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魔獣の数はかなり減った。結界も強化した。そして今日は、この山で一番強いであろう魔獣から向けられる視線があからさまになっている。
数日中には仕掛けてくるだろう。下手に追うことはせずに待つとするか。
俺は川に行き、騎士服を脱いで全裸になると体を洗い、ついでに騎士服と下着も洗う。
石鹸は偉大だ。体はさっぱりするし、騎士服の汚れも綺麗になる。
洗った騎士服を絞り、拾った長い木の枝に引っ掛ける。ちなみに着替えは無いので魔獣の毛皮を腰に巻き付けている状態だ。着替えを用意する時間さえ与えられずに、この山まで連れて来られたから仕方がない。
木の枝を肩に担ぎ、騎士服をはためかせながら俺は山頂まで戻る。そろそろ昼だが、今日はさすがにお嬢ちゃんも来ないだろう。
精霊によると、屋敷に帰ったお嬢ちゃんはぐったりとしていたらしい。かなり無理をしていたのだろう。
癒しを与えておいたから二日もすれば元気になると精霊は胸を張り、その分の料金もきっちり払ってもらうからなと言い残して帰っていった。
精霊が癒しを与えるとは、あのお嬢ちゃん実はかなりあの精霊に好かれたのではないだろうか。魔力もほぼないような人間だというのに、珍しいこともあるものだ。
服はそのまま天日で乾かすことにする。服を引っ掛けたまま長い枝を近くの木と木の間に渡し、昼飯を作ろうかと小屋に入ろうとする、が、
「ん?」
俺は振り向いて眉を寄せる。近づいてくるあれは、お嬢ちゃんがいつも乗っている馬車ではないか。もう治ったというのか? しかし精霊は元気になるまでは二日程かかると言っていたはずだが。
訝しげな俺の少し手前で馬車が止まった。
「お嬢ちゃんはもう良くなったのか?」
御者台に乗っていた御者と護衛が戸惑った表情をして、とりあえず服を着てもらえませんかと言う。
ああそうか。確かに子供とはいえ、こんな格好を見せるのはよくないな。
では魔術で服を乾かして着るかと思ったその時、馬車のドアが開いた。
「ちょっと待ってくれ、服を着るか……ら……?」
俺は口をぽかんと開けて、馬車から降りようとした人物を見つめる。そして相手も、目を見開いて俺を見つめる。
「…………」
「…………」
……誰だ、あれは。金の髪と緑の瞳の美しい女性……というか、お嬢ちゃん?
いや、まさかそんな。恋する種族でもあるまいし、いきなり成長するなんて。そんなこと……。
「きゃああああ!」
「ふぁああああ!」
女性の悲鳴につられ、俺も悲鳴を上げる。
「山賊殿、服を!」
護衛の言葉にハッとして、慌ててまだ濡れている服を魔術で乾かして着る。そして振り向けば、女性は顔を両手で覆っていた。
「お嬢様、山賊殿が服を着てくださいましたよ」
お嬢様? ということは、本当にお嬢ちゃんが成長したということなのか?
女性が恐る恐るというように顔を上げる。
「山賊さん……?」
少し潤んだ瞳で俺を見つめる女性。
くっそ綺麗だな! いや、そうじゃなくて、幼さが抜けた感じはするが、お嬢ちゃんと同じ顔と声だ。
そんな馬鹿な。超希少種である恋する種族がここにもいたというのか? もし本当に恋する種族ならば国に保護されていてもいいはずだ。こんなところに居るはずがない。
……いや、しかし待てよ。
俺は思い出す。親父がやたら領主の娘に近づくなと言っていなかったか? もしかしてそれは何か秘密があるから近づくなと言っていたのではないか。その秘密とは……。
「お嬢ちゃん」
思いきって話しかければ、女性がふわりと微笑む。これは肯定なのか? 肯定なのだな。いやいや、それだけでは分からない。
俺が手を差し出せば、女性はそっと俺の手に手を乗せてきて、馬車から降りた。
「その、驚かせてすまなかった。洗濯したばかりだったので……」
「いえ……」
頬を染めて視線を逸らす女性。
く……っ。本当にこれがあのお嬢ちゃんなのか? 確かめねば。
「お嬢ちゃん」
「はい」
「あー……昨日まではあんなに小さかったのに、急に成長したようだが」
女性が首を傾げる。
……うん? 違うのか?
