1 「山賊と保護される私」
保護――。
目の前にいる老婆に優しい笑顔でそう言われ、私はいつも眠そうだと言われる目を大きく開いた。
ある事情から一人旅をしていた私は、この街――マルトルパ、通称マッパの街に数時間前に着いたところだった。
この街は決して大きな街ではないけど活気があってなかなかいい街だな、なんて思いながら見て回り、さてそろそろ今夜の宿を探さなくてはという段階で、私はとんでもない事態に陥っていることに気づく。
銀行ギルドの預かり札が無い!
銀行ギルドでは、貨幣の両替や貸付、預かりをしている。ギルドに金を預ければ、引き換えに預かり札というものを渡される。その預かり札があれば、銀行ギルド加盟店ならどの街でも国でも預けた金を引き出せるという仕組みになっているのだ。
そう、預かり札があれば、だ。
逆に言えば、預かり札が無ければ金は引き出せない。今夜の宿代も食事代も、それに旅を続けることも出来ない。
焦った私は道の端で小さな鞄の中身をぶちまけ、ポケットを探り、絶対にありえない靴の中まで調べた。
垂れ下がっている瞼を限界まで引き上げ、汚い灰色のぼさぼさ髪を振り乱し、血走った目で荷物を探る。道の端で鬼気迫る様子で荷物を探る襤褸を着た痩せこけた子供の姿に、道行く人々は驚きながらも通り過ぎる。
そうやって荷物を引っ掻き回して、やがて私は悟る。
無くした……。
落としたのか掏られたのかは分からない。だが預かり札が無いことだけは確かだ。
どうすればいい。落としたのなら誰かが警備隊の詰所にでも届けてくれている可能性もあるが、この街で落としたのかも分からない。預かり札を詰所に探しに行って、何故こんな子供が預かり札を持っているのかと不審に思われるのも危険だ。
「再発行ってできるんだっけ……」
銀行ギルドに行って事情を話せばなんとかなるのか。いや、たとえ再発行ができるとしても、果たして身分を証明するものさえ無い子供相手にそれをしてくれるのか。
道端に広げた荷物もそのままに、私はただただ呆然とする。立ち尽くす子供に、さすがに周囲の人々も異常に気づく。と、そこで――。
「どうしたの? 親御さんは?」
掛けられた声に顔を上げると、そこには老齢の男女が居た。
「お母さんかお父さんは近くに居るの?」
お婆さんが私の前にしゃがみこみ、優しく話し掛ける。その間にお爺さんが散らばっていた荷物を勝手に私の鞄に片付ける。
なにも答えられない私に、お婆さんはお爺さんと目を合わせて頷いた。
「私達、これから夕食なのよ。一緒にいかが?」
お婆さんは立ち上がり、私の手を引いて歩き出す。いつもなら絶対に付いてなどいかない。だけどその時は預かり札を無くしてしまったことで混乱をしていて、ふらふらと手を引かれるまま付いて行ってしまった。
そして私は、温かい家で美味しい食事を出されてすっかり油断してしまっていた。いつの間にかお爺さんが居なくなっていたことにさえ気づかないくらいに。
「大丈夫よ。何も怖いことは無いのだから」
お婆さんが私の頭を撫でる。
……やばい。この人たちは親切過ぎた。小さな子供がひとりでいるのを見て、余計な気を回してしまったようだ。
私は椅子から立ち上がり、後退りをする。保護なんてされたら旅ができなくなるかもしれない。
「……保護は、必要ないです」
できるだけ冷静な声で言う。
「お爺さんがね、警備隊に知らせに行ってくれているのよ。だから安心して」
安心できるか!
恩を仇で返すようで悪いけど、ここは逃げておいた方がいい。
鞄を掴み、踵を返すと私は玄関へと全力疾走する。お婆さんが「待って」とか言って追いかけてくる気配はしたけど、老齢の彼女に追いつけはしないだろう。
私は玄関のドアを乱暴に開けて外へと飛び出す。
よし、とにかくこの家から離れよう。その後のことはどこかの路地にでも隠れて考えればいい。小銭ならまだポケットに少しだけ入っている。それで行けるところまで行こう。何処かの店の荷馬車にこっそり潜りこんでもいい。来たばかりで残念だけど、この街にはもういられない。
と、決意した時、
「…………!」
何かにぶつかった。
顔面を強かに打ち、痛みに悶える暇もなく後ろに体が吹っ飛ぶ。ああ、これは地面に叩きつけられる。そう覚悟して目を瞑ったが――。
「…………?」
衝撃はこない。私の背中に回る腕の感触。誰かが私を支えている……?
