3.復讐だったとは残念です
「お呼びだと伺い取り急ぎ参りましたが、これはどういうことなのでしょう?わたくしの契約は聖女様のご卒業までとなっておりますので、これから実家に戻るつもりでしたのに」
彼女は元々王城に勤める侍女の一人であり、聖女の部屋付きの侍女が急遽退職することになった、その代わりとして一年前からその任についていた。
従者ではないので学園の敷地内に入ることはできないが、寮内と社交に使われるこのホールだけは出入りが許されている。
わけがわからない、という顔で首を傾げる侍女の前に進み出たマドカが、先ほどと同じような説明を彼女にも聞かせる。
だが彼女は困ったような表情になり、
「その髪がもしわたくしのものだとしても、部屋付きの侍女である以上落ちていても不思議はございませんね」
とやんわり反論してきた。
「……確かに、髪に関しては仰るとおりです。例え自分の白髪であっても、改めて見れば他人の落とした銀髪だと誤解してもおかしくありません。慌てて出て行って急いで駆け戻ったということですから、冷静な判断も下せなかったでしょうし」
「ええ。わかっていただけたようで何よりです」
「では、その慌てて出て行くきっかけとなった嘘の手紙とやらは今どこに?騎士団に提出された証拠品の中にはないようでしたが」
「それが……慌てていたので、ポケットに入れたつもりがどこかに落としてしまったようで」
「そうですか、それは残念です」
淡々と、やりとりは進む。
マドカが少し黙り込んだことで、侍女はもう聴取が終わったのだと判断して「あの、馬車を待たせているのですが」と、ちらちらと王太子に視線を向けながらそう切り出した。
王太子も、元々王城で働いていた信頼の置ける侍女であること、マドカが口をつぐんだことでもう終わりだと思い、彼女を解放するよう騎士達に目配せする。
「あ、もうひとつだけよろしいですか?」
そそくさと会場を後にしようとした侍女の背に、マドカののんびりとした声がかかる。
肩越しに振り向いた侍女が見たものは、意味ありげに微笑むアッシュブロンドの美少女。
「学園の敷地内であれば、寮であろうとこのホールであろうと魔術の使用を感知・記録されるということはご存知かと思いますが……魔石を用いた場合も同様だということも、知らないわけありませんよね?」
「…………どういうことですか?」
肩越しに振り向いたままぴたりと動きを止めた侍女が、問い返す声は低く固い。
「ご存じなかった、と?」
「ええ。魔石を手にしたことなど、そもそもございませんので」
「はい、ダウト。素手で握らなければ発動しない魔石に、べったりと貴方の指紋が残っていましたよ?指紋というのは、一人ひとり違う模様を持つ指の紋様のことです。部屋の入退出には基本的に魔力認証を行いますが、貴方のように魔力のない人は指紋登録されています。なので、証拠の魔石についた指紋と照合させてもらいました。……ちなみに、貴方の指紋ともうひとつ……かなり古くて薄れてしまった指紋も検出できました」
「っ!」
「その指紋の持ち主と、魔石から放たれた魔力の登録者が一致しましたので、その指紋は魔石に魔力をこめた時のものでしょう。……さて、どういうことか事情をお聞きしましょうか。宮廷魔術師シオン・レウァール様」
え、と当事者である侍女は顔を強張らせる。
うそ、とその名を知っていた聖女ショウコは口元を覆う。
まさか、と王太子はいずれ己を支える片腕となるはずの青年貴族に視線を向け、宰相子息は息を呑んで指名された当人を睨みつける。
「僕が作った魔石だって?そんなもの、数が多すぎていちいち覚えてるわけないだろ。それに何より、風は僕が最も不得意とする属性だ。魔力をこめるのだって普段の何倍もの時間がかかるっていうのに、そんな非効率的なことするはずが……」
ないだろう、と言いかけてふと何かに思い当たったのか、シオンは不自然に言葉を切った。
「……そうか。不得意属性の訓練と称して、魔石作りをやらされたことがある。授業でやったから、一度きりだけど」
「その魔石は今どこに?」
「ああ……確か、クラスメイトにあげたはずだ。綺麗だとか凄いだとか褒めてくれたし、正直出来上がりに満足してなかったしね。で、なに?それが今回使われた石だって?うっわ、それすっごい迷惑なんだけど」
