13
「恋をしたのは私でした。その優しさに惹かれ、やんわりと断られても何度も迫って、そして想いに応えてもらった時は本当に嬉しくて、子もできて結婚して……。しかし徐々に彼は変わっていきました。それが彼の本性だったのか、何かきっかけがあって変わったのかは分かりません」
二人きりの部屋の中で、ルーティアは俯いたまま静かに語る。
「罵られ、時に手を上げられ、ただそれでも彼は娘の父親で、昔のように優しい姿も見せてくれていたのです。『後悔している、やり直したい』と言われれば、娘の為にもそのほうがいいのではないかと思い、また裏切られの繰り返しで、ずるずると不毛な関係を続けていました。それが娘を傷つけていたとも知らずに」
ルーティアが顔を上げた。
「でも今回のことで、ようやく完全に断ち切る決心がつきました。彼が捕まったことは悲しいです、でも安堵もしています、終わった、と」
俺を見つめてくる視線には、もう迷いはない。
「ハルヒさんの話を娘から聞いて、ハルヒさんと会って、こんな人とだったらもっと楽しくて笑顔でいられる家庭を築けていたのだろうと思ったのは確かです。しかし今はまだ……娘の傷ついた心を癒すのが先で、もう一度恋をする余裕はありません」
きっぱりと言いきったルーティアに俺は頷いた。
「……そうか」
「ですが、娘はあなたに懐いています。勝手なお願いですが、娘と仲良くしてくださると嬉しいです」
「ああ、もちろんだ」
今はまだ、ということは先のことを考えるつもりがあるということだろう。希望はあるのだ。
俺はルーティアの部屋から出る。と、廊下に親父とお嬢ちゃんが立っていた。
「話は終わったか?」
「ああ。お嬢ちゃん、お母様の傍に居てやれ」
でも……、と躊躇するお嬢ちゃんの頭を親父が撫でる。
「約束しただろう? 気に入ったのならこいつをやると。騎士は嘘を吐かない。事後処理と準備の為に王都に戻るが、またこの地に戻ってくる」
「……うん」
お嬢ちゃんが部屋の中に入っていく。
「親父……」
「なんだ?」
歩き出した親父を俺は追う。
「簡単に、やるとか言うなよ」
「なぜだ?」
「だって、俺は次の任務が決まっているのだろう?」
ずっと傍にいてやりたいが、それはできない。せいぜい手紙のやり取りをするのと休暇に来てやるくらいだ。
ふん、と親父が鼻を鳴らす。
「そのことも含めて、お前に話がある」
「どういうことだ?」
「警備隊の詰め所に行くぞ。そしてまずは――その首飾りの魔石について聞こうか」
ぎくり、と俺は体を強張らせた。
ばれている。いや、目の前で魔術発動してしかも巻き込んだのだから、ばれていて当然か。
「無断での禁術使用は規則違反のはずだが?」
そう、転移魔術は禁術扱いなのだ。だから勝手に使用することは絶対にしてはいけない。
俺は視線を彷徨わせながら親父の袖を握った。
「い、いや、待ってくれ親父。確かに転移魔術の無断使用は禁止されているが、これは今までの転移魔術とは術式が全く異なり、俺が独自に考え構築した魔術であり、いわば……」
「その言い訳も詰め所で聞こう」
「…………」
俺は袖を握っていた手を離す。
ああ……鉄拳制裁か。いや、それだけで済むか?
うなだれる俺を連れて、親父は警備隊の詰め所に行く。挨拶をしてくる警備隊員たちに軽く頷き、親父は奥の警備隊長の部屋を二回ノックして入っていった。するとそこには、「へ?」
お嬢ちゃんの護衛がいた。
ど、どうしてここに? しかも警備隊の制服を着て、椅子に座って足を組んでいる。
護衛がじろりと俺を睨む。
「間抜けな顔をするな」
なに?
「敬礼。それから所属と名を告げよ」
……は?
な、なんだ? 今までと雰囲気が全く違うぞ。
戸惑う俺の脚を親父が蹴る。
「うお、痛てえ!」
「警備隊長殿に失礼だぞ、ハルヒ」
脚を抱えて蹲ろうとした俺の動きが止まる。
……警備隊長?