そっと目を開けてみれば、黒い瞳と視線が合う。
「…………」
大きくがっしりとした体。黒く鋭い目に、大きな鼻、分厚い唇、無精髭に乱れた黒い髪。そして……、なんだか少し臭い。
私はヒュッと息を吸い、次の瞬間声を限りに叫んだ。
「いやあああ! 山賊だあああ!」
山賊だ、山賊が山から下りてきたぞ! この街で暴れる気だ、みんな逃げろー!
「金目の物なんて何も持ってない! 離して!」
略奪なんてできないからね。むしろこちらが欲しいくらいなんだから!
逃げようと必死に手足をばたつかせる。ところがそこに、焦っている感じのしわがれ声が聞こえた。
「こ、こら待ちなさい。この方は警備隊長さんだ」
へ? 警備隊長?
暴れるのをやめ、声のした方に視線を向ける。あ、お爺さんだ。
山賊が私の目を覗き込む。
「こいつか、拾ったガキというのは」
お爺さんが「は、はい」と答える。
山賊は頷き、私をしっかりと立たせると目の前にしゃがみこんだ。山賊の大きな左手が私の右手首を握っている。それはまるで、絶対に逃がさないから変な気を起こすなよ、と言っているようで恐ろしくなる。
「俺はこの街の警備隊長のガルディスだ」
警備隊長って本当に? 山賊じゃないの?
私はちらりと、男が左手の中指にはめている、ごてごてと装飾が施された趣味の悪い指輪を見た。これ、商隊を襲って略奪した品じゃないの?
「坊主、名は?」
あ、男の子だと思われてる。違うんだけどまあいいか。
「…………」
「名は?」
山賊……じゃなくて警備隊長の目が鋭さを増す。ひええ、怖い。
「……リズ」
思わず答える。
「いくつだ?」
「……十三」
少し迷ってから年齢を告げれば、警備隊長が呆れた表情をした。
「嘘吐け。どう見てももっと小さいだろ」
灰色のぼさぼさ頭を乱暴に撫でられる。ちょっと、痛い!
「坊主、いくらなんでもサバのよみすぎだぞ」
確かにサバはよんでいる。ただし警備隊長が思っているのとは逆にだけどね。
「何処から来た? 何故この街に?」
チッ。事情聴取か。正直に言っても信じてもらえないだろうから黙秘。
警備隊長は「うーん」と唸ってから大きく頷いた。
「よし、分かった。うちに来い」
は?
警備隊長は、お爺さんと私を追いかけて外に出てきていたお婆さんに、自分がこの子を保護すると話す。お爺さんとお婆さんは安堵した表情をするけど、え、ちょっと待って、この警備隊長が私を保護するの!?
「嫌だ!」
叫んで手を振り解こうとする私を警備隊長が抱き上げる。うわ、このひと身長が凄く高い! 二メートル……は無いかな。でもそれに近いくらいはあるんじゃないの?
高さに驚いて思わずしがみつけば、警備隊長が破顔した。
「よーし、いい子だ。じゃあ行くか」
だから嫌だってば!
「行かない!」
「ガキが遠慮するな。部屋なら余っている。なんせ俺は一人暮らしだからな」
警備隊長がお爺さんとお婆さんに「大切に預かるから心配するな」とかなんとか言って感謝されているけど、私の意思は? なんで勝手に決めるのよ!
警備隊長が私を抱っこしたまま歩き出す。
「離して!」
「分かった分かった。家に着いたら下ろしてやるぞ」
すれ違う人々が私達に視線を向けて驚いた表情をする。
誰かー、山賊にか弱い子供が攫われていますよー!
……て、助けてくれる人なんていないよね。みんな自分の身の方が大切だ。私だってこんな場面にうっかり出くわしたら全速力で逃げるよ。
そうして辿り着いたのは、一人暮らしにしては大きな二階建ての家だった。