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作州浪人  作者: 邑埼栞
17/29

第十七話 勝利! ヒャッハー! そして……






 京都より西進して、備前岡山を目指す武蔵一党の匪賊!




 しかしだ。


 京都は非武装地帯だから大丈夫として。


 大坂も手を出さず見送ってくれたから何とかなったが。



 備前に行くには、その前に、播磨を通過せねばならない。


 播磨はこの時点では池田輝政の領土となっている。


 姫路城とかある中国筋の要衝で。



 池田家は五十万石を越す大大名。


 その城下を通過するとか気軽にできる訳無い……



 池田は徳川から見たら外様であるから京都の混乱に兵を出すのは遠慮した。


 しかし自分の領土に踏み込まれたとなったら話は別だ。


 ここは実力で排除できなければ大名として鼎の軽重が問われる。


 自衛力持ってないでは大名として失格である。




 ちなみに池田家ってのは元々、織田家の重臣である。


 織田家の重臣のトップグループ、柴田勝家、羽柴秀吉、明智光秀、丹羽長秀など

と比べれば一格落ちるとは言っても。


 十分に重臣、宿老級であり、また織田家にとっては譜代であり。


 筋目でいえば柴田とかよりも良いくらいである。


 柴田は勝家が一回、信長に逆らってるからな。


 無論、成り上がりの秀吉や光秀とは比較にならん。



 だから秀吉も気を使った。


 明らかに先輩であり目上である。


 まあ秀吉からしたら周囲はほとんど全部そうであったが。



 秀吉政権下では十五万石程度の大名として残った。


 関ヶ原前に家康がこれに目をつけた。



 旧織田系の派閥というのは今でも残っている。


 筋目正しい織田系というのは、はっきりいうが秀吉系では無い。


 豊臣系になってしまった連中とは別に。


 その時点でも半独立勢力として存在した織田系軍閥。 



 その代表者の1人が池田輝政であり。


 彼を引き込むために家康は長女を嫁にやる。



 池田輝政からしたら秀吉は別に累代の主君とかではない。


 強弱を天秤にかけて強いほうにつくのは当然のこと。


 だからあっさりと家康について関ヶ原で大活躍。



 その褒章として播磨中心に五十万石という大領を与えられた。


 家康の娘婿でもある明確な家康派である。



 だからこそ。


 意地でもこの不逞な浪人どもを討って取らねばならない。



 織田信長以来、戦場往来を繰り返した池田家の手勢は正に百戦錬磨。


 千程度の浪人など所詮烏合の衆であり勝負にならない。


 まず最初に百程度の匪賊が国境付近にやってきた。


 一蹴である、当然。


 さあ次も来るぞ、どんどん来いやあ!


