18 「街で噂のお嬢さん魔獣に攫われる」
私が作った朝食を、ガルディスが食べる。
「美味しい?」
「ああ」
今日もガルディスは朝からよく食べる。早朝から鍛練してたからお腹が空くんだよね。
「パンのお代わりはいかが?」
「貰おう」
思わずうふふと笑えば、訝しげな視線が向けられる。
「新婚さんみたいだね」
「なに?」
ガルディスが眉を寄せた。え、なんで?
「結婚したいのか?」
「そりゃまあ……」
したいよ、というか決定してるよ。ガルディスが知らないだけで。
ガルディスの眉間の皺が深くなる。
「誰か好きな奴でもいるのか?」
「え……?」
言っていいの? じゃあ言うよ。
「それは……」
と、答える前にガルディスが大きな声を上げた。
「お父様は許さんぞ!」
お父様って、違うでしょうが!
ちょっとは意識してくれているのかと思いきや、まだまだ娘くらいにしか思われてないのか。
「俺の可愛いリズが欲しいなら、条件を満たしてから来い!」
ガルディスが空中を睨み付けて言い放つ。まるで幻の求婚者を相手にしているみたい。
でも、
「条件ってなに?」
そう訊けば、ガルディスは鼻を鳴らして教えてくれた。
「そうだな……。まずは定職についていること」
まあ、基本だね。
「それなりの資産があること」
そうだね、お金は大事だから。
「嫁姑問題がないこと。相続争いが無いこと。権力争いにリズを巻き込まないこと。交渉の道具にリズを使わないこと。己の虚栄心を満たすためにリズを見せびらかさないこと」
う、うん? まあ、そうなのかな?
「リズに優しいのは勿論、リズと並んでも見劣りしない端正な顔立ちをしていて頭脳明晰、近づけば爽やかな香り、声は凛と響き、だが二人きりの時は蕩けるほど甘い。背は高く、一見細いようでも体を鍛えていて脱ぐと逞しい。当然剣の腕前は一流。魔力が高くて魔術も得意。何があってもリズを守り通すと誓える者」
端正な顔立ちはともかく、弱いよりは強いほうがいいね。脱いだら凄いじゃなくて脱がないでも凄いでも一向に構わないよ。それに汗臭くても平気だもの。
「妻はリズ一人で当然浮気はしない。仕事が忙しくとも週に一度は一緒に出掛け、リズには金を惜しみなく使い、年に一度は旅行に行く」
うん、浮気は論外だよね。
「それから何より――」
ガルディスが拳を握りしめて声を張り上げる。
「夜の仕事が超一流!」
それ一番大事!?
いや、まあ大事だろうけども。でも、条件がちょっと厳しくない?
「そんな人いるのかな?」
物語の中に出てくる王子様くらいじゃないの?
首を傾げて訊けば、ガルディスは興奮が収まらない様子で鼻からふんふん息を吐いた。
「さあな」
さあな、って……。
「絶対いないでしょう」
そんな条件満たす人がいたら見てみたいよ。
「さがせば何処かにいるかもしれ……」
ガルディスの言葉が止まる。どうしたのかな?
「……居た」
苦々しげに舌打ちをして、ガルディスは額に手を当てた。
「え? 居るの? そんな人が?」
本当に?
驚く私に、ガルディスは顔を顰めて答える。
「ああ。騎士学校で主席だった奴だ」
そういえばガルディスは次席だったっけ。
へえ、主席は物語の王子様みたいな人だったんだ。現実に存在することが驚きだよ。
ガルディスが項垂れて唸る。
「しまった。何か奴に当てはまらない条件は……、くっ、何がある?」
もの凄い真剣に考えてるけど、えーと……。
「私はそんな条件の男よりも、ガルディスの方が魅力的だと思うけどな」
その言葉を口にした途端、ガルディスが目を見開いて弾かれたように私を見る。
「リズ……」
ガルディスの手が私に向かって伸ばされる。そして私は宙に浮き、次の瞬間にはガルディスの膝の上に居た。
「そうか、そうだな。まだまだ嫁に行くには早いな」
そうじゃなくて、ガルディスが一番いいって言ってるんですけど!
