21 「はじめての……」
今日はガルディスの仕事がお休みの日だ。だというのに……。
「…………」
朝目覚めたら既にベッドにいない。
もう! お休みの日くらいゆっくり寝ればいいのに!
二階の窓から庭を見下ろせば、あ、やっぱり鍛練してる。体を鍛えるのもいいけど、たまにはゆっくり体を休めるのも大事だと思うけどな。
着替えて顔を洗って、それから朝食の準備に取り掛かる。
スープに入れる野菜を刻んでいると、ガルディスが台所にやって来た。どうやら鍛練は終ったみたいで、手に収穫した野菜を持っている。
「リズ」
「あ、お野菜採ってきてくれたんだ。じゃあサラダを作ろうかな」
「そうではなく……、リズ」
「なに?」
何が言いたいのかと首を傾げる私に、ガルディスが真剣な表情で訊いてくる。
「野菜の成長が異常に早いのだが」
あ……。
「何をした?」
えっと……?
私は上目遣いでガルディスを見る。
「肥料をやった」
「それだけか?」
「……早く大きくなれって言ったら大きくなった」
言っただけだよ。そんなことで野菜が育つとか、そんな馬鹿な……ねえ……。
「ふーむ……。そうか」
ガルディスは野菜を私に渡すと、水を浴びてくると言って去っていった。
野菜を手に、私は眉を寄せる。
やっぱおかしいって思うよね。偶然と言うには少々無理があることは分かっているよ、一応。でもどういうことなのか自分でも分からないし……、あ。
ふと思い出す。
もしかして父さんなら何か知っているのかな? そういえば旅に出てから連絡もしていないし、今はこの街に落ち着いて、好きな人ができたことを知らせた方がいいかもしれないな。
「手紙書こうかな……」
呟きながら、野菜をまた切り始める。そして朝食ができあがるころに、水を浴びたガルディスが戻ってきた。
「今日もリズのメシは美味いな」
ガルディスが空になったスープ皿を差し出してきたので、そこにまたたっぷりとスープを注ぐ。今日もよく食べるな。
「リズ」
「なに?」
「食事が終わったら、少し試してみたいことがある」
「試してみたいこと?」
「ああ」
なんだろ?
首を傾げる私の前でガルディスは黙々と食事を摂り、食べ終わると「居間で待つ」と台所から出て行った。
……説明なし? うーん、何をするっていうの?
食事を終えて片付けも終わらせて私も居間に行けば、そこで待っていたガルディスが私をソファに座らせて、床に片膝をついた状態で真剣な表情をする。
な、なんだかちょっと緊張感が漂っているんですけど、どうしたの? これは……そうだ、養子縁組話をされた時と似ている!
「リズ」
「な、なに?」
娘にはならないからね!
しかしガルディスの口から出た言葉は意外なものだった。
「少しだけ、リズの魔力を探りたい」
「ふぇ? 魔力?」
お父様と呼んでくれとか、そんな話じゃないの?
「おそらく普段はリズの体の奥底に眠っていて、歌う時だけ表に出てくるのだと思うのだが、少しそれを調べてみたい」
そうなの? 歌う時だけ魔力が……ねえ。実感全然ないんだけど。
「俺は魔術師ではないから本来はこういうことをしない方がいいのかもしれないが、魔術師を呼んでなにか――特殊な力が見つかったりすれば、リズが俺の元から離される可能性が出てくる」
え、そうなの?
「それは嫌!」
「ああ、俺も嫌だ。リズは、自分が時々歌っていることに気付いているか?」
はい?
「料理をしている時、風呂に入っている時、ベッドの中で」
……歌っている? そんなつもりないけど。
戸惑う私の手をガルディスが握る。
「最近歌に籠められる魔力量が増えているようだ。どんな魔力なのか分かれば万が一暴走した場合も対処のしようもあるかもしれない。だからほんの少しだけどんな魔力か視たい」
うーん、と私は唸る。正直なんだかよく分からないけど、ガルディスが視たいって言うなら別にいいよ。
私は頷いた。
「うん、分かった。でも魔力ってどうやって視るの?」
「俺の魔力をリズの中に侵入させて探る」
「魔力を?」
「あまり深くは潜らず、十分注意もする。危険と判断した場合はすぐに中止にしよう」
「……危険があるの?」
「やり方次第では、な。不安か?」
まあ、危険があるって言われて不安にならない人なんていないよね。でもガルディスは十分注意するって言ってるからそれを信じる。
「いいよ、して」
ガルディスが私の頬を掌で包み込む。
「目を閉じて、力を抜いて」
言われた通りにすれば、あ……、体に何か入ってくる。温かくて優しくて、それが私の内側を撫でるように動き回る。
「くすぐったいよ」
「動くな。ちょっとの我慢だ」
我慢って、そんな……。
頑張って我慢しようとしたけど、なんだか……。
「ガルディス……、体が変」
何かが這いあがってくるような感覚に震える。
「大丈夫だ」
「でも……」
「いい子だ」
急に猛烈な不安に襲われて伸ばした手が何かを掴む。
今触れているこれは、ガルディス?
