15 「謁見という名の地獄」
遅い。なんで指定された時刻に来てこんなに待たされなきゃならないの?
「リズちゃん、このお菓子美味しいね」
呑気な父さんは菓子を食い散らかしている。
「陛下は忙しい身だからな」
私の苛立ちを察したガルディスがそう言って宥めてくるけど、もういい加減にしてほしい。ガルディスが居なかったら、帰ってしまっていたかもしれない。
そう思っていたらドアが開いてレクが戻って来た。
「待たせてしまったね。準備が整ったから謁見の間に行こうか」
やっとか。
私たちは立ち上がり、レクの案内で謁見の間に向かう。巨大な両開きの扉の前で立ち止まると、屈強な騎士達がその扉を開けてくれた。うわ、扉重そう。そして――、
「わ……」
思わず声が出て慌てて口を噤む。謁見の間は奥行きがある部屋だった。今私たちが居る入り口からずっと奥、一段高い位置に座っているのが王様だよね。その隣に座っているのが王妃様か。扉から玉座まで緋色の絨毯が敷かれているけど、ここを歩けってことね。
部屋の両端には鎧を着た人たちとローブを着て杖を持った人たちが等間隔に並んでいる。鎧を着ているのは騎士だよね。ローブを着ている人たちは魔術師かな?
謁見の間は非常に美しいんだけど……なんだか物々しい雰囲気がするのは気のせい?
レクが歩き出したからその後に付いて私たちも歩く。ここに居るのはかなり高位の騎士と魔術師なのかな? 私と父さんの姿を見ても動揺する素振りが無い。強い精神力の持ち主っぽいな。それから高官らしき人たちが玉座に近い位置に並んでいる。
玉座の前まで行くと、ガルディスと父さんが片膝をつく。私も慌てて両膝を床についた姿勢にになって、片手を胸に当てて軽く頭を下げた。なんだかよく分からないこの姿勢が、謁見で女性がする正式な姿勢らしい。
「面を上げよ」
王様の声がする。顔を上げてみれば、レクとよく似た、でもレクよりは眉が太くて少しだけ彫が深い王様の顔がよく見えた。
やっぱり兄弟なんだな、似てる。でもそんなことよりこの姿勢が地味に辛い。立っていいよとか言われないのかな?
「ガルディス・ベルドイド。婚約者というのはその者か?」
王様の声は、よく通る威厳のある声だ。
「は!」
「――で、どちらがだ?」
おいい! 王様もか!
だから、みんなどうして見て分からないかな? 父さんズボン履いてるでしょ? 絶対ありえないでしょ?
「こちらが婚約者のリズです。そしてこちらがリズの――」
「父のラディちゃんと申します」
……待て、くそ親父。
「父親だと!?」
王様も王妃様も凄く驚いている。高官もざわついて、騎士と魔術師もぴくっと反応した。いや、それより今の自己紹介おかしいでしょう。そこをつっこんでよ。
「ガルディス、どこでこのような美しい女性と出会った」
「旅をしていたリズが街に立ち寄り偶然に……」
ガルディスと王様が当たり障りのない会話をして、王様が喜ばしいことだと頷く。そして視線を私に向けた。
「リズと言ったな、ガルディスを支える善き伴侶となれ」
「はい」
軽く頭を下げれば王様が優しく微笑んだ。あ、一瞬だけ王様じゃなくて優しいお兄さんみたいな表情になった。今のが本来の王様の姿なのかな?
玉座の斜め下辺りに立っていたレクが王様に話し掛ける。
「この者が陛下に歌を捧げたいと申しておりますが、いかがいたしましょうか」
あ、父さんのこと言ってくれたんだ。
王様が鷹揚に頷く。
「よい」
その一言で、周囲が動き出す。父さんが演奏する為の椅子が用意され、私はガルディスと共に脇に下がった。
よかった、やっと立つことができた。
父さんは椅子に優雅に座り、竪琴を構えて王様に視線を向ける。王様が頷いたのを確認して、父さんは誰もが見惚れる美しい笑みを見せた。
「豊穣と繁栄の歌を――陛下に」
ん? 豊穣と繁栄の歌? 昨夜歌ったのって恋物語だったよね。得意な恋の歌を歌うんじゃなかったの?
父さんが琴を爪弾き始め、澄んだ音が響く。
「……恵みの雨、天より降り注ぎ……黄金の穂は風に揺れ……」
……うーん、まあ普通の歌かな? でも父さんの歌にしてはなんだか胸に響かないというか陳腐だというか……。おかしいなあ、父さんの実力はこんなものじゃない筈なんだけど。まあ、大国の王の御前だし当たり障りのないものを選んだのかな。
安堵と、少しだけ残念な気持ちで父さんの歌を聴く。その後も淡々と歌は続き、そして――。
あれ?
