2 「ここから始まる共同生活(強制)」
「ほら、着いたぞ」
家に着いたら下ろしてくれると言った警備隊長は、しかし私を抱えたまま玄関を開けて中に入り、そのまま家の中を歩いた。
「ここがトイレだ。おしっこは?」
まずトイレに案内か。まあ漏らされても困るだろうしね。
「大丈夫なのか? じゃあ次に行くぞ」
続いて台所。食卓が置かれている。それから居間に連れて行かれる。
居間は大きなソファとテーブルが置いてあって、壁際に収納棚もある。その収納棚の引き出しの一つを警備隊長が開ける。
「え……」
私は引き出しの中のものを見て、目を見開いた。引き出しには紙幣が無造作に詰め込まれていた。
「金はここだ」
いや、そんななんでもないことのように言うけど……。
「見せていいの?」
「何がだ?」
何がって、お金のことに決まっているでしょう。
「だって、盗んで逃げるかもしれないよ」
会ったばかりの人間に見せていいものではない。できれば私もこの金を握りしめてとんずらしたいくらいだ。
しかし警備隊長は私の目をじっと見つめて真剣な表情で断言する。
「盗まない」
「え……?」
「お前はそんなことしない」
「…………」
なんなのこの人。なんでそんなこと言えるの?
「それから、お前は何処にも行かない。ここで俺と暮らすんだ。俺は一度懐に入れた者は絶対に守る。勝手に何処かに行こうなんて思っても、絶対見つけて連れ戻すからな」
こつんと額を合わせられて、私は思わず震えた。
ひえええ! この人、もしかしてかなり危ない感じ? ここで暮らすんだって、絶対連れ戻すって、なにその付きまとい宣言!
「よし、風呂に入ろう」
衝撃さめやらぬ私を警備隊長が風呂に連れて行く。
「ほら、ここが風呂だ」
見せられた風呂場に、私はまた驚いた。
うわ、お高い魔道具が備え付けられている。これって確か簡単に湯が出る魔道具だよね。庶民の家にはないものだよ。
この家に魔道具、引き出しのお金……。もしかして結構お金持ち?
「ここに手をかざすと湯が出てくる。もう一回かざすと止まる。それだけだ。温度は自動調節されるから気にしなくていい」
自動調節って、なにそれ。そんなことできるの? 意味が分からないよ。
「じゃあ脱ぐか」
そう言うと、警備隊長は私をやっと床に下ろした。足の裏に当たる硬い感触に安堵していると、警備隊長が私の服の裾を掴む。
ん? ちょ、ちょっと待って!
「やだ!」
なに脱がそうとしてるのよ!
慌てて警備隊長の手を叩く。警備隊長は叩かれた手を見つめ、それから首を傾げた。
「なんだ、どうした。脱がないと風呂に入れないぞ」
そう言いつつ、また脱がそうとしてくる。
「嫌!」
もう一度手を叩いたら、眉を寄せて少し考え、「ああ……」と納得した様子で頷いた。
「風呂が怖いのか。大丈夫だ、俺が一緒に入るからな」
一緒に入る気だったのか!
私は一歩後ろに下がった。
「一人で入れる」
「遠慮するな」
遠慮じゃないわ!
「一人がいい。隊長さんはあっち行ってて」
廊下を指させば、警備隊長は不満げに顔を歪めた。
「ガルディス、だ。俺の名前教えただろう。ほら言ってみろ」
……はあ?
「ガ・ル・ディ・ス。ちょっと発音が難しいか?」
ば、馬鹿にしないでよ。それくらい簡単に言えるわよ。
「ガルディス」
そう呼べば、笑顔で頭を撫でられる。
「よし、そうだ。上手に言えたな、偉いぞ」
いい子だいい子だ。そう言いながらこれでもかというくらい頭を撫でまわしてくる。もう、なにこの人……。
「一人でお風呂に入れるから、ガルディスはあっちに行ってて」
そう言い直せば、警備隊長……じゃなくてガルディスの顔がまた歪んだ。
「大丈夫か?」
「大丈夫!」
そうか、とガルディスは風呂場の道具を順番に指さす。
「これが体を洗う石鹸、こっちが洗髪剤」
うん、知ってる。
「体を洗う布はこれを使え。よーくごしごしするんだぞ? それから風呂から上がって体を拭くタオルがこれ。歯ブラシはこれを使え」
脱衣所の棚から新品らしきタオルや歯ブラシを出してくるガルディス。洗面台も置いてあるから、ここは脱衣所兼洗面所なんだね。
「着替えだが……」
「持ってる」
「やっぱり俺も一緒に……」
「嫌!」
ガルディスを廊下に追い出し、しっかりと鍵を掛ける。ここのドア鍵付きでよかった。
ほっと息を吐き、私は服を脱いで風呂に入った。
風呂なんて久しぶりだな。前に入ったのって、いったいいつだったっけ? いつも濡らした布で体を拭くことくらいしかできなかったので、正直風呂に入れるのは凄く嬉しい。
ゆっくりと浸かって、体がふやけきった頃に漸く風呂から上がって歯磨きも済ませた私は、脱衣所のドアを開け、
「ひ……!」
手に持っていたものを全て落とした。
「よし、ちゃんと風呂に入れたようだな」
よし、じゃない! な、なんでこんなところに座っているの? まさかずっとここに居たの?
