4.悪あがきとは残念です
聖女の召喚を1年前→5年前に変更
王妃の証言が終わった後も、会場内では誰一人として口を開く者はいなかった。
先ほどまであった小さなざわめきすらも、今はない。
一部を除いた皆、気づいてしまったのだ。
王太子や宰相子息が告発した罪は、全て冤罪であったのだと。
宰相子息が『騎士団で調査した結果、大罪人だと結論が出ている』と言っていたが、少し踏み込んで調査すればわかったようなことが見逃されていた……つまり、騎士団の調査など最初からありもしなかったか、余程杜撰な調査だったかのどちらかであること。
つまりこれは、公爵令嬢ジュリアーナを罪人に仕立てるために用意された、茶番なのだと。
あまりに愚かで、あまりに馬鹿馬鹿しい。
だがことの首謀者が一国の王太子であるためか、皆口をつぐんで成り行きを見守るしかできずにいる。
そんな痛い沈黙の中、わざとらしくため息をもらしたマドカは「ついでになりますが、残された罪についても証明しておきましょう」と、やや早口になりながら説明を始めた。
彼女もまた、この茶番をさっさと終わらせたいと考える一人なのだろう。
「告発の内容は、『ジュリア様にスマホを取り上げられ叩き壊された』とありますが、騎士団の方に提出されたその機械……『スマートフォン』という通信機器を分析した結果、このようなものが証拠として採取できました」
掲げられたタブレットの画面には、大写しになったスマホの背面とそこに浮き上がるようにいくつかの楕円形……指紋のようなものが映っていた。
オレンジのものと、青のもの、その二つが重なり合うようにして浮かんでおり、その他にもいくつか茶色っぽいものや赤っぽいものも点在している。
「これは指紋……といっても魔力を纏った魔力指紋というものです。通常指の紋様を照合する指紋照合とは違い、魔力指紋はその人固有の魔力を纏っていますので、魔力を照合して個人を特定します。逆に言えば、魔力を持たない者の指紋は検出されません」
「それがどうしたというのだ」
「それぞれ色が違うでしょう?最も多いオレンジのものが聖女様、それと重なるようについている青のものが王太子殿下。その他は騎士の方々と魔力が一致しています。……ですがおかしいですね?『取り上げて叩き壊した』はずのジュリア様の指紋はありませんでした。例え布越しであっても、魔力は跡になって残るというのに、です」
手袋をしていたんだろう、という反論を封じるために先回りしてそう付け加えると、サイラスはぎりりと歯噛みして黙り込んだ。
代わりに口を開いたのは、王太子ラインハルト。
「しかし私は確かに見た。床に叩きつけられ壊れた機械と、それを青ざめた顔で見るジュリアーナ。その横で泣き崩れるショウコの姿を」
「その状況を証明すべく、壊れたこの機械……スマホのデータを復元してみました」
「まさか、っ!」
「うちにはそういうのが得意な研究員がいるもので」
反射的に声を上げた聖女の方を見るでもなく、マドカは一枚の写真をタブレットに大写しにした。
それは、銀髪の少女がまぶしそうに手を顔の前にかざして身をのけぞらせている、というもの。
髪型と服装からしてそれはジュリアーナにほぼ間違いなく、一同の視線が自分に向いたことを感じたジュリアーナは、恥じ入ったようにぽつぽつとその時の状況を語った。
曰く、突然至近距離で白く眩しい光が放たれたため、反射的に身を守ろうとして聖女の手を払いのけてしまった。
一瞬の間の後にがしゃんと何かが壊れるような音が響き、状況を把握する前に聖女様がその場に泣き崩れてしまったところで、王太子殿下が「何事だ」と割って入ってきたのだと。
「要するに、聖女様がジュリアーナ様にカメラを向けた。そこで運悪くフラッシュがたかれ、眩しさに目がくらんだジュリアーナ様が咄嗟にその不審物から身を守った。ということでしょう。不幸な事故、もしくはカメラやフラッシュなどに免疫のない相手に突然文明の利器を見せ付けた聖女様の過失、とも取れますが?」
「無礼な!」
「さて、無礼なのはどちらでしょうね?」
しん、と静まり返った会場内に「もういい」と王太子の声が響いた。
