14 「揉まれると大きくなるのか……(続く)」
目を開けると、筋肉に覆われた逞しい胸があった。
「…………」
いつ寝たんだろ。
昨夜の衝撃的な養子縁組話を聞いた後からあまり記憶がない。そして何故ガルディスはパンツ一丁で眠っているのか。
枕代わりにしていたらしいガルディスの腕から頭を上げると、ベッドの上に座る。少し怠いのは泣きすぎたからか。
……着替えようかな。朝食、作らなきゃいけないよね。
私は寝巻きの胸のボタンに触れ、
「…………?」
そこでふと違和感に気づく。
なんだろう、いつもと体の感じが少し違うような……。違和感のある箇所――胸に掌で触れる。
あれ……?
私は首を傾げた。なんだか少し柔らかい? でもなんで?
ボタンを二つ開けて、胸の状態を確認する。そして、
「……え?」
ぽかんと口を開ける。
ぷっくりと膨らむ胸――。
え? なにこれ。胸が私の拳と同じかそれより少し大きいくらい、そんな大きさになっているじゃない。
これはどういうことなのだろう。
膨らんだ胸をじっと見つめ、一つの可能性が頭に浮かぶ。
まさか、もしかして――胸が成長したの?
手足の長さを確認すると、特に伸びている感じはしない。胸だけが成長したってこと?
うーん、と小さく唸っていたら、ガルディスの腕が動くのが視界の端に見えた。あ、起きたのか。私は咄嗟に両腕で胸を守るような姿勢になった。
そんなことする必要はなかったんだけど、急に成長した胸に戸惑っていたからか、それとも膨らんだ胸を見せるのに少しだけ恥ずかしさがあったからか、思わずそうしてしまった。
でもそれがいけなかった。
目を開けたガルディスが、訝しげに訊いてくる。
「どうかしたのか?」
「う、ううん……」
私は首を横に振る。
「まだ怒っているのか?」
リズ、と伸ばされた手を避けて、私はベッドから降りようとした。だけどガルディスにあっさり腕を掴まれてそのまま抱きしめられる。
「嫌なことは言わない。だから拒絶だけはしないでくれ」
抱きしめられる力が強くなり、そして――。
「……ん?」
ガルディスが首を傾げて私の体を離す。訝しげな視線が注がれているのは、胸。
「なんだ……?」
あ、気づかれた。後ろに下がろうとしたけど、それよりもガルディスの手の方が速かった。私の胸に右手を伸ばす。そして触れた瞬間、ガルディスが眉を寄せた。
「なんだ、これは?」
右手が私の胸を揉むように動き、鷲掴みにする。
「痛い!」
強い力で掴まれて思わず悲鳴を漏らすと、ガルディスの眉間の皺が深くなる。
「ちょっと見せてみろ」
え、見せろって……。そんないきなり……。
「いい子だから」
ガルディスが私の寝巻きのボタンを外そうとする。
「や……」
「リズ、見せなさい」
強い口調で言われた次の瞬間、私はベッドに押し倒された。
えええ!?
な、何この体勢は。両足を動かせないようにガルディスの膝で挟まれる形で押さえつけられ、両手は頭上で纏められて手首をガルディスの左手で拘束された。
まったく身動きが取れない。見下ろしてくるガルディスの真剣な表情に、鼓動が激しくなる。そして、
「…………!」
ガルディスが私の寝巻きを引きちぎった。布が悲鳴を上げ、ボタンが宙に舞う。
ああ、お高い寝巻きが!
って、そんな場合じゃない。ガルディスが私の胸を見つめて息を呑む。あー、相当驚いているね、まあ当然だけど。
説明しなきゃいけないかな。でもどう言えばいい? 全部話すべき?
逡巡していると、ガルディスの太い指が私の胸に触れた。さっきみたいに乱暴にではなく、優しく胸を撫でられる。
ちょ、そんなに触らないでほしいんだけど。
「腫れているじゃないか!」
「ふぇ?」
ガルディスの手の動きにすっかり気を取られていた私は、彼が何を言ったのか理解するのが遅れた。
えーと、なんだって?
なんだかお腹の中がざわざわする。
「ひゃあ……」
ちょっと、本当に触りすぎ。指先を軽く滑らせて確かめるの禁止。捏ね捏ねするのも禁止。
「痛いのか? 痛いよな」
いや、痛いんじゃなくてなんというか……。
視線を逸らせば、ガルディスが拘束を解く。
「ふんぐ!」
それから謎の気合の声と共に、その巨体から想像もできないような素早さでベッドから飛び降りた。
うわ、床が揺れている。
驚きながら起き上ろうとするが、それより先にガルディスが動いた。
ガルディスはベッドに敷かれているシーツを引っぺがすと、それで私を包む。そして、まるで『おくるみ』に包まれた赤ん坊のような姿になった私を横抱きにした。
「辛いだろうが、少しだけ我慢しろ。すぐに医者に連れて行ってやるからな」
え……。医者?
