外伝その一 武蔵の嫁取り物語 (下)
さて武蔵は既に三十路に入っているのだが、まだ独身である。
なぜかってまず放浪時代は妻帯とか論外、当たり前だが。
福島家に仕えて以降も、そっからまず十年は仕事仕事の連続で。
とても落ち着いて妻帯とかできる状態では無かった。
奉行をやめて故郷に帰るとき、豊臣(福島)正則が、妻を斡旋しようとしてくれたのだが……しかしそれは断った。あまり身分の高い嫁さんとか勘弁だったから。
武蔵のメンタルは前世では普通の庶民、現世では元々ほぼ農民でギリギリ武士って程度の、つまり地侍なのである。高位の武家貴族のお嬢様とか、大坂時代には見る機会も多かったけど、なんか違う。あれを嫁さんに? やっぱり違う。円満な家庭とか築けそうな気がしない、生まれが違い育ちが違い、メンタルが違いすぎる。
結婚を考えなかったわけではない、筆頭家老の北川丹山などは近頃は顔を見るたびに縁談を押し付けてこようとする、殿も一国の主となられたからにはもう我儘を言ってはなりませんぞ、血筋を伝えて家を安定させることは主君たるものの重要な義務ですぞ!と言ってることは正しい、言われずとも分かってるのだが……
かつて武蔵は、この宮本村にいた頃は……真面目に結婚とか将来像とか、考えていたのである。そのうちクソ親父を追い出すか叩き殺すかして、隣のお通ちゃんを嫁にして平和に暮らしていこうと。具体的に、きちんと考えていた。
だが、それ以降、村を飛び出して以降は……
結局、まじめに考えることが無かった。
死んで元々、力の限り暴れて。
その後も限界を超えて仕事して。
今、こうして振り出しに戻ってきて。
やっと、少し、落ち着いた。
これまで走り続けてきた、その気持ちが、少しだけ切り替わり……
やはり自分にとって一度ここに帰ることは必要な儀式だったみたいだな。
それが分かっただけでも意味あったか。
さて……長居してもみんなに迷惑だろうし。
帰るかな。
お通ちゃんには会ってないが今更会っても気まずいし……
よし、帰ろう。
村外れの小川が流れている位置でぼんやり考えていたのだが。
腰を上げて、立ち上がり、もう一度、村の方を眺め……
そこに、意外なほど近くに、一人の少女が立っていた。
おや刺客かな? だったら切るけど。
ごく平然と刀の柄に手をかける武蔵。
相手が少女であっても油断も容赦も一切無い。
武蔵が軽く殺意を持って柄に手をかけただけで。
少女は「ひっ!」と小さく悲鳴をあげて、腰を抜かしてしまった。
地面に座り込み、茫然とこちらを見上げている。
よく見ると、鄙には稀な美少女である。
とは言ってもだな、つまり……「村一番の美少女」レベルで。
大坂時代が長い武蔵は、付き合いで大坂新町の遊郭に登楼したことも何度もある。この世界では日本一の遊郭である。しかも筆頭奉行である武蔵は接待される側で、店側は常に最高クラスの妓女をこちらにつけてくれた。ああいう「日本有数」レベルの美女を既に武蔵は見慣れていた。
だからすぐには気付かなかった、このくらいのレベルの……
まあ美少女だけど、今見ると、そこそこ、でも見慣れた顔。
そうだ、かつて自分が真剣に結婚を考えてた、お通ちゃんくらいの……
あ、そういえば、似てるわ。
「お通ちゃんの……娘か?」
武蔵は刀の柄から手を放して、普通に質問してみた。
「は、はい、そうです!」
「全く……後ろから黙って近づくなよ。あと少しで切るところだったぞ。」
「す、すいません!」
「何か用か?」
「その……」
ある朝、目が覚めたら、昔の日本の農家っぽい家の子供でした。
転生キター!と喜んだのは最初だけ。
田舎の農家、子供でも立派な労働力。水汲み、芝刈り、草抜き、まだ小学生か下手したらそれ以下って年齢でも容赦なし! 次から次にやってくる労働!
幸い、うちは村の中では裕福な方だったんだけど……
それでも働かされるのは変わらない!
こんな田舎の村でひたすら労働、そして年頃になったら村の中で結婚、そうして村の中で一生を終える……それでは転生の意味ないでしょーが!
一体何のための転生なのかわけわからない。
しかしそんなこと考えてる暇もなくひたすら労働、疲れ切って就寝!
他に何もなし!
