10 「旅は賑やか……すぎて疲れるよ!」
「さあ、出発しよう!」
「…………」
「リズちゃん、いつまで拗ねてるの?」
「誰のせいだ!」
「ガディ、馬を走らせて」
「だから、なんで父さんが指示を出すの?」
ガルディスが御者台に乗り、馬車は動き出す。
楽しみだなぁ、なんて窓の外を見てはしゃぐ父さん。……ああ、出発したばかりなのにもう鬱陶しい。
「ガディはリズちゃんに甘いよね。そしてリズちゃんとそっくりの僕にも甘い。二人の力を合わせれば、ガディを傀儡とすることも余裕だね」
……何を目指しているのよ、父さん。
「ガルディスに手を出したら許さないから」
「父さんそんなことしないよ」
傀儡発言したでしょうが!
「騒ぎを起こしたら叩き出すよ」
すると心外だというように父さんは首を振った。
「父さんは、ただ静かに余生を過ごしたいだけだよ」
「……絶対嘘だ」
違う、と父さんは私を見つめる。
「嘘じゃないよ。独りが寂しいのは本当だよ」
……う。そんな真顔で言われたら馬車から放り出せないじゃない。
途中で何度か休憩を挟み、そして夜遅い時間になって着いたのは、以前泊まった宿屋の前だった。
馬車を降りた私はぐったりとして項垂れる。
疲れた。とにかく疲れた。
全然大人しくしてなかったじゃない、父さん。あっちこっち勝手に歩き回るし、微笑み安売りしすぎて人が集まって来ちゃうし、あれ食べたいこれ食べたいとおねだりが激しいし、ガルディスがフード付きのマントを買ってきて着るように言っても生地が気に入らないとか何とか言って着ないし。
そのうえ『僕たちの美しさってこんなフードごときじゃ隠せないよね』、なんて言いだして私のマントまで取り上げて余計に騒ぎを大きくしちゃって……。
「ねえ、やっぱりここに捨てて行こうよ」
ガルディスの左腕に自分の腕を絡めてお願いすれば、父さんが対抗するように右腕に自分の腕を絡めてガルディスにお願いする。
「捨てないで、なんでもするから」
潤んだ目で上目遣いをするな!
間に挟まれたガルディスが固まった。
く……っ。本当にくそ親父が。
私が歯ぎしりするのを見て、父さんが笑いながらガルディスから手を離す。
「早く宿屋の中に入ろう。そこの君、馬車をお願いできる?」
私たちのことを茫然と見ていた宿屋の使用人が、父さんに微笑みかけられて壊れた人形のように何度も頷きながらジギーを連れて行く。
私は溜息を吐いて父さんに何度目か分からない注意をした。
「あんまり周囲の人間を魅了しないでよ」
父さんが頬に手を当てて困った表情をする。
「そう言われても、普通にしているだけなのに。美しいって罪だよね」
物憂げな溜息を吐くな!
だ、駄目だこの男……。
よろめく私をガルディスが慌てて支える。
「大丈夫か、リズ」
「大丈夫じゃない」
全然大丈夫じゃないので、父さんを捨てさせてください。
「しっかりして、リズちゃん。もう夜中なんだから、早く宿でゆっくりしようよ」
誰のせいで夜中になったというんだ!
もう、やだ……。
ガルディスの腕にしがみつきながら建物の中に入れば、宿屋の主人が私たちを見て大きく目を見開く。
「部屋は空いているか?」
しかし宿屋の主人はガルディスの問いかけには答えずに、私と父さんを交互に見て呟いた。
「増えた……」
「ああ、そうだ。三人で泊まれる部屋がいいのだが」
「分裂……?」
「いや、一緒の部屋でいい」
父さんが横から話に割り込む。
「僕たち、双子なんだよ」
……おい、四十越え。サバ読むにもほどがあるでしょう。
と思ったけど、宿屋の主人は父さんの言葉を聞いて大きく頷く。
「あ、ああ! 双子、なるほど!」
納得した!? なんでよ、こっちはもの凄く納得いかないよ!
父さんが、宿屋の主人に首を傾げて訊く。
「ねえ、部屋は空いていないの?」
宿屋の主人は頬を赤くして答える。
「あ、空いております!」
そして主人自らが私たちを部屋へと案内しはじめた。
「部屋が空いててよかったね、姉さん」
父さんがご機嫌で言ってくるけど、ちょっと待て。
「なんで私が姉?」
さすがに違和感があるでしょう。
「いいじゃないか。歳を取ると若く見られたいものなんだよ」
そういう問題なの?
