20.裏切り者、襲来
「幸い、わたくしは毒を口に入れませんでした。ですが陛下は口にしてしまわれたようで……今は大分回復されておられますが、まだ寝台から起き上がることはできませんの」
「…………」
「さあラインハルト、何か言いたいことはあるかしら?」
「…………そだ」
嘘だ、とラインハルトはぼそりと呟く。
この王妃の顔をした女が言っていることは全部でたらめだ、自分は父と母の遺体を埋葬するまで見届けているし、遺体も確認している。
彼らは毒を飲んだのではなく、急な病で倒れて亡くなったのだ。
それを、毒を飲ませただの殺害を企んだだの国王は生きているだのと嘘を並べ立て、この場を混乱させようとした罪は重い。
「近衛兵っ、この王妃を騙る不届き者を捕らえよ!」
鋭く命じる声が謁見の間に響き渡るが、誰一人として動こうとはしない。
その場にいる警護要員であるはずの近衛兵は、誰も彼もぼんやりと視線を彷徨わせたまま焦点すら合っていない者もいる。
誰も動かないことに苛立った王の側近……現在は近衛騎士団長を拝命したエディが自ら段を下り、『王妃』を拘束しようと足早に近寄る、が。
あと少しのところで、『王妃』を守るように立ち塞がったマドカに阻まれてしまった。
「そこを退けっ!」
「退きませんよ。退いたら最後、こちらの方を『不敬罪』か何かで斬ってしまわれるおつもりでしょう?そしてその後できっと、王都の治療院に走っていくことでしょう。今度こそ、国王陛下を亡き者にするために」
「無礼な!!何を証拠に!」
「こちらの王妃様を手にかけようとしたのに、どちらが無礼なんでしょうね?」
困った人ですね、と言わんばかりの呆れた表情と声音。
それに激昂したエディを背後から止める者がいた。
ラインハルトの国王就任に伴い、父を蹴落とし宰相の座を得たサイラスである。
「落ち着け。冷静さを失っては、相手の思うツボだぞ。あれはただの憶測だ、証拠などあるわけがない」
「と、綺麗にフォローしたところを申し訳ありませんが、証拠なら揃っておりますよ?」
「は!?」
「なんだと!?」
「そもそも、こちらにおられるのは王妃様である以前にそちらの『国王陛下』のご母堂様です。何の証拠もなしに、息子さんが貴方の命を狙ってますと告げたくらいで、はいそうですかと信じてくださるとお思いですか?」
ラインハルトがジュリアーナを断罪しようとした時点で、そして聖女であるショウコに必要以上に肩入れして公正さを保てなかったことで、彼は王族には相応しくないと国王自らそう判断した。
たった一人の息子を王籍から外す……つまり直系の男子が国王を継ぐことはなくなり、嫁に出た王女のうち誰かの子供を引き取り、次期王とするという決断を下したわけだ。
しかしだからといって、ラインハルトが彼らの息子でなくなるというわけではない。
愛情がないわけではないのだ、ただ『王』や『王妃』としての目から見ると、このままではこの国を任せられないと思ったからで。
その息子が、まさか自分達の命を狙ってくるとはさすがに信じたくはないだろう。
いくら争いが絶えない王族だとはいえ、それはあまりに酷すぎる。
なのに『王妃』がそれを信じてくれたのは、マドカの言う通り確たる証拠があったからだ。
「…………マドカ」
「かしこまりました」
構わないからやっておしまいなさい。
それが、マドカのリミッターを外す最後の『呪文』となった。
「まず、陛下方に盛られた毒の種類ですが、これはこちらの世界ではかなり珍しい部類に入るものでした。あちらの世界では『フグ』という生物の卵巣などに含まれるものですが、こちらの世界に同じ生物は今のところ発見されておりません。なので仮説としてですが、その毒はあちらの世界から持ち込まれたか、もしくはこちらの世界で作り出されたものだと考えられます」
「なら、犯人は『落ち人』だということではないか!」
「もしくはその関係者ということについては、否定は致しませんよ?」
フグ毒は、まず麻痺から始まる。
途中嘔吐や頭痛、腹痛などを伴いながらも症状は悪化していき、大体1日以内に死に至る。
有効な特効薬はなく、致死量もわずかであるため食事などに混ぜてしまえばわからない。
