15.『落ち人』ミシェルの信念
今回ちょっと残酷&グロ描写が出ます。
そこまで直接的ではないですが、殺人行為がありますので要注意。
マドカが軍から戻ってきて、一ヶ月。
『落ち人』達の住む別邸はにわかに活気付いた。
マドカは軍を辞めたわけではなかったが、これまでのように始終拘束されるのではなくこの別邸から通えるようになり、総司令官補佐という新人ではありえないほどの待遇を受けながらも、同時に誰よりも慌しく、過酷な仕事に相変わらず振り回され続けている。
彼ら『落ち人』達はといえば、そのマドカの功績に免じてということなのか正式に国民としての承認を受け、晴れて領主の邸に縛られる必要性はなくなった。
早速研究チームを立ち上げたいと言い出したマサオミに、彼らの身元保証を請け負っているアルバート・ローゼンリヒトが「なら帝都に全員で引っ越すかい?」と言い出し、ジュリアーナも含めた全員で荷物の整理やらここ数ヶ月でできた知り合いへの挨拶やらと、慌しくしている。
まぁ平和が一番よね、とそんな仲間たちを見ながらミシェルはそう小さく呟く。
彼はこのメンバーの中でダントツの年上であり、そろそろナイスミドルと呼ばれてもおかしくない年齢に差し掛かっている。
薬学に明るく、その分野に的を絞って研究を重ねた結果20代半ばで博士、30代で准教授という地位を手に入れた彼は、この異世界へと落ちてきた時も己の境遇を悲観することなく、薬師と呼ばれる職業があることを知ると、その手伝いにと志願して立派に生計を立ててきた。
本来なら、年齢的なものや経験値の差などを考慮しても彼がリーダーとなるべきだったのだが、自分はそんな器じゃない、むしろご意見番的な役目が合っていると主張し、その時既に全員の中心的人物だったマドカをリーダーにと推したのだ。
そんな平和が長続きするはずもなく、珍しく慌てた様子で帝都から戻ってきたアルバートはとんでもない爆弾を投下した。
「今度、ヴィラージュ王国の王太子とその婚約者が来訪することになった。なんでも、婚約者殿……【聖女】様のたっての希望らしい」
どうして今更、と『落ち人』達は不愉快そうに顔をしかめる。
この場にマドカは同席していないが、皇太子の側近であるカインの補佐役を務めている以上、彼女の耳にも入っているはずだ。
「ということは、しばらく帝都中がその対応に追われますわね。ひとまずそちらに移り住むのは先延ばし、と考えてよろしいのですか?叔父様」
「ああ、理解が早くて助かる。先方は当然、この国にジュリアが居ることを知っているはずだから、何やかやと探りを入れてくるだろう。私もしばらくは城にあがらず、ここの領主殿の仕事場で使っていただくことになった」
「マドカに関してはどうなりますの?」
「あの子も当然、身を隠すことになるだろうな。こちらに戻されるか、もしくは別の場所に避難させるか。その辺の判断はカイン殿に任せるしかないが」
理不尽なことだ、とアルバートはその憤りを隠そうともしない。
そもそも、正式に国民として認められた彼らが逃げ隠れする必要など、どこにもないのだ。
王国は彼らがこの国に保護を求めたことを当然知っているはずで、ならばむしろ堂々と『国民ですがそれが何か?』という顔をしていればいい。
なのだが、先方が喧嘩を売る気満々だとしたらどうだろう?
