9 「何故こうなった」
朝早く起きた私とガルディスが身支度をする。
「もう行くのかい?」
父さん……寂しそう。
「うん」
でもガルディスには仕事があるから、いつまでもここに居るわけにはいかないんだよ。
「そうか、そうだよね……」
俯く父さん。
「……ごめんね」
思わず謝れば、弾かれたように父さんが顔を上げて私の手を握る。
「違うよリズちゃん。父さんは本当に、リズちゃんが成長したのが嬉しくて、だから謝る必要なんて全然ないんだ。ただ、ちょっと寂しくて……」
「うん」
「幸せを祈っている。愛しい娘」
「……うん」
ガルディスが私の荷物と、そして母さんの形見の竪琴を持って声をかけてくる。
「名残惜しいが行こう」
私は頷いて父さんの手を離した。
外に出れば、ガルディスの手によって既に馬車の準備がしてあった。馬車に荷物を積み、私は父さんに最後の挨拶をする。
「元気で」
泣きそうな顔で父さんが微笑む。
私は唇を噛みしめて踵を返し、ガルディスの手を借りて馬車に乗り込……ん?
ちょっと待て。
私は首を傾げて振り向く。
「……何してるの?」
私の後に続いて父さんが馬車に乗ってきている。え。どうして?
驚く私と同じように、父さんも驚く。
「何って、もしかして父さん、御者でもやらなきゃいけないの?」
「は?」
「御者はガディがやってくれるんだよね」
「うん、そうだけど」
「じゃあ父さんは馬車の中で問題ないよね」
……いや、問題あるでしょう。
いったい何がどうなっているの?
「父さん、何のつもり?」
もう帰らなきゃいけないんだから、父さんと遊んでいる暇なんてないんだよ。
と、そこで、父さんがとんでもないことを口にした。
「迎えに来てくれるなんて思わなかったから、父さん嬉しいよ」
……迎えに?
「これからは三人で仲良く暮らそうね」
……はい?
私はまじまじと父さんを見つめる。
「迎えにって? え? え?」
混乱する私の頬を、父さんが両手でやんわりと包む。
「もしかしてリズちゃん、年老いた父さんを一人で置いていくつもりだったとか、そんなわけないよね」
そんな薄情な子に育てた覚えはないよと言われて、漸く私は状況を理解した。
そんな、まさか……。
「……もしかして、一緒に行く気?」
父さんが首を傾げる。
「行く気って言うか、迎えに来てくれたんだよね?」
だから一緒に行って当然だよねと父さんは目を細める。
「…………」
え。
私は戸惑いながら、視線をガルディスに向ける。ガルディスも驚いている様子だ。
あ、会いには来たけど、連れて帰る気なんてさらさらなかったんですけど。でも父さんは同居する気満々ってこと?
「もうこの家は引き払っちゃったよ。今日から別の人が入居するって決まっているし、リズちゃんが連れて行ってくれなきゃ父さん今夜の寝床さえない状態だよ。どうしよう、外でなんて寝てたら、悪い獣たちに蹂躙されちゃうかもしれない」
僕って綺麗だから、と父さんは涙目で訴える。
「…………」
どうすればいいの。
助けを求めてガルディスを見つめれば、父さんも振り向いてガルディスを見つめる。
「連れて行ってくれるよね。独りじゃ僕、寂しくて死んじゃう」
……おい。私と別れてからずっと一人暮らしをしていたでしょうが。ものっすごい元気でしょうが。
「……ちょっと父さん」
私は父さんの顔を掴んでぐいっと自分に向ける。
「なに?」
「急にそんなこと言われても困るよ。何の準備をしてないし、今回は保留ってことで馬車から降りてくれる?」
「え……?」
父さんは大きく目を見開いて信じられないと首を振る。
「そんな、だって。親一人子一人、支えあって生きてきたはずなのに、男ができたらポイと捨てるの?」
「捨てるとか、そういうのじゃないでしょ!」
人聞きの悪いこと言わないでよ。
「でも父さん、もう住むところがないんだよ」
「父さんならなんとでもなるでしょう?」
住むところも金も歌で解決。今までだってそうやって生きてきたんだから大丈夫でしょう。
「……分かった」
不満げな顔をしつつも父さんは馬車を降りる。
ほっと息を吐く私。
ところが、
「うう……」
馬車から降りたところ、ちょうどガルディスの足元で、父さんが蹲った。いや、蹲ったんじゃなくって地面にうつぶせに寝転んだ!
そして叫び出す。
「うわああああん! 娘に捨てられたああああ!」
驚くほどの声量。っていうか、声に魔力が籠っているよね!?
