表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
作州浪人  作者: 邑埼栞
21/29

第二十一話 おめでとう島津! おめでとう!





 大坂はこの当時にあっては経済の中心地であり繁栄は日本一である。


 江戸はまだ発展途上、実際、江戸という新設都市が発展し成熟し、文化的にも上方に劣らない程に成長するのは江戸時代も半ば以降となるのだからこの段階では勝負にならん。


 京都は日本のあらゆる「権威」の卸問屋である。天皇家より正式に下された官位というものは、何だかんだいって正統性の保証としてこれ以上のものがない。




 我が殿、福島正則は、朝廷より正式に正三位、大納言の官位を賜る。


 以降、通称は「播磨大納言」となった。


 豊臣家においては筆頭大老。


 支配する領土の石高は豊臣家直轄領を超えているし、また他でもない、太閤殿下の息子同然の腹心中の腹心、福島正則、その強引な性格もあって、彼が豊臣家内の差配も事実上、独断で行ってしまうようになるまでに時間はかからず。


 なにせこの当時豊臣家の家老である片桐且元は、正則とは昔の七本槍仲間だが……領土の規模は段違いであり、対抗できる程の力を持たないし。もともと穏健な性格の且元、年下でも強引で半キチな正則は苦手であり、面と向かって物を言うのもキツいくらいだったのだ。

 後は女子供、淀殿と幼児の秀頼しかいない。


 そして淀殿は織田信長の姪ではあるのだが、実は尾張系の武将たちとは縁が薄い。浅井長政の娘だし、近江系の武将との縁の方が遥かに深く、そしてその近江系の連中の筆頭は石田三成であったから関ケ原で没落してしまった。


 尾張系の武将とは、福島正則筆頭に、はっきりいって乱暴な武人タイプが多く、お姫様育ちの淀殿からすると正直言って怖いし、気に入らないのだが……


 だけど文句も言えない、怖いもんは怖い、淀殿は表に口出しとか全くできずに、城中の奥深くに引きこもってしまった。奥でグチグチ言ってるらしいが……福島正則が主導している今の大坂城では何の勢力も成していない。


 なんせ殿は、淀殿なんざ秀吉の妾としか思ってないからな。大坂城の本来の主は太閤秀吉ただ一人、死後ならば、自分の母親同然でもある正妻、北政所様だけが正しい主であると思っており……淀殿の権威とか全く通じないのだ。


 その北政所様は、大坂城に復帰こそしなかったものの……息子同然の「市松」の乱暴な振る舞いに……ほっ、と溜息一つつくだけで……わかりました、あなたの好きにやってみなさい、とあっさり認めてくれたようだ。さすが度胸座ってるわ。


 秀頼を奥に抱え込もうとする淀殿だったが……無駄な努力であった。武装兵を擁してズカズカと奥に乗り込み、秀頼とその周囲の近習を、あっという間に連行して表に連れ出してしまう殿。淀殿とその周囲が文句を言おうにも、その先頭に立っていた武士の余りの恐ろしさに何も言えずに秀頼を取られてしまった。その怖すぎる武士って俺のことなんだけどね!

 秀頼の御座所は表近くにして周囲は福島家の人数で固めてしまう。淀殿たちは何も干渉できない状態をあっさり作ってしまう福島勢。もしも抵抗が酷いようだったら女だろうが構わん、2~3人くらい叩き切って力の差を思い知らせようって方針で乗り込んだら……ビビって何もできんかったよ、所詮ね、こっちが本気だったらこんなもんだな。

 秀頼公は、父秀吉に余り似ず……誰に似てるかといえば……母方の祖父にあたる浅井長政に似ていたと言われる。まあ浅井長政がどんな外見だったか俺は良く知らないけど、中身も浅井長政くらいの人物に成長すれば、教育環境さえ良ければ十分優れた為政者に成り得るはずだ。

 公家系に偏った教育方針は廃棄、それは最低限でよい。それより武家の棟梁としてふさわしい人柄を持ってもらわんといかん。当面は殿が守役も兼ねるけど……誰か適当にそれに相応しい専門の守役を付けないとな……殿に育てられて乱暴者になってしまってもいかん……今まで城の中にいた淀殿の親戚筋の男衆、織田有楽やら織田常真とか論外だしな……やはりこの問題は北政所様に相談するしか無さそうだ、殿に頼んでおこう……


 そういやこの時期に既に、家康の孫娘、千姫が婚約者として城中にいたが……こんな幼い子供にまで何かする気はない。普通に礼遇してます。ただし将来的に、正室にするってのは無理だな……送り返すか、適当にこっちで他に縁談を探すかしてやらんとな……これも北政所様に相談案件だな。




 そうして我が殿、播磨大納言が事実上、福島家百万石に、豊臣家百万石、どちらの力も自由に使えるようになると……この時点では単独の勢力としては恐らく最強だ。福島、豊臣あわせて直接支配している範囲は、岡山県全域、兵庫県全域、京都府全域、大阪府全域、鳥取県東半分、奈良県全域、滋賀県西南部に及ぶ。石高だけでも二百万石を軽く超える。近辺の小大名は軒並み頭を下げに来てるし、近頃は紀州浅野や伊勢藤堂の態度も少しずつ……


 石高で迫る勢力があっても経済力が段違い。なにせ豊臣家、倉の中は黄金で埋まってるからな! マジで! 俺も見たけどすごい迫力だよ!




