16.羊様、襲来
ヴィラージュ王国の王太子が、先日正式に婚約を交わした【聖女】ショウコ・ヒイラギを連れて、外交の旅に出ることになった。
これは本来なら王妃教育の一環として彼女一人で回るべき仕事なのだが、大事な【聖女】を国外に出すにあたって一人では心配だというもっともらしい理由をつけて、王太子まで同行することとなったらしい。
なので、あまり長く国を離れるのも問題があるとして、今回訪れるのは隣国のアルファード帝国とその周辺の小国2か所ほど。
これでは外交の練習にはならないのでは、という声も上がっているものの、今更表立って意見できるだけのツワモノはおらず、いずれも王太子や聖女、その取り巻き達の耳には入らずに消えていった。
「というわけで、隣国の浮気者と節操なしが来訪することになった件だが。準備は進んでるか?」
「随分と辛辣ですね。勿論、準備は着々と進んでおりますよ」
評判はどうあれ、相手は一国の王太子とその婚約者だ。
迎える際には当然国を挙げての歓迎ムードを示さねば失礼にあたるし、かといって諸手を挙げての大歓迎となるとつけあがらせてしまうので、適度に歓迎ムードを示せる『役者』を準備中である。
滞在中は王城に部屋を用意せねばならないし、侍女や護衛といった者も選別する必要がある。
そして歓迎の夜会……ヴィラージュ王国などの貴族階級の存在する国では舞踏会を開くようだが、ここ帝国では貴族階級は存在しないため普通より豪華な程度の立食パーティにする予定だ。
すっかり贅沢に慣れたらしい聖女あたりはがっかりするかもしれないが、あくまでも帝国流を貫いておもてなしすることになっている。
その手順を簡単に説明すると、ジェイルは眉をしかめて「そっちじゃない」と言い放った。
「表に出してはマズい者達がいるだろう?そっちの対策は済んでるのかと聞いている」
「ああ、そちらですか。それなら既に手配は終わっております」
王太子と合わせたくないジュリアーナは、今までどおり国境の町を領地とする領主の邸に。
もし王太子の手の者に見つかったとしても、彼女だけならばどうとでも誤魔化しがきく。
何しろ先方は既にローゼンリヒト家の者達がこのアルファード帝国に保護を求めて入国したことを知っているのだ、ならば居場所がバレたところでどうということもない。
もし何か追求されて面倒ごとになりそうな場合は、最悪の場合皇太子ジェイルの庇護下にあると明かしてしまっても構わない、とカインはそう考えているしこれにはジェイルも同意している。
顔が知れているだろう元ローゼンリヒト公爵アルバートもジュリアーナと共に邸にいるが、これも叔父・姪の関係性を考えればなんら不自然なことはない。
落ち人達が別邸で大人しくしていてくれれば彼らの存在まで王太子は執着しないだろうが、そこから芋蔓式にマドカのことまで追求されてしまったら、少々誤魔化すのが面倒になるかなという程度だ。
さてそのマドカだが、彼女は北方にあるカインの実家にかくまわれている。
彼女自身主の傍を離れたくはなさそうだったが、今回の場合どちらかが見つかって全員が一網打尽となるのは避けたかったので、彼女にもそう説明して納得してもらった。
そのことを話すと、ジェイルは途端ににやにやと意地の悪い笑みを浮かべ、「その後どうなんだ」と尋ねてきた。
「どう、というのは?」
「彼女を婚約者ということにして軍に入れた目的は果たしただろう?ならいつまで婚約関係を続けるのか、と聞いてるんだ。軍内部でも、新人如きがお前の補佐役ということで反発もあるだろうしな」
新人云々は完全な蛇足で、ジェイルとしては堅物な側近のコイバナを是非聞きたいと興味津々だ。
カインもそれに気づいたらしく、やれやれと呆れたようにため息をついてから、それでも律儀にマドカの印象を思い出しながら口に出した。
「ええ、確かに最初は反発もあったように思います。ですが彼女は器用な性質らしく何でもすぐに出来るようになってくれますし、訓練にも怠けず参加しますからいつの間にか仲間として認められていたようです。実際補佐としての仕事内容も文句ありませんので、事態が変わるまではこのままでも構わないか、と」
「事態が変わる?」
「彼女の方が根を上げる、もしくはこの関係性の解消を強く望んだ場合、ですね」
「…………お前、そうなる前に囲い込んでしまえとか思ってないか?」
「まさか。そうなったらなった時で、ちゃんと解消に応じますよ。それが当初の契約ですから」
おや、とジェイルは評価を改めた。
彼の見たところ、カインとマドカはとても息の合う関係だったし、彼女の実力が彼の言う通り望めば望むだけついてくる、というのも魅力だと思っていた。
だが彼の方には、彼女にそれ以上を求める気持ちがどうやらないらしいとわかる。
そして恐らく、彼女の方にも。
(かなり気に掛けているように見えるんだが……見当違いか?)
