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12 「好きかもしれない」

 洗面台の上に設置してある鏡を見つめて私は唸った。

 更に目鼻立ちがはっきりになった。髪は艶やかな銀髪。服の袖も裾もまた少し短くなってしまった。これはもう服の縮みなんかじゃない。ガリガリに痩せていた体も随分とふっくらとした。

 ここまで来ると、さすがに気づく。

 これは体が最後の悪あがきをしているんじゃなくて、成長しているんじゃないの?

 ん? ということは、私、恋をしているの? でも私の周りにいる男なんてガルディスくらいだ。

 ……え。

 ガルディスに恋をしている? ガルディスが魂の恋人? あのおっさんが?

「…………」

 いや待て。父さんは言っていた、魂の恋人に出会った瞬間、それこそ気絶するくらいの衝撃があると。

 あった? そんなの。

 うーん、と唸って考える。

 山賊だと思って驚いたけど、あれは違うでしょう。確かに衝撃的と言えば衝撃的だったけどね。

 うーん、分からない。

 でも、これだけ変化があるということは、やはり恋をしているということなんじゃないかな?

 で、相手はガルディスしかいない? いや、そうだろうか。この街に来てから変化し始めたんだから、この街で接触のあった人物なら可能性はあるんじゃないかな。となると……。

 私はこの街で接触のあった人物を思い出す。

 そうだ。あの親切な老夫婦だ。老若男女は関係ない筈だから、あの二人も私の恋人候補になるのかな? いや、それだけじゃない。馬のジギーだ。確か私達の種族は獣もどんとこいだった筈だから、ジギーだって対象に入ることになる。

 うーん。あとは、商店の店主とか、そういう人も入るのかな? でもあんなのは一瞬やり取りがあっただけだから、対象には入らないか……。

 うーんうーんと唸ってばかりいたら、

「どうした、リズ」

 朝の鍛錬を終えたガルディスが、水を浴びるために来てしまった。鏡越しに目が合う。

「別に……」

 なんでもない、と首を振る。

「そうか?」

「うん」

 いけない、朝食の準備をまだしてなかった。

 鏡から視線を外して踵を返せば、ガルディスは素っ裸だった。脱ぐのが素早すぎるでしょう。それになんでそうやって躊躇なく脱ぐかな。

 ガルディスの横を走り抜け、私は台所に行って朝食の準備をする。昨夜下ごしらえをしといてよかった。

 水を浴びたガルディスが台所に来たときには、なんとか朝食はできていた。私達は向かい合って座り、食事にする。

 ガルディスは大きな口を開けて美味しそうに食べている。なんとなく見つめていると、声を掛けられた。

「どうした?」

「え?」

「何か悩みでもあるのか?」

 悩み……、まあ悩みだけど。

「なんでも言ってみろ」

 そう言われても、どう話せばいいのか……。

 ちょっと躊躇して、私は訊いてみた。

「恋ってしたことある?」

「恋?」

 予想外の質問だったのか。ガルディスが目を見開く。

「リズ、誰かに恋をしているのか?」

「え?」

 一瞬、胸が激しく鳴った。

「誰かっていうか……、ただ興味を持っただけで……」

 私は視線を逸らす。

 そんな態度をどう思ったのか、ガルディスは唸って顎に手を当てた。

「恋。恋か……」

「したこと無いの?」

 恋って顔じゃないしね。

「いや、ある」

「ある!?」

 ええ!? あるの?

「ああ。十代の初め頃だ」

 へ、へえ……。そっか、ガルディスも恋とかするんだ。なんだか意外すぎるんだけど。

「どんな恋だった?」

 別に聞きたくないのに、口が勝手にそう訊いていた。

 そうだな、とガルディスは少し目を細めて懐かしそうな顔をして話し出す。

「毎朝、街の中心にある広場に新鮮な牛乳を売りに来る少女がいてな。襤褸の服と擦り切れた靴を履いて、でも綺麗な緑の瞳と、帽子で隠してはいたが少しくすんだ金色の髪をしていた。その時の俺は彼女に恋をしているという自覚は無かった。ただ牛乳を飲み干した時に笑顔で手を叩いてくれるのが嬉しくて、毎朝広場に通って牛乳をたらふく飲んでいた」

 その子の為に、毎朝牛乳を飲んでいたんだ……。笑顔を見たいためだけに……。

「だがある日、牛乳の飲み過ぎが原因だったのかは分からないが、俺は酷く腹を壊してしまい、暫く広場に行けなかった」

 うん。それはきっと牛乳を飲み過ぎたせいだね。

「体調も万全となり、広場に行ったのだが……、彼女はいなかった。翌日も。その翌日も。そして彼女は広場から姿を消した。後悔したよ。どうして腹なんか壊したんだろうって。漏らしてでも牛乳を飲みに行けばよかったって」

 そっか、そうだったんだ。でも漏らすのは駄目でしょ。

「だが騎士になってから、偶然にも彼女と再会した」

「え?」

 再会したの?

