルディス」
ガルディスの服の裾を引っ張って、店員さんに聞こえないように小声で呼びかける。
「ん? なんだ?」
声が大きいよ!
「高いけど……」
ちらりと値札を見せたが、ガルディスは動じることなく笑って私の頭を撫でた。
「ガキがそんなこと気にするな」
いやいや気にするでしょ。ポケットに入っているお金で足りるのかな? いや、絶対足りないよ。
「欲しい服は決まったのか?」
決められないよ。払えないじゃない。
私が困っていると、店員さんがあれこれと勝手に選んでガルディスに「いかがでしょうか」とちょっと引きつった愛想笑いをする。店員さん……余計なことを……。
「ああ、リズに似合いそうだな。ではそれを全て」
ちょおっと待って! 全て? 全てって全部って意味だよね。買えるわけがないじゃないの。馬鹿なの? 計算できないの?
慌ててガルディスの腕を強く引っ張る。
「なんだ、抱っこか?」
違う! 抱き上げるな!
「ガルディス、全てって……!」
「なんだ、もっと欲しいのか?」
そうじゃないでしょ!
「買え――」
ないでしょ、と続けて言おうとした時、服を持っていったん奥に下がった店員さんが、手に何やら持って帰って来た。
店員さんが大事そうに両手で持つそれは、四角い形の小物入れのようなものだった。それにガルディスが上着の内ポケットから出したものを載せる。
……あれ?
私は首を傾げた。
ガルディスが内ポケットから出したものは、銀行ギルドの預かり札に似ている。でも私が知っている預かり札とは違って、真珠みたいな光沢がある。
店員さんが預かり札っぽいものをガルディスに返す。荷物は後で自宅に届けてくれるとかなんとか言ってるけど、どういうこと?
「じゃあ行くか」
「ガルディス!」
「ん?」
「えっと、支払いは?」
するとガルディスは軽く目を見開いて、それから笑った。
「もう済ませた」
そんな馬鹿な。
驚く私に、ガルディスは内ポケットから先程の預かり札っぽいものを出して見せてくれた。
「これは銀行ギルドの預かり札というものだ」
やっぱり預かり札だったんだ。
「銀行ギルドというのは……」
銀行ギルドについて教えてくれようとするガルディスの言葉を遮る。
「知ってるのと違う」
「ん?」
「預かり札、知ってるのと違う」
ああ、と頷いてガルディスは歩きだして店から出る。後ろで店員さんが頭を下げているのがちらりと見えた。
「銀行ギルドについては知っているのか?」
「うん」
「リズが知っているのはどんな預かり札だ?」
「木で作られた札」
「なるほど、木札か。――銀行ギルドの預かり札は、階級によって違うんだ」
……階級? なにそれ。そんなの初めて聞いたけど。
「この札は魔石で作られている」
魔石……? 魔石って、魔術師が使ったり魔道具の中に入っていたりする、魔力が含まれた石のことだよね。貴重で高価、庶民には手の届かない石のことだよね。そんな高価な石で預かり札が作られているの?
「店員が四角い箱のような魔道具を持ってきただろう? あの魔道具の上にこの預かり札を置くと、銀行ギルドに連絡が行き、預けてある金から自動的に支払いが行われる」
え……。
私は驚きのあまり、間抜けに口を開けたままガルディスを見つめた。
なにその仕組み。そんなことができるの? いちいち引き出しに行かなくてもいいの?
ガルディスが預かり札を内ポケットにしまう。
魔石でできた預かり札……。そんなの普通の人がもっている筈がないよね。預かり札自体が相当高価なものだしね。自宅の設備といい、やっぱりガルディスって……。
「お金持ち?」
単刀直入に訊けば、ガルディスは「がはは」と笑った。
「使う機会がないから少しは貯まっているが、たいしたことはないな」
たいしたことがないって、お金持ちじゃないのに魔石の預かり札を持っているってこと? じゃあ……。
「まさか貴族?」
貴族なら不思議ではない。だけどガルディスは首を横に振る。
「いや、違う。実家は商売をしている普通の家で、俺は平民出の騎士だ。ただ姉は貴族の家に嫁入りしたので今では貴族だがな」
貴族じゃないんだ。それから――姉?