彼はグッと拳を握り締め、何かに耐えるように眉間に皺を刻み込んでマドカを、そしてその背後に庇われるようにして立ち尽くす元婚約者を睨みつける。
「もういい、茶番はたくさんだ。ジュリアーナ、どうあっても罪を認めないというその往生際の悪い態度には完全に愛想が尽きたよ。従者に命じて証拠の捏造をさせてまで、罪を逃れようとするなどと」
「…………殿下は、彼女が集めてきてくれたこれらの証拠を捏造だと……そう仰るのですか?」
「そうだろう?元々科学技術研究所という怪しげな施設を許可したのは父上だが、申請してきたのは亡き前ローゼンリヒト公だという。なら彼女がその恩に報いるためにと証拠を捏造することだってあるだろう。大体、落ち人などという素性のはっきりしない者の証言など信じるに値しない。こちらは聖女たるショウコがその身をもって証明しているのだ。どちらが正しいか、どちらに正義があるかなどわかりきったことだろう?」
「……そう、ですか……」
ぐっと拳を握りこみ、ゆっくりとそれを開く。
一瞬だけ泣きそうに顔を歪めたジュリアーナはしかし、毅然とした態度ですっと背筋を伸ばして従者を手で制し、半歩前に出た。
「では殿下にお伺いします。『落ち人』を素性のはっきりしない者と仰いましたが、ではその『落ち人』であった先代の聖女様のこともそうだと仰いますか?」
「何をバカなことを。先代聖女は立派な存在だったと聞く。だからこそ次代の聖女は先代の血縁をという神託が下ったのだろう。無論、先代に血が連なる者として召喚されたショウコも『落ち人』などとは違う、身元の確かな者として国に認められている」
「では仮にお聞きします。そのご立派な聖女様のお身内の方がもしここにおられたら……殿下はどうなさいますか?」
「何を問いたいのかがわからんが……ショウコの身内であれば素性ははっきりとしている。無論、王城に招き、客人としてそれ相応の待遇を約束しよう。それが王族として当然のことなのだから」
ラインハルトの宣言に、「殿下!」という悲痛な叫び声が重なった。
声を上げたのは、居並ぶ国王の護衛の中で紫のローブを身に纏った宮廷魔術師の最高責任者……聖女の召喚に成功し、宮廷魔術師長の称号を得た下級貴族の男。
彼は傍目にもわかるほどに青ざめ、ぶるぶるとその身を震わせながら「なんということを」と搾り出すような声で呟く。
「王族が『相応の待遇を約束する』と宣言してしまった以上、それを反故にした者は罪に問われる……あぁ、もう終わりだ……」
中年という年齢からそろそろ老年といわれる年齢にさしかかろうとしているその男は、頭を抱えんばかりに嘆き、ぼやき、苦しげなうめき声を上げたかと思うと、不意に壊れたような笑い声を立てはじめた。
「終わりだ、もう終わりだ。なら何もかも明かし、道連れにしてやろう!」
宮廷魔術師になるには、難関と言われる試験を突破した上でとある誓いを立てなければならない。
その誓いとは、『決して王族の意に沿わぬことをしない』というものだ。
その隷属と言ってもいい誓いと引き換えに、彼らは高い地位と名誉を得るのだ。
宮廷魔術師となる際、国王の前で誓いを立てることになるのだが、その誓いを破ってしまった者には勿論ペナルティが課せられる。
それは魔術師にとっては最も忌諱すべきもの……魔術の永久使用禁止、及び王族への反逆罪。
魔力を封じられ、更に罪に問われるのだからたまったものではない。
狂ったように笑いながら、彼は5年も前に犯した過ちについて語り始めた。
王太子も国王すらも知らぬ、聖女召喚に関する秘せられた……秘する以外になかった事実を。
「先代聖女様の遺髪を用いた召喚は成功、だが召喚の場に現れたのは黒と金の髪を持つ二人の少女だった。黒の髪の少女はここにおられる聖女様……金の髪の少女は……言わずとも、既に誰もがわかっているのではないか?」
召喚の対象としたのは、先代聖女に血の連なる無垢なる少女。
そしてその召喚に応えたのは、髪色も容姿も異なる二人の少女だった。
当然その場は混乱し、だがたまたま同じ場所にいた二人が召喚条件に当てはまってしまったのだろうという結論が下され、そのどちらが聖女に相応しいか早速能力の測定が行われた。