 と気合を入れていたのだが……





「一部のバカが先走って姫路に突貫したが、あれに付き合うと死ぬ。」

「ではどうなさいます?」

「船を奪って海路で。他に道は無い。」

「なるほど……わかりました。」




 武蔵の悪知恵で、ほとんどはスルーしてしまった。


 後からそれを知って池田家首脳陣は真っ青になった。




 備前岡山に直接乗り込んだりはしない。


 かなり手前で上陸、田舎の方に侵入。


 宇喜多浪人が主体の集団である。そこかしこに知り合いだらけ。



 全く新しい領土に転封されるというのは……大名にとってマジ大変である。


 前の統治者の作っていた統治システムとか、国内法とか。


 そういうの全部無視して新しいシステムを押し付けようとすると上手くいかない

し。


 だからまずは現地の法や習慣をきちんと調べて。


 それとこれまでの自家のシステムとすり合わせをして。


 大雑把にでも国勢調査をして、検地をして、代表者の名前を記録して……


 新しい領地経営が軌道にのるまで、上手くいっても数年。


 いや普通に十年くらい余裕を見ないとダメだろう。




 関ケ原後で、新たな領土を得た大名たちはどこもかしこも大混乱中。


 内政を固めるのに少なくとも十年以上、マジで欲しいところ。


 家康はそのへん分かってたから大坂の陣は、十五年後まで伸ばした。


 さすがである。


 ここで急にまた戦をすると皆、嫌がるって分かってた。





 宇喜多領から小早川領に変わったばかりの備前美作。


 ちなみに小早川はそれまで九州で30万石程度の家だった。


 充分大大名だが、そこから50万石以上、ほぼ倍増となったし。


 小早川は旧毛利系ではあるが、実は毛利の支配は備前美作には及んでいない。


 中国地方ほとんど手に入れた毛利家の、例外的な場所なのだ。


 だから地縁も余り無く。


 来たばかりで混乱中で。


 そこに当主の急死、跡継ぎの不在、ほぼ改易確定。



 さらにそこに武蔵一党の匪賊の乱入……


 もはや備前美作は、そこだけ戦国時代に逆戻り状態になりつつあった。



 領土拡大時に新規採用された武士たちはそれほど小早川にこだわりは無いし。


 またこの時代の戦国武者は、江戸期の武士とは違う。


 状況が変われば簡単に、火付け強盗上等の略奪者と化す。


 相手が強くなくては従わない。


 守るべき秩序とかルールとか、そう考える頭は無い。



 また小早川家は、特に秀秋の小早川家は。


 実際には歴史の浅い家であった。


 太閤秀吉の命令で、ほんのここ数年で作られた人工的な大大名って感じで。


 だから家中の結束も弱いし。


 こうなると全員をまとめられる人材にも欠けていた。



 いやね、実は結構、秀吉も気にして、色んな優秀な人材を家老級として送り込ん

でいたりしたんだけどね。


 勇敢で忠誠心あるやつらは軒並み関ケ原で戦死したりいなくなったり。


 最後に残った柱みたいな人は、ああこりゃダメだって見切って既に逃げてる。



 史実では秀秋死後、まず周囲の大名が軍を派遣してガッチリ周囲を囲み。


 武装警戒状態の下で、正式に家臣団が解散され、岡山城が引き渡されている。


 史実でもそこまでしないと危なかったんだ。



 ましてこっちの場合は既に秩序崩壊中……


 ここだけヒャッハー! ルール無用の戦国時代である。




 備前岡山は中国筋の要衝である。


 中国地方、山陽筋の主要都市はこの頃から既に今と大して変わらず。


 近畿地方の大阪、次に姫路、そして岡山、広島、山口となる。


 神戸の開発は明治くらいになってからね。この段階ではまだ。


 中国地方のど真ん中の岡山の秩序崩壊は隣国の大名にとって我慢ならん。




 特に西隣の広島。


 東隣の姫路にとって、本気で迷惑。


 しかしだ。



 それじゃ岡山が治安悪化したからって。


 隣国の大名が軍勢を揃えて岡山に乗り込んでも良いかって言ったら。


 そうは行かない。



 もちろん戦国時代ならそれは当然の行為だ。


 だが既に関ヶ原後の時代。


 徳川の許可なしにそんなことはできない。




 東隣の姫路の大名、池田家は既に徳川と姻戚。親徳川派である。


 ちなみに今後も江戸時代を通じて大大名として続く家。


 政治的舵取りもミスらなかった優秀な家なのである。


 でもこの事態には困った。


 武蔵一党に姫路をスルーされて岡山に乗り込まれたのは池田家のミスでもある。


 そう判断されてもおかしくない。


 ならそのミスを取り返すために勝手に岡山に軍を出すか。


 いや、やっぱりそれは不味いでしょ。


 せめて徳川に話を通してからにしないと……



 なのに京都所司代、壊滅。


 滋賀の井伊家、当主死亡で混乱中。


 おいおい関東まで行かないと徳川に話、通せないのかよ。


 でもやるしかない、使者に急がせたが……すぐには間に合わない。



 東隣の池田は穏健な大名だったから動けなかった。



 しかし……



 逆側、西隣はこの時期……


 福島正則が治めている。広島五十万石である。


 この人は、末路が惨めだったこと。


 また太閤秀吉に息子同然に可愛がられて育てられたにも関わらず。


 関ケ原で東軍に属し、豊臣家衰退の決定的な役割を果たしたこと。


 などから江戸時代を通じて評判が悪かった。


 広島五十万石を潰されて、みじめな流人の身となっても。


 当時の人たちは、裏切り者には当然だね!っと嘲笑したそうな。


 その評価の悪さは現代にまで続いている。


 基本、福島正則は、秀吉と縁故があっただけのタダのバカ。


 荒武者といえば聞こえは良いが政治感覚ゼロの大名として失格な人。


 潰されても当然だったね!っと現代でも大体その評価である。




