14.『落ち人』アリアの嘆き
『婚約』というキーワードに、そこにいた全員がマサオミを注視する。
彼はたじろいだように軽く身をのけぞらせたものの、すぐに何事か思い当たったらしくムッとしたように眉をひそめ、「あのさぁ」と片手で前髪を弄りながら反論を試みた。
「みんなオレのことアホだと思ってるだろ。オレだってそんだけ説明されりゃ、なんでお嬢が婚約者ってことになってるかくらいわかるっつーの。軍に入るための身分保証と、あとはやっかむやつらのあぶり出しだろ?でもって……えーと、そうだ!あの脳みそゆるふわな聖女サマが手出しできないようにする、とかもあるんじゃね?」
「マサオミがまともなこと言ってるぅ…」
「どーゆー意味だっ!」
噛み付くように身を乗り出してくるマサオミをアリアが嫌そうに手で追い払い、「落ち着きなさいよ」とミシェルが彼の襟首を掴んで引き戻す。
「ま、補足するならそうね……聖女本人というよりは、ヴィラージュ王国がお嬢に手出しできないように、ってとこね。国に引き戻すのは例の魔獣の件で諦めたでしょうけど、逆に言うとそのことを知ってるお嬢がいる限り、いつバラされるか、いつ探られるかと戦々恐々としてなきゃいけないんだもの。刑事ドラマなんかでよくあるでしょ?相手を脅せるネタを掴んだ者が狙われる、って」
「そう。それもあるわ。けどそれなら、何もあのカインって補佐役が相手じゃなくてもいいわけでしょう?軍のナンバーツーなんて大物じゃなくても、そこらへんに転がってる……例えばあのセイラ嬢の実家くらいの力を持ってる家柄に、保護をお願いすればいいだけだもの。それか、まぁ手っ取り早くアルバートを出世させて、後見させてもいいわけだしね」
元ローゼンリヒト公爵アルバートは、亡命してきたメンバーの中ではトップを切って身元保証を承認され、現在は王城の文官見習いとして働いている。
彼自身ヴィラージュ王国でも文官として働いていたことがあるため、ある程度仕事を覚えたら一人前として正式雇用されることが既に決まっていた。
そうなれば、彼の後見ということで亡命してきた者達の身元保証が承認されることになり、いち国民として自由に働き口を選べるようになるし、勿論軍の編入試験を受けることも可能になる。
そうなると問題は、どうしてカインがそういった手続きをすっ飛ばして、マドカを自分の婚約者ということにしたのか、という最初の疑問に戻ってしまう。
「あら、なんだか深刻な顔してるわね、皆」
「ジュリアーナ様……」
「ジュリア、皇太子殿下との話は終わったのか?」
領主の邸の本邸に仮住まいするジュリアーナの元へ、ジェイルがご機嫌伺いにきていたという事実は『落ち人』達全員の周知のことである。
彼はジュリアーナのご機嫌を取るべくマドカを一時的に帰してくれたわけだが、その彼女が真っ黒に煤けていたとなれば主の機嫌は上昇するどころか一気に急降下するに決まっている。
それがわかったのだろう、ジェイルは忙しい最中に時間を作ってジュリアーナとの懇談の時を設けた。
軍内部の突っ込んだ話まではできないが、先ほどサクラが語って聞かせた内容までなら明かせるからと、マドカがああも煤けてしまわなければならなかった理由を、彼は懇々と説明してくれたのだという。
「ええ。マドカも承知の上のことだからと言われたら、最終的には納得するしかなかったけれどね。それとひとつ、有意義なお話が聞けたわ。サクラは知っていると思うけど、他の皆にも知っておいてもらいたいからわたくしから話すわね?」
それは、ちょうど話題に上っていたカインについてのことだった。
「彼のフルネームは、カイン・シュヴァルツ。……よくある姓だと気にも留めていなかったのだけど、どうやら数代前のローゼンリヒト公爵家と縁戚関係にあった家柄らしいわ」
「確か、その代の公爵閣下のご令嬢が今のジュリアーナと同じ4属性の使い手だったらしいわね。その彼女に婿として迎えられたのがシュヴァルツ伯爵家の令息。彼はその伯爵家の血筋を引いている……とはいえローゼンリヒト側の血は引いてないそうだから、血縁ではないのだろうけど」
「そうね。ただ、ローゼンリヒト家がシュヴァルツ家の後見をしていたのは事実だから、そういったご縁もあって今回手を差し伸べてくださったのだと、そう皇太子殿下は仰ってたわ」
だから無理強いされることはないと思うわよ、とジュリアーナは笑顔でそう付け加える。