案内された部屋は、前回と同じ部屋だった。ベッドが一つしかないのかと思いきや、隣の部屋と繋がっていて、そちらに更に二つのベッドがあった。
そう言えば前回泊ったときはごたごたがあったから、そこまでよく部屋を確認していなかったな。なんて思いながら隣室を見ていれば、父さんが宿屋の主人におねだりをする声が背後から聞こえてきた。
「こんな遅くに悪いんだけど、僕たちお腹がペコペコなんだ」
「食事を用意させていただきます!」
「この街の名物に、クリームがたっぷりのお茶があったよね」
「それも用意させていただきます!」
「それからね……」
どれだけねだるつもりなの、父さん。夜中だよ?
ありがとう、と父さんが手を握れば、宿屋の主人はこれ以上赤くならないんじゃないかってくらい顔を赤くして部屋から出て行った。大急ぎで食事の準備をしてくるらしい。
「こんな時間でも食事を用意してくれるんだ。さすが高級宿は違うよね」
父さんは満足げに微笑む。
いや、高級宿だからというより、父さんの魅了が効いたからじゃないの? 本当にたちが悪いな。
「じゃあ、食事の準備が整うまでに風呂に入っとこうかな。ガディ、男同士一緒に入ろ――」
「却下!」
「――なんで?」
一緒になんか入らせるか!
私は父さんの前まで行って、その顔を覗き込む。
「なんとなく危険な予感がするから」
「娘の旦那に手を出すわけがないだろう?」
「駄目なものは駄目! 手を出さなくても、その存在が危険なの!」
大袈裟な、と父さんがわざとらしく呆れた顔をする。
「父さんは母さん一筋なんだよ。そしてもちろん、そっちの嗜好もいたって普通だよ」
それでも駄目なの!
「ガルディスは私と入るの!」
「え? 嫁入り前の娘が? 男と?」
やだ、不潔よ! なんて言って口を押える父さん。もう、もう、本当に捨てていい?
しかしそこで、ガルディスが私たちの会話に割り込んできた。
「いや、俺はひとりで入る」
はあ?
「なんでよ!」
「なんでだい!」
私と父さんが同時に叫ぶ。
「それじゃあ、手を出したいくせに謎の我慢をする男と、無邪気に煽る娘の姿をこっそり見て楽しめないじゃないか!」
「そんなもの見ようとするな!」
なに言ってるの? ガルディスの顔が引きつってるじゃない。
結局私が一番に入り、そのあと父さん、そして最後にガルディスと、順番に風呂に入った。出された食事は遅い時間に突然の宿泊をしたにもかかわらず、以前より更に豪勢で美味しかった。まあ、これは父さんのおねだりの力かな。そして夜は――、
「なんで父さんと寝なきゃいけないの?」
二つベッドが並んでいる部屋で父さんと寝ることになった。ちなみにガルディスは隣の部屋の大きなベッドにひとりで寝る。
「文句はガディに言いなよ」
そうなのだ。親が居るのに一緒のベッドに寝るのをガルディスが嫌がったのだ。そしてガルディスと父さんが同室で寝ることを私が嫌がった。その結果、こんな組み合わせになってしまったのだ。
「もう! 旅の間、もっと甘い雰囲気になるのかと期待していたのに、父さんのせいで台無しよ」
私が腰に手を当てて怒れば、父さんも同じポーズをして言い返してくる。
「自分の無能を親のせいにしない! そんなに一緒に寝たいのなら夜這いすればいいだけじゃないか!」
私は目を瞬かせた。
「え? 夜這い?」
父さんも目を瞬かせる。
「あれ? したことがないの? なんで?」
「だって、そんなのする必要なんてなかったから、したことないよ」
父さんが目を見開き、それから頭を抱えて蹲る。
「それは大変だ! 夜這いを教えていなかったなんて、父さん一生の不覚!」
え、そうなの? 夜這いってそんなに大事なの?
戸惑う私の手首を父さんが掴む。
「今すぐだ、今すぐ突撃!」
「う、うん……!」
父さんの勢いに押されて隣室へのドアを開け、
「…………?」
……ようとしたが開かない。あれ?
父さんが屈んでドアノブをじっと見る。
「魔術でドアを封じてあるね」
は? なんで?
「行動を読まれていたか」
舌打ちをする父さん。
え、ええ? せっかくやる気満々だったのに。
「なんとかならないの?」
「できないこともないけど、これはまた複雑な……。どれだけ警戒しているんだ。乙女が貞操を守ろうとしているみたいで、必死すぎて胸が打たれるよ」
貞操を守ろうとする乙女……、って普通逆じゃない?
「仕方がない、今夜は許してやるか」
父さんが背を伸ばして腰を叩く。
「リズちゃん寝よ」
「……そうだね」
ものすごく疲れたよ、精神的に。
その夜は大人しく寝て、翌日宿屋を出発して、私たちはマッパの街の家に戻った。




