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作州浪人  作者: 邑埼栞
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第十四話 無念! 井伊直政!(武蔵のせい



 伏見街道で関ケ原浪人の蜂起!


 伏見奉行所の手勢を一蹴!


 そのまま伏見を占拠!


 さらに勢いに乗る浪人勢は、京都を目指し、京都所司代の手勢と交戦!


 京都所司代、板倉勝重、討ち死に!


 京都に駐屯していた徳川勢は、事態を不利と見て、一時撤退!


 勢いに乗る浪人勢は数をますます増やし既に数千を超えるとみられ……



 首魁は、関が原で松平忠吉を打ち取った男。


 作州浪人、宮本武蔵!!





 緊急事態だああああ!!!





 さてこういうときのために、京都近辺に領国を有している大名がいる。


 滋賀県彦根市の、井伊家である。


 譜代大名の筆頭、大老を出せる家柄。


 今の当主は徳川四天王の一人、井伊直政。



 彼は、松平忠吉の後見人でもあった。


 その忠吉を、関ヶ原で戦死させてしまっていた。


 しかも忠吉が関ヶ原の中盤あたりで死んだ分、井伊直政に大きな負担がかかった。


 史実でも関ヶ原での負傷が原因で、わずか43歳で死んでしまうのだが。



 この世界だと負担が酷かった分、負傷もより重く。


 43歳といわず、今すぐにでも死にそうな重態であった。



 もはや起き上がることもできず、床についたまま。


 ほとんど眠っているが、起きている短い間は、まだ頭脳は明晰。



 そんな彼のもとに一連の事態の報告が、早馬で入ってきた。



 伏見近辺で浪人者の集団と、伏見奉行所の手勢の小競り合い。


 奉行所側の敗北、浪人者による伏見の占拠。


 さらに京都所司代、板倉勝重の突出と戦死。


 事実上それを見殺しにした与力衆。


 さらに京都を放棄して、とりあえず彦根に向かってる途中という与力衆。




 井伊直政は優れた政治家でもある人物だったので。


 当然、激怒した。



 何を考えているのだ馬鹿共め! 徳川が京都の治安維持を放棄するとは!?


 やっていいことといけないことの区別もつかないのかこの田舎者ども!!


 今すぐに井伊の赤備えを全軍揃えて京都に押し出し、速攻で治安回復せねば!


 せっかく固まりつつある徳川の天下も揺るぎかねない!!!


 馬鹿共の処分は後だ、まずは井伊家の手勢を揃えて……!!




