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作州浪人  作者: 邑埼栞
19/29

第十九話 第二次・山崎の合戦


 どうも宮本武蔵です。


 備前美作播磨その他あわせて100万石、福島家の侍大将やってます。


 既に給料は1000石ほど貰ってます。物頭ものがしらって身分ですな。


 なお実戦ではその禄高以上の人数指揮してます。


 いきなり千石?って思うかもだが、なにせ福島家自体がね。


 尾張二十五万石→広島五十万石→備前美作播磨その他百万石、と。


 無茶苦茶な勢いで拡大成長中だからねー。そのおこぼれである。




 ちなみに史実の宮本武蔵は結構、出世欲もあったと言われている。


 物頭くらいに出世したかったとか。


 だから葬式も物頭格でやってくれと、わざわざ遺言したとか。


 うん、物頭なら、これは上級の端っこに入る指揮官なんだ。


 命令聞くだけの下級武士じゃなくて。


 そのくらいに出世したかったなあって史実の武蔵の希望を……


 あっさり達成しちゃったよ。


 史実の武蔵はその出世を望みながらも、ただの客分扱いで終わる。


 対して俺は既に物頭。


 既に史実とは……完全にかけ離れたと言って良いだろうな……





 あれから数年経ちました。



 経緯を簡単に説明しましょう。



 まず毛利相手の交渉は意外とあっさり済みました。


 広島やるからってカードは毛利相手には最強でした。


 播磨の池田滅ぼすの手伝うくらい超余裕、大歓迎でした。



 毛利も本来、中国地方の半分以上支配していたのにいきなり山口県だけに押し込められて多過ぎる家臣を養えず四苦八苦していたので。


 それに関ケ原の時も毛利は消極的だったんだよな、家康に全面的に敵対したとは言えない態度だったのに。


 なのに家康はその毛利に徹底的に難癖をつけて領土を大半奪った。


 本来の歴史なら幕末まで持続する程の恨みを毛利は持っていたので。


 毛利輝元、覚醒して本気を出して大暴れ。


 山口、広島、島根、鳥取の一部まで制覇して。


 こっちも百万石超えてます。



 そして福島との同盟が命綱なので、強固な同盟関係が築けています。


 互いに背を預けて、敵に囲まれた状況ですからね。



 毛利と福島あわせて軽く二百万石を超えております。


 これだけで天下を敵に回して戦える勢力であります。




 九州の方では、まず島津が暴れております。


 島津家は本来、薩摩、大隅、日向が支配地でありました。


 日向すなわち宮崎県の支配は太閤秀吉の時代に既に結構失われたのですが。


 こんな機会逃せませんので、ほぼ日向全てを再支配に成功。



 肥後の加藤清正は、島津相手の警戒があるので勢力を余り伸ばせず。


 周囲を少し浸食したくらいです。


 でも位置が良いですからね、九州。


 大々的に対外貿易をやって大儲けしてるようです。



 筑前の黒田家だと、もうすぐ死にそうだった隠居の如水さんが。


 この状況を知って甦り、逆にすっげえ元気になって。


 また、やり始めました、懲りない爺さんです。


 息子の長政も、この状況だし、止められない模様。


 周囲の大名家を軒並み併呑。北九州ほとんど統一してしまいました。


 これで黒田も軽く百万石を超える大勢力です。




 次に四国。


 山内家が入った土佐で、長曾我部ちょうそかべの反撃が大々的に起こり、成功。


 山内家は滅亡し、土佐の大名、長曾我部が完全復活しました。


 だが関ケ原で散々苦労した末に全てを失った男、長曾我部ちょうそかべ盛親もりちか


 彼は慎重でした、父のように安易に単独で四国制覇しようとせず。


 阿波徳島の蜂須賀と組みました。


 四国の二分策です。


 長曾我部は土佐から伊予に攻める。


 蜂須賀は阿波から讃岐に攻める。