 そして毛利殿だが……


 まず毛利輝元殿に、正三位、権大納言の官位が行くようにして協力体制を強化。



 毛利家という家は、元来、地方割拠主義であった。


 天下のこととか考えない、中国地方の自分たちの領土を守ること第一と。


 毛利元就がそうせよと遺言したのだ。


 だから中央政治に消極的で、関ケ原でもそうだったのだが。


 消極的に終始した結果、領土大半奪われて防長二州に押し込められた。



 その反省から、今後は中央政界での活動も逃げずにきちんとやろうと。


 そういう明確な意思を毛利家の面々は持つようになっていた。


 地方主義の人たちはごく少数派になっていたらしい。


 でまあ、その気になれば大毛利家、人材はいくらでもいるもので……



 うん、ここ数年で大膨張した福島家と違って。


 元々でかい毛利家だから人材の層と厚みが違うんだな。


 よほど注意せんと毛利家に中央の仕事を奪われかねんほどに。


 毛利家も本気で大坂に力を入れてきて。




 人材が足りないのであちこちからスカウトしたのだが。


 めぼしい人材っつったら、近頃は、元宇喜多家の大将、明石あかし全登たけのり殿とか。


 紀州九度山から連れてきた真田親子くらいしかいない。


 まだ真田昌幸も生きていた。



 明石殿は九州にしばらくいたそうで、俺の親父の消息とか知ってた。


 黒田家に仕えてそこそこ出世してるらしい。


 どうでもいいけど。興味無いしー


 そのうち黒田家と戦うことがあったらクソ親父、俺がトドメを刺してやる!


 って言ったら、向こうも同じこと言ってたと明石殿、大爆笑。



 明石殿も真田殿も、数万規模の軍を指揮できるこの時代でもレアな上級指揮官。


 豊臣の手勢は数こそ多くてもそういう有能な指揮官が足りなかったので。


 組織編成を大きく変えて、明石殿と真田殿が実際に指揮するようにしてしまい。


 これで人数通り、いや人数以上の力を発揮できる軍隊に変わったはず。




 さて各地に大諸侯が蟠踞し、これ以上の身動きが取れない現状。


 最初に動きがあったのは北九州であった。



 黒田如水、やっと死んだ。病死だったそうだ。ていうか寿命だろな。



 福岡、佐賀、大分、長崎までほとんど統合しやがったからな……


 実質二百万石近く行っていたのでは。


 九州中部で加藤清正。


 九州東部で島津勢と。


 戦いながらどちらの戦線でも押し気味に戦を進めていたという。


 もう勘弁してくれって爺さんであった。




 おっしゃああああ! 如水のジジイがくたばったぞおおお!! と、


 九州の黒田家以外の面々は、その一報を聞くだけで宴会を始めたらしい。


 嫡子の黒田長政も有能な男だが……


 しかし如水のジジイほどに恐ろしくは無い!




「で、北九州はどうする?」

「いくらなんでもあの黒田家の規模は無いです。分割するべきですね。」

「具体的には?」

「毛利に豊前小倉と、下関海峡を上げましょう。肥前長崎には鍋島復活、博多のある福岡は細川を復活させて任せて、黒田は恭順しても豊後大分だけを領土として認める。恭順しないなら、北から毛利、南から加藤、島津……我が軍も出しましょう、毛利と連合して北から黒田に攻め込みます!」

「我が家の取り分は?」

「平戸を『豊臣家』の直轄領にしましょう。あそこが対外貿易には実は一番向いた地形であると評判です。長崎は実は二番目だったとか……新秩序を全て豊臣家筆頭大老、福島大納言の名前で出し、命令をきかないものは討伐します、これで実際の権力を握っているのだと全国に知らしめます!」




 豊臣家筆頭大老、播磨大納言こと福島正則からの一方的な命令が、黒田長政の元に届いたのはそれからすぐだった。


 黒田長政も、正則と同年代で、共に武功を競ったライバルだった。


 あの市松めに一方的に命令されるなど我慢ならん……!