王妃が毒を摂取せずに済んだのは、ひとえにこの日食べた食事のメニューにあった。
この日出たのはサシミという東洋の国では当たり前になっている生魚だったのだが、王妃はこの生魚を『どうしても抵抗がありますの』と言って食べなかった。
王は恐る恐るだが口にしていたが、すぐに何かに気づいたらしく食べるのをやめている。
「両陛下には、あらかじめ毒性のあるものを感知し、なおかつある程度は影響を防げる魔術具を身につけていただいておりました。ですので陛下が口にされた毒物も、ある程度はその魔術具で防げたのでしょう。……実際、見せていただいたその魔術具は黒く汚れて壊れていましたから」
「ふん、語るに落ちたな。王族の食事には必ず毒見役がつく。もしその食事に毒が盛られていたのなら、毒見役も倒れていてしかるべきだろう」
「ええ、そうですね。ですから、その毒は毒見が終わった後に盛られたということになります」
毒見が終わればその料理は食卓に並ぶ。
運ぶのは、信頼されてその役目を任された侍女や侍従。
彼らは両手にそれぞれ料理の皿を持って運ぶため、移動中に毒を盛ることは不可能に近い。
それにもし不審な行動をしたら、それをその場で監視の役目を負った使用人が見逃すはずもなく、すぐさま別室に連行されて尋問を受けることになるはずだ。
であるなら、実行犯は別にいる。
そしてそれは、その食卓についていた両陛下ともう一人……『王太子』ラインハルトの三人に絞られることになり、即ち被害者ではないラインハルトが犯人、という消去法が成り立ってしまうのだ。
そんな状況証拠は役に立たない、とサイラスは反論する。
ジュリアーナの断罪の際は状況証拠ばかりを並べ立てていたくせに、とマドカは少し怒りのボルテージが上がるのを感じたが、表立ってはそれを顔に出さずにさくさく進行していく。
「王太子殿下……とあえてそうお呼び致しますが。殿下はあらかじめフグ毒の入った小瓶をお持ちになり、粗相をしたふりをしながらワイングラスを倒した隙に、そっと中身をある容器へと注ぎ入れました。それは、サシミを食べる際につける調味料の器です。サシミをその器の調味料につけながら食べる、という方法が面倒だと貴方はそう言いながらその調味料をサシミの上にまんべんなくふりかけ、これで食べやすくなったでしょう、とドヤ顔……失礼、満足そうな顔をされておられたことは、既に王妃様より伺っております」
「だからその女は……っ」
「この方が正真正銘この国の王妃陛下であることは、既にDNA鑑定にて証明済みです。ついでに、王太子殿下との親子証明も終わっておりますので疑いようもない事実ですがなにか?」
マドカは、ラインハルトとこの『王妃を騙る女性』との間の親子鑑定をし、その結果から彼女が彼の母親であること、つまり王妃であることを証明したのだと、そう言いたいらしい。
かつてジュリアーナの断罪の際にも出てきた『DNA鑑定』という聞きなれない単語に、王太子のみならず側近達の表情も固まってしまう。
ラインハルトの隣に座したままのショウコは、話を聞いているのかいないのか……マドカを睨みつけたかと思うと、切なげにジェイルを見つめたり、その隣のジュリアーナをちらちらと伺ったりと忙しない。
止める者のいなくなったその場で、マドカの解説はなおも続く。
「魔術具が毒をある程度防いでくれたお陰で、国王陛下もなんとか難を逃れました。しかしそうなると更なる強硬手段に出てこられる可能性もあったため、両陛下は一芝居うつことを考えられたのです。国王陛下のみならず、王妃陛下もその毒にやられて命を落とす……そうした後、犯人がどう出るか見極めるために」
人を一時的に仮死状態にするという魔術が存在する。
それは禁術であったが、やむをえない事情があるため使っても構わないと国王が一時的に許可を出し、この事情を知る魔術師がその術を両陛下へと施した。
そして王太子に二人の死を確認させると、『急な病であるため密葬で対応した』ということにして内々に二人を王城から逃がし、適当に重みを持たせた棺を埋葬させた。
国王は多少なりとも麻痺が出てきたため治療院にて魔術医師達の治療を受け、王妃は秘密裏に隣国アルファード帝国にわたり、ジェイルに事情を話した上で協力を仰いだ。