結果、黒髪の少女には光属性への適性と稀なる治癒属性があったが、金髪の少女にあったのは水属性への適性のみで、この状況から聖女は黒髪の少女だろうと召喚に関わった数名全員がそう断定した。
聖女と断定された黒髪の少女はそうたいして器用な方ではなかったが、愛らしく可憐で時に儚げな仕草は聖女と呼ぶに相応しく、失敗を繰り返しながらも前向きに頑張るその姿は周囲の好感を高めていった。
が、反して金髪の少女はとても器用な性質であるらしく、教えられたことをあっという間に吸収すると、まだ物足りないからと訓練から離脱して自主練習をするようになっていった。
黒髪の聖女は皆に慕われ、金髪の少女は次第に世話を任せた使用人にまで距離を置かれるようになっていく。
そのうち、調子に乗った使用人数名が金髪の少女に嫌がらせをしているという話が彼の耳にも届いたが、聖女ではない方の存在など軽んじていた魔術師たちはそれを聞き流していた。
「わしが最後に報告を受けたのは、その娘がバルコニーから落ちてそのまま行方をくらましたというものだった。そう、そこな聖女と同じように突き落とされたのだ!」
「……ここからは、わたくしが代わりましょう」
と静かにジュリアーナは語り始める。
王太子の婚約者として王城にあがることも少なくなかった彼女はある日、庭園に打ち捨てられるようにして仰向けに転がる自分と同じような年頃の少女を見つけ、慌てて己の護衛に命じてひっそりと王都の邸へ連れ帰らせた。
幼い頃から懇意にしていた専属の魔術医師のお陰で身体の傷は癒えたが、少女はしばらく誰も寄せ付けず心を閉ざしたまま口を開こうともしなかった。
そんな彼女に辛抱強く付き合いながらも密かに王城内を探らせていたジュリアーナは、聖女が異世界より召喚されたこと、その聖女が現れたのと同時期に同じような年頃の金髪の少女が現れたこと、その少女は何故か王城の隅っこに……使用人の寮よりも粗末な離れに隔離され、酷い扱いを受けていたことなどを報告され、それがこの少女なのだと確信するに至った。
「悔しくはないかと問うたわたくしに、マドカは『強くなりたい』と答えました。ですからわたくしは彼女を従者として傍に置き、望むままに様々なことを教えて参りました。彼女はわたくしの従者、ですが騎士科を志したため聖女様と顔を合わせることなく済んだのが、幸いと言えば幸いでしたわ。……魔術師長、強くなったわたくしの従者をどう思われます?部下の方々ともども反逆の罪に問われる、その代償に捧げたものにつりあう価値はありますかしら?」
どういうことだ、と王太子がかすれた声で呟く。
どうしてなの、と聖女ショウコがぽつりと嘆く。
それに答えたのは、やはりジュリアーナだった。
「宮廷魔術師は『王族の意に反することはしない』との誓いを立てているのでしたね。彼らが被召喚者であるマドカを冷遇したこと、そしてそれを見た王城の使用人が彼女を虐待したこと、それらは先ほどまでは『罪』ではありませんでした。なぜなら王族の方々はマドカの存在を知らなかったからです。ですが先ほど殿下は聖女様のお身内にはそれなりの待遇を約束すると宣言なさいましたわね?それによって、聖女様のお身内であるマドカを冷遇した全ての者に対し、『反逆の罪』が発生したのです。宣言と行為、それが後先であってもこの誓いには有効なようですわね。彼らは総じて、魔力を封じられてしまったようですわ」
ほら、と示された先では燃え尽きてしまったかのようにぼんやりと、己の手を見つめる宮廷魔術師長の姿。
そして会場の警備にあたっていた幾人かの魔術師も、呆けたように己の手を見つめ信じられないようにぱちぱちと瞬きしている。
捕らえよ、とため息交じりに命じたのはそれまで沈黙を守っていた国王その人。
その命によって駆け出した騎士のうち数人は会場を出て行ったため、恐らく城にいる使用人を捕らえるつもりなのだろうとわかる。
「どうしてなの?」
と、もう一度聖女の声が耳を打つ。
彼女の目は真っ直ぐにマドカを見つめており、どうしてこんなことになったのかと涙を浮かべてすらいる。
マドカは静かにそれを見つめ返すと、「どうもこうもありませんよ」と冷ややかに返した。
「貴方は何も見ようとはしていない。周囲のことも、家族のことも、そして私のことも。だから何もわからないのですよ、愚かなお姉様」