 というのが本音であったが……



 しかし親父がやり過ぎたのは分かってる。


 そして自分が親父程に出来ないということも。


 ここまで拡大した領土の四分の三ほどを捨て、豊後大分だけに引っ込むと……


 拡大した家臣団もほとんどを解雇せざるを得ないがしかし……



 黒田長政の本質は政治家である。


 父の黒田如水が、柔らかな外見の印象と異なり骨の髄から戦国武将だったのと違って。


 息子の彼は武将ぽい外見をしていても本質は平和な時代に生きる政治家。




 だから情勢がどうしょうもないのは分かってる。


 軟着陸して、豊後一国の大名として生き残れるなら御の字だろう。


 なんとかそこに持っていきたい、つまり正則の命令を聞きたいのだが……



 しかし父の代にバカみたいに拡大した家臣団がそれを許さない。


 このまま九州を統一、その勢いで天下取るぜ! ヒャッハー!!ってのが……


 ここ最近の黒田家のノリだったのだ。


 長政はそれに正直ついていけない。




 長政は豊臣家からの使者に内情を正直に打ち明けて嘆願する。


 どうしても一戦、二戦くらいはせざるを得ない、家中が納得しない。


 だが自分の意思は恭順にある、豊家に逆らう意思は無いのだと……




 そこで結局起こった戦争、北九州包囲網。



 加藤家、島津家の面々は、これまでの復讐だ! と苛烈に攻め上がる。


 細川や鍋島の連中は働き次第で領土が与えられると内示されてるから必死に!


 北から毛利福島連合軍が。


 毛利は昔から北九州にも興味があった。ていうか何度か領有にも成功してる。


 秀吉に取り上げられたけど。


 今回は豊前小倉と下関海峡の支配が許可されてるから大喜びである。



 なんつーかここまで四方八方敵だらけで。


 それでも全部、なぎ倒して押し気味に戦を進めてきた。


 如水の爺さんがバケモノ過ぎただけだったのだ。


 それが死ねばこうなるのは当然という結果で……



 当初の予定通りの結果となった。



 あ、俺も近頃出世して、タダの前線指揮官から……


 正式に殿の近習、馬廻りの側近になってたんで。


 軍監として一部の戦には同行したんだが……


 向こうの大将が実はやる気ない状態で、こっちは全員やる気まんまん。


 黒田如水でなければまとめることなど不可能な個性溢れる黒田軍……


 こうなると実質ほとんど烏合の衆に等しく……


 結構あっさり片付いてしまった。


 親父には会えなかったなあ……


 見つけたら鉄砲隊で狙い撃ちにして「剣術使いwwwザマアww」って


 やってやろうと手ぐすね引いて待ち構えていたのに……



 それはともかく




 戦後処理はすべて、豊家筆頭大老、播磨大納言、福島正則の名で行われた。


 九州各地の領土も確定し、これ以降に文句言うようなら処罰するぞ!と。


 厳しく通達して引き締めなおした。



 そしてこの頃、今の状況を作り出した台風の目、播磨大納言の名は。


 九州までも響き渡り、誰もが一目置く状態だったので、処理もあっさり済み……


 九州の諸侯は上洛して、改めて豊家に忠誠を誓い、官位も下される流れに。




 さて黒田は負けて、豊後一国に押し込められた。


 鍋島は復活し肥前に。


 細川も復活し筑前に。


 他の小名は色々いるけど割愛。


 こいつらは良いとして……



 残った九州の大勢力は、肥後加藤、五十万石。


 薩摩大隅日向、八十万石の島津。



「やはりどちらかに豊家の大老になっていただかないことには。その方に九州探題も兼ねて貰って、九州の治安維持責任者に。」

「……俺としては……虎之助にそうなってほしいのだが……」

「しかし実力の差が。どう見ても島津が最強ですし、島津義久殿は年齢、実績から言っても大老になって誰もが納得する人物ですし……島津家は他に人材も多いので、国元はもう跡継ぎに任せて自分は大坂に常駐して、大老の仕事に専念すると言っておられ……」

「島津義久殿では、俺でも気後れする戦歴の方だぞ……虎之助なら気楽に付き合えるのだが義久殿では、きつい。」

「しかし殿……致し方ありません。」

「……そうだな。」




 福島正則、内大臣に官位を進める。以降の通称は福島内府。


 毛利輝元、大納言に官位を進める。



 そして島津義久、従三位、中納言を贈られ、正式に豊家大老として迎えられる。


 島津中納言の誕生である。鎌倉以来の歴史を持つ島津家といえどもここまで高位に登ったものはいなかった。


 その通達が薩摩に届いた日。


 鹿児島城下は花火を打ち上げて、お祭り騒ぎになったそうな。


 ちなみに「大老祭り」と言われて現代まで続いている、その由縁である。



「取り返した……! いや、太閤殿下が生きておられた頃より上に!! 今度こそ失敗はしない! 前は中央の情勢を軽視し過ぎていて全てを失うところだった……同じ失敗だけは絶対にせんぞ!」


 島津義久は滅茶苦茶気合を入れていた。


 史実だとそろそろ元気なくなって寿命が来るはずだったんだが……


 この状況で復活したらしい。


 まったくあっちもこっちも元気な爺さんだらけで困るぜ!









評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