2.証拠不十分とは残念です
作内の科学鑑定につきましては、刑事ドラマ等で見聞きした知識しかありません。
詳細をご存知の方、専門職の方は緩く笑ってスルー願います。
「我が主ジュリアーナ様にかわりまして、少しよろしいですか?」
言葉では許可を求めるようなことを言ってはいるが、声の主は返事を待たずにずいっとジュリアーナの前に進み出ると、文官の制服を身に纏った宰相子息サイラスの前に立ちはだかった。
「……なんだ貴様は」
「ジュリアーナ様の従者を務めております、科学技術研究チーム所属のマドカ・クリストハルトです。ジュリアーナ様にかけられた嫌疑につきまして、無実の証明をさせていただくべく参上いたしました」
【科学技術研究チーム】とはその名の通り、異世界【地球】で開発・発展している科学技術というものの仕組みを解き明かし、この世界でその技術を流用できないか研究するチームのことである。
異世界の技術を取り扱うとあって、所属する者は全て異世界よりこの世界へやってきた異世界人ばかりであり、彼らは一方通行の道を通ってこの世界へ落ちてくることから『落ち人』と呼ばれている。
これまでにも『落ち人』達はこの世界に様々な科学技術をもたらしてくれたが、この研究チームでは更に詳細に……例えば犯罪捜査などで科学分析などを証拠として扱えるように、様々な研究を重ねているらしい。
発起人がこの学園の生徒であったことから、現在は学園における専攻のひとつとして扱われてはいるが、正確には国の承認を得たれっきとした研究施設である。
「そうか。では貴様は『落ち人』か」
ならば関係ないだろうとでも言いたげなその蔑みのこもった発言をスルーし、マドカと名乗った少女は傍らに抱えていた魔力を原動とするタブレットを取り出し、トンとその画面をタップしてから静かに口を開いた。
「順番に参りましょう。まず聖女様に泥水を浴びせたという事件について、これには魔術科の男子生徒数名という証言者がいます。彼らに実際に話を聞いてみましたが、汚れていたのは主に身体の前面……胸から太腿辺りまでが最も酷く、靴もドロドロ、逆に顔や髪は泥が跳びはねた程度だったと話してくれました」
「真正面から真っ直ぐに浴びせればそうなるだろう。それのどこに問題が?」
「もし真っ直ぐに胸の辺りを狙って泥を浴びせたのなら、靴がドロドロだったことへの説明がつきません。その2日前に遡っても雨が降ったという記録はありませんし、男子生徒達の証言からも庭園がぬかるんでいたということはないようです。それこそ、奥の池の辺りの泥に足を取られて転んだというなら、その不自然な汚れ方の説明はつきますが」
「ふん。聞いていなかったのか?聖女様が泥だらけで目撃される少し前、何かを抱えて足早に庭園を抜ける貴様の主が見られているのだぞ」
つまりサイラスは、ジュリアーナがあらかじめ聖女ショウコが向かいそうな先に水をまき、足をとられそうなぬかるみを作っておいた、とそう言いたいらしい。
その時点で既に先述の『泥を浴びせた』という告発と矛盾しているのだが、マドカが冷静にそれを指摘するとサイラスは「害を成したことには違いないだろう」とやや慌てたように早口でそう切り返してきた。
「……では、害を成していないと証明できれば良いのですね?」
「できるものか」
「どうしても言いたくないという主の意向に背くことになりますが、証明は可能です。既に確たる証言も得ていますので、それをお見せ致しましょう」
「マドカ、やめなさい」
「いいえ。これはあの方たっての願いでもあるのです。ジュリア様の無実を証明するためなら明かしても構わない、と。」
ですから聞けません、と緩々頭を振って答えると、マドカはタブレットの画面をサイラスとラインハルトに見えるように向け、トン、と画面をタップした。
すると、画面に大写しになったまま止まっていた人物の画像が動き出し、会場の皆もよく知る穏やかな声で語り始める。
『私ことヴィラージュ総合学園長レオナルド・フォン・バーベリアは、嘘偽りなく真実のみを証言することを誓う。……さて、半年前にジュリアーナ・ローゼンリヒト嬢が何かを抱えて庭園を駆け去ったことについてだが……実は、その、言い難い話なので彼女には内密にと頼んだのだが、私の不注意で学園長室で飼っていたペットが逃げ出してしまってね。幸い首輪に位置特定用の魔石をつけていたため庭園にいることがわかったのだが、どうしてもこの日は抜けられない会議があったので探しに出向くことができなかったのだ。そこで、そのペットの存在を知っているジュリアーナ嬢に頼んで、連れて帰ってきてもらったというわけなのだ。そういうわけだ、ジュリアーナ嬢。詳しく話して貰っても構わないよ』
