6
こちらの様子を窺うような視線を感じる。
魔獣を狩っていって分かったのだが、やはりこの山にはとびきり強い魔獣が一頭いるようだ。その魔獣に群がるように他の魔獣が集まり、繁殖し、結果大発生となったのだろう。
その、山で一番強い魔獣が、俺を狩るために動き始めたようだ。
動いてくれるのならば逆にありがたい。じっと身を潜められるよりも位置を把握しやすくなる。
ここに来てから、かなりの数の魔獣を倒してきた。そろそろ仕上げの段階か。
ぐおお、という断末魔の咆哮を上げて、目の前の魔獣の体が崩れ落ちる。息の根が確実に止まっていることを確認し、俺は剣をぬぐって鞘に収めた。
午前中だけで二頭倒した。いずれもなかなかの強さだった。確かにそこらの騎士ではこの任務は務まらないだろう。
ここで俺はいったん魔獣狩りをやめて、山頂に戻ることにする。そろそろお嬢ちゃんが来る時間だ。お嬢ちゃんは何が面白いのか、毎日飽きもせずにサンドイッチを持って俺の元に訪れる。
山頂に戻れば、小屋の前にあれこれ置いてあった。ここを通った者たちが通行料代わりに置いていったものだ。俺が居なくても、付近の住人は律儀に通行料を置いていく。いい加減そんなものはいらないと分かってくれないだろうか。いや、貰えるのはありがたいのだが。何しろ親父にはほぼ身一つの状態で置いて行かれたからな。
一番強い魔獣が動き出したことだし、念のために結界をもう少し強化しておくか。
貰ったものを小屋の中に運び、机に帳面を広げる。
不格好ながら、俺はなんとか机を作ることに成功した。椅子は木の幹を切っただけのものだが、そこに魔獣の毛皮を敷いたので座り心地は意外に良い。
帳面を取り出してあれこれ書きつけていれば、
「……ん?」
何かの気配を感じた。不快なものではないが、これはなんだ?
俺はペンを置いて外に出る。すると、そこに涙目の精霊が居た。
ああ、なんだ。精霊だったか。
安堵して、俺は精霊をよく見る。
ぽっちゃりとした体型、背中に小さな羽、尖った耳、緑の瞳と波打つ髪――。じっとしていれば子供が抱えて遊ぶ人形と間違えるような見た目のその精霊は、俺を見ると両手を振りながらパクパクと口を動かした。
なになに? リズに頼まれたから様子を見に来たけど、なにこの山、怖いの居るし帰りたい?
「……それは悪かったな」
この付近に住んでいる精霊ではなく、王都から遠路はるばるやってきてくれたのか。母も無茶なお願いをしたものだ。
ツクヨが消えてから、母の溺愛は酷くなっていたしな。俺までいなくなったのがよほど悲しかったか。
「俺は元気だ。そう伝えてくれるか?」
パクパク、とまた精霊が口を動かす。
遠路はるばる来た客に茶も出さんのか、だと? 早く帰りたいのではないのか?
しかし本当に疲れてはいるようだな。
「朝作ったスープが残っているが食べるか? 魔獣の肉入りだが」
とんでもない、と精霊は目を見開いて首を横に振った。魔獣の肉は好みではないか。
「果物ならどうだ?」
頷くので、通行料として貰った果物を小屋の中から持ってきて短剣を取り出す。と、そこでお嬢ちゃんがやって来た。
「山賊さん、こんにちは」
「ああ」
挨拶をしていれば、精霊が俺の肩に乗って小さな掌で頬を叩いてきた。
「分かった分かった。すぐに切るから待っていろ」
「え?」
「ああ、違う。お嬢ちゃんに言ったのではない」
俺は護衛が広げてくれた敷物の上に座り、果物の皮をむいて小さく切る。
「ほれ」
それを肩に乗っている精霊に渡せば、受け取った精霊が凄い勢いで食べ始めた。お腹も空いていたのか。
「さ、山賊さん……?」
「ん?」
お嬢ちゃんの目が丸くなっている。
「く、果物が消えて……」
ああ、そうか。今はお嬢ちゃんたちには見えない状態なのだな。
精霊は、精霊自身が自分の意思で姿を見せるか、もしくは魔術師ほど魔力がないと見えないのだ。
「俺の肩に精霊がいるんだ」
「精霊!?」
お嬢ちゃんと護衛と御者の声が重なった。まあ魔術師でも滅多に見ることができないからな、精霊は。
「ねえ、本当にそこに精霊が居るの?」
「ああ」
「見たい!」
そう言われてもな……。
俺は小さく唸って果物をもう一切れ精霊に渡す。
「できないことはないが、勝手にそんなことをすれば精霊は怒る。そして精霊は怒ると怖いんだ。集団で復讐に来るぞ」
「精霊さんは強いの?」
「強いのもいるが、それよりも恨みがましいというか、しつこい奴が多いな。ねちねちといつまでも小さな嫌がらせをし続けるんだ」
