23 「高揚する」
真夜中、物音で目が覚めた私は体を起こした。
物音は一階から聞こえる。
「ガルディス……?」
結界の張られているこの家に入れるのはガルディスしかいない。
私は一階へと走る。台所から灯りが漏れていることに気づき、飛び込むように入れば、
「リズ……」
ガルディスがいた。
乱れた髪と無精ひげが生えた顔、食事をしようとしていたのか、手には骨付き肉と酒瓶。その姿はまさに山賊だ。
「お帰りなさい、ガルディス」
両手を広げて飛びつけば、ガルディスが慌てて肉を食卓に放って私を抱き止める。
うーん、臭い。ガルディスの体臭と、それから制服から血の臭いがする。ガルディスが怪我をした様子はないので魔物の血なのかな。
「リズ」
「ん?」
首筋に顔を埋めて臭いを嗅いでいた私を、ガルディスが引き離す。
ちょっと、なんでよ!
「やめてくれ」
「え?」
今なんて言った?
「引っつかないでくれ。それからガウンはどうした」
ガウン? 急いでいる時にそんなのわざわざ着ないよ。
「リズ、俺は食事をして風呂に入ってから寝る。もう遅い時間だからお前ももう寝ろ」
私を床に下ろし、ガルディスはふいと視線を逸らした。
……あれ? なんだか素っ気ない。丸一日会えなかったのに、なんで?
「眠くない」
「駄目だ」
「ガルディスと一緒に居る」
「駄目だ」
「なんで!」
どうしてそんな態度なの? 会えて嬉しくないの?
制服の裾を握れば、ガルディスが溜息を吐いて自分の額を拳で殴る。
ひぎゃあ! 何やってんの! 大きな音がしたから絶対痛いよね。
「悪いが、魔物退治で少々高揚している。抑えられそうにないから暫く近づかないでほしい」
「高揚?」
ああ、そっか。戦いで気持ちが高まっちゃってるのか。個人で魔物退治を生業にしている人たちが酒場で暴れたりするのを見たことがあるけど、でもガルディスはそんなことやらなさそうだけどな。
「大丈夫? 魔物、強かったの?」
「魔物は数が多いだけでたいして強くはなかった。だから大丈夫ではない」
強くないのに大丈夫じゃない?
「どういう意味?」
私の手を、ガルディスが制服の裾から引きはがす。
「戦闘による高まりを、思いきり暴れて発散させることができなかった。中途半端に終わったから、体の中でくすぶっている」
ふーん、魔物が弱かったから困ったことになっているんだ。弱いほうが楽に退治できていいと思うんだけど、いろいろと難しいんだね。
一向に二階に行く気配のない私に焦れたのか、ガルディスは酒瓶に直接口を付けて酒を喉に流し込み、空になった瓶を食卓に置いて大股で歩き出す。
「何処に行くの?」
「風呂だ! リズは寝ろ」
乱暴に言い、ガルディスは去っていく。
「…………」
私は空になった酒瓶に視線を向ける。ガルディスがお酒を飲むのなんて初めて見た。かなり辛いのかな。ひとりにしてあげたほうがいい? でも一日ぶりに会ったのに……。
台所から出ると、風呂場から灯りが漏れていた。
あ……、着替え。私は二階に行って、ガルディスの着替えを用意してそれを脱衣所に置いた。
「ねえ、着替えここに置いたから」
「……ああ」
低い返事が聞こえる。なんだか邪魔だって言ってるみたいに聞こえて悲しい。
それから居間に軽食の用意をする。水差しをテーブルに置いて用意が終わった時、ガルディスが風呂から上がってきた。
ちゃんと体を拭いていないみたいで、滴る水が床を濡らす。それがなんだか妙に色っぽく見えて、私はひそかに喉を鳴らした。
「寝ろと言ったはずだ」
「うん。でもお腹が空いているかなって」
「メシは要らない。もう二階へ行け」
ガルディスがソファに寝転がる。
「ベッドに行かないの?」
「ここで寝る」
「なんで? 一緒に寝たいよ」
ガルディスは腕を額に乗せて目を瞑り、何も言わない。
「ねえ、ベッドに行こうよ」
私はガルディスの腕に触れ、
「…………!」
パンッという音がした。何が起こったのか一瞬分からず、でも手の痛みで気づく。
叩かれた。触れた手を叩かれた。
「う……」
痛む右手を左手で押さえる。涙が溢れだし、滲む視界の中でガルディスの顔が歪む。
「……すまない。だが、もうひとりにしてくれ」
向けられた背中。
「ガルディス……」
呼びかけにも動かない。なんで、どうして?
