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11 「悪女と櫛」

 朝食を終えて、ガルディスは二階で出勤の準備をしている。

 私は食事の後片付けをして居間に行き、ガルディスが脱ぎ捨てたままにしていた悪臭漂うシャツを、眉を顰めながら手に取り、

「…………?」

 と、そこでテーブルの下に落ちている封筒に気が付いた。

 手紙……?

 手を伸ばし、既に封がしてある封筒を手に取る。

 差出人の名は、ガルディス・ベルドイド。へえ、ガルディスの姓って『ベルドイド』っていうんだ。そして宛名を見ると、

「ジュリアリーゼ・サウシス……?」

 あれ? これって女の人の名前だよね。女性に手紙……?

「リズ」

 背後から声を掛けられて、びくりと震えて振り返る。そこには警備隊の制服を着たガルディスが立っていた。

「どうした?」

 えーと。なんでだろう、体が動かない。

 訝しげにガルディスが近づいてきて、私の手に握られているものを見る。

「ああ、また忘れるところだった」

 ガルディスが私の手から封筒を取り上げた。

「出すのが遅れるとうるさくてな。『わたくしの気持ちが分からないの?』とかなんとか言ってこられると、さすがに困ってしまう。愛されているのはありがたいが、俺も忙しいということを少しは考えてほしいのだが……」

 ぶつぶつと言いながらガルディスは封筒をポケットにねじ込んで、腰を屈めて私の頭を撫でる。

「どうした? 具合でも悪いのか?」

 そう訊かれて、はっとする。

 私は持っていたシャツをガルディスの顔に押し付けた。

「脱ぎっぱなし!」

 どうだ、臭いだろう!

 顔にぐいぐいと押し付けてやる。

「こら、リズやめろ。分かった、分かったから」

 分かったなら、もう臭いまま放置しないでよね。

 どうやら反省したようだと、私は力を緩める。ところがその時、

「ぎゃ!」

 ガルディスが私を抱きしめて頬ずり攻撃を仕掛けてきた。

「お返しだ」

 痛い痛い! 髭剃ったばかりなのにこんなに痛いってどうなっているの?

「じゃあな、行ってくる」

 散々頬ずりをして、漸くガルディスは私を離してくれた。

「……いってらっしゃい」

 疲れた。朝から疲れた。

「いい子で待っているんだぞ」

「うん」

 玄関まで行ってガルディスを見送り、私は居間に戻ってソファに座った。

 やれやれ、やっと行ったか。

 ふうっと息を吐き、背もたれに背中を預ける。

「…………」

 愛されている?

 ふと、先程ガルディスが言った言葉を思い出した。

 手紙の宛名に書かれていた女性、その人にガルディスは愛されている。ということは、彼女とか?

 ガルディスの年齢を聞いたことはないけど、見た目からして立派な中年のおっさんだし、まあ彼女の一人や二人いてもおかしくないよね。それどころか結婚しててもおかしくないんじゃない?

 ……婚約者とか?

 うーん、と私は唸る。そして確信する。

 いや、ない。それはない。

 ガルディスは、おっさんだけど筋肉に覆われたいい体してるし、鬱陶しいところはあるけど優しいし、股間に赤竜鎮座してるけど……、でもあんな山賊(警備隊長)に本気で言い寄る女性がいるなんて考えられない。

 ただの知り合いとかかな。それならいいけど、ただの知り合いが『わたくしの気持ちが分からないの?』なんて言うわけないし……。それにしても、なんだか随分甘い言葉だね。

 ん? 甘い言葉?

「……あ」

 まさかとは思うけど、騙されているとかないよね。いや、でもその可能性もあるんじゃない?

 もてない男が甘い言葉でころっと騙されて貢がされて……。

 もしそうなら、相当の手練れに騙されている可能性がある。なんて言ったってあの見た目で、しかも警備隊長のガルディスを騙そうっていうんだからね。

 ガルディスの尻にびっしりと生えた剛毛まで根こそぎ毟り取るような、そんな女に違いないよ。

 帰ってきたら確認しなきゃ。騙されているようなら目を覚まさせてあげないといけないしね。

 私はそう決意して、手の中のものを握りしめる。

「う……!」

 しまった、悪臭シャツを握ったままだった。臭い、臭すぎる。

 洗濯しなきゃ。それから掃除して、昼食作ってアイロンもかけなきゃ。やることは沢山あるんだから!