へえ、とお嬢ちゃんが感心する。と、そこで精霊が俺の髪を引っ張った。
「痛って……なんだ? 悪口を言うなって? ああ分かった、悪かった」
謝って果物をもう一切れ渡す。
「精霊さんは果物が好き? ルルの作ったサンドイッチ食べる?」
精霊が俺の肩を叩く。
「サンドイッチも食べるが、そっちの茶をよこせと言っている。花蜜も入れろだと」
贅沢なやつだ。
ルルが、取り分けたサンドイッチと茶を差し出す。すると精霊が俺の肩からおりて、それらを食べ始めた。
「凄いわ、どんどんなくなっていく。ここに居るのね」
手を出そうとしたお嬢ちゃんを止める。
「やめておけ。食事を邪魔されると怒るぞ」
「精霊さんは怒りんぼさん?」
「邪魔をされるのは嫌うな」
ふーん、と頷いてお嬢ちゃんが目を細める。そんなことをしても見えないものは見えないのだが。
精霊は、食事を終えるとお嬢ちゃんを見上げ、それからふわりと浮いた。お嬢ちゃんの顔の前で浮かぶ精霊。見えないお嬢ちゃんはまだ敷物の上に置かれた皿付近を凝視している。
「お嬢ちゃん、目の前にいるぞ」
「え?」
精霊がお嬢ちゃんの頬を触る。
「きゃ!」
驚くお嬢ちゃん。
「おいおい、悪戯はやめてや――なに?」
精霊が言ったことに眉を寄せ、俺はお嬢ちゃんに手を伸ばす。
「少し触るぞ」
「う、うん」
俺はお嬢ちゃんの額に手を当てる。特に熱くは感じないが……。
「お嬢ちゃん、体調が悪いのか?」
「…………っ」
お嬢ちゃんが目を見開いたあと、視線を彷徨わせる。……悪いのか。
俺は内心で舌打ちをした。精霊が教えてくれなければ気づけなかった。
「べ、別に悪いとかじゃなくて、なんとなくおかしい感じがするだけなの」
それが悪いというのだろう。
「今日はもう帰れ」
「大丈夫だから!」
「あのなあ……」
どう言えばおとなしく帰るのか、と頭を掻いたとき、精霊がふっとその存在感を増した。――つまり、魔力の無い者にも見えるように自ら姿を現した。
「…………!」
人というのは真に驚いたとき固まるのだろうか? お嬢ちゃんも護衛も御者も精霊を凝視したまま動かなくなってしまった。
精霊がお嬢ちゃんに向かってパクパクと口を動かす。
「おい、お嬢ちゃんに精霊語は分からないぞ」
では訳せ、という視線を精霊が寄越してくる。はいはい、そのつもりだよ。
「お嬢ちゃん。こいつがな、帰って休めと言っているぞ。おい、お嬢ちゃん」
……駄目だこれは。完全に思考停止している。
それはそれで好都合かと、俺はお嬢ちゃんを横抱きにして護衛と御者に目配せした。二人はハッとして広げていた荷物を片付け始めた。
「山賊さん……」
ようやく正気を取り戻したらしいお嬢ちゃんが、不安げな表情で俺を見上げる。
「なんだ?」
「本当に大丈夫なの」
「駄目だ」
何故我慢をする?
「だって……、本当になんともないんだもの」
心配をかけたくないのか? それとも他に何か理由があるのか。
「今日は帰れ。精霊がわざわざ姿を現して忠告してくれたんだ」
そうだろう、と視線を向ければ精霊がうんうんと頷く。それを見てようやくお嬢ちゃんも納得をしてくれたようだ。
「……うん」
馬車の中へとお嬢ちゃんを運ぶ。
「山賊さん、あのね」
「なんだ?」
「えへへ、お姫様抱っこ」
頬を赤くして笑うお嬢ちゃん。
くっそ可愛いな! いや、そういう趣味はないけどな!
「ルル、こんなの初めて。ちょっとどきどきするね」
どういう意味だ! こんな年齢から魔性か! いや、むしろ天然か、天然だな!
く……っ、なんということだ。この子は放っておけない子だ。父としてはとっても心配だ……って違う、俺はこの子の父親ではない!
ああ駄目だ、混乱してきた。
とにかくお嬢ちゃんを馬車の席に座らせる。
「山賊さんと離れたくないの。一緒に行こう?」
う……。
「駄目だ、俺にはまだやらなくてはならないことがある。元気になったらまた来い」
「……うん」
護衛と御者が頭を下げ、馬車が帰っていく。
やれやれ……。
「おい精霊」
なに、と首を傾げる精霊に頼む。
「あの子が屋敷に帰るまで、見守ってやってくれないか」
すると精霊が掌を上にしてみせた。いいけどいくら払えるんだ、だと?
……がめついな、この精霊。
「実家の俺の部屋にあるものだったら好きに持っていけ」
精霊が好むものがあるかどうかは知らないがな。
精霊はぴょんと跳ねるような仕草をすると、馬車を追いかけて飛んでいく。
「おい、ちゃんと姿を消していけよ!」
俺は精霊の背中に向かって大声で言った。