「そんなに邪魔だったの……!? ガルディスの馬鹿!」
分かっている、ひとりにしてほしいって言っているのに引っついていた私がいけなかった。分かってる、でも!
「乱暴男! 最低男! 大っ嫌い……!」
思い切り叫んで私は二階へと走った。ベッドに突っ伏せば、涙が枕を濡らす。
「う……」
手元にあった布で零れる雫を拭き取れば、それはガルディスのパンツだった。そういえばここに置きっぱなしにしていたんだと思い出す。漂う悪臭に、更に涙が零れる。
また大嫌いと言ってしまった。本当は違うのに。
でもガルディスが冷たい態度だから……。
言い訳だと分かっている。また愚かな行為を繰り返している。
目を瞑っても眠れるわけはなく、空は白み始める。そして後悔ばかりが大きくなる。
私はベッドを降りて部屋を出た。薄暗い廊下を歩いて居間に辿り着けば、ガルディスはソファで寝ていた。床には酒瓶が数本転がっている。音をたてないように近づけば、気配で気づいたのか、ガルディスが薄目を開けてこちらを見る。
「まだ起きるには早い」
「うん……」
「寝ろ」
「うん……」
「リズ」
伸ばされた手が、私の右手を掴む。ガルディスはそれを自分の口元へ持っていき、舌を伸ばして舐めた。
「痛かったか?」
訊きながら、ガルディスは私の手の状態を確かめる。
「骨は折れていないな。……悪かった」
私は一度唇を噛みしめて、それから口を開く。
「私も、嫌いなんて言って……」
「それも俺が悪い」
「……うん」
寝転ぶガルディスに、体当たりするように抱きつく。小さな呻き声が聞こえたが、無視して厚い胸板に頬を擦りつけた。
「リズ……っ」
「好き、ガルディス」
「リズ、やめろ」
「なんで? 私のこと嫌いになった?」
「そうではない、そうではなく……」
ガルディスが足を動かす。私はそんなガルディスに体を擦りつけ、
「……ん?」
違和感に首を傾げる。これはなんだろう。
少しだけ体を離して視線を下へ、そして気づく。
赤竜が飛翔しようとしている――。
「あ……」
思わず声を出せば、ガルディスが舌打ちする。
「だから、高揚しているから駄目だと言ったんだ」
え。高揚って精神の話じゃなくて赤竜の話だったの? 魔物退治でこうなるの? この状態で魔物退治をしていたの?
じっと赤竜を見つめる私に、ガルディスがまた舌打ちをする。
「二階へ行け。何をするか分からないぞ」
「え。いいよ」
「リズ!」
すぐ側で怒鳴られて、耳がキンとした。
だって、と唇を尖らせて、睨み付けてくるガルディスを上目遣いで見つめる。
何かあってもガルディスとだし、怖くないかと言われれば大きさ的にちょっと怖いけど、でもきっと大丈夫。
「優しくしてね」
そう言えば、
「……………!」
ぎゃあ! 床に頭ぶつけた!
何が起こった……って、げ! ガルディスが獣の目をして覆いかぶさっている!
あれ? これはまずい感じ? 理性がぶっ飛んでいる表情してるけど、危険じゃない?
大きな手が私の肩を掴み、唇への初めての口づけ……いや、これ違う。吸い込まれてる、噛まれてる、これは――捕食だ!
ぎゃあああ! 喰われる!
こういう時はどうするんだっけ。えーと、えーと、そうだ! 昨日読んだ本に対処法が書いてあったんだ。
まず四肢の力を抜き、無駄な抵抗はしない。それから魔物が満足するまで蹂躙させ、全ての行為が終わって魔物が立ち去った後に解毒薬を飲む。……あれ、解毒薬が無いよ? 薬屋さんに行かなきゃ! って、違う! 何あの本、最低!
こんなの全然駄目じゃない! うう……苦しい。呼吸ができない、どうすればいいの? ガルディスが落ち着くには……、落ち着くには?
「…………」
あれ、もしかして。
ふと気づく、これってここ数日間に私に起こっていた状態がガルディスに起こっているってことじゃない?
つまり、むずむずむらむら。
じゃあ、解消させてあげれば……。そうだ魔力に波長を合わせてすっきりさせてあげれば正気に戻るかもしれない。
朦朧とする意識を気合で留め、私は魔力をガルディスに……。
あれ? 魔力ってどうすれば注げるの? 波長ってどうやって合わせるの?
焦る私の胸を、ガルディスが鷲掴みにする。
嫌あああ! もげるー!