 行動と、その結果だけ見れば、そう評価されても仕方ないのは事実。


 だがちょっと待ってほしい。


 福島正則は、太閤秀吉に評価され、取り立てられた人だ。



 秀吉って人はだな。


 出世の元手になる身分も手勢もほとんど持たず。


 頭脳と度胸だけで天下を取った超人だぞ。こんな人、日本史上他に皆無なんだ。


 人材鑑定能力も当然ながら超一流だわい。


 そら失敗もあったけどさ、でも。


 秀吉は少なくとも人材の「能力」鑑定については確かに誤らなかった。


 それが可能な「能力」は持つ、という点は間違いなかったのだ。


 ただ「能力」だけを評価して他の面は軽視したから……


 能力以外の部分で秀吉の思い通りに行かなかったという例があるだけで。



 地獄のブラック企業、能力と成果だけを要求されたことで悪名高い。


 織田信長支配下の織田家で耐え抜いて出世した秀吉だから。


 その評価基準も仕方ないのだが。



 例えば加藤清正。彼には肥後という難治の地を治める「能力」はありました。


 今でも肥後熊本では一番人気の戦国大名、善政を行ったとして有名です。


 尾張から来たよそ者なのに。地元出身者じゃなくて清正が一番人気。



 ただ彼も秀吉の息子同然に育てられてきたのに。


 秀吉死後の豊臣政権維持には役立たなかったけど。



 石田三成だって、事実上の「天下の宰相」としての「能力」はあったよ。


 全国規模の政治を見る「能力」があった。


 でもそれだけじゃ豊臣政権維持は出来なかったけど。




 福島正則だって能力無かったはずがないのである。


 太閤子飼いの武将たちの中で一番に、大名になって。


 最終的には、尾張25万石与えられてるからね。


 他でも無い、秀吉にとっての故郷の地。織田信長の出身地でもあり。


 経済政治交通の要衝、尾張だよ。



 「能力」判定に優れた秀吉が。


 縁故だけで任せる土地じゃねーって絶対。


 身内に甘いと言われる秀吉だけど。


 身内でも能力無いやつは容赦なく低評価してるからね?



 小早川秀秋とか、幼少期は将来モノになるかと思ったけど。


 一定年齢過ぎてもダメっぽかったから30万石もやってるのは怖いって。


 十万石以下くらいに領土削ろうとかしてたからね?


 それやろうとしてた最中に危篤から死亡しちゃったんだけど。


 でも結果見たらどう考えても削ってた方が正解だったろ。




 でもなんで福島正則が評判悪いのかと言えば結局。


 彼は豊家を維持するために働かなかったからだ。


 秀吉の息子同然の待遇されてたくせに裏切ったように見えるからだ。




 でもなー、それもなー


 子供は親の言うことを聞くのではなく、親のしたことを真似るのだよ


 息子同然の存在だった、福島正則とか加藤清正とか。


 幼い秀頼を助けず現実的に自家を守る方向で働いたのは。


 それは他でも無く、秀吉に育てられた、秀吉の息子同然だったから。


 秀吉なら現実的に同じ状況ならそうしただろう行動をとっただけだ。


 親によく似た子供たちだっただけよ。



 織田政権が崩壊した時、織田家の残存勢力のために秀吉は戦ったか?


 それは名目だけ。織田家は名目だけ残存させて。


 後は全部自分が美味しいところ持って行っただろうが。



 もちろん天下取れそうだから取ったけど。


 まだ危ない、今は自重が必要だと判断したなら。


 上手くやって自家を保存して将来を狙ったことだろう。



 同じだろ。


 福島正則だって加藤清正だって。


 幼い秀頼のために全てをなげうって戦うような真似はしなかった。


 当然だよ、秀吉もそうしなかったのだから。


 むしろ石田三成の方が、秀吉に似てない「息子」だわな。


 だから浮いてたんだろ三成、そんで嫌われてたんだろ。




 とにかく福島正則は安芸広島50万石を得てもだな。


 うまく統治できるくらい優れた人物だったのは間違いない。


 しかも彼は先の関ケ原においては功績第一等であった。


 太閤子飼いの彼が家康に味方することの政治的価値を分かってた。


 だから家康に大きな貸しを作ったと認識したし。


 家康も同じ認識だった、だから50万石も与えざるを得なかった。



 そして正則は家康が生きてるうちはずーっと態度がでかかった。


 貸しを作ったんだぞーって偉そうだった。


 んな態度だったから家康の死後。


 もう義理は済んだと、幕府に狙い撃ちにされて潰されるのだ。



 そう福島正則は。


 家康がいても気にしない、むしろ家康がいるからこそ態度がでかい。


 そういうレアな男なのだ。


 普通なら家康が生きてるうちはビビって大人しくしてるところ。


 こいつだけは逆なのだ。




 そういうわけで混乱中の備前美作に。


 西隣の広島の福島勢が。


 容赦なく雪崩れ込んできました。



 隣が秩序崩壊とかしてたら大迷惑なのは事実だから。


 でもそこで普通は徳川を遠慮して動けないところ。


 福島正則だけは別。こいつは遠慮せず動く!




 あっという間に岡山城下は福島勢によって占領される!


 そのまま軍勢を各地に派遣して実効支配を始める!


 福島正則のネームバリューだけでも大したもんだし。


 五十万石の実力も背景にあり。



 ああっという間に、旧宇喜多、旧小早川の土地は……


 福島正則によって征服されてしまいました。



 そしてこの状況を作った首謀者と目される。


 旧宇喜多浪人、宮本武蔵!


 力尽きて敗れ、雁字搦めに縛られて……



 福島正則の御前に引き出されてしまったのであった。


 もちろん引き出した上で斬るつもりである。


 めでたくなし、めでたくなし









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