番外 「俺の娘(仮)の小悪魔化を阻止する緊急ミッション」
子供を保護した。
連絡をしてきたのは、店を息子に譲って隠居したばかりの老夫婦だった。
保護者の姿がない痩せた子供が道の片隅で立ち尽くしているのを見つけたと、警備隊の詰所に来て話す老夫婦の夫は、長い間の商売人としての勘から、その子供がただの迷子ではないとすぐに気づいたようだ。
その時、詰所に待機していたのは若い騎士が三人。俺はちょうど帰宅しようとしていたところだった。
前日の夜勤から続けて仕事をしていたので疲れ果ててはいたが、訳ありの子供なら若い者には荷が重いかと、俺がその子供を見に行くことにした。
そして爺さんに案内されて辿り着いた先で、俺はリズと初めて会った。
見た瞬間、この子供の状態が普通ではないことは分かった。
汚れた服を着た痩せた体、目が隠れるほど伸びたぼさぼさの髪、だけど髪の隙間から覗く視線は妙に大人びていて、警戒心もあらわにこちらを見ている。歳を聞けばどう見ても八歳にもいくかいかないか程度なのに十三歳だと言ってきた。
迷子ではない。どう見ても訳ありだ。親に捨てられたか売られたか、それとも何かから逃げてきたか……。
このままにしておくことはできない。この街には国の保護施設は無いが、代わりに教会がその役割を担っている。だがそこに預けることはできないだろう。この子供はきっと教会から逃げ出す。そして子供の状態が普通ではないのは、なにも見た目だけではない。もうひとつ気になる点があるのだ。
近くで見守る必要があるだろう。
そう考えた俺は、子供を自宅で保護することにした。何があったかは分からないが、愛情を掛けてやれば、きっと閉ざされた心を開いてくれる。俺はこの子の笑顔が見たいと思った。
そして始まった二人での生活。始めは警戒していたリズも段々と心を開くようになってきて、笑うようにもなった。俺はそんなリズとの生活が楽しくてしかたがない。甘やかしてやりたい、大切にしたい。いつの間にかリズは俺にとってなくてはならない存在になっていた。
日を重ねるごとに強くなる想い。リズが俺の元にやって来てから、一か月と少しが経っていた。
◇◇◇◇
朝――。
目覚めれば、腕の中に柔らかい感触。リズが俺に引っ付いて眠っているのだ。
最近急激に成長したリズは、服が入らなくなったからと言って、俺のシャツを羽織るようになった。服などいくらでも買ってやるのに、勿体ないから要らないと言う。遠慮しているのは分かるが……。
はだけたシャツの隙間から女性らしく膨らんだ胸が覗いているし、裾がめくれて小さな下着からは尻が丸出しだ。玉のような肌としなやかに伸びてきた体。正直目のやり場に困る。
起こさぬようにそっと離れて掛布団をリズにかぶせる。その拍子にふわりといい匂いが漂ってきて頭が一瞬くらりとする。この匂いは何なのだろうか。出会った頃はリズの首筋に顔を埋めないと嗅げなかった香りが、今では何もしなくても感じることができるほど強くなった。
リズはよく眠っている。長い銀色の髪が朝日に照らされて艶めいて、元々可愛い顔をしていたが、最近は大人っぽい美しさも加わってきたように思える。
遅れていた成長が一気に来たと医者は説明したが、一気すぎるだろう。それだけではないのではないかと問いかける俺の視線に、医者はこれ以上何も訊くなと視線で返してきた。
医者は何かを知っている様子だった。それに俺が気にしていることの答えに繋がるものがあるかもしれないが、もう少しこのまま見守ることにする。医者があえて言わないのだから、命にかかわることではないのだろう。
それにしても、リズが成長したことで、俺も幼子の父親から一気に年頃の娘を持つ父親になった気分だ。今のリズは、十三歳と言っても十分通用する見た目となっている。
俺は剣を持って庭に出て、そこで素振りを始めた。
以前はリズが起きるまで一緒に居たのだが、最近はリズより早く起きて、こうして鍛練をしている。
それというのも、体は成長したリズだが、それと反するように幼児化が進んで非常に甘えたになってしまったのだ。自分に懐いてくれたのは嬉しいことなのだが、シャツがはだけた状態で抱きつかれると照れると言うか、娘(仮)だと分かっていても鼓動が激しくなるというか……。
俺は剣を強く振る。
俺に対してそういう甘えた態度をするのはまだいいが、万が一外で他人に対してそのようなことをしてしまっては、勘違いされるどころの騒ぎではなくなる。そういうことも教えていかなければならないだろう。
無意識にしてしまっていることだとしても、いや、無意識だからこそしっかりと言い聞かせなければならない。自分の容姿が、態度がどれだけ男というものの本能を煽っているのかを。
早めに教育をしようと決意して鍛練を続けていると、家の中から俺を呼ぶ声がした。
「ガルディス、朝食ができたよ!」
剣を下ろして振り向けば、リズが窓から顔を出していた。
「リズ、そんな恰好で外に出るな!」
「出てないじゃない」
リズが頬を膨らませる。
寝巻にしていたのとは別のシャツを着て、以前渡した姉の忘れ物の髪留めで長い前髪を纏めている。
「すぐ行く」
俺は家の中に戻り、水を浴びてから台所に行く。食卓に並んだ朝食は今日も美味そうだ。
リズは料理が上手い。料理だけではなく家事全般が得意だ。以前は父親と旅をしていたようだが、その間に覚えたのだろうか。
リズはここに来る以前のことを全て俺に話したわけではない。だがいつか、リズの口から良い事も悪い事も、全てを聞くことができる日が来ると俺は信じている。
「食うか」
椅子に座ってフォークを手にし、前の席に座ったリズをふと見る。と、
「…………!」
乳が、乳が透けている!