 急いで汚れた衣類とついでにシーツも洗って、掃除をして昼食を作って……。

 今日はガルディスの好きな肉を焼こうか。確かこの間の濃い味のソースがかなり好評だったな。じゃあ味付けはそれにするか。『悪い女に騙されている可哀想なガルディス(仮)』に、美味しいものを食べさせてあげないとね。

 私は忙しく家事をこなし、ちょうど昼食ができた頃にガルディスが帰ってくる。

「ただいま、リズ」

 ガルディスの腕には、食材が入った袋が抱えられている。私が一人で買い物に行くことを禁止している代わりに、こうして仕事帰りに必要な食材を買ってきてくれているのだ。買い物ぐらい一人でできるって言ってるのに、危ないから駄目って言うんだよ。

「おかえり」

 玄関まで行けば、抱っこされる。

「いい子にしていたか? リズの好きな『真っ赤かーの美味しいの』買ってきたぞ」

 真っ赤かーの美味しいの、というのは果物のことだ。青い皮を剥くと赤く柔らかい実が出てくる。私がそれを初めて食べた時に「凄く赤い」と「美味しい」を連呼したからか、それ以来ガルディスはその果物を『真っ赤かーの美味しいの』と呼んでいる。

 抱っこされたまま台所へ。

「ん? 今日の昼は豪華だな」

 あはは、ちょっと頑張りすぎちゃったかも。昼から贅沢な内容になっちゃった。

「お肉好きだよね。焼いた」

「そうか、リズは俺の好きなものがちゃんと分かっているんだな。ありがとう」

 美味しいって言いながらガルディスが料理を食べる。お肉が本当に好きなんだね。でも野菜も残さず食べてくれるから嬉しい。

「どうした、食べないのか?」

 あ、いけない。じっとガルディスを見てて、自分が食べてなかった。

「た、食べるよ」

 そうだ、食べたら性悪女に騙されているかどうか確かめなきゃいけないんだった。

「リズ」

「なに?」

 ガルディスが肉をナイフで切りながら訊いてくる。

「勉強は進んでいるか?」

「…………!」

 い、いきなりなんて質問を!

 いや、頑張っているんだけど、ガルディスの要求が高すぎるというか、こんなもの生きていくのに必要あるのか、と投げ出したくなるというか……。

「食事が終わったら、少し勉強を見てやろう」

「…………」

 頬が引きつる。ああ、もう性悪女の話とかする気が萎えた。勉強を教えてくれる時のガルディスって、容赦がないんだよね。

 あー、もう嫌だ。面倒くさいよー。やりたくないよー。

「どうした?」

「……なんでもない」

 ここで勉強が嫌だと言えば、お説教が待っていることは分かっている。しかたがない。我慢しよう。

 食後に勉強を見てもらって、ついでに夕方までに解けと問題を出される。問題を見て、私の頬がまた引きつる。……これを夕方までに?

「じゃあな。いい子にしていろよ」

「はいー、いってらっしゃいー」

 気のない声で送り出して、私は居間に戻る。

 うう……。ガルディス、勉強に関しては本当に厳しすぎる。

 午後をほぼ問題を解くのに使い、洗濯物を畳んだりアイロン掛けたり夕食を準備したりしていたら、ガルディスが仕事から帰ってきた。

「リズ!」

 はいはい。行きますよ。

「おかえりガルディス」

「ただいま。問題は解けたか?」

 いきなりそれか!

「解いたけど、合っているかは分からない」

「では、ちょっと見せてみろ」

 えー。食事が先じゃないの? お風呂は? 悪臭洗い流してからでいいじゃない。

 ガルディスが私を抱っこして居間へと移動する。ソファに座り、テーブルの上に置いてあった、回答の書かれた紙を手に持つ。ちなみに私はガルディスの膝の上だ。

「……うーむ」

 ガルディスが眉を寄せる。

「え。間違ってるの?」

「正解だ。よく解けたな」

 ガルディスが私の頭を撫でてくる。紛らわしい態度をとらないでよ、間違っているのかと思ったじゃない。

「リズ、ご褒美は何がいい?」

 え? ご褒美なんてもらえるの?

「何が欲しい?」

 え、えっとえっと、どうしよう。そんなの考えてなかったから急に言われても……。

「どうした?」

 すぐには決められないよ。えっと……、そうだ!

「庭に――」

「ブランコか?」

 違―う!

「そうじゃなくて、畑を作りたい」

 ガルディスが驚いた表情をする。

「なに?」

「お野菜の種をまいて、育ててみたいの」

 種をまいてから育つまでは時間がかかるから、旅人には野菜を育てることなんてできない。私も今まで野菜作りなんてしたことがなかったけど、ちょっと興味があったんだよね。

 ガルディスが顎に手を当てて少し考え、それから頷く。

「畑か。いいぞ。今度の休みに一緒に作ろうか」

 やった! 作っていいんだ。

「俺は畑なんて作ったことがないのだが、まあなんとかしよう」

 嬉しいな。何の野菜を育てようかな。

「ありがとう、ガルディス!」

 思わず振り向いて首に抱きついたら、ガルディスがぎゅっと抱きしめ返してくる。そして頬ずり。それは痛いってば!