 そして分け取りする作戦、順調のようです。


 ただ四国は山がちの地形で防御側が有利なので。


 まだ戦争中のようです。




 次に近畿地方ですが。


 ここで先年、第二次、山崎合戦が起こりました。


 西軍は主力は福島勢、毛利から援軍も。


 東軍は大将は越前70万石、結城秀康、その他って構成で。


 こっちは大坂から京都目指して。


 向こうは京都から大坂目指すと。


 自然にその中間地点で郊外の山とかあって会戦しやすいところ。


 山崎あたりで戦うことになるんだなあ。


 激しい戦いに一進一退、なかなか決着つかなかったのですが……



 なんと不運なことに、敵将、結城秀康、体調不良で撤退。


 そうなんだよね。


 結城秀康って、家康の次男で、本来なら三男の秀忠より上なのに。


 家康に嫌われて地方回りばっかりでヤケになってて。


 若い頃から遊女遊びが激しくて、梅毒になってて。


 史実でも若くして死んじゃう人なんだな、これが。



 史実通りに若くして死んじゃったようです。



 いやー、あの人がいる限りは近畿に進出できなかったけど。


 死んでくれたらこっちのもんでしたわww



 とは言ってもこっちも犠牲大きかったから一回退いたんだけど。



 越前の上の加賀前田、越前が混乱してるのでとか言い訳しつつ。


 徐々に領土を広げている模様。


 前田利長、普段は韜晦してるけど実は出来る男と評判。




 東国で大きい動きといえば。


 上杉が越後に雪崩れ込みました。


 東北に与えられた新領土とか知るかって勢いで全軍で。


 そして元々、越後が地元。


 半分くらい一瞬で取って新領主と激戦中。


 上杉も多すぎる家臣を抱えて困ってたから。


 そいつら戦争に投入できるなら大歓迎って状況だったんだよね。



 でさあ、その東北の領土。


 佐竹と伊達が分け取りにしてるんだよね。


 どうも水面下で話はついていたらしい。


 佐竹からも伊達からも上杉に援助がいっているらしい。





 でもま、それでもね。


 関東二百五十万石の徳川の地盤は。


 まだまだ揺るいでない、間違いなく、あそこが最強のまま。



 それに東海道筋、静岡から愛知までも徳川支配下だし。




 だからって、この状況。


 家康もストレス凄いだろ。


 もう年も年だし、ポックリ行ってくれんかな……






 徳川家康、この年、62歳。


 本来の歴史なら死ぬのは75歳である。


 しかし62、現代でも老人扱いされて文句は言えない年。


 当時ならなおさら、完璧に老人である。




 家康は日々、後悔していた。元々、自省癖の強い男である。


 天下泰平まで、あと一歩だった。


 その一歩のところで躓いた。



 明らかに小事だと思った。


 息子を殺された恨みもあった。


 だからこの件では、それで良いと判断した、その判断が……




 今、満天下が火を噴き、再び戦国の世に戻ろうとしているのは……


 たった一人の若者を不当に扱おうとした所に原因があった。


 確かに敵ながら天晴、見事な武勇を持った男であったが。



 だが徳川の敵である以上、関ケ原の敗者である以上。


 断罪されて当然、それが新しい秩序の在り方だった。


 その方針自体が間違っていたとは思えない。



 しかしその判断が……千慮の一失となった。


 理不尽な追及に若者は耐え抜き、思いもよらず逆襲を始めて。


 そしてその流れのまま世は再び戦国に戻りかけている……!




 まず入った第一報は、京都所司代、板倉勝重の死である。


 関ケ原敗者の浪人共の一斉蜂起、京都で混乱、そして勝重の死。


 与力としてつけていた手勢が全く勝重を助けなかったことに家康は激怒。


 そいつらの切腹だけでは済まさず、本家分家に至るまで。


 大規模な改易騒ぎにまで至った。それでも怒りは収まらない!