 それはもう物凄く激怒したので。


 そのままコトン、と憤死してしまった。


 さぞかし無念だったことだろう。



 関ヶ原で忠吉を死なせただけでも死ぬほど後悔していたのに。


 さらに重傷を負ってしまい。


 最後も何も出来ずに憤死。




 それもこれも全て、歴史を歪めた、宮本武蔵ってやつのせいなんだよ、うん。




 しかしこの状況で当主に死なれた井伊家も大混乱である。


 ただの当主では無い、事実上の創業主でもある英雄、井伊直政である。


 こういう英雄である初代が死んだ後は普通でも混乱するものであり。


 ましてやこの状況ではどうにもならん。


 まだ若い跡継ぎ息子ではどうしたものかも判断できない。


 直政には男の子が二人いたのだが、二人ともまだ中学高校の年齢である。


 どうにもできるわけがない。



 ちなみに武蔵も同じくらいの年齢である。


 だがまあ武蔵は最初からモンスターなので普通の例には入らないってことで。



 さらに直政の息子は、長男は病弱で、紆余曲折の末に結局、次男が家督を継ぐのだが。


 それもこれも本来なら遥か先の話で。


 この状況で病弱な長男が継いで良いのか。


 しかし次男もまだ中学くらいの年で。


 どうしたら良いのか、井伊家の家臣団も困った。



 井伊家の対応も後手に廻り。


 そして状況は、徳川にとって、より悪化する。









 とりあえず700くらいの手勢を率いて(これが実数)。


 二条城を占拠してみました。


 物見の報告通り、きれいに空き家になってたので簡単でした。


 二条城に蓄えられている備蓄物資、金銀だけで。


 我々全員に十分以上の報酬である。



 いやー食糧も食い切れないくらいあるし。


 金も使いきれないくらいあるし。


 わざわざ京都市民相手に略奪する必要も無い。



 そういうわけで結構大人しく城に籠もってドンチャン騒ぎしてたんだが。



 しかしこっから、どうしたものか。



 いやーちょっとなー


 これはもう何というか、うん。


 正直、生きるのを諦めております。



 ここまでやったら無理だな。


 もうどうやっても許してくれそうも無いわ。


 皆と一緒に島原でも行ってパーッと遊ぼうかな。



 もうなんかなにもかもどうでもいい。




 武蔵がちょっとヤケになってるうちも事態は勝手に進む。





 武蔵たちが籠もっている二条城は京都のど真ん中にある。


 御所までも近い。


 そんな位置を不逞な浪人者の集団に占拠されては、溜まったもんではない。



 しかし朝廷には武力は無い。


 徳川がそこは征夷大将軍として責任持つべきなのに。


 その義務を放棄して逃げ出した。



 京都から、朝廷から見れば、そうとしか見えないのである。


 責任者は切腹しても追いつかない大失態。


 後で朝廷からも責任を徹底追及するとして。



 しかしまずは二条城の浪人たちを何とかせんといかん。


 今はまだ二条城の中の備蓄を食い潰して遊んでるようだが。


 どんなに蓄えがあっても浪費すれば一瞬である。



 蓄えがなくなった瞬間、浪人たちが京都の町に襲い掛かり。


 略奪暴行を始めることは、確定的な未来。


 そうとしか思えないものである。


 それに多分その通りになるし。




 その前になんとかせんといかん。




 そこで朝廷は、武家に令旨を発して、何とかしろと依頼的命令するわけだが。


 ここで朝廷内部でも意見は割れた。



 実力だけ考えるなら、もちろん徳川に話を持っていくべきだ。


 しかし関東は遠い。


 早馬が飛ばしても十日くらいかかるだろう。


 それで情報が届いて、それから改めて軍を発するとして。


 往復でなんだかんだで一ヶ月は時間かかるのでは。



 その間に浪人者が暴れだしたらどうする。


 しかし筋としてまずは徳川に話を持って行かないと後がややこしいぞ、と。


 両論が興って結論が出ない。




 関東は遠過ぎるから近場の徳川系大名にとりあえず何とかしろと言うのはどうだ。


 彦根井伊は凄く近い、急げば一日の距離である。


 だからすぐ分かってしまった、井伊直政が、正に今!ってこのタイミングで死んだの。


 井伊に言えば何とかなると考えていた徳川派の公卿は一斉に顔色が青ざめる。




 他に近場の徳川系大名。


 越前松平家というのがある。


 越前宰相こと、松平(結城)秀康の家である。


 結城秀康は、二代将軍秀忠の兄なのだが、家康に嫌われて他家に養子に行かされ。


