10
王都に帰った。
そのまま城の騎士団棟に行けば、親父がいた。
「ハルヒ、遅い」
開口一番文句を言われる。これでも急いだというのに。
「報告をしに行くぞ」
「はいはい」
適当に返事をしたら頭にげんこつが落ちてきた。
「報告に行く」
「……はい」
確かに職場でこの態度はなかったか。だが痛すぎる。
親父と連れ立って歩けば、あいつ帰って来たのか、という囁きが聞こえる。視線を向ければ皆が慌てて目を逸らす。
帰還して悪かったな! 命令だから仕方がないだろう!
そうして騎士団長の部屋まで行き、報告をする。その場で次の任務地を言い渡されるのかと思いきや二日の休暇を貰い、その後は次の任務の準備ができるまで近衛隊の訓練に参加するようにと言われた。
準備が必要……? なにか厄介なものを押し付けられそうな気がするな。まあ、とにかく久しぶりに実家に帰るか。
そう思って屋敷に向かおうとすれば、親父が付いてくる。
「……親父、仕事は?」
「終わった」
嘘つけ! まだ午前中だぞ。
「ハルヒ、お前はラディ殿のところにでも遊びに行ったらどうだ?」
「…………」
なるほど、母と俺を会わせたくないのだな。俺がいない間は母を独り占めできて、さぞかし楽しかったことだろう。
「いいや、屋敷に帰る」
そう告げれば歯ぎしりの音がした。そこまでか、親父よ。
「父はジギーに乗って屋敷に帰る。お前はのんびりと帰ってくるがいい」
もしや、母をどこかに隠すつもりか?
ふーん、そうか。じゃあ俺は……それよりも先に帰ってやろうか!
いきなり走り出せば、焦った親父の声が背後から聞こえた。
知るか! 久しぶりに帰る息子にも優しくできないくそ親父が!
そうして城門をくぐり、街を走っていると殺気が迫ってくる。
くそ親父め、厩舎からジギーを引き取って追いかけてきたか。だが簡単に追いつけると思うなよ。
魔術と歌を使い、速度を上げる。ついでに街の皆に迷惑が掛からないように、俺と親父の周囲に簡易結界と目隠しの術もかけておく。
「待て、ハルヒ!」
待てるか!
立ち止まったが最後、鉄拳制裁でもする気だろう。そうはいくか。俺はもう子どもではない、抵抗することも対抗することも覚えたのだ。
俺は跳躍し、近くの店の屋根の上に着地する。ジギーに乗っていてはこんなことはできまい。このまま屋根伝いに屋敷まで行けば早……なに!?
「……よほど父を怒らせたいようだな、ハルヒ」
迫ってきた強烈な殺気。俺は振り向き目を見開く。
ジギーごと屋根に上って来た……だと?
親父の魔術か……いや、それだけではなさそうだ。ジギーが纏う気配がいつもと違う。まさかとは思うが……。
もしかして、ジギーの奴空を飛べるのか?
そう考えた瞬間、ジギーがふわりと浮いてもの凄い速さで迫ってくる。
やっぱり飛べるのか!
「ひあああああ!」
俺は慌てて逃げる。
待て待て、飛べるなんて、そんな素振り一度も見せたことがないではないか! そんな隠し玉を持っていたなんてジギー、恐ろしい奴だ。
俺は屋根から屋根へ移動して屋敷を目指す。それをジギーに乗った親父が追いかける。そして、
「母さん……!」
庭で花に水をやっている母の姿が見え、俺は叫んだ。
母は上を向き、目を見開いて両手を広げる。
「ハルヒ!」
「ただいま、母さん!」
その腕の中に飛び込もうとすれば、
「…………!」
後頭部に衝撃が走り、そのまま俺は地面に落ちた。
「ぎゃあああ! ハルヒ!」
母の悲鳴が響く。
「か、母さ……」
立ち上がろうとすれば、背中を踏みつけられた。
くそ親父め! と思ったが、その親父は目の前で母を抱き上げていた。ということは背中を踏んでいるのは……、
「ジギー!」
振り向けば、ジギーがふんと鼻を鳴らして前脚に力を込めてきた。この野郎……。そして親父は強引に母に口づけをしている。
おい、子どもの目の前でなにしてるんだよ。そんな勝ったと言わんばかりの表情で子を睨むな。やきもちも大概にしろ。
「もう、ガルディスったら!」
ようやく唇を離してもらえた母が、頬を染めて親父の胸をぽかぽかと叩いた。
あー……相変わらず仲が良くてなによりだ。なんとなくだが、また美しくなったような気がする。俺がいない間に愛されまくっていたのだろうな。
そんな母を、親父が抱き上げたまま屋敷に戻ろうとする。
「まだハルヒにおかえりなさいのチューをしていないわ」
「そうか、だがハルヒはジギーと遊びたいようだから、それはまた今度だ。それより部屋に行こう」
部屋に行ってなにをする気だ、エロ親父が!