「ああ、そうそう。そもそもそのフグ毒をこちらに持ち込んだ『落ち人』ですが、現在アルファード帝国にて厳しい尋問を受けております。彼は帝国内で火薬という危険物を販売していたという罪で捕まったのですが、以前フグ毒をなんらかの形で抽出し、ヴィラージュ王国のお偉いさんに売ったとあっさり白状しましたよ」
「そんなもの……」
「ちなみに、その尋問で使われているのは恐らく皆様もご存知の魔術具、『嘘発見器くん改良版』ですので念のため」
「…………」
その妙なネーミングセンスからもわかるだろうが、件の魔術具を作ったのは既に故人となった『落ち人』である。
彼女は医師免状を持っていた上に機械にかなり詳しく、元の世界にあった『ポリグラフ』を見よう見真似で造ってしまうと、あろうことかそれを騎士団に売りつけた。
要するに、元の世界の刑事ドラマなどでもあったように、犯人逮捕に役立ててくださいという意味合いであったようだ。
しかしこの魔術具はあまりに効果覿面であったため、親達は子供に『嘘をつく子は嘘発見器にかけてしまうよ?』と脅し、性格を矯正したという裏話もある。
どうやら顔を青くして黙り込んだ者達は、多かれ少なかれそういう親の脅し文句に恐怖を感じたことがある、ということのようだ。
「さて。どうして王太子殿下が犯人だと決め付けるのか、その証拠をお見せしましょう」
と、彼女が取り出したのは毎度お馴染みのタブレット。
トン、とタップして映し出されたその画像に、ラインハルトの顔がわずかに引きつった。
そこに映っていたのは、あの日彼が着ていたものだったからだ。
マドカがその服の一部分をみょーんと指で引き伸ばすと、明らかに生地の色とも模様とも違う茶色の染みがついているのがはっきりと見える。
「これは、殿下が当日お召しになっていた服ですが、ここについた茶色の染み……これを分析器にかけたところ、サシミを美味しくいただく際の調味料の成分と、微量ですがフグ毒の成分が検出されました。恐らく、皿の上に調味料をかけた際に飛び散ったものでしょう。そして袖口からも、こちらはフグ毒だけの成分が検出されています。これでもまだ、言い逃れをされるおつもりですか?」
「……しかし服にしても、状況証拠ではないか。私がはっきりとお二方を殺そうとしたのだと、どうやって証明する?」
「…………はぁ」
呆れたようにため息をつくと、マドカは背後を振り向いた。
まずは王妃に再度確認を取り、次にジェイルに許可を取り、そしてジュリアーナには大丈夫ですよというような眼差しを向ける。
(安心してください。必ず吐かせてみせますよ)
もう、後戻りはできないのだ。
彼らも、そして自分達も。
マドカは、視線を『彼』に向けた。
視線で促すと、彼は仕方なさそうに軽く肩を竦めてわかったと示す。
「……疑問に思いませんでしたか?どうして、両陛下が殿下の殺害計画を知り得たのか。どうして、都合よく毒殺を防ぐための魔術具を持っていたのか。どうして、仮死状態になる術を使える魔術師がすぐに見つかったか。どうして、誰にも見つからずに城から抜け出せたのか。どうして、この『捨てられていたはずの服』が証拠として提出されているのか。これだけの矛盾点に、どうして疑問を抱かずにいられるのですか?」
「………………まさ、か」
「まさか、なんです?」
王太子の視線が、己の側近に向けられる。
これまで、ショウコを囲むライバルではあったがそれでも信頼して、命を預けてきた相手だ。
今回の計画を漏らした時も協力を買って出てくれ、空き瓶の処理や服の処理など引き受けてくれた相手。
彼が裏切り者であるなら、これ以上に強力な証拠などない。
サイラスが、エディが、ショウコが視線を向ける中
「あーあ。バレちゃった。修羅場なんてごめんだよ、って先に言っといたはずなのに。……ま、王妃様の命令じゃ仕方ないけどさ」
「……シ、オン……?」
「あぁ、あのさ。これまでは我慢してたけど、馴れ馴れしく呼ばないでくれる?キミの【魅了】の力はもう、僕には効かないんだからね」
宮廷魔術師シオン・レウァールは、なんてことなさそうな表情であっさり【裏切り者】の素顔を晒した。