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山で一番強い魔獣を倒し、あとは雑魚を狩っていくだけとなった。それは順調というよりむしろ単調に進み、山の魔獣はほぼいなくなった。
まだ昼まで時間がある。昨日、思わぬ振られ方をした俺は、眠れなかったので一晩中魔獣を狩っていたのだ。
溜息を吐いて山頂に戻り、
「……ん?」
小屋の前で待つ男と馬を見て、俺の足は止まる。何故今ここに居る。会いたい気分ではないのに。できれば踵を返して逃げ出したいが……。
「ハルヒ、来い!」
そう言われては逃げるわけにはいかず、仕方なく俺は親父の元まで歩いていった。
「山の魔獣はあらかた片付けたようだな」
「ああ。あとは残っている魔獣がいないか確認して終わりだ」
「ここの暮らしはどうだ?」
「……かなり慣れた」
「まさかとは思うが、領主の一人娘に会いに行ったなんてことはないだろうな」
内心ぎくりとしながら俺はそれを否定する。
「そんなことはしていない」
向こうから来ただけだ。そして俺は振られた。
ふん、と親父が鼻を鳴らして思わぬ言葉を告げてきた。
「帰還命令だ」
「え?」
「騎士団長に今回の任務についての報告をしろ」
……帰還命令?
それはつまり、この地から離れるということか。
「……なんだ? 王都に戻れるのが嬉しくないのか?」
訝しげに訊かれ、俺はハッとする。
「い、いや、そんなことはない」
そんなことはないが……なんなのだ、このもやもやとした気持ちは。
「確認作業を終わらせ、急ぎ帰還するように。結界はこのまま残しておけ。それから団長への報告が終われば、新たな任務が与えられることとなる」
「新たな任務……? 王都でか?」
「いや、別の地に行くこととなる」
「…………」
もう会えないのか。
「まさか、不満なのか?」
不満と言ったら殴るとでもいうような顔をして、親父が訊いてくる。
「ち、違う」
そうではないのだ。ただ……。
親父は頷き、俺に小さな巾着袋を投げ渡してからひらりと馬――ジギーに乗る。
「では、王都で会おう」
去っていく後姿を見つめ、完全に見えなくなって暫くしてから、俺はふらりと小屋の中に戻った。
王都に帰還、か。もともと納得のいってなかった任務なので帰れるのは嬉しい。だがすぐに次の任務地へと行かねばならないのか。次も今回と同じくらい厳しい場所に送り込まれるのだろうか。
渡された巾着袋の中身を確認すれば、金が入っていた。この金を使って帰って来いということか。
報告書を作成しなければ。
帳面を開き、ペンを持つ。これまでの討伐記録を確認しながら報告すべき事柄をまとめていくが、どうも集中できない。
そうこうしているうちに、馬車が止まる音がして小屋のドアが開いた。
「山賊さん、こんにちは」
「お嬢ちゃん……」
ルーティアは……来てはいないのか。それはそうか。昨日は気まずい雰囲気のまま、視線を合わすこともなく帰っていったのだ。もう来ないだろう。
「山賊さん、なにをしているの?」
お嬢ちゃんが近づいてきて、俺の手元を覗き込む。
「報告書を作成している。これを騎士団の一番偉い人に渡さなければいけないんだ」
「ふーん。文字いっぱい」
「そうだな」
「大変そうだね。ルルが手伝ってあげる」
「なに?」
お嬢ちゃんが俺の膝に乗ってきて、俺からペンを取り上げる。
「おい……」
「えっと、じゃあルルは、山賊さんが怖い魔獣からルルたちを守ってくれたことを書くね」
決して上手くない字でお嬢ちゃんは昨日のことを書き始める。
大きなお口の犬みたいな魔獣が襲ってきました。でも山賊さんがやっつけてくれました、か。
その下に、お嬢ちゃんは目撃した魔獣の姿を描く。なるほど、狼型の魔獣だったのか、立ち上がった姿を描いているということは、二足歩行ができるやつか。尻尾が複数本あるな。
あの状況でこれだけ見ていたとは、お嬢ちゃんなかなかやるな。
「どう? 上手く書けたでしょう?」
「ああ」
お嬢ちゃんはなかなか絵が上手いな。俺はろくに姿も見ずに倒してしまったから、これは参考になる。ただし、報告書は一から書き直しとなってしまったがな。
「ありがとう、お嬢ちゃん」
頭を撫でれば嬉しそうに笑う。
くっそ可愛いな!
