最終話 「こんなに大きくなりました」
さて、現在の状況。
『魔獣と化したガルディスに襲われ中』
……って駄目じゃない。いや、駄目ではないけど、正気の時にお願いします。優しいのが希望なのよ!
魔力を注いで波長を合わせればすっきり爽やかになるとは思うんだけど、そのやり方がまったく分からない。魔力ってどうすればいいんだっけ。確か私は歌っている時に魔力が出るんだっけ? じゃあ歌わなきゃ……って口を塞がれているから無理!
あー、このままじゃ絶対後悔する。私よりガルディスがね。なんとかしたいけど、もう駄目かな。凌辱確定か……あれ?
「けほ……っ」
息を吸い込み小さく咳き込む。私の髪を、頬を撫でる大きな手。何度も啄んでくる分厚い唇。正気に戻……ってはいない、いないけど、もしかしてこれ以上はしてこない感じ?
瞳は変わらず魔獣の状態。でもその奥底に確かに優しい光がある。
ああ、この魔獣は優しい――。
私は手を伸ばし、それをガルディスの首に絡める。
どうどうどう、よーし、大丈夫。落ち着け落ち着け。心の中で語りかければ、
「ぎゃ……!」
首筋を噛まれた!
前言撤回、こいつやばい!
どうしよう、えーと、えーと、
「リズ」
「ああん? 今ちょっと考え中だから静かにしてよ!」
「リズ、愛している」
「ああそう、私も愛しているわ」
……ん? あれ? 今普通にガルディスと会話してなかった?
視線をガルディスの瞳に向ける。相変わらず、ぎらついた魔獣の瞳だね……。
「リズ、愛している」
「う、うん。だから私も愛してるって言ってるじゃない」
そう返事をすれば、ガルディスが歯ぎしりをする。
「く……! そんな可愛く見上げて、あまり煽るな。そうでないと俺は……!」
あ、ガルディスの魔力が微かに流れてきた。それと同時に、
「…………?」
頭の中で歌が聞こえる。
ああ、これは……そうだ、恋の歌だ。父さんがよく歌っていた。
自然に、口から歌が溢れだす。私の魔力がガルディスに流れ込むのが分かる。二人の魔力が一つの波となり、広がる、高まる。
「ああ……!」
愛している、愛されている。ガルディスが私を強く抱きしめた。そして、
「…………」
「…………」
荒い息を吐きながら、私達は見つめ合う。
……あれ?
私は首を傾げる。
おかしいな、なにこの気まずい雰囲気は。互いの愛を確かめ合った後は甘い感じになるんじゃないの?
ガルディスが肩で息をしながらゆっくりと私の上から退き、床に蹲って叫ぶ。
「くそ……! ちょっと脅すだけのつもりが可愛すぎて歯止めがきかなかった!」
……ん? ちょっと待て、脅すつもりだった?
「俺は、愛するリズに、こんな子供に対してなんてことを!」
ガルディスが床に頭を打ち付ける。
「この変態が! 変態が!」
えっと、どういうこと? 完全に理性がぶっ飛んだ顔に見えたけど、そうじゃなかったの? いや、それより、
「私、もう子供じゃないわ!」
だから、子供に対して、なんて考えは間違っているの!
ガルディスの動きがぴたりと止まる。ゆっくりと私に視線を向け、
「こんな子供に俺はなんてことを!」
また額を打ち付け始める。
だーかーらー、子供じゃないって言ってるでしょ!
「ガルディス、よく見て! 私はもう子供じゃない!」
「俺にとってはまだまだ子供だ! 大切な、愛する、俺の、愛する……。くそ、それなのに……俺が穢した!」
ああもう、何度言ったら分かってくれるのかな。
「死んだリズの父親に何と詫びればいい!」
いや、死んでないから。勝手に殺しちゃ駄目だって。
「こんなことをして、どう責任をとればいいんだ!」
そんな大袈裟な……。ちょっと魔力の波長を合わせて捕食した……いや、冷静に考えてみると結構なことされたかな? でも責任って……ん? 責任?
「…………」
ひゃはあああー! 神だ、今まさに神が舞い降りてきた!
私は蹲るガルディスの髪を両手でぐいと引っ張って視線を自分に向けさせた。
「責任とって!」
「ああ、当然だ。だがどうすれば……」
今だ、今しかない。
私は大きく息を吸い込んで言い放った。
「結婚して!」
ガルディスが目を見開く。
「こんな体じゃもうお嫁に行けない。だからガルディスが責任とって結婚して!」
そうよ、責任と言えばこれだよね。金で解決とかそんなのはいらん。私はガルディスが欲しいのだから。
ほら、返事は?
「…………」
ちょっと、ぽかんと口を開けてないで返事! 『はい』か『分かった』か『かしこまりました』かのどれかで答えてよ。
髪を掴んだまま手を前後左右に動かすと、漸くガルディスがかすれた声を出す。
「なん……だと?」
なによ、その言葉は!
「聞いてなかったの!?」
「いや、聞いてはいるが……」
しっかりしてよ!
ガルディスが体を起こし、顔を顰めて床に胡坐をかく。
「リズ」
「なに?」
「早まるな」
なんですと!?
「今回のことは俺に全ての責任がある。だがしかし、結婚というのはあまりにも突拍子のない話だ」
「なんで!」
何が気に入らないって言うの?
「年齢も容姿も釣り合わない」
年齢は関係ないよ。でも、そういえばガルディスの年齢を聞いてなかったな。
「ガルディスって何歳?」
「もうすぐ二十八歳になる」
はあ!?
「嘘吐くなー!」
どこからどう見ても四十代じゃない! 二十代なんてありえないよ。なんでそんな見え透いた嘘を吐くの?