薄い生地のものを選んでしまったのか。それにしてもリズの胸はまた大きくなったのではないか? いったいどこまで大きくなるつもりなのだ!
「リズ」
「なに?」
首を傾げてレタスを口に運ぶリズに注意をする。
「胸が透けて見えている」
リズが自分の胸を見下ろして、それから何事もなかったかのようにまたレタスを口に運ぶ。
まったく分かっていない!
「リズ、上に一枚羽織れ」
「なんで?」
「……胸が見えていると言った」
「いいよ、家の中だから」
く……! 恥じらいを、恥じらいを覚えさせなくては!
「家の中でも、最低限のマナーというものがある」
「ガルディスと二人だけだからいいの」
「駄目だ」
「最近怒ってばっかり」
リズが唇を尖らせる。
「いや、怒っているわけでは……」
しかしリズは、すっかり拗ねてしまった。
これは駄目だ、早急に何とかしなくては。そうだ、今夜にでもしっかり話して聞かせよう。
そう決めた俺は、後ろ髪を引かれながらもリズを残して家を出た。
◇◇◇◇
夕食後、俺はリズを居間のソファに座らせた。
「またお勉強?」
不満げなリズにぴしゃりと言う。
「今日はとっても大事な勉強をする。しっかり覚えるように」
「はーい」
うーむ。リズは勉強ができるのだが、残念なことにそれが嫌いなようだ。勿体ない。
俺は一つ咳払いをして話し始める。
「今から人生で、一番と言ってもよいほど大切なことを教える」
首を傾げるリズを真っ直ぐ見て話す。
「男というものの理性と本能について、今日はリズに教える」
「理性と本能?」
上目遣いをするリズの可愛さよ! 何故これ程までに俺の娘(仮)は可愛いのだ!
……いや、俺がいきなり理性を無くしてどうする。
騎士たるもの常に冷静であれ、と自分に言い聞かせて話を続ける。
「男と女が愛し合って子供ができるわけだが、ああ、愛し合い方を説明すると、まず男の……」
「知ってる」
「…………!」
なん……だと……?
知っている? 何故だ、どこで学んだ? 俺の知らないところでリズは大人の授業を受けていたのか? いったい誰に? どのようにして教えてもらった?
……疑問ではあるが、それを追及するのは後にしよう。
「だが残念なことに、男というのは愛していない女性相手でも行為に至ることができるのだ」
「女もそうだよね」
「…………!」
な、なんと! いや、確かにそういうこともあるが……。しかしまさか、性の乱れを見聞きするような環境に、以前のリズは身を置いていたのだろうか。父親と旅をしていたと言っていたが、その後リズはどういう生活を送っていたのか……。
不安だ。もの凄く不安だ。可愛いリズに正しい知識を学ばせてやらねば。
「男女というのは――」
リズが小さなあくびをする。いかん、まだまだ子供のリズが、おねむの時間になってしまう。
知っているとは言っていたものの、正しい男女の愛し方についてしっかりと教えなおし、それから男の本能についてリズにあれこれ説明をする。
「――つまり、男は女性の胸や臀部などで本能的に興奮してしまい、それを理性で押さえられないケダモノも世の中には沢山いる。したがって、女性は自分の身を守るためにも過剰に乳や尻や太ももを出してはいけないのだ。ましてや透けているなどもってのほかだ!」
俺は、リズの透けて見えている胸を、眉を寄せてビシッと指さす。
朝あれだけ言ったにもかかわらず、まだ薄いシャツ一枚とはどういうことだ。俺の理性を試してでもいるのか?