 本来の、昔の三河者ならば。


 与えられた持ち場を死守して当然だったのだ。


 だが関ケ原で勝って、驕りが出た。


 自分たちは勝者なんだと足軽小者に至るまで驕り、気が抜けて……


 本来持つべき緊張感を持たず。


 適当に状況が不利っぽいからと、あっさり帰って来て……


 正直、切腹では甘かった、ノコギリ引きくらいにしてやりたかった。




 それでも井伊直政なら何とかするだろうと楽観していたのだが。


 勝重の死を伝える使者を追いかけるように。


 井伊直政の病死を伝える使者が来た時は……



 一瞬、目の前が真っ暗になった。


 天は徳川を滅ぼすのか……と絶望感すら襲ってきた。


 なんといっても井伊直政は、まだ40代前半、働き盛り。若かった。


 若かったから、息子たちもまだ若い、いや幼い!


 近畿の混乱を手早く収拾するほどの能力は期待できない!




 駿府にいた家康は余りの事態に自ら乗り出すと瞬時に決断。


 駿河の手勢だけで万は集められる。


 とにかく今はまとまった軍勢を出来るだけ早く送ることが肝心!



 江戸に急報を送る一方で、軍勢をまとめる家康だったが。


 それで尾張近くまで乗り出したところで……


 京都にいた浪人たちが消え失せたという続報を聞く。



 なんと……こちらが出る前に逃げたか……


 くそっ! 完全にやられた……!


 今から行っても出遅れている。朝廷にも白い目で見られるだろう。


 バカにされて、侮られて、多くの点で譲歩させられるだろう……


 これから朝廷の実権をガリガリと削っていく予定が大いに狂う。


 政治的には大敗北であり、豊臣に手出しもしにくくなる。


 朝廷に多くの実権を握られたまま。


 豊臣が残存したままでは。


 徳川の天下がどれだけ続くか分かったものではない。



 今回の騒ぎは事後処置を一つ誤れば、徳川にとって致命傷に成り得る。


 この交渉を秀忠と周囲の若僧などに任せておけない。


 やはり自分がこのまま京都に行って事態を収拾するしかない……



 家康は、行軍速度をやや落として、京都に向かった。




 小早川秀秋の急死と、領国の混乱の情報は聞いたが。


 今はそれどころではない、朝廷対策が第一だったため軽視して。


 見逃した、家康、痛恨の失敗である。




 京都に滞在中、公卿の嫌味に耐えながらも粘り強く交渉中に。



 備前岡山で、宮本武蔵と福島正則が出会い、化学反応を起こし大爆発する。



 京都に滞在して数カ月、またも遅れて秀忠がノコノコとやって来た頃。



 福島・毛利連合軍の播磨侵攻が始まる!



 池田も実力のある大名なのだが、まだ播磨に来て数年、地元密着していない。


 それは福島も同じだが……毛利では相手が悪かった。


 中国筋では毛利、百年の信用があり、圧倒的。


 とってつけられた新参の上部構造の武士団が頑張っても……


 それ以外の領民全体の信用を持ってるのは毛利なのだ。


 播磨の人々はかつて毛利の支援を受けて織田の侵略と戦った。


 その頃から基本的に、毛利は身内で味方で。


 織田系の連中とか本来は敵でありヨソモンである。


 福島も池田もヨソモンであるが。


 その一方に毛利が全面的に味方するというならば。


 どっちが敵でどっちが味方か、完全に決まってしまうのだ。



 地元の人々の支援を全く受けられず不利な状況に最初から追い込まれる池田。



 池田家も果敢に戦ったが、最初の主力決戦で大敗北。


 負けて逃げても、領国である播磨、兵庫県全域、どこにいっても庶民は毛利の味方であるから、ぶっちゃけ立て直しようがない!


