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仕掛ける気か、と俺は山の中を歩きながらさりげなく気配を探る。
この山で一番強い魔獣は、ついに俺と決着をつける気になったらしい。
早く仕掛けてこい。速攻でかたをつけてやる。もうすぐルルも来るのだからな。
昨日、何故か昼食中に若干引かれたものの、その後のルルは優しかった。サンドイッチも食べさせてくれたし、小屋の掃除までしてくれた。そして帰りには、翌日山に来ることもちゃんと約束してくれたのだ。
お礼に抱っこして頬ずりしようとしたら断られたがな!
だが、俺はとっておきの贈り物を準備した。それを見ればルルも大喜びして抱きついてくるだろう。
などということを思い出していたら、背後で動いた気配がした。
一瞬で詰められた間合い。俺は振り向きざまに剣でそれを薙ぎ払った。
ザクッという音がして、魔獣の体が二つに分かれる。
あっけなく絶命した魔獣を俺は見下ろした。長く鋭い爪を持つ熊のような魔獣だ。ただし尻尾は長い。
これがこの山で一番強い魔物……か?
俺は首を傾げた。
襲ってくる直前の殺気は凄まじく、強い魔獣であることは間違いなかった。しかし違和感を覚える。この山に来てから幾日も、俺にさえ気配を悟らせないほどの実力と慎重さを持っていた魔獣、その最後にしてはあっさりしすぎていないか?
なにがおかしい?
俺は顎に手を当てて考える。
そうだ、急に向けられる視線があからさまになったのだ。それはどうしてだ?
俺はハッとして顔を上げた。この山で一番強い魔獣はこいつじゃないのではないか。こいつは囮で……だとすれば敵はどこに向かう?
「まさか!」
俺の弱点になるもの、それは今ひとつしかない。
「ルル……!」
俺は走りながら山道を進んでいる者たちの様子を探る。山頂に向かっている者たちがいるようだが、それがルルの乗る馬車なのではないか。
くそ! やられた。だがまだ間に合う。それに親父直伝の結界が破られるわけがない。
ルルに向かって必死に走る。すると、
「うわあああ!」
悲鳴が聞こえた。今のは御者の声か。馬車の速度が上がる、と同時に強い魔獣の気配を感じた。馬車が追われているのか!
俺は歌った。
風の檻よ、悪しきものを閉じ込めよ――。
咆哮が聞こえ、魔獣の動きが止まる。だが馬車の動きも止まった。なにがあった?
俺自身も風を受けて速度を上げ、見えた光景は――俺の作った風の檻を破ろうとしている魔獣と、恐怖に耐えて馬車を守ろうとしている護衛、それに倒れ込んだ馬と御者だった。
そうか、魔獣の咆哮に中てられて馬が倒れたのか。
「ルル!」
叫べば、護衛が俺を見つけて目を見開く。
「そのまま動くな!」
護衛に指示し、俺は魔獣の前で剣を握りなおす。
風の檻に裂け目が入った。そこらの魔獣なら檻の中でずたずたに切り裂かれているものだが、強いうえにどうやら魔力に耐性のある魔獣らしいな。
腰を落とし、裂け目からあらん限りの力で剣を突き刺す。そして傷口から多量の魔力を直接流し込んで、魔獣の内側から破壊していく。いくら耐性があろうと、これだけの魔力を流し込まれれば辛いだろう。
檻の裂け目から金色に光る瞳がこちらを見ている。貴様を喰らってやると、まだその瞳は言っている。
伸びてきた手が俺の腕を掴んだ。鋭い爪が頑丈なはずの騎士服を破り、皮膚にめりこむ。
道連れにする気か。
鋭い爪が更に食い込む。なんという執念。
だが、もう終わりだ。
耳を塞ぎたくなるような断末魔の咆哮は遮音魔術で閉じ込め、肉の一片、血の一滴も残さないように風の檻の中で焼き尽くす。
最後に、俺の腕に食い込んだままの爪を引き抜いて灰にし、すべてが消えたのを確認してから俺は振り向いた。
茫然とする護衛と御者、それに馬も心配だが、それよりも……。
「ルル!」
俺は馬車に駆け寄った。
危険な目に遭わせてしまった。魔獣が俺を狙っていることは分かっていたのだから、山に暫く来るなと言うべきだったのだ。
「ルル、無事か!」
大声で訊きながら馬車のドアを開け、ルルを――うぉ!?
