16 「暗殺者とおっとりさんと軟禁されているらしい私」
目が覚めると、ガルディスの姿はベッドには既に無かった。
またか!
私は頬を膨らませて、ついでに枕に八つ当たりの一発をかましてからベッドから降りた。窓に近づき庭を覗き込むように見ると、ガルディスが剣を振っているのが見える。
以前は私が起きるまで一緒に居てくれたのに、怒涛の成長が始まってから、ガルディスは私が起きるより先に起きて庭で鍛練を始めるようになってしまった。
それだけじゃなくて、抱っこも口づけも減ったし、こちらが拒んでも強引に一緒に入ってきた風呂さえ、「大きくなったのだから一人で入りなさい」と言ってくるようになった。そう言われると逆に一緒に入りたくなるじゃない!
私はしなやかに伸びた自分の腕を見る。以前買ってもらった服は小さくなって着られなくなり、今ではガルディスのシャツを借りて着ている。
新しい服を買ってくれるって言われたけど、すぐに成長するから勿体ないよね。このシャツだって初めは大きすぎるくらいだったのに、今では太ももがちらりと見えるまでになってしまった。はしたない、なんて注意されるけど、家の中だからいいじゃない。
寝巻にしていたシャツを脱いで別のシャツに着替える。胸は……うーん、ちょっと透けてるけどこれくらいならいいよね。あんまり透けるとガルディスが怒り出すんだよ。女の胸を見たら普通は喜ぶものじゃないの?
もしかして興味がないのかとも思ったけど、そういう系の本をしっかり所持しているから、興味が無いわけではないんだよね。
……それにしても、最近また胸が大きくなったな。どこまで大きくなるんだろ。
私は一階に下りて、顔を洗って長い前髪を髪留めで纏めてから朝食の準備を始める。そして朝食を作り終える頃、ちょうどガルディスが家の中に入ってきた。
「おはよう」
台所から顔を出して声を掛けたら、微かに眉を寄せられる。
……え。挨拶もなしに朝から不機嫌な感じ?
「リズ、上に何か羽織れ」
「透けてないよ」
「透けている。それに屈んだ時に尻が見えそうだ」
見えそうなだけで見えないのに。
「見えてもいいよ、ガルディスしかいないんだから」
「駄目だ」
もう! すっかり口うるさいおっさんになっちゃって!
頬を膨らませれば、頭を撫でられる。
「リズの為に言っているんだ、分かってくれ。先日教えただろう?」
ああ、あの性教育第三弾か。回を追うごとに内容が生々しくなっていくんだけど、それはいいのかな?
水を浴びてくると、ガルディスは風呂場へと行く。仕方がないから羽織るものを探しに行くか。
私は階段へと足を向ける、しかしそこで、
カンカンカンカン!
大きな音が響いた。
……なに、この音は。もしかして玄関ドアの横に吊るされているベルの音かな? ということは来客?
もう一度ベルが鳴る。
どうしようかと風呂場に視線を向けるが、ガルディスには聞こえていないみたいで出てこない。
呼びに行った方がいいかなと考えた時に、またベルが鳴る。うわ、しつこい。そして鳴らし方が激しい。
もしかして緊急の用事があるのかな? 用件だけ先に訊いた方がいいかも。
そう思った私は玄関ドアに近づくと、開けることはしないで外に居る人に向かって話し掛け、
「…………!」
ようとしたけど勝手にドアが開いた! ガルディス鍵を掛けてなかったの? いや、それより、
「…………」
「…………」
立っている人物と目が合った。そして次の瞬間、
「ぎゃああああ!」
私は悲鳴を上げた。
「どうしたリズ!」
風呂場からガルディスが飛んでくる。あ、全裸だ。ってそれどころじゃない!
私はガルディスにしがみついて、玄関に立つ男を指さした。
「あ、ああ……」
暗殺者だ! 暗殺者が来たぞー!
玄関に立っているのは、赤い髪に赤い目、浅黒い肌の全身黒ずくめの男だった。
男の目がすっと細められる。視線だけで射殺されそうだ。
この雰囲気、絶対闇の世界に生きている者だ。誰を殺しに来たの? やっぱりガルディス? 仕事関係で恨みでも買ったの?
今はガルディスも丸腰、戦っても勝ち目はないから逃げなきゃ!
焦る私。しかしガルディスは私を抱き上げて、呑気な声を出した。
「義兄さんではないですか。どうしたのですか急に」
え?
私はガルディスの顔を見つめ、それから男に視線を向ける。
ニイサン……?
男はガルディスの質問に答えずに振り向く。すると男の後ろから、茶色の髪と目をした小柄で美しい女性が現れた。
「姉さん」
え、お姉さん? あの人が?