 そのまま他家を興して、越前松平家の初代となる人なのだが。



 複雑な関係なので。


 徳川将軍家に本気で反旗を翻すならこの人だろうと。


 下馬評では筆頭で名前が挙がる危険人物でもある。



 その必要があったとしても軍勢を率いて京都に乗り込むとか。


 やると大問題になりそうな人である。


 仮に秀康には善意しか無かったとしてもだ。



 この事態がいかに深刻か理解できる優れた人物であればこそ。


 自分が乗り出せば後々、またそれが大問題になると理解できる人物でもあり。


 恐らく越前松平家は動けない。



 他の徳川系の外様などは、伊勢の藤堂など、また他にも多数いるが。


 しかし彼らも同じ理由で動けない。


 外様であるのに京都に軍勢率いて乗り込むとか出過ぎた真似は出来ない。


 上洛ってのは特別な意味をもってる行為なのだ。




 徳川系の大名は。


 一族も、譜代も、外様も、関東から指令が来るまで動けないだろう。



 ならば。


 豊臣に頼るしかないと考えるのは理の当然。


 近頃、元気の無かった豊臣系の公卿が復活して騒ぎ出す。



 もともと公卿全体は、圧倒的に豊臣贔屓である。


 なぜかって秀吉は、誰もが知ってる農民からの成り上がり。


 実力はあっても権威が無く、権威はもう全部朝廷に依存していた。


 自分を偉く見せるためにこそ、朝廷を持ち上げる必要があり。


 そこで秀吉は朝廷を徹底的に持ち上げて褒め殺しにしていた。



 何事もやることが陽気で大きい秀吉、人心掌握の手腕は天才的でもあったので。


 長い戦国時代を通じて生きるか死ぬかで細々と命脈を保っていた朝廷、公卿達。


 織田信長の登場で一息つき。


 豊臣秀吉の天下統一が成ると、公卿たちはおこぼれでこの世の春という状態に。


 かつてないほど経済的にも余裕が出来たし、その身分を持ち上げてもらえるし。



 いやもちろん公卿達もそれが政治的理由によるもんだって分かってるよ。


 分かってるけどしかし実際、秀吉政権は公卿達にとって最高だったのは事実。


 無駄に高い身分が無駄ではなく、きちんと相応の敬意を払ってもらえるし。


 金銭的にもジャンジャン秀吉は朝廷に注ぎ込んでくれるし。



 徳川が朝廷締め付けをきつくした江戸時代は。


 朝廷の貧乏さは、また戦国時代並みかそれ以下になる。


 とある天皇の有名な逸話。


 ある時、とある大名が新巻き鮭を献上した。


 天皇はそれまで魚といえば塩塗れでカチコチの干物しか食べたことが無かった。


 甘塩の新巻鮭の新鮮な風味に感動した天皇。


 それは昼ごはんだったのだが、あまりにも美味しかったので。


 この皮とかアラとか取っておいてくれ、夕にも楽しみたいと注文した。



 幕末頃、再び天皇家が持ち上げられ始めた頃の話である。


 それまでは鮭さえ食ったこと無かったのだ。




 これと比べると、豊臣時代の朝廷は別世界である。


 金に困ってない公卿たちは山海の珍味を好き放題に食い散らし。


 とある宮様とか、離宮を作ったりしてる。


 自力で離宮を作るとか、普通は出来ない贅沢である。


 そういうことがかつて出来たのは朝廷がまだ実権持ってた平安時代とか。


 そのくらい長い間できなかったことだ。





 まあ、秀吉が朝鮮出兵して国内が疲弊して。


 庶民が高い年貢に苦しんでいたのを無視して。


 公卿だけこの世の春だったのは問題だろう、が。



 それとは別にとりあえず間違いなく。


 朝廷と公卿にとっては豊臣時代の方が圧倒的に良かったのは事実。



 だから公卿は感情的にも大勢は豊臣贔屓であり、関東嫌いである。


 関東嫌いなのは伝統文化でもあり。


 平将門の頃から嫌いであり、源頼朝で大嫌いになり、徳川家康でさらに嫌いになり、幕末に新撰組が来てもやっぱり関東モンだからって最初から嫌いであった。




 そして結局、両方に早馬が送られた。


 何もどっちかに一点賭けするこたない、公卿の知恵である。



 しかし京都との距離では大坂の方が圧倒的に近いから。


 両方出すってのは実際、主に豊臣に期待してるってのと同じこと。


 でも両方出した、関東にも早馬出したよって後で家康に言い訳できるし。



 まあこの辺が落としどころであろう。




 武蔵たちがヤケになってドンチャン騒ぎしてる間にも事態は進む……







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