「……まえが……」
「ん、なんだよオバサン」
「お前が娘をぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
傍にいた騎士が止めるより早く、身を翻した侍女は勢い良くシオンに体当たりし、「お前が、お前が」とうわ言のように繰り返しながら何度もその頬に拳を叩き込む。
咄嗟のことで受身を取りそこなったシオンは後頭部を床に強打し、腹の上に馬乗りになる彼女を止めることも退かすこともできず、慌てた騎士二名が侍女を取り押さえた後もぐったりとその場に伸びてしまった。
「…………あれは、娘の形見なのです。大事な人から貰ったのだと……それはもう嬉しそうに、いつも肌身離さず持ち歩くほどに」
侍女……カタリナ・セラフィ子爵夫人は、一年前に娘を亡くしていた。
この学園に通い、いずれは母と同じく王城で勤めたいと話していた親孝行者の娘は、いつしか恋する乙女の顔をするようになり、そして恥ずかしそうに『恋人』から貰ったという魔石を見せてくれた。
『恋人』は魔術師として身を立てるために難関の試験に挑むらしく、今はまだ周囲にも内緒にしておきたい、騒がれたら集中できなくなるからとそう娘に頼み込み、娘もそれを律儀に信じて例え親にさえもその名を明かさなかった。
しかしいつからか、娘は思い悩むようになっていった。
どれだけ問い詰めても、言葉を尽くしても、その理由は明かそうとはしなかったが……そんな娘がある日突然家に戻ってきて、そしてその日の夜のうちに自ら命を絶ってしまった。
母は決意する。学園に入り込んで、娘をもてあそんだ男を突き止めるのだ、と。
「聖女様に仕えるうちに、自然と噂が耳に入ってくるようになりました。どうやら娘のみならず、何人かの生徒が自主退学という形で学園を辞めているということ……その生徒は聖女様のお傍に侍る、王太子殿下をはじめとする皆様と何らかの関係があったということ。どうやらその皆様が、聖女様をお守りすべく件の生徒達に圧力をかけたらしいということも。ですが、わかったのはそこまででした」
聖女が命じたわけではない、彼女はひたすら無邪気で……そして残酷なまでに愚かだった。
周囲に侍るいずれ劣らぬエリート達に甘えて頼っておきながら、彼女はしかし誰一人として特別扱いすることなく皆に愛想を振りまいて「お友達」だと一線を引く。
それが天然か計算かまではわからないまでも、カタリナはその態度に次第に苛立ちを募らせていった。
「最初は、ただ困ればいいとそう思っただけでした。……聖女様が困ればきっと彼らが動く。その中で、何か手がかりが見つかればいい、と。ですから大事にしていただけるように、王太子殿下の婚約者であられるローゼンリヒト公爵令嬢に疑いが向くよう仕向けました」
聖女とジュリアーナの関係がこじれている、というのは有名な噂だったのでそれに便乗したのだとカタリナはそう語った。
公爵令嬢に疑いの目を向けることで王太子が動かざるを得ないように仕向け、そしてわざと風の魔石を残しておくことで娘の『恋人』であった男を炙り出そうと考えた。までは良かった。
だが事件は寮母に報告されただけで一旦終結し、すぐに告発したり騎士団が介入してくることもなく、またしばらくの月日が無為に過ぎ去ってしまった。
そんなある日、聖女が珍しくカタリナに語りかけてきた。
王城に呼ばれて出向いた際、宮廷魔術師長自らが力をこめた守りの魔石を貰ったのだ、と。
風の力がこめられたその魔石は、カタリナが持っているものと同じ色に輝いていて。
それを見た瞬間、『恋人から貰ったの』と嬉しそうに笑っていた娘の顔が思い出され、怒りは頂点へと達した。
「…………バルコニーから聖女様を突き落としたのも、貴方ですね?」
「……はい。遠目で銀髪に見えるよう、染め粉を使って髪を染めました」
シオンは何も言わない。
カタリナの娘と彼が恋人同士であったのか、それとも彼女の独りよがりであったのか、それは当人である彼らにしかわからないことだ。