学園長自らの証言に、画面は見えずとも声の聞こえた生徒や来賓達がざわめきだす。
糾弾する側の王太子もさすがに額を押さえ、「叔父上、なんということを……」と王弟である学園長がこっそりペットを飼育していたことを嘆いている。
サイラスもさすがにぽかんとした顔になったが、すぐに顔を引き締めてジュリアーナに詳しい証言を求めた。
「ええと……その、学園長の飼っておられたペットなのですが、あまり万人受けする種類のものではないのですわ。ですからそれを見た生徒が驚いて騒ぎにならないようにと、偶然事情を知ってしまったわたくしに協力を依頼されたのです」
「手に抱えられる万人受けしないペットというと、もしやウシガエルか何かか。そんなもので騒ぐ生徒などそうそう……」
「いいえ、アオダイショウですわ」
「っ!?」
アオダイショウというのはヘビである。
元々は異世界のニホンという国に生息していたのだが、たまたまそれを飼っていた『落ち人』と共にこの世界に降り立ち、瞬く間に繁殖してしまった。
サイラスは言葉に詰まった。
ラインハルトは目を剥いた。
来賓達は顔をしかめ、生徒達は引いた。完全に。
その反応は全て、学園長がヘビを飼っていたという事実に対してではなく……社交界の華と呼ばれたジュリアーナがそのヘビを捕獲して抱えて戻った、ということに対してである。
ジュリアーナがこのことを話そうとしなかったのは、学園長から口止めされていたこともあったが、貴族の令嬢としてそれはどうなんだという印象を持たれてしまうだろうから、という彼女なりの羞恥心やプライド故のことだったのだろう。
「…………話を戻します。ここからは推測になりますが、恐らく聖女様はこのヘビを見て驚いて足をとられてしまったのではないでしょうか?ヘビを見て怖がらない者、驚かない者はそういないでしょう。それこそ抱えて走れる我が主のような豪胆な性格でもない限り、普通の女生徒なら悲鳴を上げて逃げ惑うくらいはするはずです」
「……マドカ、さすがにわたくしも傷つくのだけど」
「褒め言葉です。……さて、そうであるなら聖女様が慌てて転んでしまっても当然だと説明がつきますが……真偽のほどはご本人にお尋ねするしかありませんね。どうなのでしょう?」
マドカが首を傾げつつ視線を向けたのは、ちょうど王太子の陰になるように立ち尽くすふわりと柔らかな黒髪の小柄な生徒。
魔術科の制服と、卒業記念に学園から支給された魔術師のローブを身に纏い、人ごみに紛れて怯えたようにジュリアーナやマドカを見つめる彼女こそ、5年前にこの世界に召喚された聖女……ショウコ・ヒイラギ。
この告発で、被害者として語られている18歳の少女だった。
この国において、【聖女】は特別な意味を持っている。
国が荒れた時、神託によって聖女が選ばれる。その聖女が神殿にて祈りを捧げることで、国はまた元通りに富み、栄えることだろう。
そんな御伽噺のような伝承が語り継がれているこの国では、何十年かに一度神託を受ける者が現れる。
そうして指名されるのは大概が貴族の娘か王族か。
だが先代の聖女はそのどちらでもなく、『落ち人』の女性だった。
そして今回神託を受けた者が告げたのは、その先代の聖女に血が連なる者を異世界より喚び寄せよ、というもの。
召喚術を使って対象を喚ぶには、具体的に何か繋がりのある媒体が必要となる。
今回は先代聖女に血が連なる者という指定であったため、神殿に祀ってあった聖女の遺髪を使って召喚を試み、そして恐らく子孫にあたるだろう【柊祥子】と名乗った黒髪の少女を喚び出すことに成功した。
突然のことに怯え、嘆き悲しむ華奢で可憐な少女。
そんな彼女を保護し、この国の事情や常識などについて教え導いていくうちに、王太子や宰相子息、宮廷魔術師に若き騎士団のエリートといったこの国の次代を担う者達が次々と聖女の虜になっていった。
彼らは見目麗しく、家柄もよく、そして才能がある。
今回のことは、そのために起こるべくして起こった悲劇なのだ……とマドカはそう考えている。
どうなのでしょう?と問いかけられたショウコは怯えたようにびくりと身体を竦ませ、しかし状況的に答えないわけにはいかないとわかったのか、駆け寄って背を支えてくれる王太子を上目遣いで見上げつつも、小さく「はい」と答えた。