それに対して「だけど」と逆接を継いだのは、こういった場では滅多に口を挟まないアリア。
彼女は先ほどからじっと俯き、何かに耐えるように唇を噛み締めては慌てて解くといった行為を繰り返している。
「だけどあのカインって男……マドカを囮に使った。あの男と同じ……許せるわけ、ない」
「アリア、貴方」
「…………アリア、お嬢のところに行ってきてくれない?あの子きっと、お風呂から出たらすぐにこっち合流しようとするだろうから。少し休むように説得してきてちょうだい」
「…………ん」
ジュリアーナが何か言いかけたのを遮って、ミシェルがアリアを部屋から出す。
ここで今話している内容はマドカ関連のものばかりだ、そんなところに当人を加えたらどこでいらぬ情報を与えてしまうか、どこで彼女の心の自爆ボタンを押してしまうかわからない、そう判断したからだ。
それともうひとつ。
「あの子がああいう喋り方をする時は、何かしら地雷を踏んだ可能性が高いの。今回は……そうね、お嬢が結果的にカインに利用された、ってところかしら」
「なぁ、気になってたんだが……アリアって確か、あっちの世界で虐めにあったとかで人間不信になったんだったよな?それと今言った『あの男』ってのと関係あるのか…………って、俺らが聞いてもいい話か?」
「そこまで聞いといて、何躊躇ってんのよ。っていうか、そうね……レオは最初の頃殆ど公爵家にいたから、アリアの事情を聞いてなかったのね。あたしたちの知ってることだけになるけど、それでいい?」
「ああ」
そうして明かされた事実に、レオのみならずそれを初めて聞くジュリアーナの表情も悲痛なものになった。
アリアは音楽学校で『100年に一度の天才』と持て囃され、既に上の学校のスカウトも受けて入学も決まっていたところに、その才能に嫉妬したらしい他の生徒によって喉を潰されかけ、それがもとで引きこもるようになってしまった。
その喉を潰しかけたという生徒は当然罪に問われて退学処分の上、刑事罰を与えるべく起訴されたという。
そしてその生徒の取り巻きだった者達も、アリアについて不当な噂を流したりSNSなどで中傷行為を繰り返したとして、やはり退学処分になっている。
それだけなら、アリアは引きこもるだけで済んだ。
だが彼女を真の人間不信にしてしまったのは、実は彼女が襲われかけたあの事件を仕組んだのが彼女の信頼する担任だった、という事実だった。
彼は正義感の強い教師で、それ故自分の担当する生徒間でいじめが行われていることに酷く腹を立てていた。
どうにかしなければ、だが自分が表立ってアリアを庇うと今度は「贔屓だ」「デキてるんだ」といらぬ噂を立てられてしまう。
そこで彼は、アリアを恨んでいる、憎んでいる生徒が実力行使に出たタイミングで現場を押さえ、一網打尽にしてしまおうと考え、わざとアリアが一人になる時間帯を作った。
そして、実際に不審な動きをする生徒数名を見つけたところで、その行為を止めることはせずにわざと見逃し、アリアが害されそうになったところで止めに入るという行動に出たのだ。
「……その担任はね、アリアを守りたかったわけじゃない。自分の立場を守りたかった、自分の正義感を満たしたかっただけなのよ。それがわかったから、あの子は引きこもって『世界』を拒絶したの。なのに、それと同じようなことをやった男がまた現れたらどう?」
「…………トラウマの再発、ってやつか」
「ええ。……今のアリアをどうにかできるのはお嬢しかいないでしょうね」
だから行かせたのよ、とミシェルはどこか寂しげに、閉まってしまった扉へと目を向けた。
風呂上り、マドカが支度を整えているところに、突然無表情のアリアが突撃してきた。
何事かと問われる前に足早に近づき、ぎゅっとその背に抱きつく。
守るよ、と言われているようなその仕草に、マドカは小部屋で何が話されていたのか、どうして彼女がこうなってしまったのかを瞬時に悟り、隣においでと空いたスペースを手で示した。
「心配、かけてしまいましたね」
「…………ん」
「……確かに、カイン様と交わした誓約時には聞いていないお話ばかりで、私も熱にうなされるくらい驚きました」
「酷い、男」
「そうですね。それは否定しません」
こちらの事情にも巻き込まれて欲しい、そう言われた段階でマドカは『軍に所属する』ということまでは予想できた。