唇を尖らせる私にガルディスは頬ずりをした。
そうこうしているうちに、ガルディスが仕事に行く時間になった。急いで食事を終らせて身支度して、ガルディスが私の頭を撫でる。
「行ってくる。いい子にしていろよ」
「うん」
「外には出るなよ」
「うん」
素直に頷くと、ガルディスはもう一度私の頭を撫でて仕事に向かった。
さて、じゃあ洗濯掃除をやっちゃいますか。
汗臭い服や強烈に臭い下着をたらいの中で洗う。結構な重労働だ。ガルディスには洗濯が楽になる魔道具があるから買おうと言われたけど、こうして一枚一枚愛情込めて洗っていくのが好きだから要らないと断った。
洗濯物を外に干して掃除をする。毎日掃除をしているから、家の中は塵ひとつない状態だ。うん、今日も完璧に仕上がった。
私は時計を見る。
庭の草むしりや畑の世話は鍛練のついでにガルディスがやってくれているし、昼食の準備をするまでまだ時間があるな。
よし、じゃあ……。
私はエプロンを外して台所の椅子に掛け、棚から籠を引っ張り出した。それから居間に行き、引き出しからお金を取り出してそのお金を巾着袋にしまい、玄関から外へと出た。
玄関ドアはしっかりと鍵を掛ける。ノブを引っ張って開かないことを確かめてから、鍵を巾着袋にしまう。
実はこの鍵、先日掃除をしていた時にベッドの隙間から見つけたのだ。もしかしてと玄関ドアで試してみたら大正解。おそらくガルディスがポケットに鍵を入れたままベッドに寝転がりでもして落としたのだろう。
この鍵のおかげで鍵が掛けられるようになり、空き巣の心配なく外出ができるようになった。実はもう既に二度、一人で商店街に買い物に出かけている。と言っても、ガルディスには外出していることは内緒だ。外は危ないから勝手に出るなと言われているからね。
でも元々旅をしていたから外歩きには慣れているし、そして何より成長して綺麗な服を着た姿で買い物したり散歩したりしてみたいじゃない。いろんな人に見てもらいたいじゃない。要するに自慢したいの!
本当に「凄いでしょ」なんて口にするわけじゃないよ。心の中で成長したんだよって言いたいの。商店街のおじさんやおばさんに、綺麗なお嬢さん、なんて言われて満足したいの。
ということで、足早に商店街へと向かう。
すれ違う人たちの視線が心地いい。そして私が商店街に到着すると、すぐにいろいろな店から声が掛けられた。
「お嬢ちゃん、こっちおいで。美味しい林檎があるよ」
「野菜はどうだい、安くするよ」
「若いんだから肉だろ?」
「いいや魚だ」
ここの商店街は活気があるな。一件一件回って、試食させてもらったり購入したりする。そんなことをしていたら、
「なあ、彼氏っている?」
野菜を渡されながら若い男の店員さんに訊かれる。
「んー、好きな人はいるよ」
「好きな人? 彼氏じゃなくて?」
店員さん、なんだかやたら驚いてるな。
私は頷いた。
「うん。でもその人と結婚するよ」
「え。彼氏じゃないのに結婚?」
首を傾げられたので、軽く説明する。
「うーんと、振り向かせてみせる的なやつ?」
「ええ!? あんたみたいな美人に惹かれない奴なんているのか!?」
きゃあ! 美人だって!
野菜もう一つ買っちゃおうかな、なんて思っていたら、周囲の店から声がかかる。
「どんな奴なんだ?」
「そんな奴やめて俺にしろよ」
店員さん達が集まってくる。
「あはは。ありがとう」
なんて笑顔で軽くお礼を言ったけど、よく見たら店員さん達の表情、結構真剣な感じだ。あれ? なんだか急にモテ始めている……?
「なあ、名前教えてくれよ」
えっと……。
「何処に住んでいるんだ?」
「また買い物に来るよな」
「観劇とか興味あるか?」
「おいお前、狡いぞ。抜け駆けすんなよ!」
「ここはこの爺に任せてひよっ子どもは帰れ」
「なんだと、じじい!」
「お嬢ちゃん、うちの息子、安くしとくよ!」
な、なんか人だかりができ始めた。これはちょっと不味くない?
籠を握りしめてもう帰ろうかなと思った時、
「何の騒ぎだ!」
商店街に響く、この野太い声は!