 そして自家のミスを隠したい池田家が家康に報告を遅らせて事態は深刻化。


 気付けば福島毛利連合軍は既に姫路を超えて大坂に近づいていた。




 家康は一万を連れてきた。


 秀忠も二万は連れてきた。


 だが京都だ、守れば勝てない。



 そして敵は勝ち戦の勢いに乗る福島毛利連合軍、およそ三万。



 同数だが。


 勝てない。


 家康の判断は冷静だった。




 しかしここで京都を見捨てて、彦根あたりまで撤退したとしよう。


 そうすれば軍事的には勝ち目が出る、出るが!



 政治的には終わりである。


 徳川が、二度も京都を捨てれば。


 朝廷の権力を一切、削げず、恐らく豊臣を滅ぼすことも出来ず。


 遠からず、徳川家自体も終わりとなるだろう。


 それが家康にははっきり分かった。




「関ケ原を超えて……まだ終わってなかったか。ここまでギリギリの命の危機は、そうじゃな、本能寺の変の後の伊賀越え以来かの……」



 瞬時に家康は死を覚悟。


 秀忠の尻を叩いて江戸に追い返した。


 自分が死んでも秀忠が生き残っていれば、まだ希望は……




 だが秀忠が帰った直後くらいに。


 結城秀康、2万の軍を率いて京都に到着。



「父上! 遅くなりました!」



 秀康の笑顔を見た時、家康の目に思わず涙が浮かんだらしい。




 父を戦場に出すわけには行かない。


 敵は福島毛利の連合軍、勝ちに乗っている。


 秀康は、家康の守りに一万だけ残して京都に置くと。



 残り四万を率いて迎撃に出る!



 家康も、これを信じて見守った。



 実は……


 あるいはこのとき、それでも無理に家康が出ていれば。


 まだ勝ち目があったかもしれないのだが。


 それを言うのも後の祭り。





 第二次山崎の合戦において。


 徳川勢は、福島毛利連合軍の侵攻を完全に防いだ、防ぎ切った。


 この意味では成功であり勝利である。



 しかし陣中で秀康が発病、後送される騒ぎに。


 守り切った、という所で満足して兵を退かざるを得なかった。



 そして京都に戻った秀康は。


 家康の目の前で、笑顔で……逝った。


 最後にこんな大戦が出来て嬉しかったと……




「秀康、秀康ううう!! 於義丸おぎまる! 於義伊おぎいいい!! 逝くな! 逝かんでくれ、すまん、儂が悪かった、頼む、於義伊いいい!!」



 秀康の幼名を呼び、号泣する家康の姿は……


 天下第一の権力者では無く


 息子に先立たれた、ただの哀れな老人であった……




 目の前で秀康に死なれて以降。


 家康は一気に老け込み、気力が衰えた。


 単独でも京都を守り、天下を守るという気概が失せて……



 また周囲の家臣たちの勧めもあり、結局、家康は駿府に帰る。


 駿府に帰還後の家康は、秀康の位牌を前にして念仏三昧の毎日となり。


 浮世の興味を失ってしまったようだ。



 秀康の位牌、その横に長男、信康の位牌。


 信康と同様に、殺してしまった最初の妻、築山殿の位牌……


 それらを前にして念仏を唱える、それ以外のことはしない毎日……


 普段は封印していた後悔の念が一挙に襲ってきて。


 そしてついに家康は、それに耐えられなくなったのだろうか。




 そしてそのまま、ひっそりと衰弱して死んだらしい。


 死んだ時期は、徳川家が必死に隠していたから不明……



 幼い日に人質生活を送り、その後も今川に織田に豊臣に。


 我慢して仕え、苦労に苦労を繰り返すこと60年。


 その苦労の果てについに、疲れ切り……



 立ち直れないまま、徳川家康は死亡した。



 さぞかし無念だったことだろう……





 武蔵「だが俺は謝らない!」









・家康さん、カワイソス

・トドメを刺したのは誰でしょう?

①宮本武蔵 ②福島正則 ③結城秀康


③かな、実は目の前で秀康に死なれたのが一番キツかったんじゃないかと……

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