だがこんな姿を見られるのももう……。
俺はお嬢ちゃんを抱っこしたまま立ち上がった。
「メシにするか。今日も持ってきてくれたんだろう?」
「うん!」
外に出て、広げられた敷物の上に座る。
「山賊さん、あーん」
母親と同じ顔で、同じことをしてくれるのだな。
大きく口を開けて一口で食べれば、きゃっきゃと笑う。
「すごーい! ルルの手まで食べちゃうかと思った! じゃあ次は……」
お嬢ちゃんが取ろうとしたサンドイッチを、俺は素早く掴んだ。そしてきょとんとするお嬢ちゃんの口元に持っていく。
「ほれ、あーん」
お嬢ちゃんは目を軽く見開いたあと、小さな口を精一杯開けてサンドイッチにかぶりついた。
「ふぇへへ……!」
「口に入れすぎだ。変な笑い方になってるぞ」
危ないから詰め込みすぎはよくないと注意をすれば、お嬢ちゃんは素直に頷いた。
それからなぜか食べさせあいとなり、弁当はあっという間に空になった。
俺は立ち上がり、お嬢ちゃんに手を差し出す。
「ちょっと来い」
「なに?」
「大切な話があるんだ」
弁当を片付けていた護衛にもいっしょに来いという視線を向ける。護衛は頷いて、俺とお嬢ちゃんの後をついてきた。
小屋の中に入り、お嬢ちゃんを椅子の上に座らせる。最後に入って来た護衛に、視線でドアを閉めろと指示すればしっかり閉めてくれた。
「どうしたの、山賊さん」
首を傾げるお嬢ちゃんの前で、俺は片膝をつく。
「実はな、帰還命令が下ったんだ」
「きかんめいれい?」
「俺は、王都に帰らなければならない」
お嬢ちゃんが目を見開く。
「駄目!」
「駄目でも命令には従わなければならない。俺は騎士だから」
お嬢ちゃんが首を激しく横に振る。
「嫌! だったら騎士をやめて、ルルのところに来て!」
「それは無理だ」
ハーフとはいえ、恋する種族の俺は勝手に騎士をやめることはできないし、親父も許さないだろう。それになによりこんな俺でも騎士という仕事に誇りを持っている。
「……いつ帰るの?」
震える声で訊くお嬢ちゃんに、俺は決めていたことを告げる。
「明日、夜明け前に王都に向かう」
雑魚の処理は一晩あればできるだろう。それが終わり次第王都に向かうことを俺は決めた。
「お願い、どこにもいかないで、なんでもするから。ルル毎日おいしい料理を作るよ。肩も叩くよ。だから……」
「……すまない」
俺が謝れば、お嬢ちゃんは泣き出した。
「泣くな」
「だって……」
「お嬢ちゃんに、一つ贈り物をしよう」
俺はポケットに入れていたものを取り出した。
「……これは?」
お嬢ちゃんが涙にぬれた目で俺の手の中のものを見つめる。
「魔石付きの髪紐だ」
「魔石? 綺麗……。これをルルに?」
「ああ」
魔石に穴をあけて、以前通行料代わりに貰った髪紐を通した。
本当はルーティアに贈ろうと思っていたが、それはもう叶わない。ならばせめてお嬢ちゃんの役に立てばいい。
「この魔石には守護の魔術が施されている」
「守護?」
「もしお嬢ちゃんが危険な目に遭ったとしても、この魔石が守ってくれるだろう」
これが? とお嬢ちゃんが目を瞬かせる。
「そしてもう一つ。お嬢ちゃんが本当に俺を必要としたとき、強く俺のことを思え。そうすればお嬢ちゃんのもとに駆けつけて力になると約束する」
「強く思えば、山賊さんが来てくれるの?」
「ああ。強く思えば、お嬢ちゃんの魔力がこの魔石を通じて俺に届くようになっている」
お嬢ちゃんが目を見開いた。
「凄い!」
「ただし、それは一度だけしか使えない」
喜びかけたお嬢ちゃんが、「え……」と顔をこわばらせる。
「だから、どうしても困った時に呼べ」
分かったか、と訊けば、お嬢ちゃんの瞳が揺れた。
「一度だけ、なの?」
「そう、一度だけだ。」
だからよく考えて使えと言えば、お嬢ちゃんが小さく頷いた。
「……うん」
俺は立ち上がり、お嬢ちゃんの背後に回る。
「髪を結ってやろう」
え? お嬢ちゃんが首を傾げる。
「山賊さん、髪を結えるの?」
そんなふうには見えないだろうな。
俺はお嬢ちゃんの髪を手に取る。
「双子の兄がいてな。美しい銀色の長髪で、時々結ってやっていた」
「山賊さん双子なの?」
「ああ。ただし兄は俺と違って美しいがな」
見た目だけはとびきりだ。
「山賊さんも美しいよ」
ん?
「この見た目でか?」
「心が」
「…………っ」
なんてことを言うんだ。一瞬どきっとしたではないか。
俺は肩を揺らして笑う。
「お嬢ちゃん、口が上手いな」
「本当だよ」
むっとした表情で振り向くお嬢ちゃん。
「動くな、髪がぐしゃぐしゃになるぞ」
「だって本当なのに」
「ああ、分かった。……ありがとう」
前を向かせ、髪を結う。両横の髪を編み込み、それを一纏めにして髪紐で結ぶ。久しぶりのわりにはなかなか上手くできた。
「寝る時以外はこれを常に身に着けておけ」
「うん」
「それからこのことはみんなには内緒だ」
「内緒? でも……」
お嬢ちゃんの視線が護衛に向く。
「彼は護衛だからいいんだ。いざというときに知らなかったのでは護衛の仕事がやりにくいだろうからな。それからルーティアも。それ以外の者には教えるな」
「お爺様にも?」
「俺はお嬢ちゃんのお爺様に会ったことがない。だから話していいのか分からない。必要ならばルーティアが話をするだろう」
「うん」
俺はお嬢ちゃんの正面にまわる。見上げてくるその瞳には、また涙が浮かんでいる。それを俺は指でぬぐってやった。
「もう泣くな。これでお別れとなるが、二度と会えないわけではない」
「明日、お見送りをしては駄目?」
「駄目だ」
お嬢ちゃんが腕を伸ばし、俺はその小さな体を抱きしめる。
「母親を大切に」
「うん」
「元気で」
「山賊さん、大好きだよ」
「俺もお嬢ちゃんが好きだ」
恋愛ではないがな。これはそう、家族愛に似ている。
抱き上げて小屋の外に行き、お嬢ちゃんを馬車に乗せる。
「さようなら、お嬢ちゃん」
「…………」
唇を噛みしめるお嬢ちゃんの額に口づけて、馬車のドアを閉めた。
「山賊さん……!」
御者に目配せすれば、馬車が走り出した。
去っていく馬車を見つめる俺の耳に、お嬢ちゃんの泣き声がいつまでも響いた。




