19 「変な人とやっぱり軟禁されている私」
暇だなー。遊びに行きたいなー。
黙って外出していたのがばれてから、当然勝手に買い物に行くことはやめた。だけど、一度自由を知っちゃうと恋しくなるものだよね。
外に出たいな。でも危ないって心配されるからもう絶対駄目だよね。
溜息を吐く。
昨夜はガルディス先生による、第八回目となる性に関する教育が行われた。生々しいのを通り越して、内容は神話の世界の物語に突入した。もう何を伝えたいのか分からないところまでいっちゃってるよ。
私のことを大事にしてくれているのは分かるんだけど、やっぱりちょっと大げさだよね。
家事は午前中に終わらせちゃったし、せめて庭に出ようかなと私は立ち上がる。そうだ、畑の作物に肥料をやろう。そろそろ肥料をやらなくてはならないとガルディスが呟いていたのを今朝聞いたんだった。
私は外に出て庭の倉庫から肥料を出すと、それを畑まで持って行って肥料をまいていく。野菜の種は可愛らしい芽を出して、順調に成長している。このまま上手く育つといいな。
「大きくなーれ、大きくなーれ。甘い実になれ」
歌うように芽に語りかける。すると、
「ひゃ……!」
な、なんで!? 芽がぐんぐん大きくなっていく!
私の膝の高さを越え、腰、胸……。
「…………」
ひ、肥料って凄いなあ! こんなに成長するものなんだ。ははははは! 決して私が大きくなれって言ったからじゃないよね!
あ、もう収穫できそう。ハサミと籠を用意しなきゃ!
赤やら黄色やら緑やら、濃く色づいた実から視線を逸らし、肥料を置いて玄関に向かう。
今夜は新鮮な野菜が沢山食べられるぞ。うん、良かった良かった。
自分に言い聞かせるように頷きながら玄関ドアの前まで行く。すると、
「へえ、面白いことができるね、君」
突然掛けられた声に飛びあがった。
「だ、誰!?」
声がした方向を見ると、家の門の前に男が一人立っている。
「…………!」
その男を見て、私はまた驚く。
な、なんなの、このいい男は!
黄金の髪に緑の瞳、すっと通った鼻筋。中性的な美しさの父さんとは違い、男らしい美しさって言うのかな。アーモンド形の目を少しだけ細め、私を見つめている。
男はおそらく上流階級の者なのだろう。服もブーツも装飾品も一目で高級品と分かるものを着ていた。
「優しき魔獣にその身を捧げた生贄の少女って、君のことだね」
……はい? なんですかそれ?
「凄いな。あのガルディスがこれ程までに執着するなんて。女にうつつを抜かすような奴ではなかったのに、それが……」
男が口元を手の甲で押さえて笑う。
んん? 一見上品に見えるけど、なんだかちょっといやらしさが含まれていると言うか、そんな笑い方だな。
「失礼。もう少し側まで来てくれないかい?」
男が私に微笑みかける。
……なんか、怪しい。
「そんなに遠くに居たら話し辛い。聞きたくない? ガルディスのこと」
ん? ガルディスのこと?
「君の知らないことを色々と知っているよ。たとえば……滅多に酔うことはないが、酔ったら凄いとか」
何が凄いか聞きたい? と意味ありげな視線を向けられ、私はごくりと唾を呑む。
な、なに? 何が凄いの?
警戒しつつ、ゆっくりと男に近づく。
「……あなた誰?」
門の内側で足を止め、私は男に訊く。
「レクと呼んでくれ」
「何者? ガルディスの知り合い?」
「ああ、そうだ」
「ガルディスは仕事ですよ」
そう言えば、男――レクは頷いた。
「知っている。久し振りに会いたいとも思うが、何しろ時間が無い。急がなくては隣国の王城で行われる式典に間に合わなくなるのでね」
「隣国の式典?」
あれ? 確かお姉さん夫婦が立ち寄った時も隣国の式典が……って言ってたよね。こんな短期間でまた式典があるの? どれだけ式典したいのよ、隣国。
レクは門を見て、家を見て、それから私に視線を戻す。
「成る程。これは溺愛……いや、狂愛か。君は軟禁されているんだね。もし逃げたいのなら力を貸すが、どうする?」
……はい? 軟禁? また軟禁ですか?
ガルディスのお姉さんといい、なんで私が軟禁されているって言うかな。そりゃまあ自由に外に出ることは禁止されちゃったけど、別に閉じ込められているわけでもなんでもないのに。
「私、軟禁なんかされてないですよ」
不愉快だ、という顔を向ければ、レクが片眉を上げた。
「気づいていないのかな?」
気づくって何に?
