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……笑顔がまぶしいぜ、親父。
ぐったりとした母さんを横抱きにして、親父が祖父母の屋敷で過ごす俺の元にやって来た。
どれだけ無理させたんだよ、性欲のバケモノめ。
「ハルヒ、今日は父が稽古をつけてやろう」
はあ?
「……親父、仕事は?」
「行くに決まっているだろう。お前も一緒に来い」
「いや、俺は休暇だから」
「甘ったれるな!」
休暇に休むのが甘えというのか! 騎士団長がくれた貴重な休暇さえ返上しろってか、くそ親父め。
「父の仕事を手伝わせてやろう」
「遠慮させてもらう」
「……なに?」
親父に睨まれ、一瞬寒気が走る。あ、駄目だ。逆らってはいけない目をしている。
「分かったよ、手伝えばいいんだろ?」
「ありがとうございます、は?」
「……ありがとうございます」
ということで俺は騎士団棟に行き、親父の仕事を手伝うこととなった。が、
「……仕事って、ラディちゃんの世話かよ」
今日は王弟殿下が仕事で忙しいから、母方の祖父であるラディちゃん――そう呼ばないと本人が怒る――の監視をしろということらしい。
「ハルヒちゃん、また逞しくなった? ラディちゃん感激!」
「はいはい」
ラディちゃんは、ツクヨとはまた別のヤバさがあるというか、とにかく油断もできなければ目も離せない男だ。ちなみに親父は俺にこの仕事を押し付けて、さっさと逃げやがった。
「ハルヒ」
王弟殿下に声をかけられて、俺は敬礼する。
「悪いが今日一日ラディールを頼んだ」
ラディールというのはラディちゃんの本名だ。王弟殿下だけが本名を呼んでいいことになっている。二人を親密に見せて殿下に群がるうるさい女どもを追い払うためらしい。
「ラディール、いい子にするんだぞ。城下に行ってもいいが、絶対にハルヒから離れたり撒いたりはするな」
え……。ちょっと待ってくれよ殿下。街に行けと? ラディちゃんを連れて?
はーい、と返事をするラディちゃんの頭を殿下が撫でる。完全に親子だな。ラディちゃんの方がずっと年上なのに。
殿下が去っていき、ラディちゃんが俺に視線を向ける。
「さて、じゃあ街に行こうか」
口元に笑みを浮かべるラディちゃん。
……あ、嫌な予感がするな。
とまあ、その嫌な予感は見事的中して、くたくたになるまで街中を追い回してようやくラディちゃんを捕まえた俺は、仕事を終えた殿下にラディちゃんを投げ渡した。
「いい子に……は、していなかったようだな」
ラディちゃんを受け止め、殿下が苦笑する。
ああ、ああ! まったくいい子にしていませんでしたよ!
「楽しかったか? ラディール」
「うん」
ああして二人寄り添って立っていれば、驚くほど絵になるな。群がる女が敗北感味わって去っていくのも頷ける。……まあ冷静に考えれば、おっさんと爺さんが並んで立っているだけだけどな。
「ご苦労だったなハルヒ。これから一緒に夕食でもどうだ?」
「嬉しいお誘いですが、疲れたので帰ります」
もう本当に帰りたい。帰って母さんの料理を食べて寝てしまいたい。
しかし断る俺を見つめ、殿下が口角を上げる。
「ハルヒ、その首飾り素敵だな」
「…………」
俺は自分の胸元にそっと視線を向ける。しまった、何かの拍子に首飾りが服の中から出ていたようだ。しかもばれているな、これは。
「あ、の、殿下。これには事情がありまして……」
「そうか。で? 一緒に食事をするか?」
「……いただきます」
殿下ラディちゃんと共に――いや、何故だか分からないが陛下も一緒に食事をして、食後にラディちゃんの歌を聴いて、俺は帰ることを許された。
重い体を引きずって家路につく。
あのあと、殿下は首飾りのことを何も言ってこなかった。それがかえって不気味だ。殿下は頭がきれる。弱みを握られたことでなにか起きなければいいが……。
溜息を吐いて玄関ドアを開ければ、
「ハルヒ!」
母が駆け寄ってきた。当然のように親父も一緒だ。
遅かったから心配したという母に、殿下と陛下とついでにラディちゃんと食事をしてきたことを報告する。
「ねえハルヒ、ツクヨは元気?」
ああ、そういえば最近あまり状況を確認していなかったか。
母が知りたいというので、居間に移動してツクヨに歌を送る。と、
「…………」
想像通り……というか知りたくない状況の真っただ中にいた。何人いるんだよ、そこに。相変わらず滅茶苦茶な生活を満喫しているようだ。
「元気みたいだ」
仕方なく母にはそう報告する。
「そう? 何か困ってない?」
むしろツクヨの現状を感じられる俺の方が困っている。
――おい、母さんが心配しているぞ。
そう伝えれば、くすくすと笑われた。なんだ? 俺のことを馬鹿にしているような、そんな気配を感じるぞ。本当にどうしようもない奴だな!