亡命を希望したのは当人達だが、それを国民と認めたのは帝国の判断だ。
国同士の関係性を優先するなら、王国にとっての重要人物だとわかっていてどうして自国の国民だと承認したのか、と言いがかりをつけられる可能性もある。
ならば最初から姿を見せず、探りを入れられても煙に巻けるようにしておけば、余計な騒ぎも避けられるだろう、ということだ。
その日帝都から戻ってきたマドカは、皆の予想に反して『ここにはしばらく戻りません』と言ってきた。
「隠したいものを一緒の場所に置いておくのは、見つかった時に一網打尽にされる可能性がある……のだそうですよ。なので、研究チームも半々に分けて数人は私について北の地方に行ってもらいたいんです」
「まぁ、そうね。ここは国境沿いの町なんだし、探られるとしたら帝都かここでしょうし。ところで北の地方って?」
「ここから北に行った先にある町に、カイン様のご実家があるそうなんです。軍内部でも『総司令官の婚約者』の話は相応に広まっていますから、疑われてもいいようにご実家を頼れと言われました」
「ああ、そういうこと」
なら、あたしとレオはこっち側ね。とミシェルは早速チーム分けについて考え始めた。
(サクラは旦那様がこっちだから一緒ね。だとするなら残りはあっち側だけど……)
『落ち人』による研究チームは全部で6人。
ジュリアーナの護衛役であるレオ、アルバートの奥方であるサクラ、そして采配を振れるミシェルがこちら側とすると、マドカを含む若手三人が北方出張組ということになるのだが……マサオミとアリア、というどちらもマドカに依存気味である二人を連れて行くとなると、必然的にマドカの負担が大きくなる。
更に向かう先が擬似婚約者であるカインの実家となると、アリアほどではないにしても人嫌いなマドカにとっては精神的な負担も大きい。
先方がいくらローゼンリヒトへの恩を返すのだと言っていたとしても、マドカはその恩返しの枠内に入っていないのだから、どういう扱いを受けるかもわからないのだ。
かといって、ミシェルが北方出張組に入るわけにもいかない。
こちらに残るメンバーは比較的理性的できちんと自己判断ができる性格だが、機器や薬品の取り扱いに関しては素人同然だ。
二人に表に立ってもらうかわりに、ミシェルは残された研究機材や薬品の数々の荷造りを済ませてしまおうと考えているため、こちらの残留メンバーとして残らざるを得ないのだ。
その理由も含めてメンバー割りをマドカに伝えると、彼女は無難ですねと即座に頷いた。
「むしろマサオミやアリアをこちらに残して行く方が心配ですよ」
そう言って苦笑したまだ17歳になったばかりの少女は、だが確かに誰よりリーダーに相応しい判断力を備えているようだった。
「あらぁ、なんか今日はいかにもそれっぽいお客様ね。上から下まで真っ黒け、目だけ出してるなんてまるでニンジャみたい」
このところすっかり夜更かしの癖がついてしまったミシェルは、庭の敷地の片隅にある薬草畑で収穫できそうな薬草を見繕っていた時のこと。
彼の言うように『ニンジャ』っぽい黒装束の男が数人、遠慮の欠片もなく敷地内に踏み込んできた。
(格好だけはそれっぽいけど、コレ明らかに素人サンよね?)
暗殺者であるなら、ターゲットはもとより周囲に気づかれることなく侵入を果たし、速やかに目的を遂げることだけを目標としているはずだ。
だが彼らは、ミシェルの目の前に姿を現した。
畑に足跡まで残しているあたり、プロなら絶対にやらないような失策である。
もしここにマサオミがいたなら嬉々として『おっしゃ、足跡ゲットだぜ!』と証拠集めに奔走してくれそうだ。
大体、脅しのつもりなのか手に既に得物らしきものを持っている段階で、素人臭がプンプンする。
「あんたたちの雇い主って、よっぽどバカなのかしら?何度追い返しても素人さんを送り込んでくるなんて、学習能力がない証拠よね」
これでもし相手がプロであったなら、自分のプライドをかけて雇われている相手を貶されて怒るか、もしくは『素人さん』呼ばわりされたことに誇りを傷つけられるか、いずれにしても何らかの感情を見せるはずだ。
だが今彼の目の前にいる者達は、それがなんだと言わんばかりの態度を崩す気配はない。
(明らかにプロじゃない、けどただの素人さんってわけでもない、か。金で雇われたゴロツキ、もしくは騎士崩れってとこね)