「ある貴族の屋敷でだ。雰囲気は随分変わっていたが、一目でわかった。綺麗な緑色の瞳は変わらなかったからな。彼女はそこの当主の奥方となっていた。俺は嬉しくなり彼女に近づいて、広場での思い出を語り始めたのだが……」

「どうしたの?」

 ガルディスが苦笑する。

「知らないと言われた。人違いだと」

「人違いだったの?」

「いや……。それから少しして、庭に出た俺の元に彼女がやって来た。そして震える声で懇願してきたんだ。『何処まで調べたの? 旦那様は私の過去を知らない。だからお願い黙っていて』と。彼女がそれまでどんな人生を送ってきたのか俺は知らない。どうやって貴族の妻の座を手に入れたのかも。俺の手に金を押し付けて去っていく彼女の後姿を呆然と眺めていると、屋敷の執事らしい男から声を掛けられた。旦那様から話があると」

 ガルディスは、ふっと息を吐いた。

「屋敷の中の一室に案内されると、その家の当主が俺に頭を下げてきた。『妻が失礼なことをした。だが私からも非礼を承知でお願いしたい。その金を受け取って妻のことを忘れてほしい』と。当主殿は知っていたのだ。彼女の過去も、それを含めて愛していた――貴族でもない新人騎士に頭を下げるほどに。俺は金を受け取って屋敷を後にした。そして気づく。少年だった俺は彼女に恋をしていて、そして彼女から渡された金を受け取った瞬間、それが終わったのだと」

 ガルディスは再びフォークを手に取ると、それで野菜を突き刺す。

「…………」

 それが、ガルディスの恋の話か。

 なんか、重いというか暗いというか。恋ってそんな感じ? 父さんの歌う甘美で蕩けるような恋物語とかなり違うんだけど……。

 ガルディスが野菜を口に運ぶ。

「それで、結構な額の金を貰ったから、その足で以前から狙っていた剣を買いに行ったんだ」

 おいい! 直ぐ金使ったのか! 躊躇わないのね!

「なかなかいい剣だったのだが、訓練の時に折れてしまって残念だった」

 長く愛用していたのだが、とガルディスが残念そうに呟く。

「その剣、今は?」

「ん? 折れたのだから捨てたが?」

 それがどうしたといった表情だ。

「あ、そう……」

 なんか気が抜けた……。

 私はパンを口に放り込む。

「リズ」

「なに?」

「幼いお前にこのような話をするのはどうかと思うが……、金もあてもない女子供が行きつく先など決まっているのだ」

 驚いて顔を上げれば、真剣な表情のガルディスと目が合う。私は口の中のパンを思わず飲み込んだ。

「彼女はまだ運が良かった。でも普通はそうはいかない。だから――俺の側に居ろ。何処にも行くな」

「……うん」

「いい子だ」

 微笑まれて、胸がきゅんとなる。

 ああ、なんだろうこの気持ちは。もしかして……でも……。

 食事を終えて、ガルディスは出勤の準備をする。

「いってらっしゃい」

「ああ。いい子で待ってろよ」

 いつものように私の頭を撫でて、仕事に行こうとするガルディス。その広い背中がドアの向こうに消える直前、私は思わず手を伸ばす。

 ドアを閉めかけていたガルディスが、制服の裾を掴まれて、慌てた様子でもう一度大きくドアを開ける。

「どうした、リズ」

 挟むところだったぞと、ガルディスは私の手を握った。

「えっと……」

 なんで引き止めたんだろう?

「ん? なんだ?」

 そうだ、私は……、私は……。

「好き」

 ……かもしれない。

 分からないけど、でもそう言いたかった。ガルディスに恋をしているのか、老夫婦なのか、まさかのジギーなのか、それはまだはっきりしないけど、それでもこの曖昧な今の気持ちを伝えたい。

 ガルディスは目を見開いて、それから満面の笑みで私を抱き上げた。

「そうか、俺が好きか!」

 いや、まだ本当に好きかは分からないんだけど……って、その頬ずり強すぎ!

「痛い!」

「ああ、すまない」

 ガルディスは謝ると、ちゅっちゅと私の頬に口づける。ちょ、待って。そんなにしなくても……。

 散々口づけて、漸くガルディスは私を下ろした。頬がべたべたしているのは気のせいではないはず。

「リズ、行ってくる」

 名残惜しげなガルディスに、適当に手を振る。

 ああそう。行ってらっしゃい。

 濡れた頬が気になって、もう好きとか恋とかそういう気持ちもぶっ飛んじゃったよ。

 ガルディスが出て行き、私はすぐさま洗面台の上の鏡で頬の状態を確認した。予想通りのべとべと加減。その上ちょっと赤くなっている。

 もう! なんでここまでするかな? 汚すぎて嫌になる。

 でも凄く怒っている筈なのに、鏡の中の私の顔は笑っている。なんで?

 顔を洗って、いつものように家事をこなし、昼に帰って来たご機嫌なガルディスと昼食を摂って、そして――。

「それ、なに?」

 夕方、帰って来たガルディスは紙袋を抱えていた。あ、その大きさ。なんだか既視感が……。以前に同じような紙袋を抱えて帰って来た時には、中にバリカンが入っていたよね。

「…………!」

 また私を丸刈りにしようとしているの!? こんなに綺麗な髪になったのに、それでもまだ青光りのほうがいいって言うの!?

 恐怖に固まる私の前で、ガルディスが紙袋の中に手を突っ込む。そして中から出てきたのは……。

「……へ?」

 ねじ巻き付きの魚の玩具だった。

「なに、これ」

「どうだ」

 どうだと言われても……。

「風呂の玩具だ」

 へえ、そうなんだ。

「今日は風呂で、一緒にこの玩具で遊ぼう」

 ……一緒に?

 ガルディスが私を抱き上げる。

 ちょ、ちょっと待って! 私は一緒に入る許可を出していないよ。

「まだ夕食が……!」

「後でいい」

「ええ!?」

 結局強引に一緒に風呂に入れられた私は、カタカタと音を出しながら水面をゆっくり移動する魚の玩具を、ガルディスの膝の上でひたすら見つめ続けたのだった。

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