「ガ――」
「優しき魔獣だ!」
「優しき魔獣が現れたぞ!」
……え?
周囲の人たちがざわめいている。
なんなの、その『優しき魔獣』って?
首を傾げる私の目の前で、人々がザッと音がする勢いで道の端に下がる。
「お嬢ちゃんも!」
慌てた様子で男の一人が私の腕を引っ張る。
道の端に避けなきゃならないの?
戸惑いつつ近寄ってくる慣れた気配に視線を向ければ、
「げ……!」
思わず下品な叫び声が漏れた。
ガルディスが、ガルディスが目を吊り上げて私を見ている!
ガルディスの表情に、周囲のざわめきが大きくなる。
「優しき魔獣がお怒りだ!」
「お怒りだ!」
だから、
「その優しき魔獣って何よ……」
呟けば、私の腕を引っ張っている男が教えてくれる。
「獰猛な魔獣の見た目と身体能力を誇りながら、人間のように優しい騎士様だよ」
人間のようにって、人間だから。言ってることが滅茶苦茶だよ。
別の男が教えてくれる。
「以前、商店街に入りこんだ強暴な魔獣を、たった一人で退治なさったことがある凄腕の魔獣だよ」
いや、もうそれじゃ完全にただの魔獣じゃない。それに、違うでしょ?
「魔獣じゃなくて山賊だよ」
そう言えば、おお、と周囲が頷く。
「山賊にも見えるな」
「いやしかし、戦う姿はまさに魔獣だった」
「戦わなくても魔獣みたいじゃないか」
「じゃあ魔獣の山賊で」
よし、話が纏まった。……じゃなくて!
「いつも穏やかな魔獣様がお怒りだぞ」
「供物が必要なんじゃないか?」
「じゃあみんなで少しずつ持ち寄るか」
なんて言いながら、商店街の店主たちが野菜や果物を用意し始めたところで、
「リズ!」
ひええ、そうだよね。やっぱり怒っている原因は私だよね。勝手に外に出たからだよね。
近くまで来たガルディスの視線が私の腕に注がれる。
ん? 腕?
ああ、男の人に掴まれたままだっ……、
「手を離せ! 俺の可愛いリズを貴様にはやらんぞ!」
うああ、ガルディスが吠えた。
怒鳴られた男が飛びあがって私から手を離す。可哀想に震えてるよ。一般人脅かしちゃ駄目じゃない。まあ私が怒らせちゃってるんだけどね……。責任とってこの状況を何とかしなきゃ。
「ガルディス」
一歩近づけば、ガルディスの眉間の皺が深くなる。
「こんなところで何をしている」
地を這うような低い声に私だけじゃなくて皆が震えあがる。
「お、お買い物がしたかったの……」
うう……、怖い。
「最近驚くほどの美少女が商店街に現れるという噂を聞いて、もしやと思っていたが……」
そんな噂になっていたの?
「ご、ごめんなさい」
「外出がしたいなら言え」
「うん」
ガルディスが私を抱き上げて、片腕抱っこをする。
「買い物は終ったのか?」
あ、ちょっとだけ怒りが収まった? 声がいつもと同じ感じになっている。
「まだ。お肉買ってない」
「じゃあ買って帰るか」
「うん」
ガルディスが私の頬に軽く口づける。でも顔を見ればまだ眉間には皺が寄ったまま。
もう許してって気持ちを込めて、こちらからも口づける。頬じゃなくて唇の端に。
「…………!」
ガルディスが目を見開いて、それから優しく笑い、もう一度私の頬に口づけてくる。
あ、良かった。怒りは収まったみたい。
何故か周囲からは断末魔みたいな悲鳴が上がってるけど、まあいいか。
それから買い物をして、供物を捧げられて、家に戻って、もう一度ガルディスは仕事に出かけた。勿論私に勝手に外に出ないように釘を刺してからだ。
さて、食事の準備をしようかな。迷惑をかけたお詫びに美味しいのを作るぞ!
その後、私が一人で出かけることはなかった。
だから街で、『優しき魔獣に攫われた美少女』のお話が尾ひれを思いっきりつけて広まったていたことなんて、しかもそれが他の街まで広がっていたことなんて、当然知らなかった。