想像していたのと違うな。確か名前は……そう、ジュリアリーゼだ。
見た目が山賊のガルディスとあまりに違いすぎるお姉さんは、ガルディスと私を見てふんわりと笑った。
「あらあら、お邪魔だったかしら?」
「いや、別に邪魔ではない。入ってくれ」
お姉さんと暗殺者……ではなくてお義兄さんが家に入ってくる。
「しかしどうして急に来たんだ?」
不思議そうに訊くガルディスに、お姉さんは笑顔で答える。
「隣国の王城で行われる式典に参加するついでに寄ったのよ。手紙に幼い子供を保護したと書いてあったから心配していたの」
「わざわざ寄ってくれたのか」
あ、ガルディスったら私のことお姉さんへの手紙に書いてたんだ。それでわざわざ用事のついでに寄ってくれるって優しいな。
「それで、その可愛らしいお嬢さんも気になるけど、保護したという子供は何処に居るのかしら?」
お姉さんが家の奥をちらりとみて訊く。
……あの、普通に会話していますが、ガルディス全裸ですよ。そこらへんは気にしないの?
ああ、とガルディスが私に視線を向けた。
「リズだ」
お姉さんが微笑む。なんだか随分おっとりとした感じの人だな。
「そう、リズさんってお名前なのね。わたくしはガルディスの姉のジュリアリーゼです。あちらが夫のキルド」
私は小さく頭を下げた。
「――それでガルディス、保護した子供は?」
お姉さんが再び訊き、ガルディスが私を抱え直してお姉さんに見せる。
「だからこの子だ」
「え?」
「この子が保護した子供のリズだ」
「…………」
お姉さんが私の全身を見る。
「幼い子供と書いていませんでしたか?」
「成長した」
「…………」
あー、そうだよね。そうなるよね。
お姉さんは私を、そしてガルディスを見て、ゆっくりと視線を下げる。
「とりあえず、その格好をなんとかしましょうか」
そう言われて初めてガルディスは自分が全裸だと気づいたようで、お姉さんに居間で待っていてくれと言いながら、慌てて私を抱えたまま二階へと走った。
全裸ガルディスは、クローゼットから生地がやたらと分厚い外套を引っ張り出して私に着せる。
重い、暑い、なにこれ。内側に毛皮が縫い込んであるじゃない。こんなの余程北の国にでも行かない限り、着る機会なんてないんじゃないの? しかもきっちり前のボタンを締められた。
「脱ぎたい」
あまりの重さに座り込む。
「駄目だ」
「なんで?」
「義兄がいる」
「他の服でも……」
「駄目だ。リズの体を見られたくない」
いや、もうさっきばっちり見られたんだけど。
ガルディスが警備隊の制服を着て、私を抱っこする。
「暫くの我慢だ、いいな」
「……うん」
不満ながらも頷けば、頬に口づけられる。
「いい子だ、リズ」
そのまま一階の居間に行けば、ソファに座っていたお姉さん夫婦がこちらに視線を向けてきた。
お姉さんが首を傾げる。
「先程の格好も凄かったけど、その衣装はどういうことなのかしら?」
ガルディスはお姉さん夫婦の前のソファに座り、膝に私を乗せた。
「服が無いんだ」
「……服が無い?」
お姉さんは頬に指を当てて少し考えるそぶりをした後、何かを納得したように頷いた。
「そう。つまりそのお嬢さんを保護と称して自宅に連れ込み、服も与えずに軟禁していたのね」
お姉さぁぁん!
微笑みながら言うことではありませんよ!
「それは違う」
ガルディスがむっとした表情で否定する。しかしお姉さんは首を横に振った。
「この状況を見る限りはそうとしか考えられないのだけど、お嬢さんのご両親には許可を頂いているのかしら?」
「リズに家族はいない」
え? いや、いるけど……まあいいか。
「あら、そうなの?」
「ああ」
勝手に父さんを亡きものとしたガルディスが頷く。
「わたくしとしては、いつまでも独り身だったあなたが一緒に居たいと思う相手ができたのなら、軟禁でも一向に構わないのだけど……、この先どうするつもりなの?」
「考えている」
「そう、考えているのならいいわ」
え? いいの? 何を考えているか分かるの? それより軟禁でもいいって、駄目でしょう!
「でもせっかく可愛いお嬢さんなのだから、服くらいは揃えてあげてもいいと思うわ。買いに行きましょう」
「俺はこれから仕事があるのだが……」
「買い物はわたくしに任せなさい」
ガルディスが小さく唸って私を見る。
「服、要らないよ」
私が小声で言うと、
「要りますわ」
ガルディスではなくお姉さんが答えた。
なんだかお姉さんって、おっとりしてるのに逆らえない雰囲気をもっているよ。怒らせたら怖い感じなのかな?
結局ガルディスはお姉さんに視線を戻して頷いた。
「では頼む」
お姉さん夫婦が立ち上がり、ガルディスも私を抱えて立ち上がる。
服を買いに行くことが決定した。
……うーん、まあいいか。確かにこの格好じゃちょっと外に行くのも無理だしね。一着か二着くらい買ってもらおう。
そのまま外に出れば、家の前に馬車が停められていた。御者付きの箱馬車だ。
そういえばお姉さんは貴族に嫁いだんじゃなかったっけ? じゃあそこの暗殺者もどきがお貴族様ってことか。
お姉さん夫婦が乗り込み、ガルディスがお姉さんの隣に私を座らせる。
「リズ、姉さんから離れないように」
「うん」
ガルディスが私の頬に口づけて馬車のドアを閉めると、それを合図に馬車が走り出す。
離れていくガルディスに手を振りながら、私はふと思い出した。
朝食まだだった……。