どうしてだろう。触れているのに不安が大きくなっていく。
引き寄せて、訴える。
「ガルディス、怖い」
熱い。
体がおかしい。
私の中で優しく動いていたものが、荒々しい動きをし始める。
「もう止めて、ガルディス」
そんなに私をかき回さないで。
「ガルディス」
私の声が聞こえないの? 何故返事をしてくれないの?
体が痺れて、膨れ上がって、
「やあ……!」
弾ける――!
「リズ!」
弾かれたように体を跳ねさせて目を開ける。間近にあるのは、汗びっしょりのガルディスの顔。
「大丈夫、か?」
「う、うん……」
ガルディスの指が私の頬を撫でる。
「ひゃあん!」
それに体が激しく反応して大きく揺れる。
「…………」
「…………」
なんか、艶めかしい声が出た。
ガルディスの視線がそっと逸らされる。と、そこで気づいた。
あれ、天井が見える。私、いつの間にかソファに寝かされていたみたい。
「すまなかった。探るべきではなかった」
ガルディスが絞り出すような声で謝罪する。なんだか後悔してるみたいだけど……。
「何も分からなかったの?」
「いや……」
ん? 歯切れが悪いな。
「何か分かったの?」
ガルディスは少し迷い、それから顔を顰めて呟いた。
「……持って行かれそうになった」
んん? それってどういう意味?
「俺の魔力とリズの魔力の波長が合いすぎた。リズの魔力に引きずられかけて、意識も魔力も持って行かれそうになった。つまり……」
つまり?
「……俺が暴走しかけた」
ガルディスが肩を落として大きな溜息を吐く。
「情けない。己の力を過信していた。……これはもう、二度とできないな」
うーん、よく分からないけど失敗だったのかな?
ガルディスがよろよろと立ち上がる。な、なんだかもの凄く悲壮感が漂っているけど大丈夫?
「水を浴びてくる。リズはそのまま動かないで待っていてくれ」
「え……」
動かないでって、そんな。
仕方なく暫くの間じっとして待っていると、ガルディスが帰って来た。
遅い! いつも体を洗っているのか疑うほど早いのに、なんで今回は急にこんなに遅いのよ!
「座れるか?」
ガルディスが支えて座らせてくれるけど、なんだか手が当たったところから熱が広がるような不思議な感覚がする。
「これ……なに……?」
訊けば、少し迷う素振りを見せてから、ガルディスが話し始める。
「互いの魔力の波長を上手く合わせると、肉体を繋げるのと同じかそれ以上の快感を得ることができる。魔術師の中にはそういう遊びを楽しむ奴らもいるが……、今回俺はそんなつもりは一切なかった。ただ探るのに使っただけだったのだが……」
はい? 快感?
ガルディスが大きな体を丸めて、憔悴しきった表情で私を見つめる。
「すまない……」
うわ……。
こんなガルディスは初めてだ。完全に、自信を無くしている人の表情だよね。
どうしよう、慰めなきゃ。どう言えばいい? えっと、えっと……。そうだ!
「大丈夫だよ。私……とっても気持ち良かった!」
うん、始めは何が起こっているのか分からなくて凄く怖かったけど、でもあれは今まで体験したことがない快感だったな。できればまたしてほしいくらい……、ん?
先程体験したことを思いだしながらガルディスを見ると、目を見開いて真っ青な顔をしている。
あれ? 私、なんか間違った?
「お、俺は、リズの初めてを……!」
なんだか様子がおかしい。
「ガルディス?」
手を伸ばして触れれば、ガルディスの体が大きく震える。それと同時に私の体にも痺れるような甘い感覚が走る。
「触るな!」
ガルディスの怒鳴り声に、私は体を竦ませた。
「……え?」
なんでそんなに怒るの?
ガルディスが視線を彷徨わせる。
「違うんだ。リズは、大切にしたい、ただ一人の、俺の……」
そして突然ガルディスは、床に這いつくばるような姿勢になる。どうしたのかと戸惑っていると……。
「ふんごおおお!」
ぎゃああ! 床に頭を打ち付け始めた!
「なんてことを、俺はなんてことを……!」
あああ、やめてガルディス! 怪我しちゃう、うああ、血が……!
「大切な、大切なリズの初めてを、こんな形で、こんな……、俺が穢した……!」
初めてってなんの話よ!
穢されてなんていないから、むしろ穢されたいから!
結局、ガルディスが落ち着いたのはそれから数時間後で、打ち付け続けた額には大きなたんこぶができたのだった。