私は慌てて馬車から降りる。
「なにやらかしてるのよ! やめてよ!」
立たせようとしたら、父さんはガルディスの足を掴みやがった。
「捨てられたあああ! 娘に~! 捨てられたああああ~!」
やだ、人が集まってきた。
「父さん、やめてってば! ガルディス、蹴っ飛ばしていいよ!」
「いや、しかし……」
「甘い態度を見せると付け込まれるよ!」
だけどガルディスは首を横に振り、父さんの腋の下を持った。
「ラディ殿」
ガルディスが父さんを持ち上げる。高い高いってされてる子供みたいになってるけど、でも父さんはそれで叫ぶのをやめた。
「ガディ……。もう一人は嫌だよ。お願い、連れて行って」
父さんがうるうるとした瞳でガルディスを見つめる。
「…………っ」
ちょっとガルディス、今の表情は何? ねえ、一瞬どきっとした顔しなかった? ねえ!
「申し訳なかった。今回のことは、俺の思慮が足りていなかったと反省している」
ガルディスが謝罪する。けど、それってどういう意味?
……なんだか嫌な予感がする。
「ラディ殿は俺にとっても大切な家族だ。その家族を一人でこのような場所に置いて行こうだなんて間違っていた」
「じゃあ……」
「ああ、一緒に行ってくれるか? いや、共に行こう」
「嬉しい……!」
ありがとうガディ、なんて言ってガルディスに抱きつく父さん。ガルディスがそれを受け止めているけど……。
「…………」
な、なにこれ。なにこの茶番。
私は父さんの服を掴んで、思い切り引っ張った。
「離れろ、馬鹿―!」
娘の恋人を誑かすな!
「やん!」
「気持ち悪い声を出すな! そしてガルディス!」
私はビシッとガルディスを指さす。
「ころっと騙されてんじゃないよ! こんなのいつもの嘘泣きだから! 道の端にでも捨てて、さっさと帰るよ!」
しかしガルディスは首を横に振る。
「駄目だ」
「なんで!」
「詐欺師だろうがろくでなしだろうが、リズの父親には違いないだろう」
ガルディスの真剣な表情と声色に、私はハッとする。
「それを、こんな決して良いとは言えない環境に置いて行くことはできない」
「でも……」
確かに風呂もないぼろ家だけど、その気になればもっといいところにだって住めるよ、父さんなら。
「それに、離れている間にラディ殿に何かあったらどうする。今回は短い日数でここまで来ることができたが、本来なら馬を飛ばしたとしてももっと何日もかかるのだぞ」
何かあっても駆けつけることができない距離。そんなところに置いて行って、本当に何かあったときに後悔はしないのかとガルディスは私に問う。
「それは……」
私は視線を彷徨わせた。
そんなこと言われたら困るよ。だってこんなのでも、私の父さんなんだから。
「幸いにも、我が家は一人くらい増えても問題ない広さだ。ラディ殿が一緒に来てくれるというのなら、喜んで迎えるべきではないのか?」
うう……。でも、そうかもしれないけど……。
迷っていれば、父さんが私の服を軽く引っ張った。
「リズちゃんは、お父さんが嫌い?」
「…………」
べ、別に嫌いじゃないけど。
「父さんが迷惑?」
迷惑は迷惑だよ。
「一緒に居たくない?」
そうは言っていないでしょう?
「消えたほうがいい?」
だから、そうじゃないって!
私は盛大な溜息を吐く。
あーあー分かりました、分かりましたよ。
「連れて行けばいいんでしょ!」
すると、父さんが笑顔で飛びついてきた。
「ありがとうリズちゃん! 大好き!」
うわ! 急にやめてよ、重た……え?
父さんが私の胸に顔を埋めて肩をふるわせる。
「父さん……?」
「うん」
「……………」
ガルディスが私の肩をぽんと叩く。
「さあ、行こう。ラディ殿、持っていく荷物はないのか?」
父さんが目元を押さえて私から一歩離れる。
「僕の大切なものはリズちゃんと形見の竪琴だけだから」
「……そうか。ではこのまま出発しても大丈夫か」
「うん。たいしたものは持ってなかったし、向こうに着いてからもっといいやつを買い揃えてくれればいいよ」
……ん?
私は首を傾げる。今の言葉、何かちょっと違和感があったような……。
父さんは手を退けて、私たちに向かって妖艶に微笑む。
「じゃあ、よろしくね!」
え。あれ?
「どうしたの? 二人とも」
顔を覗き込まれて、ガルディスがぎこちなく首を振る。
「い、いや、こちらこそ宜しくお願いする」
「さあ、出発しよう!」
父さんはさっさと馬車に乗り込んで、私たちに指示を出す。
「何やってるの、リズちゃん早く乗って。ガディは御者台に行って馬を走らせて!」
は、はあ?
呆然とする私たちを、父さんはクスッと笑う。
「…………!」
しまった! やられた!
「ガルディス、やっぱり捨てて行こう!」
憤慨する私をガルディスが羽交い絞めにして宥める。
「リズ、落ち着け」
落ち着いていられるか!
「ラディ殿が一緒に居てくれれば、俺が仕事の間もリズは寂しく無いだろう?」
「寂しくないけど絶対に疲れる!」
寂しいのと疲れるのはどっちがましなの?
そんな私たちに、父さんがあくびをして言う。
「ねえ、早くしてよ。僕待ちくたびれちゃった」
……………。
「やっぱり捨ててやるー!」
私の怒鳴り声に、父さんの高笑いが重なった。