そうして忙しく毎日を過ごしてる中で……
あるとき、大人たちが深刻な顔で相談しているのを聞いた。
タケが殿様、間違いないらしい……
そのタケが今度、この村に来るらしい……
タケは悪い奴じゃなかった、それはわかってるのに俺たちは……
でもあの時は仕方なかった……
タケが怒ってたら……どうする?
どうするも何も……殿様だぞ……手も足も出ないよ……
はぁ……こんなことになるとは……
断片的な情報しか得られなかったけど、それを総合すると……
この村にはかつて、タケという男の子がいたらしい。
働き者で真面目で、顔がちょっと怖いけどいい子だったらしい。
私のお母さんの実家の隣の家に住んでいて、将来は、そのタケって子と、お母さんが結婚する予定だったらしい。
しかしその子は、戦に行った。そこで大手柄を立てた。
でも全体としては負けた側に属していたから、追われてしまって……
この村にも追手が来て、その追っ手を全部、倒してしまったとか。
そしてそのまま出て行った。
帰ってくるとは誰も思わなかった。
だからお母さんは、村一番の美少女だったし、村長の息子に嫁入りして。
私が生まれたと。
ちなみにお母さん、普通に幸せに暮らしてます。何の問題もなく。
しかし信じられないことにその子は、出て行った後で、遠くで戦い続けて。
勝ち続け、手柄を立てまくり、成り上がり……
そしてこの辺全部、村だけとかそういうレベルじゃなくて。
この村も属している旧分国領土全部の殿様にまで成り上がったと。
なにその出世物語、ありえない。
どうも情報を集めるとここは美作?
美作出身で、美作全部の殿様になった大名?
そんな人……前世の記憶を浚っても出てこない。
歴史には結構詳しい自信があったのに。
そのタケさんとやら、本当の名前は?
え? ええ!?
宮本武蔵ーー!!
いやそれありえないっしょ
「と、言うわけで! ずるいわ! 宮本武蔵なのに! 大人しく佐々木小次郎とかと戦って九州あたりで地方興行やってなさいよ! なんで美作の殿様なんかになってるのよ! もう歴史改変終わってるのよ! せっかく私も転生してこの時代に来たのに私にできること残ってないじゃん!」
「……まさか、お通ちゃんの娘が、俺と同類だったとは……いや、でもな娘。」
「私は竹よ。おたけ。」
「タケって俺と同じ名前じゃん、なんでそんなややこしい。」
「知るか! それよりずるいわよ、私も活躍したかったのに!」
「いや、女だとな。よほど最初から身分高いとこに生まれないと無理だろ。」
「あんたは身分低い所から成り上がったじゃん!」
「死ぬ思いして戦い続けた末に、やっとここまで来たんだっての。女のお前ではどう考えても無理だろが。」
「そこは私のこの美貌で! きっと偉い人に見染められて成り上がるのよ!」
「まあ村一番の美少女、現代でいえばクラスで一番可愛い子、くらいのレベルでは、あると思うが。」
「でしょう!」
「あー……悪いが、全国レベルでは無いと思うぞ。淀殿とかさ、うぜえオバサンだったけど美人は美人だったぞ、圧倒的に。ちょっと比較にならんなあ……」
「そんなことない! え、でも……あんた淀殿とかに会ったの?! すごい、ずるい羨ましい! 有名人にもたくさん会ってるんでしょ!? 私も会いたい! 連れてってよ!」
「今の俺は美作に引っ込んでますので、あまり会う予定はありません。」
「でも会う可能性はあるんでしょ! 私なんて、このままこの村にいたら可能性すらゼロなのよ! お願い連れてって!」
「あのな、平和に村で暮らしていけるってのはすごく貴重なことであってな、俺も好きで出て行ったわけじゃないっつうの。いいから大人しく……」
「そこをなんとか! ほら、現代知識を持ってる人間とか、きっと何かの役に立つわよ! あなたも殿様だったらそういう知識を持ってる人が……」
「ちなみに聞くが、お前の前世は?」
「えーと……普通のOLでした……24歳独身恋人なし……」
「学生時代は何に打ち込んでいましたか?」
「地元の中学から高校、短大に行って……えっと、普通に暮らしてました。でも歴史小説とか好きだったの、これは女の子だと珍しいでしょ? ほらそういう歴史知識があるときっと役に立つって!」
「もう役に立たないレベルまで歴史は変わっておりますので。申し訳ありませんが不採用ということで、地元で大人しく暮らして下さい。」
「その歴史を変えたのはあんたでしょ! ずるいずるい!」