だとしても、カタリナの娘がシオンの魔力がこもった魔石を持っていたこと、そしてある日突然学園から戻ってきたことなどを考えると、カタリナが耳にした噂通りかそれに近いことがあったのだと推測できる。
シオンのクラスメイトであった彼女が聖女を守らんと動いた彼らに排除されてしまった……ということは、彼女が何らかの形で聖女にとって都合の悪い存在だと認識された、ということだろうか。
学園内で公然の秘密であった事実が明かされ、来賓はもとより生徒達が彼ら……王太子をはじめとするエリート集団に向ける目は、段々と白けたものになっている。
彼らは見目麗しく家柄も良い、才能ある人材だ。
ただし聖女に堕ちてからは彼女を行動の主軸にしていたため、他の生徒の信頼が薄れてきていたことも、また事実だ。
気まずい空気を敏感に察知した宰相子息サイラスによって、告発の当事者であるカタリナ・セラフィは引きずられるように連行されていった。
その彼女が、未だ言葉を発しないシオンを振り向いて一言。
「娘が死を選んだのは、学園を辞めたからではありません。娘は……妊娠させられていたんです」
この国では、婚前交渉は特に不名誉だとは言われていない。
だが妊娠となると話は別だ、婚外子を産む女性にはふしだらの烙印が押され、その後の婚姻にも支障をきたしてしまう。
勿論、その婚外子をもうけた相手が婚姻相手であるなら、まだ話は違ってくるのだが。
彼女はきっと、『恋人』の心が既に自分にはないのだと気づいたのだろう。
その上で学園を去る決意をしたが、どのような運命の悪戯か己の妊娠にも気づいてしまった。
彼女は、絶望した。そして、誰にも何も言わずに死を選んだ。
裏切られても、捨てられても、その相手をどうしても憎めなかったから。
シオンは、それでも何も言わない。
殴られ赤くなった頬をさするでもなく、血の滲む口の端をぎゅっと引き結び、ただ真っ直ぐに天井を睨みつけているだけだった。
意識はあったが念のためにとシオンが騎士二人がかりで医務室に運ばれた後、重い沈黙を破ったのはやはりマドカだった。
「…………これで、ジュリア様にかけられた嫌疑はあとひとつ。これも証明しておいた方がいいのでしょうね……」
ため息交じりのその声に、待ったをかけたのはいち早く立ち直ったサイラス。
「待て。ではあのバルコニーでの事件の日、何故貴様の主は逃げるように寮を出ている?そういう紛らわしい行動を起こしておいて、疑うなという方がおかしいだろう」
「犯人は既に自白しているというのに、まだお疑いになると言うんですね」
「念のためだ」
「…………仕方ありません。では、こちらを」
と彼女はタブレットを取り出し、何かを検索してトンと画面をタップする。
再び彼の方に向けられたその画面には、今この場にはいない王妃の顔が映し出されていた。
できるだけ多くの者に見せるため高く掲げられたタブレット、それが遠目に視界に映ったらしい国王が息を呑む顔が見える。
『陛下、ラインハルト、そして本日卒業を迎えた皆さん、本来ならわたくしも出席しなければならないその場に、こうして間接的にしか言葉を届けられないことをどうかご容赦ください。わたくしは現在、病に臥せっております。国内に混乱をきたさぬためにと当初極秘扱いで闘病していたのですが、質のいい薬が手に入ったため現在は快方に向かっていると宮廷魔術医師の保証を得ておりますので、どうぞご安心を』
王妃の声は伸びやかに、静まり返った会場内の隅々まで響き渡る。
『……さて、ジュリアーナについてでしたわね。先だっての満月の晩、彼女を呼び出したのはわたくしです。この病を治す薬が帝国にあることがわかり、それを譲ってもらうためにどうしても帝国との国境まで出向く必要があったのですわ。この薬は希少価値が高く、皇族用に保管されているものしか在庫がないようでしたので』
「ならばその役目は他の誰でも……!」
『役目は他の誰でもいいのでは、と思う者もいるでしょう。ですがジュリアーナは王妃教育を終了した者、王妃は外交を担わねばなりません。さほど親交が深くない帝国との交渉に出向くのは、ジュリアーナが適任だったのですわ。ですから、ジュリアーナには内密に登城せよと命を下しました。バルコニーでぼんやり月を見上げていた聖女を突き落とすなど、そのような暇は彼女にはございません』