12 「我が儘親父と権力には逆らえません」
「王弟殿下からの呼び出しで王都へと行くことになった」
ガルディスから突然告げられた言葉に、私はお茶を口に運ぼうとした手を止めた。
「王都?」
「ああ。一週間ほどあちらで過ごすことになる」
「そう……」
私は唇を噛んだ。一週間も会えなくなるのか。でも仕事なら仕方がないよね。
「出発はいつ?」
「明後日だ」
「明後日? 随分急だね」
ガルディスは頷く。
「だから、旅に必要な荷物を纏めておいてくれ」
「うん」
「向こうでは実家に泊まるつもりだ。俺の家族はリズに意地悪をするような人たちではないから安心してほしい」
「う……うん?」
私は首を傾げる。あれ、もしかして……。
「私も一緒に行っていいの?」
王都に、ガルディスの実家に連れて行ってくれるの?
「当然だろう。リズを置いていくわけがない」
なんだ。そうなんだ。
ほっと息を吐く。ガルディスと長く離れ離れになるなんて寂しすぎるもの。
「俺の家族への紹介と、それから結婚式の打ち合わせもしたいと思っているからそのつもりでいてくれ」
「結婚式!?」
はあ!?
驚く私を見つめ、ガルディスが眉を寄せる。
「なんだ? まさか……嫌なのか?」
と、とんでもない!
私は慌てて首を横に振った。
「今まで式の話なんてしなかったから、驚いただけ」
そうだったか? とガルディスが首を傾げる。
「式は王都ですることになる。正式な婚約期間を経て、できれば一年後くらいにしたいと思っているのだが、どうだ?」
どうだって……。
「嬉しい……」
お茶の入ったカップをぎゅっと握りしめる。ちゃんと二人のこと、考えてくれてたんだ。
……でも一年後?
なんでそんなに先なんだろうと首を傾げていたら、ガルディスが私の手からカップを取り、テーブルに置く。
「リズ」
ソファに座る私の足元にガルディスが片膝をつき、私の手をそっと持ち上げる。
え、なに?
「愛している。一生を俺と共に歩んでくれるか」
黒い瞳が私を、私だけを映しだす。
ああ、そうか。改めて結婚を申し込んでくれているんだ。
「……はい」
頷けば、ガルディスが私の手に顔を寄せた。
指先へ、手の甲へ、掌へ、手首へ、そして額、両頬、最後に私の心臓がある場所に顔を埋めるようにしてガルディスが口づける。
「リズ、俺の愛しい伴侶。俺だけのものだ」
「……うん」
耳をくすぐる甘い声。苦しいくらいの幸福感に満たされる。
それにしてもこの口づけの仕方はなんだろう。何か意味があるのかな?
そう思っていたら、隣から拍手が聞こえた。
「おめでとうリズちゃん、父さん感動しすぎて震えちゃうよ」
……うるさいよ、父さん。雰囲気をぶち壊さないで。
ガルディスもなんで父さんが隣に居る時に求婚の言葉を口にするのかな。
むっとしていたら、父さんが私の頬を指先で突いてきた。
「こんな時に、膨れっ面は似合わないよ」
誰のせいだ!
「ところでガディ、続きはするの?」
ん? 続き……って何?
「いや、それは結婚してからだ」
ガルディスが首を横に振る。
「あれ、そうなの? 一年も待てるの?」
くすくすと笑う父さん。
ちょっと、私にも分かるように会話をしてよ。
「ねえ、続きってなに?」
焦れて訊けば、父さんが答える。
「ああ、リズちゃん知らないんだ。今の――求婚の口づけって言う儀式なんだけど、誓いを込めて、指先から口づけを始め、心臓から腹、そして最後は女性の秘められた場所に口づけをするんだ」
な、なんですと!?