「夕食にしようか」

「うん!」

 夕食を摂って、お風呂に入る。お風呂は一緒に入ろうとしつこく言われたけど、当然断った。そして二階の寝室に行く。

 広いベッドの上で特に意味もなく転がっていると、お風呂から上がったガルディスがやって来た。

 あ、そうだ。すっかり忘れていたけど大切な話をしなきゃ。

「ガルディス」

「なんだ?」

「今日の手紙だけど……」

 私がそう言うと、ガルディスが「ああ、そうだった」と壁際に置いてある棚に向かって行く。

「今日、手紙を出した時に思い出したことがあった」

 思い出したこと?

 ガルディスは引き出しを探って何かを取り出すと、それを持って私の所まで来る。

「これがあったのだった」

 ガルディスが握っていたものを私に見せる。

 大きな掌の上にあるのは、櫛――。

 細かい細工が施されたその櫛は、どう見ても女物だ。

 ガルディスがこんなものを持っているわけがない。じゃあ……。

「これ、あの手紙の女性の?」

 こんなもの私に見せてどうしようと言うのか。俺の女自慢でもするつもり?

「ああ、姉の櫛だ」

「え? 姉?」

 私は目を瞬かせる。姉って……。

「今日の手紙、お姉さんに送ったの?」

「ああ、そうだが?」

「…………」

 紛らわしい! 心配して損したじゃない!

 なんだ、そうだったのか。そういえばお姉さんがいるって言ってたよね。そうだった、そうだった。

「以前、ここに来たことがあるのだが、その時に忘れて帰ったのだ」

 ふーん。で、それがどうしたの?

「リズの髪がぼさぼさなのは、櫛を使っていないからかもしれん」

 ガルディスが櫛で私の髪を梳きだす。

 うーん、そうきたか。でも残念ながら、昔から私の髪はこんな感じなんだよね。父さんの櫛で梳かしてたけど、全然綺麗になんてならなかった。

「ほら、整ってきたぞ」

「……そうかな?」

「ああ」

 ガルディスは髪を梳かし続ける。引っかかって凄く梳きにくそうだけど、それでも私が痛くないように、丁寧に何度も梳かす。

「きっと明日には艶々になるぞ」

「……うん、そうだね」

 そうなればいいな。

 しつこいくらい髪を梳かして漸く満足したのか、ガルディスが櫛を棚に戻して「寝るぞ」と言う。

 うん。もう眠いよ。

「おやすみ、リズ」

「おやすみ、ガルディス」

 いつもと同じように、私を抱きしめるガルディス。でもいつも背中をぽんぽんと叩いてくれる手は、今夜は私の髪を優しく撫でている。

 眠る寸前、私は父さんを思い出した。美しく靡く長い髪。あんな艶めく銀髪になれればいいな……。


 そして翌朝――。

 目覚めた私は伸びをして、何気なく頭に手をやって首を傾げた。

 なんだかいつもと感触が違うような……。

 え。まさか!

 髪を一房掴んで目の前に持って来る。目に映るのは、艶やかな銀の髪だ。

 私は目を見開いた。

 な、何この銀髪。いつもの汚い灰色じゃない! この色は、そう、父さんと同じ色だ。

 呆然としていると、隣から身動きする気配がした。ガルディスが起きたようだ。

 目を覚ましたガルディスは、私を見て目を見開いた。そ、そうだよね。驚くよね。

「おお、やっぱり櫛を使うと違うんだな。綺麗になった」

 えええ! ちょっと待て!

 櫛を使ったくらいで、こんなに艶やかにならないから! ましてや色なんて変化しないから! おまけに一晩で髪が伸びたりしないから!

 そうなのだ。肩の少し上だった私の髪は、肩よりも少し長いくらいまで伸びていた。

 あり得ないでしょ。なんで普通に受け入れているの?

「ああ、そうだ」

 何を思ったのかガルディスは立ち上がり、昨日櫛を出してきた引き出しを探る。

 なに? また髪を梳くの? もういいよ……。

 しかしガルディスが持ってきたのは櫛ではなかった。

「これもあったんだったな」

 これ、と見せられたのは髪留めだ。

 ガルディスは、私の長くなった前髪持ち上げ、花を模した細工が美しいそれで留める。

「ああ、やはり顔が隠れていないほうがいい。可愛い顔をしているのだから」

 微笑まれ、胸が激しく鼓動する。

 か、可愛いなんて、そんなお世辞言って……。

「よし、じゃあ着替えるか」

 思わず動揺してしまっていた私の寝巻きの裾をガルディスが掴む。そして一気に寝巻きを脱がされた。

 ぎゃあ! 何すんのよ、馬鹿!

 さらさらの銀の髪が、ふわりと舞った。

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