だが身元保証をするのに婚約者だということにしたり、既に実家にも紹介済みで結婚が確定している相手だと言われたり、そういう展開になるとは一言も聞いていなかったし匂わされもしなかったのでさすがに驚愕した。
普通の婚約者同士なら、セイラとジェイルのように行きがかり上他に相応しい相手がいなかったとして、どちらかが相手を見つければ解消するのも容易い。
だが『結婚が確定』の上での婚約関係ということは、つまり当人同士が将来的に結婚したいんだと望んでの婚約だということになる。
それが何を意味するか…………つまりそれは恋愛の末の婚約だということになり、その関係性を解消するとういうことは恋愛関係の破綻を意味する。
婚約関係の解消は簡単だ、しかしそうなるとどちらかがどちらかに捨てられた、もしくはどちらかが不貞を働いたとして、社交界などでもいい笑いものにされてしまうのだとか。
そのリスクを承知の上で、カインはマドカの身元保証を確実にするために、自分だけでなくそれなりに力のある実家の名前まで使った。
「どうして、そこまで……ローゼンリヒトへの、恩?」
「だけ、ではないでしょうね。実際に軍の内部には相当量の火薬が流通していたようですし、見つけたら取り上げて処罰して、ということをやっていてもトカゲの尻尾切りになってしまうでしょう?だからいっそのこと、軍を再編成するくらいの大事にして一掃したかった、と聞いています。あの方は総司令官ですから、それだけ責任も重いということでしょうね。ご自分の不名誉な噂も込みで全て背負う覚悟があった、と私はそう見ています」
軍の風紀を正したくて。
風通しを良くしたくて。
このままでは戦争推奨派がきっと声高に叫び始めるだろうから。
そうなったらジェイルは厳しい決断を強いられることになり、国は荒れるから。
その前に一掃してしまおう、と彼は考えた。
そのために、己にどれだけ非難が集まろうとも。
どれだけ、不名誉な噂を立てられようとも。
(大を守るための少の犠牲も厭わない、なんて……犠牲にされた方は傷つくだけなのに)
あの教師もそうだった。
いじめの実行犯達を処罰するために、アリアの犠牲を見逃した。
もし止めてくれていたら、もし未然に防いでくれていたら、そうしたら彼女はきっとそこまで傷つかずにすんだのに。
「…………けど、でも、マドカを傷つけた」
「そうですね、それは否定しませんよ」
けどねアリア、とマドカは静かに諭すような口調で逆接を継ぐ。
「軍内部で何が起こっているのか、それを説明してくれた時にカイン様はこう仰ったんです。『危険な目にあわせてしまうことはまず詫びておく。恐らく実力行使で排除行動に出るだろうから、備えは万全にしておいて欲しい。私は表立って君を守ることができないから』って」
「なに、それ……」
「私が火薬の爆発から身を守れるほどの力を持っている、とわかっていたんでしょうね。その上で『表立っては守れない』からと、こっそり護衛をつけることも約束してくれました。最悪の場合、私が身を守り損ねてもその護衛の方が庇ってくださるつもりだったようです。事実、私の施した水の守り陣以外にも風の守り陣が発動した形跡が残ってましたし、ね」
「…………」
カインは、自分の立場をしっかり理解した上でマドカを守ろうとしてくれた。
表立って総司令官である自分が守りに入るときっと『敵』は動かないだろう、だからあえて仕事に忙殺されている風を装って手を出さず、守りの魔術を使える者をこっそり護衛としてつけていた。
「……なによ、それ……っ」
あの教師も、そうしてくれてれば。
アリアに危険性を説いた上で、気をつけなさいと注意喚起してくれていれば。
自分は表立って守れないから、だけどギリギリできっと守るからと約束してくれれば。
そうしたら、こんなに人を嫌わないですんだのに。
こんなに、傷つかずにすんだのに。
(守ろうとしてくれてた?……もしかして、責任を全部背負ってくれてた?)
今となっては、確かめる術はない。
今更、信じようという気持ちも湧かない。
だけど、せめてマドカが守られたということだけは覚えておこう。
カインはちゃんと、マドカを守ろうとしてくれていたのだと。
「…………ムカつくけどぉ……しょうがないから認めてあげてもいいわよぉ?」
「……何の話?」
「うふふ、こっちの話ぃ」
きっと、マドカが思っている以上にカインは彼女を思いやっているのだと。
そんなこと、教えてやる義理などないのだから。