「まったく困っていない」
母がほっと胸をなでおろす。真実を知ったら気絶しそうだな。
俺は自分の部屋に行って風呂に入り、ベッドに潜り込んで首飾りを見つめる。
まったく変化なし、か。
安堵すべきところだが、繋がりがふつりと切れたようで妙に寂しい。
今度の任務がどんなものかは分からないが、それが終わったら様子を見に行ってもいいな。
しかしそれは――母と娘、どちらのだ?
「…………」
今までは振られれば次に行っていたのに、何故か忘れられない美しい人。
無邪気で愛らしくて、俺に懐いてくれた優しい子。
「……未練がましいな」
幸せならばそれでいいではないか。あの親子も、ツクヨも。……いや、ツクヨは駄目だな。あの状態は決して幸せとは言わないだろう。というか乱れすぎだ。
そして俺の幸せはどこにあるのか。
分からぬまま目を閉じて、気づけば朝だった。
「いつまで寝ている!」
早朝親父の襲撃を受け、朝食もそこそこに騎士棟に連れて行かれ、訓練という名のしごきが始まる。魔力も魔術も俺の方が上だが、剣の腕は親父の方が上だ。訓練では魔術禁止を言い渡されていたので、ぼこぼこにされた。
剣の腕だけなら、親父は騎士団長をはるかに上回る実力の持ち主だ。だが親父が将来団長の地位に就くことはないだろう。理由は母がいるからだ。団長になどなれば、万が一母に何かあった時に自由に動けない。それは親父自身が、出世よりも何よりも母を選んだ結果でもある。
正直、羨ましいと思う。それだけ愛する人がいて、愛されていて。
などということを荒い呼吸をしながら考えていたら、親父が俺の首根っこを掴んで歩き出した。今度はなんだ?
「魔術書の書き写しの仕事をしてこい」
ああ、面倒なやつか。魔術書は、古くなって傷んで読めなくなる前に、定期的に書き写すと決まっているのだ。写し間違えると魔術が発動しないだけでなく、おかしな作用を引き起こすので細心の注意を払わなければならない。
「お前は禁書の写しをしろ」
「はあ? なんでだよ!」
禁書なんて危険極まりないものの写しは魔術師がやるべきだろう。俺は騎士だぞ。
「お前以上に魔術が扱える魔術師がいるか?」
そりゃまあそうだが……。
「そういう作業は経験を積んだ魔術師のほうが、何かあった時に対処できるだろう」
「つべこべ言わずにやれ」
その日から、午前は訓練、午後からは魔術書の写しを俺はやらされることとなった。
「ハルヒ君、魔術師にならんかね」
「あー……。すみません。たぶん親父が許さないので」
魔術師団長の誘いを断りつつ書き写す。
「ハルヒちゃんってば、なんだかんだ言ってガディちゃんにべったりだもんね」
おい、いったいいつ俺が親父にべったりしていた? というか、なんでラディちゃんがここに居る。
「ラディちゃん、手伝ってくれるのか?」
「違うよ。邪魔しに来ただけ」
「…………」
殿下はどこだ! 早くラディちゃんを回収してくれ!
そんな状況が続き――そして数日後、事件は起こったのだった。