私の言葉に、ガルディスが眉を寄せる。
「何故嘘を吐く必要がある」
……え。
私はガルディスの顔をまじまじと見つめる。冗談を言っているような表情ではなく、いたって真剣だ。
まさか本当に?
「二十八?」
「そうだ」
「…………」
本当……なんだ。
そ、そんな。こんな顔の二十八歳がいるなんて信じられない。驚異の真実に打ちのめされた気分だけど、いや、こんなことで私の愛は揺るがない。そうよ、ななな、なに動揺してるのよ、私!
よーし任せろ、老け顔どんと来い!
「年齢も容姿も問題ないよ」
しかしガルディスは首を横に振る。
「そういうわけにはいかない。リズは若く可愛いのだから、もっといい相手がいるはずだ。大きくなったらそいつと一緒になればいい」
……ねえ、いったいガルディスには私が何歳に見えているの?
「私はいつまでも子供じゃない」
「だが……」
「私が誰かと結婚すればいいと、本当に思っているの? だったら――」
私はガルディスの顔を両手で挟み込む。
「――なんでこんなに辛そうな顔をしているの?」
ガルディスが顔を歪め、血が出るほど唇を噛む。いや、実際血がだらだら流れてるけどそれは大丈夫なの?
「可愛い娘を盗られたくない」
馬鹿―! まだそんなことを言うか! そうじゃないでしょ!
「私はガルディスの娘じゃない! 私は……、好きなの、ガルディスが好きなの」
飛びついて、ぎゅっと力を込めて抱きしめる。
「山賊でもいい、老け顔でもいい、体臭が気絶するくらい臭くてもいい。私はガルディスが欲しい!」
欲しいって言うか、私のものだけどね!
そう訴えれば、躊躇いがちに抱きしめ返される。
「リズ……」
顔を寄せれば頬ずりされる。痛、ちょ、待、いつもの倍痛いんですけど。針で擦られているような刺激があるんですけど。
「俺みたいなおっさんでもいいのか?」
いや、おっさんって年齢でもないと思うよ。
「いいよ」
とりあえず頬ずりやめようか。
「リズ……」
抱きしめる力が強くなる。
あ、頬ずり終了。心の中でほっと息を吐く。
「では待とう。リズが大きくなるまで」
私も腕に力を込める。
「うん、待ってて。すぐに大きくなるからね。約束だよ」
「ああ。大人になったら、その時こそ――」
二人の間で赤竜が羽ばたきを始める。
ガルディスが誓いのしるしに、私の唇に軽く触れるだけの口づけをする。
「ガルディス……」
よーし、捕獲完了。
いやあ、大捕り物だった。すっかり疲れちゃったよ。
なんだか力が抜ける、あくびが出る。
「リズ、おねむか。まだ起きるには早かったな。もう少し寝るか」
「うん」
ガルディスに抱っこしてもらって二階のベッドへ。
ああ。久し振りに思いっきり抱き合って眠れる。
「リズ」
「なに?」
夢の中へと引き込まれそうになりながらガルディスの話を聞く。
「本当は誰にも渡したくなかった。愛している。放っておけなくて保護して、だが急激に美しくなっていくお前に、俺は……娘としてだけではない愛情を抱き始めていた。幼いリズにそんな気持ちを抱いてはいけないと分かっていたのに……」
「うん」
「もうこの気持ちを誤魔化せない。たとえ幼女趣味と言われ、変態騎士と罵られて職を失ったとしても、俺はお前を離せない」
いや、幼女趣味じゃないから。騎士も辞めなくていいから。安心して、だって私達は……。
「魂の恋人……」
温かくて優しくて、ちょっぴり臭いガルディスに包まれて私は眠った。
そして――。
「……ん」
明るい。朝だ。
うー……眠いけど起きなきゃ。朝ごはん作らないと、ガルディスが仕事に遅れちゃう。
気合で瞼を上にあげて、私を抱きしめているガルディスの顔を見る。
ああ、まだ寝てるじゃない。こうして朝に寝顔を見るのも久し振りだな。
私はガルディスを起こさないようにそっと腕から抜け出して体を起こす。眠気を振り払おうと前屈みの姿勢で頭を振れば、銀の髪がさらさらとシーツを撫でた。
……あれ?
私は髪を掴む。輝く銀髪……は、いいけど、なんだかまた急に長くなったような気がする。いや、長くなっている。背筋を伸ばせば腰のあたりまでの長さになっていることが分かった。それに、
「……うわ」
胸が寝衣を破りそうなくらい大きくなっている。何これ、我ながら大きすぎて引くよ……どん引きだよ……。
「…………」
私はくすりと笑う。
ああ、そうか。
細くて長い指、大きな胸、煌めく銀髪、布団から脚を出せば、すらりと長く美しい。
間違いない。
私、成長したんだ。
年齢と見た目がやっと一緒になったんだね。今まで分からなかった自分の魔力も感じることができる。
ふと視線を上に向ければ、何処から入ってきたのか、部屋の中で精霊たちが踊るように飛んでいる。以前のように光の玉のような姿ではなく、透明の羽が背中に生えた小さな存在がはっきりと見える。
「リズ……?」
隣から聞こえた声。ガルディスが起きたみたい。精霊から視線を移せば、眉を寄せて頭を乱暴に掻きながら体を起こそうとしていた。
「おはよう、ガルディス」
声を掛ければ、ガルディスの視線がこちらを向く。
「ああ、おはようリ……」
間抜け面のガルディスに私は笑う。驚きすぎて声も出ないみたい。
私は手を伸ばす。
約束よ。だからねえ……。
「お嫁さんにしてくれるんでしょう?」
こんなに大きくなったよ――。
腕を首に絡め、呆然としているガルディスの耳元で私は囁いた。
(その後編に続く)