「え、いや、だってあんたお嬢ちゃんの護衛では……」
どういうことだという視線を向ければ、護衛が答えた。
「わたしは今日からこの街の警備隊長となったトコフだ。街の状況を確認するために辞令よりも先に街に入ってはいたが、領主の孫娘殿とは偶然会って偶然行動を共にしていただけで、断じて護衛などではない」
……え。
「わたしも孫娘殿も、わたしが孫娘殿の護衛だなどとは一言も言ってはいなかっただろう。君が早とちりをしていただけだ」
「…………」
確かに言われてはいなかったが、普通あの状況なら護衛と思うだろう。
「護衛と呼んだ時に返事をしたような……」
「気のせいだ」
は、ははは、そうですか。
「それで、名は?」
もう意味が分からない。なんなのだ、これは。
ハルヒ、と親父が俺の襟首を掴んで強引に背筋を伸ばさせる。挨拶をしろということか。
俺は情けない顔のまま胸に拳を当てる。
「王城警備隊所属、ハルヒ・ベルドイドです」
護衛――ではなくて隊長が頷く。
「君は観察力がなさすぎる。短絡的で思い込みも強い傾向にある」
う……。ずばずばと言ってくるな。
「甘やかしすぎたのではないか、ガルディス」
隊長が親父に視線を向ける。
……ん? 呼び捨て? もしかして……。
「親父、知り合いか?」
「トコフは騎士学校の同級生だ」
同級生? ということは、隊長は……。
「騎士……なのか?」
いやしかし、この顔は見たことがないぞ。
そうだ、というように隊長が頷く。
「先日までは、とある街の警備隊に所属していた」
別の街からこの街へ? 騎士なのに、警備隊から警備隊に?
首を傾げる俺に、親父が説明する。
「騎士でも警備隊に配属される場合がある。理由は知っているな」
「ああ……」
重要な拠点となる街や治安が悪くなっている街には、騎士や魔術師を置くことがあるのだったな。
「父は昔、マッパの街の警備隊に所属していたことがある。その理由はわかるか?」
マッパの街、というのは母と出会ったという街か。そして親父がそこに居た理由は……。
「隣国へと続く転移魔法陣が設置してある街だからだ」
そうだ、と親父が頷く。
ん? ということは?
「この街にも転移魔法陣があるのか?」
だから騎士が警備隊長をするのかと思えば、親父は首を横に振る。
「いや、ない。が、この街と王都を結ぶ転移魔法陣を設置する計画が立てられている」
もともとはその計画の候補地の一つだったらしいが、調査の結果ここに絞られたそうだ。ちなみに調査をしたのは親父らしい。
この街に転移魔法陣を設置するのか。なるほど、それならば騎士が警備隊に所属していてもおかしくはない。万が一悪用されるようなことがあれば、大変な事態になるからな。
「トコフは厳しいぞ。お前はここで鍛えなおしてもらうがいい」
「なに?」
どういう意味だ?
「お前はこの街の警備隊の、副隊長に任命されることになっている」
「ええ!?」
「ミルルとの約束だからな、お前をやると」
「…………」
いきなりの展開過ぎて頭がついていかない。喜んでいいのか勝手なことをするなと怒っていいのかも分からない。
俺はこの街に住むことになるのか……?
「ミルルはお前を気に入っている。上手くいけばルーティア殿も絆されて、領主の家に婿入りできるかもしれんぞ。父に感謝しろ」
ルーティアと結婚……? お嬢ちゃんが俺の娘になる……?
そんなことが、本当に?
「で、でもなんで、それなら領主の娘に近づくなって言ったんだ」
初めからすべて話してくれていればよかったではないか。何故わざわざ隠して近づくなとまで言っていた。
「勝手な行動をされて、せっかく進んでいた話が台無しになっては困るからな」
「それは……」
「ミルルから話を聞いていたからこそ、初対面時も警戒されなかったのだ。今までと同じようにただまっすぐ突っ込んで行っていたら、間違いなくお前は玉砕していたぞ」
な、なるほど。確かにそれはそうかもしれない。
「親父……」
「なんだ?」
「……ありがとう」
ふん、と親父が鼻を鳴らし、俺の首飾りを引っ張る。
「よくこんな小さな魔石に転移魔法陣など組み込んだものだ。しかも従来のものとは術式が本当に違うな」
「おい、ちぎれる! 親父、そんなに引っ張るなって!」
「この街の転移魔法陣の設置は、王弟殿下が指揮されることとなっている。お前も協力しろ」
親父が手を離し、俺は目を瞬かせた。
「殿下が?」
一日二日でできる作業ではないだろう。では殿下は長期間この街に滞在されることになるのか?