「いらな……」
ガルディスが私を両腕で抱えたまま走り出す。部屋のドアを蹴破るようにして開け――、いや、大きな音がしたのでたぶんドアは壊れた。階段を駆け下り、玄関ドアも蹴り開ける。ドアの横に吊るされているベルが、抗議するように汚い音を鳴らした。
「知り合いに名医がいる。王族の専属医師も務めたことのある立派な医者だ。その方に診せればすぐに治るからな」
大丈夫だから心配するな、とガルディスは叫ぶように言いながら全力疾走する。
わー、すごーい。速いねー。……なんて言っている場合じゃない。
たぶん、これはただの成長じゃないのかな。
背が高くなるより先に胸が膨らむのが正常なのかどうかは分からないけど、でも成長だから。むしろ大丈夫じゃないのはパンツ一丁の裸足で街なかを走っているガルディスの方だから。
そう伝えたいけど、人類最高速度を叩きだし中のガルディスには聞こえそうもない。人間ってこんなに速く走れるんだっけ? なんだかもう地面から浮いているような気さえするよ。
早朝だから人通りは少ないけれど、でも確実に噂が広まるくらいの目撃者はいる。変態出没騒ぎにならないことを祈るよ……。
注目されながら街なかを走ったガルディスは、一軒の家の前で足を止めた。
四角い煙突と少し反っている三角屋根、上部が丸い玄関ドアが特徴的なその家は、子供の読む絵本にでも出てきそうな、ちょっと可愛い家だ。
庭には沢山の花が植えられていて、その間を器用にも花を踏まないように避けながら駆け抜けたガルディスは、玄関ドアを行儀悪く足で何度も蹴る。
「先生、先生! 先生、急患だ!」
叫びながら何度も蹴れば、中から応じる声がした。
「待て、今開ける。ドアを蹴るな!」
ごめんなさい。蹴ってるだけじゃなくて壊しています。弁償はさせるので許してください。
ドアが開き、中から現れたのはひょろ長い白髪の男の人だった。ガルディスに抱かれた私からは、すっかり禿散ら……少々毛髪が心許なくなってしまった頭頂部がよく見える。歳は老年期に差し掛かったくらいだろうか? もしかするともう少し若いかもしれない。
「入れ、その子が急患か? 怪我か病気か?」
体に似合わない大きくてはっきりとした声で男の人が訊く。どうやらこの人がお医者様のようだ。
ガルディスが顔を顰めて説明する。
「それが、よく分からない」
「分からない?」
「とにかく診てやってくれ、そして治してくれ!」
……困ったな、帰りたい。
この体の状態を診せて、この医者はどういう反応を示すのだろうか。騒ぎにならないだろうか?
医者と話しながら診察室らしき部屋に入って診察台に私を座らせたガルディスが、いきなり私を包んでいたシーツを勢いよく剥ぐ。
しまった、油断した!
引きちぎられた寝巻きの残骸を身に付けた姿が晒される。好きな人の手によって見ず知らずの男に膨らんだ胸を晒される。って、なにこの甘美な拷問。気絶してもいいですか?
私の姿を見た医者が目を見開く。まあ、そうだよね。それから医者はガルディスに視線を向けると、とんでもない一言を口にした。
「手籠めにしたのか?」
えええ! なんでそんなふうに……って、確かにこの姿を見たらそう思うかも。
一瞬言葉の意味を理解できずに呆けた顔をしたガルディスだが、すぐに真っ赤な顔で怒り出した。
「な、何を言って……!」
「じゃあ合意か? こんなまだ若い子に……」
「そうではなくて、この胸を見てくれ。今朝から急に腫れて……!」
そう叫ぶように言いながら、ガルディスが私の胸を鷲掴みにする。
「痛い!」
「ほら、痛がっているんだ!」
医者は額に手を当てた。
「……それは、お前が握りつぶそうとしているからだろう」
え? 握りつぶされるの? それは嫌!
医者が溜息を吐いてドアを指さす。
「いいから、ちょっとお前は外へ出ろ。そうだ、茶葉を切らしていたんだった。買ってこい」
「しかし……!」
「お前が居ては診察ができん。いいから最高級茶葉を買ってこい」
さらっと最高級茶葉を指定して、医者はガルディスを診察室から追い出して鍵を掛ける。ガルディスはドアの外であれこれ叫んでいたが、暫くすると諦めたのか「茶葉を買ってくる」と呟いて立ち去った。