「お姉さんがいるの?」
「ああ。姉と兄が二人いる」
へえ、ガルディスのお姉さんか。どんな人なんだろう。ガルディスが山賊みたいだから、お姉さんも筋骨隆々とか?
「俺が言うのもなんだが、姉は綺麗でな」
ふーん。ガルディスみたいな感じじゃないのかな。
「俺のことをよく可愛がってくれた」
ガルディスが目を細めて笑う。その表情で気づく。
「お姉さんのこと好きなんだね」
「ああ、そうだな。だが姉だけではなく家族は皆大切だ」
「…………」
胸がツキンとした。なんでだろう。
「よし、ここで買い物するぞ」
ガルディスが立ち止まり、私は顔を上げて店を見る。
玩具屋……?
ガルディスは玩具屋に入り、私に訊いてきた。
「ほら、どれがいい?」
店の中にはぬいぐるみや人形、馬車の模型、遊戯盤などが並んでいる。
えーと、つまり私に玩具を買ってくれるってこと?
「これなんかどうだ?」
ガルディスが見せてきたのは、腹を押すと「ぐえっ」と苦しげに鳴く鳥の玩具だ。
あー……、完全に幼い子供に贈る玩具だね。私ってそこまで幼く見えるのかな? こんな玩具で遊ぶほど。
「いらない」
そんなので遊ぶ歳はとっくの昔に過ぎてるよ。
「なんだ、こういうのは好きじゃないのか? じゃああっちか」
そう言って指さしたのはブランコ。……庭に設置する気か? 揺らして遊べと?
私の表情を見て、ガルディスが小さく唸る。
「なんだ、気に入らないのか? では……」
ああ、駄目だ。これでは衣装店の二の舞になる。ガルディスが店員の勧める玩具を全て買うなんて暴挙に出る前に、どれか一つ選ぼう。
「これにする」
まだガルディスが持ったままだった鳥の玩具を私は指さした。
「そうか、これが気に入ったか。ではこれと……」
「これがいい。これだけ欲しい」
「……ん? そうなのか? あれも買ってもいいんだぞ」
……滑り台。滑って遊べと?
「いらない。これが気に入った」
不満げなガルディスに鳥だけが欲しいと言い張って、なんとか鳥の玩具を一つ購入しただけで玩具屋を後にする。それから食材をあれこれ買って帰った。
帰宅後昼食を作り、それを食べ終わって居間でお茶を飲んでいる時に衣装店から服が届いた。
「着替えてみろ」
「うん」
じゃあちょっと二階に行って着替えようかな。
そう思って服を持ったまま歩き出そうとしたら、ガルディスの太い腕がお腹に巻きついてきた。
「何処へ行く?」
「え……。着替えに」
着替えろって言ったじゃない。
「ここで着替えればいいだろう。ほら脱がしてやろう」
うわあああ! ガルディスの手が服の中に侵入してきた!
なにこれ、どんな脱がせ方しようとしているの? 脱がせるじゃなくて、これは肌をまさぐっていると言うんだよ!
「嫌!」
足をばたつかせたら、ガルディスの手が服の中から出た。
「脱げない理由でもあるのか?」
私を睨み付けるようにしてガルディスが訊いてくる。え……。もしかして怒っているの? まあ理由は単純に見られたくないからなんだけど。一応私だって年頃の乙女なんだからね。
私が唇を引き結んだら、ガルディスが拘束を解いてくれた。
「いや、悪かった。怒っているわけじゃないぞ。そんな顔するな」
そう言って頭を撫でてくる。なんだ、怒っているんじゃないのか。紛らわしい顔しないでよ。
「二階で着替えてくる」
「……ああ」
服を持って二階に向かう。ガルディスがちょっと悲しげな表情をしているように見えたけど、気のせいかな。
二階でさっと着替えて居間に戻れば、ガルディスは先程までの表情が嘘のように破顔した。
「おお、似合うな」
「そうかな?」
買ってもらった服は丈がぴったりだった。お高い服だけあって、肌触りもとてもいい。
「ああ、似合うぞ。可愛いな」
ガルディスが私を抱きしめる。
可愛い可愛いと連呼するけど、完全に服に着られている状態だって分かっているよ!
けれども、頭を撫でられて可愛いなんて言われて、ちょっと嬉しいと思った。