「…………」
「…………」
「山賊さん!」
ルルが俺の胸に飛び込んでくる。
うん、ルルだ。金の髪と緑の瞳、涙目で抱きついてくる姿がくっそ可愛い。だが……。
何故また小さくなっている?
そして目の前に居るくっそ綺麗なルル、これは誰だ? いや、抱きついている方が誰だ?
「…………」
大きなルルと小さなルル、ルルが二人……?
固まる俺に、大きなルルが不安げに訊いてくる。
「魔獣は……?」
「…………」
「山賊さん?」
俺はぎこちなく二人のルルを見比べて呟く。
「誰だ?」
え、という表情を二人のルルがした。
小さいルルが戸惑いながら大きなルルに訊く。
「お母様、昨日山賊さんと会ってなかったの?」
大きいルルが首を傾げて答える。
「いいえ、ちゃんと会いましたよ。ねえ山賊さん」
「…………」
お母……様? ということは。
俺は引きつった顔で小さいルルに訊いた。
「おまえの母……なのか?」
小さいルルが、眉を寄せて大きいルルに視線を向ける。
「お母様、言わなかったの?」
大きいルルが戸惑いの表情を見せた。
「もう、お母様ったら! でもルルとお母様はそっくりだから、見てすぐ分ったでしょう?」
「…………」
分からなかった。親子だなんて、そんな発想はなかった。というか、
「突然大きくなって驚いたと言ったではないか!」
確かに言っていたぞ。どういうことだ!
大きいルルがきょとんとし、それからくすくすと笑いだす。
「山賊さんは面白い方ですね。冗談がお上手で」
なに?
「冗……談……?」
まさか、俺が冗談で大きくなったと言ったと思って、それに合わせていただけだとでもいうのか? そんな馬鹿な!
「ル、ルルと呼んだら返事をしたのは?」
ああ、と大きいルルが微笑む。
「本当に自己紹介をし忘れていたのですね。ミルルの母のルーティアと申します。娘がお世話になっております」
ミルル? ルーティア?
「ルルもお母様も、愛称はルルなんだよ!」
混乱する俺に、小さいルル――お嬢ちゃんが教える。
母娘で同じ愛称……? なんて紛らわしい!
お嬢ちゃんが俺の首にしがみつく。
「ねえ、ルル元気になったよ」
え。
「あ、ああ、よかったな」
「昨日はお母様の作ったお弁当だったけど、今日はルルが作って来たからね」
「そうか、楽しみだ」
気持ちの籠らない返事に、だがお嬢ちゃんは笑顔を向けてきて、それから俺の腕にそっと触れる。
「血が出てる。山賊さん、痛い?」
「いや、たいしたことはない」
「ルルの為に頑張って魔獣を倒してくれてありがとう。かっこよかったよ」
「お、おう……」
ルルが頬をこすりつけてくる。
…………。
よく考えれば、恋する種族なんて超希少種がこんなところに居るわけがないではないか。突然大きくなったというのに御者も護衛もまったく動揺したそぶりがなかったし、何故昨日はあんな考えに至ったのか、我ながら不思議だ。
「領主の一人娘というのは……あー、ルーティア殿のことか」
「はい」
ああ、そうか。一人娘と孫か。
「どうぞ、ルーティアとお呼びください」
呼び捨てでいいのか。と、そこで護衛が声をかけてくる。
「馬が大丈夫そうなので、とりあえず山頂に行きませんか? 山賊殿の怪我も治療しなくてはいけませんし」
視線を向ければ、馬が立ち上がっていた。ほう、魔獣の咆哮に中てられてこんなに早く立ち直れるとはいい馬だな。
俺はお嬢ちゃんを馬車の中に戻そうとする、が、お嬢ちゃんは嫌だと駄々をこねる。
「やだ、山賊さんの抱っこがいい」
我が儘を言わないでとルーティアが困っているが、山頂はすぐそこだ。
「このまま連れて行く」
俺はそう言って、馬車のドアを閉めて歩き出した。
「山賊さんどうしたの?」
「何がだ?」
「なんだか元気がない?」
俺の額に小さな手を当てるお嬢ちゃん。
「いや、そんなことはない」
否定するが、本当はもの凄く落ち込んでいる。
俺に恋して成長したのかと期待していたから、ついに俺を愛してくれるひとが現れたのだと思ったから。
「お母様、綺麗でしょう?」
「ああ」
本当にお嬢ちゃんが成長していたのだったらよかったのに。