良く知りもしない相手を、例え目的のためとはいえ相愛の婚約者だと紹介し、そして後に関係を解消する際には自分が不利益を被るつもりでいる。
そこまでする相手だ、激しい愛情がないのだとしてもせめて淡い恋心や執着心くらいはあってもいいだろう、とことあるごとにからかいのネタにしてはいるのだが……カインの表情からは、一向に恋情や愛情といった桃色の感情が読み取れずにいる。
「お前、初恋もまだだとか言うなよ?」
「失礼な。詳細は伏せますが経験済みですよ」
「……だよなぁ……」
なら、彼女の前でだけ見せるあの柔らかな表情はなんなんだ。
そう小一時間問い詰めたいところだったが、この後のスケジュールがそれを許してはくれなかった。
一方その頃のマドカはというと
ベシャッ、と情けない音と共にぬかるんだ地面に身体が沈む。
その横をメェ~とのんきな声を上げながら、何頭もの羊が通り過ぎていくのを彼女はただ恨めしそうに見上げるしかできない。
「あらあらマドカちゃん、今日も泥んこねぇ。さ、あの子達のことはあたしに任せて、ちゃっちゃとお風呂入ってきなさいな」
「……はい。すみません」
「あらいいのよぉ。まだこっちに来て数日じゃないの。そんなんであの子達をどうにかできたら、こっちの商売あがったりよ」
けらけらと大声を立てて笑う、どこかカインによく似た面差しの女性。
彼女はカインの5歳年上の姉であり、今は婿を取って実家の家業である家畜の世話を一手に引き受ける、中々に豪快な性格の美女だ。
なんでも器用にこなすことができる、と評価してもらったマドカだが、動物との相性はよくなかった。
カインの実家に着いた途端に番犬には吠え掛かられるし、近所を歩く猫にも威嚇される。
馬には何度も蹴られそうになり、まだ大人しいからと羊の世話を手伝おうとすれば、あからさまにバカにしたような態度で指示を無視される。
なんか動物限定の毒電波でも出してるのか、と半ば真剣にマサオミやアリアに相談してみるが、二人揃って散々笑い飛ばした挙句、マドカが真剣だとわかると途端に可哀想なものを見るような目を向けられた。
(…………カイン様……ちょっとだけ恨みます)
ここへ来る前に実家がかなり田舎であること、何もないがのどかでいい場所であることは聞いていたが、ここまで動物と関わらなくてはいけないとは知らなかった。
むしろ動物と関わらないようにするためには、アリアのように部屋に引きこもるしかない……と知った時の絶望感も半端ではなかった。
ならば引きこもればいい、と言われるかもしれないが、実家を頼るようにと繋ぎを取ってくれたカインのため、そして見ず知らずの『婚約者』とその同行者を温かく迎え入れてくれた実家の方々のためにも、彼女は引きこもっているわけにはいかなかった。
その日の夕食時、全員揃った食卓の場でふとカインの母であるローザが、食の進まなさそうなマドカに声を掛けた。
「カインもね、あの子達に散々バカにされて無視されて……毎日毎日泥だらけで泣いて帰ってきていたわ。どうして言うことをきかないんだ、って癇癪を起こしたことも一度や二度じゃないわね」
「……それは何歳の頃のことでしょうか?」
「そうねぇ、10歳だったかしら?」
「…………」
ということは今のマドカは10歳の子供と一緒、ということだ。
まだ癇癪を起こさないだけマシ、と言われるかもしれないが。
「動物ってね、人の感情に敏感なのよ。聞いたことはない?野生の動物を手懐けるためには、こちらの警戒心を捨てなさい、って。彼らは野生種ではないけど、私達をよく見てるわ。だから、こちらがバカにすればあちらもバカにする、こちらが怖がればあちらも警戒する、そういうことなの」