親父はすたすたと歩いて去っていく。屋敷に入る直前に一瞬だけ邪魔するなという視線を向けてきたが、誰が邪魔するか!
まったく……。
俺は不機嫌な表情をしたままもう一度振り向く。
「いい加減退け」
そう言えば、ジギーが「くくくっ」と笑った。
――すまんな、主の命には逆らえない。
「まったく悪いなんて思っていないだろう」
母やツクヨはジギーが全然話してくれないと言うが、何故かこいつ、俺には饒舌になるのだ。
この馬は……いや、聖獣だったか? とにかくジギーは、親父を主としてその命には絶対に逆らわない。しかしその大事な主には話せることを内緒にしているようなのだ。何故内緒にする必要があるのか、それが謎である。
ようやく脚を退けてくれたので俺は立ち上がる。
「なあ、お前飛べたのか?」
厩舎に行きながら訊けば、あっさりとジギーは肯定した。
――そうだな。
「なんで黙ってたんだ」
――話す必要がなかったからな。
「親父は驚いていなかったが、知っていたのか?」
――いや、知らなかったし、今も知らない。
「……ん? どういう意味だ?」
――我が主殿は、必要のない記憶は封じるようにされている。先ほどは怒りで一瞬その封じが緩んだが、またしっかりと封じなおされたようだ。
はあ!? 記憶を封じているだと?
「何のために?」
俺の疑問にジギーは答える。
――リズリアとここで生きていくためにだ。リズリアと同じ時間を共に生きるために、主は人へと転生した。そんな主の決断には天界全体が大爆笑だったが、心配だった私は主を追って地上へと降りたのだ。
「…………」
え。
「天界?」
――天界。
「…………」
な、なにか意味不明なことを言っているな、ジギーは。
――信じられないのなら信じなくていい。それにあまり興味を持ってしまったら、たとえ息子だとしても容赦なく記憶を封じられるぞ。いや、それだけでは済まないかもな。
「…………」
何者なんだよ、親父は。
なんだか恐ろしくなってきた。前言撤回だ。抵抗も対抗もしないでおこう。そしてこのことにはもう二度と触れないようにして忘れよう。
厩舎に着けば、ジギーは敷かれた藁の上にごろんと寝転んだ。
――私もそろそろ一人寝が寂しくなってきたな。どこかにいい牝馬でもいないか?
「あいにく馬に知り合いはいないな」
――騎士団の馬はお高くとまっている奴らが多い。私は素朴な女がいいのだが。
「だから知らんと言っている」
水と餌を用意して、俺は住み慣れた実家――ではなくて敷地内にある祖父母と伯父一家が住む屋敷の方に向かった。
祖父母は俺の姿を見てとても喜んでくれた。談笑などしながらそこでのんびりと過ごし、それから俺は伯父にちょっとしたおねだりをする。
「首飾りを作りたいから、革紐が欲しい」
ん? と伯父が眉を上げる。
「女性への贈り物か?」
「いや、自分用で」
なんだそうか、と伯父はすぐに革紐を用意してくれた。俺はポケットから取り出した魔石をその革紐に通す。
「魔石? 魔術が施されているのか?」
「はい」
「どんな?」
……しまった。伯父の目が怪しく輝いている。商売に繋がるかどうか考えているのだな。
これ以上は仕事にかかわることだから話せないとごまかし、俺は出来上がったばかりの首飾りを首にかけて更に服の中に隠す。
この魔石は、お嬢ちゃんに渡した魔石と対になっている。お嬢ちゃんの持つ魔石が守護魔術を発動すれば、俺が持つ魔石がそれを知らせてくれるという仕組みだ。緊急事態があれば光って知らせる騎士の指輪と似たようなものだな。それともう一つ魔術を組み込んであるが……そちらは親父にばれたらと思うと恐ろしいな。
「今日はここに泊まってもいいだろうか?」
「離れに帰らないのか? リズさんが待っているだろう」
「母さんなら、親父に連れて行かれた」
ああ、と伯父が苦笑する。親父の溺愛ぶりを知っているからな。
「こちらは歓迎だ。ゆっくり過ごすといい」
伯父の言葉に甘え、俺は翌日の朝までここで世話になった。