「お嬢ちゃんにそっくりで美人だ」
「ルルも美人?」
「美人だ」
お嬢ちゃんがきゃっきゃと喜ぶ。
本当にそっくりだ。だけど、こうしてみると当然だが別人で、お嬢ちゃんには一切ときめかない。……まあ、ときめいたら危険だがな。
きっとあのとき、あの瞬間、俺は知らぬままルーティアという女性に惚れていたのだろう。
山頂に着けば、先に到着していたルーティアが昼食の準備をしてくれていた。
「どうぞ、山賊さん」
敷物の上にお嬢ちゃんを下ろし、それから俺も腰を下ろす。すると護衛が傷薬と包帯を持ってきて処置をしてくれた。
「……上手いものだな」
「ありがとうございます」
剣術を教える私塾に通っていた時に習ったのだと護衛は言う。騎士を目指す者に、そういう私塾に通う者が多くいる。もしかしてこの護衛も、本当は騎士になりたかったのだろうか。
怪我の処置が終わるとルーティアがおしぼりを渡してくれたので、それで手を拭く。
「先ほどの魔獣は、山賊さんが倒してくれたのですね」
怖くて目を瞑ってしまったので、ルーティアは俺が魔獣を倒したところを見ていなかったらしい。
「ああ」
「山賊さんは……」
「まて、その山賊さんというのをやめてくれ。俺はハルヒという名だ」
「ハルヒ、さん?」
頷けば、ふわりと微笑む。
う……っ、綺麗だ。
「ハルヒさんはお強いのですね」
いや、まあ……。
「騎士だからな、これくらいはどうということはない」
本当は少し危なかった。……あくまで少しだが。
「素晴らしいです」
うっとりとした目で見上げるルーティア。
「あ、ああ……」
なんだ、この目は? 少し潤んで、これは――そう、まるで恋する乙女のようではないか?
…………。
まさか、いや、でも……。しかし、これはもしや……ルーティアも俺のことを……?
「ハルヒさん?」
首を傾げ、俺に頬に手を伸ばしてくるルーティア。
自ら俺に触れようとしている!
これはやはり、そうなのではないか!
俺はルーティアの白い手を握った。
「ハルヒさん?」
今が好機、男らしく決めなければ。
俺はゆっくりと息を吸う。
「好きだ」
落ち着いた低い声を意識して告げた。そうすれば、ルーティアも頬を染めて俺に好きと……、
「ごめんなさい」
なに!?
ルーティアが気まずそうに視線を逸らしている。
え? は? どういうことだ?
「ハルヒさんのお気持ちは嬉しいのですが……」
「嬉しいのに何故応えてくれない!」
思わず声を荒げれば、ルーティアの体が小さく跳ねる。
ああ、違うのだ。怖がらせるつもりなどなかったのに。
俺は深呼吸すると、努めて冷静に訊く。
「どうして駄目なのだ」
俺のどこが駄目なのだ。やはり見た目なのか? くそ親父が山賊みたいな容姿のせいで、俺まで見た目が山賊になってしまったのがいけないのか? やはり見目麗しい方がいいのか?
そう思いながら答えを待っていると、思わぬ言葉をルーティアは口にした。
「……夫がいますので」
ふぁ!?
「…………」
「…………」
俺はゆっくりとお嬢ちゃんに視線を向ける。お嬢ちゃんは辛そうな不安そうな表情で俺を見上げていた。
……そうか、娘がいるのだから夫もいるだろう。そりゃそうだ、ああそりゃそうだ。何故そんな簡単なことに気づかなかったのか。
「そ、それは申し訳ないことを言った」
「いえ……」
どうぞ、と渡されたサンドイッチを無理やり口に押し込む。味なんて分からない。分からないが目の前に並べられた料理を食べた。
弁当がなくなるとルーティアは立ち上がり、掃除をしてきますと逃げるように小屋の中に入っていった。
「…………」
「山賊さん」
お嬢ちゃんが俺の膝に乗り、頬を掌でこすってくる。それでようやく俺は、自分が泣いていることに気づいた。そして気づいてしまえば、涙が堰を切ったように溢れだしてくる。
「泣かないで、山賊さん」
「う……ふおおおおお!」
「大丈夫だよ、ルルがいるから。ずっと傍に居るから。山賊さんの味方だから」
優しい言葉をかけてくるお嬢ちゃんを思わず抱きしめて、俺は山に響くほどの大きな声で泣き続けた。