暗殺を生業としているわけではなさそうだから『素人』と判断したが、そこそこ自分の腕に自信があるのか堂々と邸の住人の前に姿を現し、雇い主を貶されても知らん顔。
これらを総合的に判断して、彼は相手を金銭で雇われた使い捨てだと判断した。
少なくとも、使い捨てだと思っているのは雇い主側だけだろうが。
じりじりと距離をつめてこようとする男達を前に、ミシェルは肩をすくめて
「やーねぇ、丸腰の乙女を相手に大人気ない。せっかちな男はモテないわよ?」
とおどけて見せた。
当然男達がそんな戯言に貸す耳を持っているはずもなく、じわりじわりと距離をつめてきた男の一人が薬草を踏みつけて一歩踏み出した。
途端、うぎゃあと間抜けな呻き声を上げて、男の身体が背後に引っくり返る。
ざわり、とその時初めて男達の感情が揺れる。
驚愕と困惑……その揺れた感情に瞳を細めたミシェルは、無造作に懐に手を突っ込んで取り出したモノを、一歩後ずさった男に向かって投げた。
ぐ、と詰まったような呻き声を上げてこの男も地に倒れ伏す。
その隙に横を駆け抜けようとしたもう一人の後頭部にも、良く磨かれたナイフが突き刺さる。
「甘い。甘すぎるわー。現役退いて久しいあたしにやられるなんて、暗殺者の肩書きすらおこがましいわよ」
彼は、あまり己の過去を語りたがらない。
薬学博士であったこと、大学の准教授にまでなったことは自分から話すが、それ以上のことはこの『落ち人』研究チームメンバーであっても知らない。
マドカやサクラは何かあっただろうくらいは予想しているが、それでも彼がまさか人を殺すことを躊躇いもなく実行できるだなんて、思いもしないだろう。
彼は倒れて動かなくなった男達を容赦なく踏みつけ、庭と外の境界にある柵のところまで来るとポケットから緑色に光る石を取り出し、握り締めた。
そして
「切り裂け」
ぎゃあ、と今度は少し離れた高い木のあたりから声が聞こえ、どさりと重い何かが落ちる音が聞こえる。
「あら、これ本当便利ねー。念のために、ご令嬢に魔力をこめておいてもらってよかったわ」
彼が手にしていたのは、以前あの冤罪事件の際に聖女の侍女が使った風の魔石。
これは守護を願えば風の守りを発動し、攻撃を願えば相手を切り裂くくらいの威力が出せる、ただし一回使い捨ての魔石である。
石の中の魔力が尽きてしまえばそれで終わりであるため、ミシェルはまずこの邸全体に音漏れしないための結界を張り、残った魔力を使って見張り役だろう最後の一人に術を放った。
ちなみに最初の男が倒れたのは、薬草畑に仕込まれたナイフとその先に塗った猛毒の所為である。
さくさくと土を踏みながら近づいていくと、彼が想定した通りに急所である頚動脈を切り裂かれた死体が仰向けに転がっている。
「…………あたし、頭脳労働派なんだけど……」
言いながら彼は反対のポケットから掌サイズの機械を取り出して死体に取り付け、そのスイッチを押した。
ぶぅん、と小さなモーター音を響かせて、ゆっくりと地上10cmのところまで死体が浮き上がる。
これは、重たい荷物を運ぶ手間を省くためにと開発された、『ニュートンくんVer.3』
コレを作動させれば重い荷物も重力に反して楽に運べるようになるため、何かと言うと荷物持ちに使われていたレオやマサオミが率先して開発を急いだ品である。
それを使って死体を他の仲間と合流させた後、まずは畑に仕込んだナイフと毒を回収して無造作に男達の上に投げ捨て、そして畑の傍に置きっぱなしにしていたバケツの中身を死体の上にまんべんなく振りかけた。
じゅわじゅわと小さな音を立てながら、溶けていくモノから視線をはずし……彼は今日も夜の見張り番に立っている衛兵達がこちらを気づいていないことを確かめ、邸内からも視線を感じないことを確認してからホッと息をついた。
「なぁ、ミシェル」
「なによ?」
「マドカのとこはともかく、こっちは早々に使者あたりが差し向けられると読んだんだが……来ないな」
「いいじゃないの、平和で。あのアホ王太子の差し向ける【使者】なんてロクなもんじゃない、ってお嬢もそう言ってたでしょ?」
「まぁ、そりゃそうなんだが」
あっちが心配だな、と顔をしかめるレオにそうねと返して、ミシェルは気づかれないように薄く微笑んだ。
(やっぱりリーダーはあんたがやって正解よ、マドカ。あたしの手は、こんなに汚れてるんだもの)