「あーもう、いいから大人しくしてろ、俺は帰るから。」
「待ってよー! そしたら私が有名人に会えるチャンスが!」
「知るか。帰る。」
「待ってー! おねがい!」
故郷の宮本村に滞在中、武蔵は村娘、お竹と出会う。
二十歳は年下であったし、ちょっと可愛い程度の顔立ちで。
それほど武蔵が惹かれる要素があったとは思えない。
ただ娘の方は初対面から異様なほど、武蔵に懐き……
どうしても一緒に行きたいと駄々をこねたらしい。
武蔵は適当にあしらっていたのだが……
それを見た村人が気を回し、手元で使ってくださいと差し出してしまう。
いや、なんか妙に仲良さげに見えたんだよ。
特別な親しみを……互いに感じているような。お竹からだけの一方通行でなく。
村長も、その息子も、息子の妻(お通ちゃん)も……
皆、悲壮な表情で真剣に頼むので……
面倒になった武蔵は結局そのまま、お竹を連れ帰る。
あ、新免家の家屋敷と田畑は村長に預けて、適当にそっちで分けろと言って片付けておきました。
お竹は有名人に会いたいようと騒ぐミーハーな小娘であったが。
実は特に難しいことを考えているわけではなく。
ごく気楽な性格であり、武蔵も一緒にいるとリラックスできた。
そうして自然に親しくなる二人。
この時空でも参勤交代の制度はあった。武蔵が提案して作った。しかし史実の一年おきの参勤交代では大名にかかる負担が大き過ぎるので、基本は三年に一度、奥州など遠隔地だと五年に一度も認めるという制度にしといた。大坂に滞在する期間も半年で良い。あまり長く大人数が留まると、それで出ていく費用も凄いからな。家族は大坂住まいにして人質をとるとかケチな真似もしていない。ただ嫡子には数年間、大坂城に出仕して働く義務を設けた。大坂城勤務経験が無いと後継ぎとして認めてもらえないことになってる。
美作は大坂から結構近い。三年に一度、大坂に行く必要がある。
丁度、次の年がそうだったので、お竹を大坂に連れて行ってやる武蔵。
大坂観光で大はしゃぎするお竹。
有名人には余り会えなかった、なぜか?
当たり前である、身分が無い。
大坂城に入れるほどの身分、お前には無いからね?
身分高い人を、俺の屋敷に招くときでも……
タダの村娘、見習い侍女A程度のお前は接待に出さないからね?
あたりまえだろが。
うぬぬ……悔しがるが言い返せない。
このままでは折角、大坂まで来た意味がない……!
どうすれば身分を高くできるのか……?
ひらめいた!!
お竹は武蔵とどこか似ていて、お気楽でノリと勢いで生きている生物だった。
見慣れたらそんなに怖くないし、精神年齢は大して変わらないし?
肉体年齢は二十くらい違うけど……
私の方は構わないって言ってるんだから別にいいっしょ!
気の合う友人として、お竹を信用していた武蔵は……
酒を大量に飲まされて、泥酔した隙に……
がっつり食われてしまう。
次の朝。
自分でやったくせに「痛いよう……」と寝床で布団に包まって泣くお竹。
アホか! と突っ込みながらも看病してやる武蔵。
でまあ、なんだかんだで……
一発必中とか、しちゃったもんで……
子供ができたら落ち着いたみたいです。普通に良い嫁になりました。
適当に地元名士の養女にさせて、身分作って正式に嫁に。
「だって織田信長に一番会いたかったのに、いないじゃん……」
「時代が違うだろ、俺が宮本武蔵って時点で会えないって分かるだろ。」
「えっ! そうなの? あちゃー、そこは気づかなかった……」
「お前の歴史知識って……」
「いいの! 細かいことは! ほら三人目がお腹にいるんだから! 私に優しくしなさい! 今度は男の子かな、女の子かな!」
「既に両方いるからなあ……どっちでもいいって。」
「もう! 奥さんの話題には、ちゃんとノリなさい!」
「はいはい……」
ちなみに生まれたのは男女の双子だった。
武蔵とお竹の間に生まれた子供は、上から。
長男、武一、長女、小竹、次男、武次郎、次女、笹。
タケつながりの名前がついている。これは宮本家の伝統となり、少なくとも嫡子の名前は、タケなんとかって感じである。
年は多少離れていても。
とても仲の良い、夫婦であった。
めでたしめでたし。
お竹はアホの子です。こっちに生まれてからも武蔵程の苦労してない。
お気楽な現代人メンタル、そこが良かったのか。
それはともかく、今では美作の可愛い奥方様として人気者(本人談)
次も不定期だからまた完結済に直しておきます
ではまた忘れたころにノシ