「わかってはいる、んですが」
「そうね。マドカさんはカインと同じ、頭で何でも考えようとするタイプなのね。だったら良く考えて?相手は羊よ?私たちと同じように、同じだけ考えられるかしら?」
「ああ!考えるな、感じろ、ってことっすね!」
「そうそう。マサオミ君いいこと言うわね」
パクリだけど、というアリアの呟きは聞き流すことにしたのか、マサオミは珍しく褒められて有頂天になっている。
彼はマドカとは違い、この家の番犬にも尻尾を振って懐かれたし、近所の猫とも交流がある。
羊はどうだかわからないが、この分だと彼の方が先にあっさりと彼らを手懐けてしまいそうだ。
(手懐ける?…………そっか、違う。手懐けるんじゃなくて、仲良くなるんだ)
手懐ける、というのはいかにも上から目線だ。
きっと無意識にそう考えていたことが、羊達にも伝わってしまったのかもしれない。
実際、大型の犬には潜在的な恐怖心を捨てきれていないし、猫はアレルギー体質であるためやはり近づきたいとは思わない。
羊に対しても、きっとそうだ。
それならば、と彼女は意気込みを新たにしつつも、ひとまず目の前のデザート攻略に集中し始めた。
「…………」
地面にしゃがみこみ、じっと縦長の瞳孔を見つめるマドカ。
いつものようにやってきたかと思えば、突然一番大きな個体の傍にしゃがみこんでにらめっこを始めた人間に、羊達も戸惑いを隠せない様子だ。
ンメェ、とどこか情けない声をあげたその個体の目をじっと見つめながら、マドカはこの後どうやったら仲良くなれるんだろうか、と考えている。
昨日あれだけ考えるなと言われたにも関わらず、やはりすぐ思考に頼ってしまうのはもう癖としか言いようがない。
どれだけそうしていただろうか。
「なにやってんの、お嬢。あとはそいつだけなんだけど」
マドカの予想通り、あっさりと羊達の信頼を勝ち取って柵への誘導を成功させたマサオミが、最後の一頭と向き合うマドカの元へ呆れ顔でやってきた。
(やっぱりダメだったか…………かなり悔しいんだけどなぁ)
仕方ないか、とマドカは立ち上がり、そのタイミングでマサオミが最後の一頭を誘導しようと歩き出す、が。
「……え?」
「あ、あれ?」
マドカが一歩横にずれるとその羊も一歩進む。
ためしに一歩前に踏み出すと、その個体も同じように向きを変えて一歩進む。
マサオミの方は見向きもせずに、『彼』はマドカの行く方へと従順についていこうとする。
「もしかして、そいつ……」
「……根負けしてくれた、ということでしょうか」
「ま、そうなんじゃね?」
良かったじゃん、と笑うマサオミにマドカの口元も綻ぶ。
今だけかもしれない、信頼してくれたわけじゃないかもしれない。
だけどこうしてついてきてくれるということは、認めてもらえたと誇っても良いような気がする。
その日の夕食の場は当然、彼女が初めて誘導を成功させたという話題で盛り上がり、
「実はあの子……カインも同じように、その時一番大きな個体の前でずっと座り続けてたの。群れのリーダーの信頼を勝ち取れば後はついてくる、と思ったんでしょうね。本当、マドカさんとあの子って良く似てるわ」
心底嬉しそうにそう言われ、周囲からは微笑ましそうな顔で見られ、
これが仮の関係であり用事が済めばすぐに解消されるものだとわかっていて、
だけどほんの少しだけ、親近感を持った。