「正式には互いに全裸でなくてはいけないし、たいていはそのままあれこれしてしまうことになるんだけど、ガディは本当に我慢強いね」
そのままって……。
私はごくりと唾を飲む。なんだか随分艶めかしい儀式だ。
「ねえガディ、一年も婚約期間を置くのは近衛騎士だからかな?」
え、近衛騎士であることが何か関係あるの?
ガルディスが頷く。
「いろいろと決まり事や手続きがある」
「それに、不誠実なことをしていないという証明にもなるしね。なにせ近衛騎士は花形職業だから、醜聞は一番避けたいところでもあるか」
ん?
「父さん、醜聞ってなに?」
「結婚までの期間が短いと、短くせざるを得ない理由があるのかなって思われてしまうってこと。近衛騎士だとそれが醜聞に繋がるんだ」
短くせざるを得ないって……ああ、なるほど。近衛騎士だとそういうことにも気を使わなくちゃいけないんだ。
「まあ実際はみんな上手くやってるんだろうけど、そこらへんガディは真面目だよね」
うーん、ガルディスが頑なに手を出してこないのは、そういう事情もあるからなんだ。
まあそれはともかく、と父さんが私に視線を向ける。
「返答しなくちゃね」
「返答?」
「誓いを受け入れるのならば、男がやったことと同じことを女がやればいいんだよ」
「…………!」
お、同じことって……。
自然に視線が下がる。私が、そこに……?
目が釘付けになっていたら、ガルディスが大きな咳払いをした。
「リズ、それはまだいい」
まだってことは、いつかはやるってことだよね。
赤い顔で頷けば、ガルディスが手を差し出してきた。
「返答をくれるか?」
差し出された手に、私は唇を近づける。ガルディスがしてくれたのと同じ順番で口づけて、最後に心臓の上に。
父さんが頷く。
「うん、確かに見届けた。婚約期間中に不貞を働いた場合は見届け人の名のもとに罰を与える」
……はい?
「罰?」
きょとんとする私に、父さんは頷く。
「これ、結構重い罰があるから、とっくの昔に廃れた儀式なんだよね。ガディは随分古いことを知っているね」
「リズに対する想いの強さを見てもらいたかった」
「立派な覚悟だ」
父さんが満足げに微笑む。
「ラディ殿もよく知っていたな」
当然だ、と父さんは胸を張る。
「僕もリズの母親に同じことをやったからね」
へえ。父さんも母さんにこれをやったんだ。
「でも何故か返答が貰えていないんだ」
……父さん、返答を貰えなかったってことは、完全に一方通行な想いだったってことじゃないの?
父さんが立ち上がる。
「さて、じゃあ王都に行く荷物を纏めなきゃね」
何を着て行こうかな、と、うきうきな父さん。
……え。
そのまま居間から出て行こうとする父さんを、私は慌てて引きとめる。
「ちょっと待って、ねえ、まさか一緒に行くつもりなの?」
「え。まさか置いていくつもりなの?」
「…………」
「そんなこと……しないよね?」
目を潤ませる中年親父。可愛くなんてないから!
私は掌でバンッとソファを叩く。
「冗談じゃないわ! ガルディスのご家族に会うのに、なんでこんな問題ばかり起こす人を連れて行かなきゃならないの!」
絶対嫌だと絶叫すれば、父さんも負けじと絶叫する。
「やだやだ! 父さんも一緒に行く! 絶対行く! いい子にするから王都に連れてってよー!」
地団太を踏むな、子供か!
「我が儘言うと捨てるよ!」
「嫌だ、一緒に行くんだ! ねえ……ガディ?」
娘の恋人に色目を使うな! 絶対に連れて行かないんだから!
しかしガルディスは迫ってくる父さんを押し戻しながら頷いた。
「もちろんラディ殿も一緒に行く。むしろお願いしたい」
えええ! なんでよ、なんでお願いしなきゃならないのよ!