レクが空中に手を伸ばす。すると、
「ひゃあ!」
バリバリと大きな音がして、目の前で稲妻みたいなものが横向きに走った!
そのうえ、炎が敷地を取り囲むみたいにして空高く渦を巻く。
「いやあ! 燃える!」
思わず叫べば、目の前から笑い声が聞こえる。
「大丈夫。君は絶対に怪我一つしないようになっている」
レクが手を下ろすと、稲妻も炎も消えた。周囲は元の通り、燃えた形跡も何もない。
「な、なんだったの?」
私の疑問にレクが答える。
「結界だ。許可なく敷地内に入ろうとする者を追い返すためのものだね」
追い返すというか、命が無くなるんじゃ……。それにしても、
「結界?」
なにそれ?
「ガルディス、腕を上げたな。こんな複雑な術を施すとはね」
え。それってまさか。
「……これ、ガルディスがやったの?」
これは魔術、だよね。え? ガルディス魔術使えるの?
混乱する私にレクは訊く。
「で、どうする? ここを出てわたしと一緒に来るかい?」
甘く囁くような声が耳を擽る。だけど視線を合わせれば気づく、レクの目の奥にある鋭い光に。
……もしかしてこの男、私をここから連れ出そうとしている?
私は首を横に振った。
「知らない人に付いていっちゃいけないって、ガルディスに言われているから」
「軟禁されているのに?」
「私は自分の意思でここに居るの。そしてあなたを信用していない」
少しだけ強めの口調で言い放つ。もしかして怒るかな、と思ったけど、私の言葉を聞いたレクは頷いた。
「いい判断だ。わたしについてきても、別の場所で軟禁されるだけだっただろうからね」
ふぎゃあああ!
私は目を見開き、心の中で叫んだ。
この男、私を軟禁するつもりだったのか!
睨み付ければ、レクがふっと笑う。
あれ? なんだか雰囲気が変わった? 目の奥の人を刺すような光が無くなったような……。
「うん。君が納得してここに居るのならそれでいいよ。この結界も、ちょっと大げさすぎるが君には必要だろう。――ねえ」
「な、なに?」
なんだかこの人、よく分からないな。
「ガルディスが好き?」
「え? 好きよ」
当然だと答えれば、レクが苦笑する。
「即答だね。ガルディスが羨ましいよ。彼はわたしが欲しても得られないものをいくつも持っている」
レクが私に向かって手を伸ばす。途端に響く轟音。
ぎゃああ、稲妻が、炎が! 燃えてますよ、腕が燃えてますよ、いいのそれ!?
結界を無理矢理破るつもりなのだろうか。レクの手が目の前まで迫る。そして、
「…………!」
驚いて動けない私の喉に、レクの指先がちょんと触れた。
な、なに?
ふわりと漂ってくる爽やかな香りを残し、レクは腕を結界外に戻した。
呆然とする私にレクは悪戯っぽく笑う。
「ガルディスともっと仲良くなれるおまじない」
「お、おまじない?」
喉に手を当ててみるが、特に変わった様子はない。
「ああ、そろそろ出発時間だ。式典に間に合わなくなるから残念だけどもう行くよ」
「もう行くって……、その格好で?」
結界内に無理矢理侵入しようとした結果、レクの服は焼け焦げてぼろぼろ、艶やかだった髪も稲妻に打たれたうえに燃えてちりぢり、端正なお顔が煤で汚れていますよ。
しかしレクは問題ないと言う。
「むしろ好都合だ。この姿なら女性達が寄って来ることはないだろう」
そうなの? それで式典に参加するの?
「じゃあまた会おう。今度は王都でね」
レクは片手を挙げて身を翻し、去っていった。
……なんなの、あの人。なんだか疲れた。
私は大きな溜息を吐く。
それに結界って……。
そっと空中に手を伸ばす。私が触っても、結界は反応して炎と稲妻が出るのかな?
怖いけど、確かめてみたい。震える手をさらに伸ばせば、
「…………?」
こつん、と指先が当たる感覚。
あれ?
今度はしっかり手を伸ばす。
んん?
私は眉を寄せて、見た目では何もない空間を拳で叩いた。
何これ。炎も稲妻も出ないけど、代わりに透明な壁のようなものがあって、そこから先に行けない。
庭へまわり、塀の上に手を伸ばす。そこにも透明の壁。もちろん裏にも。この家は完璧に囲まれている。
「…………」
うん。軟禁されてるね、私。ここから出られないね……。ははははは……ハッ!
そうだそうだ、そろそろ夕食の準備にとりかからなきゃ!
「野菜、収穫しよっと」
私は動揺を誤魔化すように呟いて、籠とハサミを取りに家の中へと入った。