「いいか、絶対に一人でふらふらと外に出て行かないように」
襲ってくださいと言わんばかりの格好だからな。残念だがそういう男はこの街にもいる。いや、そういう男でなくても、リズの可愛さと危うさに引き込まれ、理性など吹っ飛んでしまうに違いない。
リズの瑞々しい肢体が蹂躙されるようなことだけは、断じてあってはならない。それだけは、絶対に。
本当は仕事にも連れて行きたいくらいなのだが、そうすれば若い騎士達にリズの姿を晒してしまうことになる。それは騎士の士気に関わることとなるだろう。若い騎士の頭の中で、リズは果てしない妄想の材料にされるに違いない。
俺の可愛い娘(仮)を、そんなことには決して使わせない!
「分かったか」
「はーい」
リズが右手を挙げて返事をする。……本当に分かっているのか? 心配だ。
しかしまあ……、そこらの者にリズの体を傷つけることは難しいかもしれないがな。
俺はリズを、正確にはリズを覆っているものを見つめた。
出会った頃からずっとリズを覆っている力。一定以上の魔力を持つ者しか気づかないであろうそれが何なのか、最近になって漸くなんとなくだが分かってきた。
「ガルディス?」
俺はリズの頬を右手で包む。すると甘えるようにリズが俺の掌に頬を擦りつけてきた。
本人は気づいていないようだが、リズを覆っている力は、おそらくは亡くなった父親が死の間際にでもリズに施したのだろう。だからこそリズは今まで無事でいられたのだ。
リズは父親に愛されていた。そして俺も、リズを愛している。リズの父親の遺志を継いで、リズを立派に育てて見せる!
「さあ、風呂に入って寝る時間だ」
「うん」
俺が手を離すと、リズが立ち上がる。そのまま風呂に向かうのかと思いきや、
「…………!」
俺に飛びついてきた。
「ど、どうしたリズ?」
柔らかなふくらみを、リズが俺の胸に押し付けてくる。……下着だけでも早急に買わねばなるまい。次の休みはいつだったか。いや、仕事帰りにでも買ってくるか。だがそのためにはサイズを測らなければならないな。……どうやって測るのだ、胸の膨らみの大きさは。
そんなことを思いながら抱き上げると、リズが俺の首に腕を回してくる。そして無邪気な声で言ってきた。
「ガルディスとお風呂に入る」
な、なんだと!?
俺は慌てて首を横に振った。
「駄目だ、もうこんなに大きいのだから一人で入りなさい」
「なんで?」
リズが悲しげに首を傾げる。う……、なんと破壊力のある表情だ。
男の理性を打ち砕く視線、ぷっくりとした唇、張りのある胸、むっちりとした太もも……。大人になりきれていない危うさに更に煽られる。
いや、煽られてはいけない!
「さっき教えただろう、男に簡単に肌を晒してはいけない」
まずは家庭内で徹底的にそのことを教えてやらなくてはならないな。やはり下着も服も買いに行こう。寂しいが一緒に寝るのもそろそろ卒業か。
「でも……」
「なんだ?」
「ガルディスは大丈夫でしょ?」
「なに?」
何を言っている?
「ガルディスが酷いことなんてしないって、私知ってる」
「…………!」
リズ、俺のことをそこまで信用してくれているのか。感動で胸が熱くなってきた。
「だから一緒に入ろ?」
しかし、これとそれとは別問題だ。ここはきっぱり断らなくてはならない。俺がリズに強く言い聞かせようとしたその時、
がるでぃす、と少し舌足らずな感じでリズが俺の名を呼んだ。
な、なんだ? リズから強い香りがする。甘く、頭の中まで侵されそうな香りに歯を食いしばる。
「ねえ、ひとりは寂しいよ。昼間はお仕事に行っちゃうし、最近は口づけだってあまりしてくれないし……。だから夜はずっと一緒に居て。抱きしめて、大きくなっても愛して」
潤んだ瞳が俺を見つめる。
ああ、もちろん愛している。愛しているが……。
好き――。
耳元で囁かれる声。
「…………」
俺はリズを抱えたまま、風呂に向かって歩き出した。