「やだ、連れて行きたくない!」
父さんをガルディスから引きはがして代わりに抱きつきながら私は訴える。だけどガルディスは私の頭を撫でて首を横に振った。
「仕方がないだろう、ラディ殿を野放しにはできない。それに王弟殿下から、同居人と共に国王陛下に謁見するようにと命令が下っている」
「謁見?」
「ああ」
王弟殿下の呼び出しで王都に行って、更に国王に謁見? それも私たちも一緒に?
父さんが目を輝かせる。
「国王に会えるの!?」
あれ? 父さんなんだか随分嬉しそうだな。
父さんがガルディスに再び迫る。
「この国の王って、美形って有名だよね」
「まあ、そうだ」
「まだ若いにもかかわらず聡明で立派な王だって」
「賢王であることは間違いがない」
国民から絶大な支持を得ている、とガルディスが説明する。
「わあ! 嬉しいな!」
なんか知らないが、父さんが大はしゃぎだ。鬱陶しい。
「でもなんで私たちも謁見するの?」
そう訊くと、ガルディスが顔を顰めた。
あれ? なにかあった?
「それが……、この街にもの凄い美人が二人もいるという噂が王都にまで伝わってしまったようなのだ」
そっくりな顔の美人が二人というだけでも強烈な印象を残すのに、街で自由に振るまう様子がさらに二人の印象を強くし、人から人へ噂は広まってついに王都の国王にまで辿り着いたらしい。
私は頬を引きつらせた。そこまで噂が届くって凄すぎない、私たち……。
「しかもその二人が俺と同居している者だと王弟殿下にすぐに気づかれて、『なんで二人に増えているんだ、一度王都に連れて来い』と命じられてしまったのだ」
ん? 今の話、なんだかおかしくない? 気づかれたとか増えているとか、まるで前から知っているみたいな……。
私の疑問に気づいたガルディスが教えてくれる。
「王弟殿下というのはレクのことだ」
え?
「レクって、ガルディスの親友のレク?」
以前来たことがある、あのレクだよね。王弟だったの?
ガルディスが低く唸る。
「親友ではない、絶交した。だからあいつは権力を使ってきたのだ。普通に呼び出しても応じないことが分かっていたから、王弟殿下として正式に命じてきた」
あ、絶交するって言ってたけど本当にしてたんだ。
レクのことを語るガルディスは、いつにも増して凶暴な顔をしている。うーん、まだ怒ってるんだ。結構根に持つんだね。
そんな凶暴さ倍増のガルディスに、父さんが楽し気に話しかける。
「ガディ、僕は王の前で何を着ればいいかな?」
全然物怖じしないな! それにはしゃぎすぎでしょう、父さん。
「謁見時の衣装は俺が――というか実家が喜んで用意してくれるだろう」
「じゃあ衣装の心配はしなくていいか。でもどうしよう、王に見初められて後宮に入れられたら。側室片っ端から食って大混乱に陥れればいい?」
おぃい! なに大それたことを考えているの!?
父さんの問題発言にガルディスが首を振る。
「残念だが後宮は無い。陛下は王妃殿下一筋だ」
「え? じゃあ王妃から王を略奪すればいいの? それとも王から王妃を略奪すればいい?」
「どちらも駄目だ」
「えー、つまんない!」
……なんとなく本気でやりそうで怖い。
私は父さんを指さしてガルディスを見上げる。
「大丈夫なの、こんなの連れて行って。ガルディスの立場が危うくならないの?」
父さんのせいでガルディスが職を失うようなことになったら、追い出すくらいじゃ済まさないからね。
「心配するな。王城には優秀な魔術師も騎士も沢山いる。それにレクも……、優秀だからな。なんとかなるだろう」
ふーん。ここでレクの名を口にするって、絶交とかいいながら、なんだかんだで頼りにしているのかな?
「リズちゃん、おやつ買いに行かなくちゃ。弁当は何にする?」
弁当って……。
「父さん、野原にお出かけに行くわけではないんだよ」
「分かってるよ。王都にお出かけだよね!」
……大丈夫なのか、本当に。
溜息を吐いた私を慰めるように、ガルディスが頬に口づけてきた。