もしや、ラディちゃんが付いてきたりはしない……よな?
「よし、では一度王都に戻るぞ。ついでなのであの男も連れて行く」
あの男……お嬢ちゃんの父親か。
俺は男の姿を思い出す。最低な奴だということは分かった。しかしだからと言って……、
「娘に手を出すなんて……」
信じられない。お嬢ちゃんはあんなに可愛いのに。
その疑問には隊長が答える。
「焦ったのだろう」
「焦った?」
「王都から来た騎士が、魔獣退治の傍ら何かを探っているらしいという噂を耳にしたようだ。そして、一旦王都に戻ってなにやら準備をして戻ってくると。だから領主から取れるだけ金を取って逃走する気だったようだ」
俺は目を瞬かせた。魔獣退治をしていた騎士とは俺のことだな。
隊長が話を続ける。
「短剣は脅す為に持ってきていたが、突然見知らぬ奴――わたしだが――が剣を片手に乱入してきて、やれるものならやってみろと煽ってきた。だからちょっと短剣を娘の首に当てる振りをしようとしたら、守護魔術が発動して弾き飛ばされたんだ」
「…………」
え。
俺は隊長の言ったことを頭の中でもう一度繰り返し、それから目を見開いて抗議した。
「煽るなんて、なぜそんな危険なことをしたんだ!」
「守護魔術が発動することは分かっていたからな」
「だからといって……!」
「それに転移魔法陣が組み込まれていることも知っていた。それはあのお嬢さんも分かっていて、むしろそうしろとあの瞬間お嬢さんが目で訴えてきたので問題はなかった」
「そんなわけがあるか!」
あんな幼く優しい子がそんな指示だすか! 俺が駆け付けたとき、お嬢ちゃんは怯えて震えていただろうが。でたらめ言うな!
ふーん、と隊長が片眉を上げる。
「結果、上手くいったのだからこの件は良しとする。誰かが騎士の噂を流してくれたおかげだな」
……ん? どういうことだ? まるで誰かが意図して流したような言い方だな。
「まさか、それも隊長が?」
「いや、違う」
違うのか、では……。
「親父か?」
「違うな」
では誰が?
首を傾げる俺の背を、親父が強く叩く。
うお、いきなりなんだ!?
「ぼけっとしていると、移送中に逃げられるぞ」
は? え? なんで親父も隊長も呆れた顔をしているのだ?
「ちょうどいいのではないか?」
「ちょうどいいな」
隊長と親父が顔を見合わせて頷く。
「……何のことだよ」
「お前が頼りないという話だ」
失礼だな、くそ親父どもが!
そういえば、と俺は思い出す。
「あいつは王都でどんな罪を犯したんだ?」
「窃盗だな」
親父の返答に、俺は安堵した。
「人を殺したとか、そういうのではないのか……」
「そんなことをできるほどの度胸があるように見えたか?」
それは分からないではないか。追い詰められれば人は何をするか分からない。本気だったかどうかは別として、現にお嬢ちゃんの首に短剣を当てようとはした。
「あいつの罪が明らかになることで、ルーティアやお嬢ちゃんが更に辛い目に遭うことはないか?」
「婚姻は無効となるが、ミルルの父親があの男であることは事実だ。だからお前がいるのだろう」
「なに?」
「お前が守ってやらなくてどうする。お前が、父親になるのだろう?」
俺は目を見開いた。
俺が……父親に……。
「……ああ」
頷いた俺に向かって親父も頷く。
「では、行こうか」
親父が隊長に軽く手を上げて部屋を出ていく。
俺も隊長に敬礼をして、親父の後を追いかけた。