私は微かに眉を寄せた。
今、一瞬父さんの口角が上がったように見えた。あの表情、なんだか……。
父さんがスッと息を吸い、纏う雰囲気が変わる。
「…………!」
私は目を見開いた。え、ちょっと待って、急に声に魔力を籠めた? しかももの凄い量の魔力じゃない? どうして?
いつもと同じ――いや、いつも以上に艶やかに響く歌声。
な、何してるのよ父さん!
「あなたの唇で私の言葉を奪って~。その指先で愛を囁いて~。そして私の×××を、あなたの×××で~」
おいいいい! なんて歌詞なの!
王様の前で、というか人前で歌っちゃいけない内容でしょう!? さっきまでの陳腐な歌詞何処行った! 王妃様が真っ赤じゃない!
謁見の間がざわめく。
止めなきゃ!
私は足を踏み出そうとして――、え……? 動かないし声も出ない!?
周囲を見れば、必死の形相でもがく騎士や魔術師。ガルディスも歯を食いしばってなんとか父さんの所に行こうとしてるけれど、足も手も思うように動かないみたい。
「ああもっと~。×××を×××して×××したい~」
もうやめて!
若干頬を上気させて平静を装っている感じの王様、真っ赤な王妃様、父さんを凝視するレク。
何この拷問。強制的に恥ずかしい歌を聴かされるなんて……!
そうしてどれだけの時間が経ったのか、父さんの歌が止んだ。
「あ……っ」
膝から崩れた私をガルディスが支える。私はガルディスに縋りつきながら、王様に向かって優雅にお辞儀をする父さんを睨みつけた。
な、なんてことしてくれたの? 不敬罪で牢にぶち込まれてしまえ! 誰か早くあの馬鹿を捕まえて――って、あれ?
私は周囲を見回す。誰も動かない? いや、誰も動けないの?
体の自由は戻った筈なのに皆固まったままで、高官らしき人たちに至っては、蹲ってしまっている。
と、そこで王様が勢いよく立ち上がる。
あ、斬首かな? さよなら父さん。
ところが王様は、隣に座る王妃を強引に立たせてその腰を抱いて言い放つ。
「良い歌であった。暫く城に滞在することを許そう。レイクロドス、この者達を十分にもてなしてやれ」
レクが「はい」と返事をする。レイクロドスってレクの正式な名前かな。
王様が王妃様と共に足早に去っていく。
……え、お咎めなし? むしろ褒められた?
どうなっているのかと戸惑っていると、父さんが竪琴を抱えてこちらにやって来る。
「城に泊まっていいって。僕の歌が気に入ってもらえたみたいで嬉しいよ。――あれ? ガディどうしたの? 何か困ったことでもあった?」
父さんがくすくす笑う。ガルディスがぎりぎりと音がするほど奥歯を食いしばり、それから低い声で答えた。
「いや、なんでもない」
うんうん、と父さんが感心した様子で頷く。
「凄い精神力だねー。さすが騎士」
そして振り向き、すぐ後ろまで来ていたレクに向かって微笑んだ。
「レクちゃんも凄いね。すぐ側で聴いていたのに」
レクが優雅な笑みを浮かべる。
「ええ、さすがに堪えました」
それからレクは謁見の間を見回す。
「騎士も魔術師も大丈夫そうか。宰相たちは……まあ放っておこう。では移動しよう」
宰相って放っておいてもいいものなの? それに騎士も魔術師も固まったままだけど大丈夫なの?
促されるまま謁見の間を出て――、え!? また驚く。
な、なにこれ。城のあちこちで使用人とか官僚とか、とにかくいろんな人たちが床に蹲ったり壁に手を付いたりしてもだえ苦しんでいる。書類とか掃除道具とか食器とかも散乱して阿鼻叫喚に包まれているよ。
「……影響は何処まで?」
レクが父さんに訊く。
「んー、王城の中だけのはずだよ」
父さんの答えに、レクは溜息を吐いた。でも――どこか面白がっているような表情にも見えるんだけど、気のせい?
「もうやめて頂きたいのだが」
「どうしようかなー」
うふふと父さんが笑う。
どうしようかなじゃないでしょ!
私はガルディスの腕を掴み……、
「…………っ」
え? 全力で振り解かれた? なんで?
呆然とする私の目の前で、ガルディスが真っ赤になった顔を逸らす。
「本当に、ガディは我慢強いね」
父さんが笑い、何故かレクも一緒になって笑い出す。
……これはいったいどうなっているの? もう訳が分からないよ。
私は額に手を当てて小さく唸った。