「『はい』というのは?……貴方は水辺でヘビを見つけ、驚いて足を滑らせ転んでしまった。が、その汚れがジュリア様に泥水をかけられた所為かと問われても、それを否定しなかった……ということですか?」
「貴様っ!!」
「やっ、やめて、サイラスさん……わたしが、悪いの……っ。だってヘビがいるなんて思わなくてっ、でもジュリアーナ様の所為だって言われて、違うって言わなきゃって思ったけど怖くて……」
「ショウコ、大丈夫だ。もうそんなことがないように、叔父上にはキツく言っておくから。怖かっただろう?」
「ぐすっ、ラインハルト様ぁ……」
優しく肩を引き寄せるラインハルト、その胸に凭れるようにして寄り添いながら涙声で「怖かった」と繰り返す聖女。
なんだこの茶番、とマドカが口にしなかったのは、行きがかり上進行役を買って出ているサイラスを怒らせ、これ以上この『茶番劇』を長引かせまいと自粛したからだ。
彼女はふぅっと大きく息をつくと、「ひとつめの罪は無実ということでよろしいですね?」とサイラスに向かって語りかけ、不承不承ではあるが頷き返されたことを確認すると「では次に」とタブレットを手元に引き寄せ、殊更事務的な口調に戻って報告を続けた。
「制服切り裂き事件につきまして。証拠は銀の髪と風の魔石ということでしたので、マザー・クリスティナが保管してくださっていた証拠の髪の一部を騎士団よりお借りして、あらゆる方向から鑑定させていただきました。その結果、確かにその髪は銀色でしたがわずかに金色の色素が残っていたこと、そしてDNA鑑定の結果ジュリアーナ様とは別人のものであることがわかりました」
「でぃーえぬえー鑑定、だと?わけのわからぬ言葉で煙に巻こうというのか」
「まぁ、こちらではまだ研究段階の技術ですし……何のことを言っているのかこの段階ではっきりとわかったのは、うちの研究チーム員以外では聖女様だけでしょうね」
つまりそれは異世界の技術なのだ、と示されたことで自然と聖女に視線が集まるが、彼女は肯定するでも否定するでもなく身を縮こまらせる。
マドカとしては『同じ異世界人なのだから通じるはず』という意味合いで引き合いに出したのだが、どうやら責め立てていると思い込んだらしい王太子に睨まれ、詳しく説明するようにと言われたことで簡単にDNA鑑定についての補足説明を加えた。
『DNA鑑定』とは、人間誰しもが持っている『DNA』という体内物質を証拠品から取り出し、それを対象の人物のものと比較することで本人であるか別人のものであるか鑑定する技術である。
DNAは一卵性双生児でない限り全く同じということはあり得ず、また親子や血縁関係にある者ならそのDNAの類似性が認められることからも、個人の特定に関して充分な証拠能力を有している。
といったようなことをできるだけわかりやすく語ったマドカは、証拠品として提出されていた銀の髪は正確には銀ではなく元々淡い金色であり、その証拠に毛の根元の辺りに金色の色素がわずかに見られたのだと説明した。
更に、幸いなことに毛根がついたままだったその髪をジュリアーナの髪とDNA照合した結果、血縁関係のない全くの別人のものであることがわかった、とも。
「金髪が銀髪になるなど、随分と荒唐無稽で乱暴なこじつけをするものだな」
「そうでしょうか?ではお聞きしますが、貴方のお身内で白髪の方はおられませんか?生えていたものが突然白髪に変わるという話は聞きませんが、ところどころ白髪が生えてくるというならむしろ年配の方にはありがちでしょう」
「回りくどい。つまり何が言いたい?」
「ええ、つまり…………その髪の持ち主は元々は淡い金髪で、それ相応の年齢であるため白髪交じりの女性ということになります。……そう、例えば聖女様の侍女殿のような」
はっ、と王太子が目を見張る。
鋭く周囲を見回し、目的の人物がいないことがわかるとすぐさま、警備にあたっていた騎士数名に探しに行かせた。
ざわざわと落ち着きなくさざめく会場内において、当事者であるジュリアーナと弁護人であるマドカだけが落ち着き払って立っている。
そこに連れてこられたのは、侍女のお仕着せから私服であろうワンピースに着替えた年配の女性。
騎士によって解かれたその髪はジュリアーナと同じほど長く、そしてところどころにメッシュのように銀の色が混じる淡い金色をしていた。