では目の前のこの女性は……、と、そこで女性がくすくすと笑いだす。
「ええ。突然大きくなってしまって、驚きました」
「…………!?」
突然大きく? ということは、
「恋する種族なのか?」
「はい?」
違うのか?
握ったままの手から、魔力を探ってみる。前回探った時と同じ、ほんの少しの魔力……いや、僅かだが魔力量が多いな。しかし恋する種族ならばもっと魔力量は多いはずだ。
「あの……」
「ん?」
「手を……」
「あ、ああ」
慌てて手を離し、疑問を口にする。
「魔力量が少ないようだが」
女性が軽く目を見開く。
「ええ。数代前に魔術師の血が入ったらしいのですが、それも薄れてしまったので」
数代前に魔術師……? もしやそれが恋する種族だったのだろうか。だとしたら魔力量が少ないことも、血が薄れたせいなのか?
うーむ、分からないな。
「ルル……?」
名を呼んでみれば、女性が俺を見上げて微笑む。
「はい」
「…………!」
返事をした!
やはりお嬢ちゃんだったのか。そうか、だから滅多に姿を見せない精霊がお嬢ちゃんには姿を見せて、そのうえ癒しまで与えたのか。
茫然としていれば、おほんおほんと咳払いが聞こえた。女性――いや、お嬢ちゃん、いや、ルルと呼んだ方がいいか、そのルルが咳払いをした護衛に視線を向ける。
「そうだわ、昼食を持ってきたのでした」
護衛が敷物を広げてサンドイッチが並べられる。が、それだけではなく他にも料理があるぞ。
「山賊さん、どうぞ」
促されて敷物の上に座り、ルルを見つめる。
「あの、昼食を……」
頬を染めるルル。なんだか随分色っぽくなったな。言葉遣いも丁寧になったし。大人になったからか? そもそもルルは何歳なのだ? 訊いてみるか。
「ルルはいくつになった?」
「まあ! 女性に年齢を訊くなんて失礼です」
頬をぷっと膨らませた顔は、以前と同じで可愛らしい。
「その、成人はしているのか?」
するとルルはきょとんとしたあと頷いた。
「そこまで子どもに見えますか?」
見えないから訊いているんだ。いや、しかし成人していたのか。
どうぞ、とフォークに刺した野菜を差し出してくる。
「う、うむ」
口を開ければ、何故か軽く目を見開いたあと、くすくすと笑って食べさせてくれた。
俺も、とフォークを手に取って肉をルルの口元に持っていく。が、食べない。
「どうした?」
「だって……こんなこと恥ずかしいです」
ぐはあ!
そんな赤い顔と潤んだ瞳で見つめられたら、俺は、俺は……! ……ん?
そこで俺は重要なことに気づいた。
そういえば、急に成長したきっかけは恋だよな。いったい誰に恋をした?
「…………」
まさか、俺に、とか?
俺に出会ったからか? それで大きくなったのか?
そういえばと思い出す。俺も成長するときは体調が悪かった。そうか、ルルの昨日のあれは成長の兆しだったのか! とすれば相手は……やはり俺……?
「ふぁ……!?」
思わず大声を上げれば、ルルが小さな悲鳴を上げた。
「あ、す、すまない」
「いいえ」
ルルが首を横に振る。そしてにこっと笑ってくれる。
お、俺にもついに愛してくれるひとが現れたのか。
いや待て待て、今までの失敗を思い出せ。ここは慎重に。がっつけば引かれる可能性もあるのだからな。
しかしそうか、だからルルは毎日山まで通っていたのか。俺に一目惚れをしたのだな。
子どもだと思っていたから恋や愛という感情はなかったが、こうしてみるとなんて愛おしいんだ。無邪気を装って抱っこされたり膝に乗ってきたりしていたのか。
可愛いではないか! 色っぽくて可愛いとか、なんなのだこの生き物は!
ああ、俺はまた恋をしてしまった。いや違う、今までのはまやかしの恋にすぎない。これこそ、ルルに対するこの気持ちこそ恋なのだ!
「ル、ルル……」
「はい?」
俺は己の膝を叩く。
「ここに座ってもいいぞ」
まずは軽い接触からだ。決して白いうなじを間近で見たいとか、ふっくらした胸が偶然当たればいいなとか、そんなよこしまな気持ちではないぞ!
ルルだって俺に触りたいだろう。筋肉ならばいくらでも触っていいぞ。
さあ、さあ……!
俺は両手を広げる。が、
「え……」
ルルが顔をこわばらせて後ろに下がった。
引かれた!?
何故だああああ!