「俺も風呂に入るからちょっと居間で待っていろ。ああ、喉が渇いているのなら台所に行って水でも飲んでおけ」
そう言ってさっさと脱衣所に入ったガルディスは、ドアを閉めることなく服を脱ぎだした。
「…………!」
私は慌てて落とした荷物を拾うとドアを閉めて台所へと向かい、そこで水を飲む。よく見れば台所にも、手をかざすだけで水が出る魔道具が設置してあった。
水を飲み干して、私は大きく息を吐く。風呂場の石鹸はいい香りがした。たぶん高級品なんだろう。
「警備隊長って、給料がいいのかな?」
首を傾げていれば、
「ここに居たのか」
はや! なんでもう風呂から上がってるの? よーくごしごししてないでしょ!
台所に入って来たガルディスにぎょっとする。
ガルディスは隣まで来ると、私が手に持ったままのコップを取り上げて、それで水を飲んだ。
「じゃあ寝るか」
え……。もう? まだ夜になったばかりって時間なんですけど。
ガルディスがコップを流しに置いて私を抱き上げる。
「歩ける」
「遠慮するな」
遠慮じゃないってば……。
ガルディスは階段を上がって二階へと行く。二階は三部屋あるみたい。そのうちの一部屋に入る。
広い部屋だ。部屋の真ん中に大きなベッドが置いてある。それから壁際に収納棚が並んでいる。クローゼットと、小物を片付けたり本を並べる棚だ。この大きな男が使うにしては小さな机も置いてある。
ガルディスはベッドへ行き、私が手に持っていた鞄をぽいと壁際に放り投げて寝転がる。
「ぎゃあ!」
抱きしめられて悲鳴が出た。
「おお、ガキは暖かいな」
頬ずりするな、髭が痛い! いや、それより……。
「待って」
「ん? なんだ?」
「なんで一緒に寝るの?」
だって部屋は余っている。だからわざわざ一緒に寝る必要なんてない筈だ。
「ああ、部屋は確かに余っているが、ベッドはこれ一つしかないからな」
な、なんだって!? 騙された!
「ソファに……」
行こうとしたが、ガルディスの拘束が強すぎて全く動けない。
「遠慮するな。お前は小さいから一緒に寝ても全然狭くない」
そういう問題じゃないんだってば!
「ほら、いい子だ。寝るぞ」
靴を脱がされ、頭を撫でられる。背中をあやすように叩いてくるガルディス。
う……。悔しいけどなんだかちょっと心地いいような……。
「なんかお前、いい匂いがするな」
いやあああ! 首筋の匂いを嗅ぐな!
ああ、なんでこんなことになったんだろう。
預かり札を落としたりするから……。もう、時間が無いのに……。
「子供ってこんな匂いがするのか。初めて知った」
だから、いつまで匂い嗅いでるのよ。
「眠れないのか? 子守唄を――」
「いらない」
「……そうか」
がっかりしないでよ。歌いたかったの?
ガルディスが私の背中をまたあやすように叩き始める。
「おやすみ、リズ」
「……おやすみ」
私はそっと溜息を吐く。厄介な男に捉まってしまった。もう旅を続けることはできないのか。じゃあ……。
思わず体が震える。そうしたら、ガルディスが強く抱きしめてきた。
「怖いことはなにもない。安心して眠れ」
あんたのせいで困ったことになってるの! というか、いきなり連れて来てこんなことするあんたが一番怖いわ!
ああもう駄目だ。でも嫌だ。だけど……。
目を閉じる。
私、死亡――。