12.『落ち人』レオの苦労
「あなた!そう、レオとか言ったわね。あなたを我が家で雇ってあげるわ。給金はそちらの家の倍出すし、特別に私の護衛にもさせてあげる。どう?いい条件だと思うけど」
細くくびれた腰に手を当てて胸を張り、自信満々にそう言い切るブルネットの巻き毛が美しい美女。
きっと彼女は、断られることなど微塵も想定していないんだろうな、と突然護衛に指名されてしまったレオは困惑しつつも内心冷静にそう分析する。
ことの始まりは、元公爵令嬢ジュリアーナの従者であるマドカが軍の中途編入試験に合格したことから。
主至上を掲げるマドカは散々渋ったものの、軍のナンバーツーの地位にあるカインと『互いの事情に巻き込み、巻き込まれる』という契約を交わしていたこともあり、抵抗もむなしくしばらくは軍の本拠地で教育を受けるはめになってしまった。
そこで空きができたジュリアーナの護衛に、マドカが来るまではずっとその役目を担っていたレオが再抜擢され、優しくも時に口やかましい兄貴分として傍にいる時間が増えた、その矢先のこと。
その日も、ジュリアーナは窓際で本を読んでいた。
と、不意に刺すような殺気を感じて顔を上げた彼女、その眼前でキンッと矢を弾いた結界が発動したのと同じタイミングで、レオは彼女の身体を抱え込むようにして床に転がる。
ジュリアーナに対する攻撃は全て防御結界が弾いてくれるが、それ以外の方向に向かってきた矢は全てレオが剣で弾き飛ばす。
どれだけそうしていただろうか。
始まった時と同様、突然その猛攻がピタリと止んだ。
「……ふぅん……ジェイル様が気に入った、っていうのもまんざら嘘じゃないみたいね。それに、中々腕の立つ護衛を連れてるじゃない。ま、一人だけってあたり私とは格が違うけど」
矢を射掛けてきていたらしい大男を押し退けるようにして、ブルネットの巻き毛を揺らめかせながら一人の女性がゆっくりと歩み寄ってくる。
ややつり気味のぱっちりとした二重、瞳の色は若葉色。
胸を強調するような扇情的なデザインのドレスを身にまとっているだけあり、出ることは出て引っ込むところはきゅっとくびれた豊満な肢体に、弓矢を手にした男のみならずレオまでも思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。
それだけ、女は魅惑的だった。
その身から溢れる絶対的な自信も、彼女の魅力を増大させているに違いない。
そんな彼女の背後につくのは、弓矢を持った男以外にも大剣を手にした男、そして魔術師らしきローブの男と合計三人の屈強な男達。
対してこちらはレオ一人、もし乱戦になってしまったらこちら側が数の上では圧倒的不利に立たされるだろう。
女は、セイラと名乗った。
その名前、そしてその容姿にジュリアーナは幾度か耳にした噂を思い出す。
(ジェイル殿下の婚約者……そう、とうとう直接仕掛けてきたのね)
社交界のカリスマ、大輪の薔薇のような女王の風格漂う高嶺の花。
欲しいものを手に入れるためなら、何を踏み台にしても構わない。
完全実力主義のこの国において、皇太子の婚約者の座を射止めるほどの人脈と魅力を兼ね備えた彼女の噂は、早々にジュリアーナの耳にも届いていた。
「あなたがジュリアーナね。…………ま、確かにそれなりの顔立ちをしているのは認めてあげる。けど、皇太子妃になるにはそれだけではダメなの。あなた、何か誇れるものはあって?」
「誇れる、もの?」
「言っとくけど、家柄とかあちらの国での人脈とかそういうのはここでは何の意味も成さないわよ、甘やかされて育ったお姫サマ?何もないと言うなら、さっさと尻尾を巻いて国に逃げ帰るか、さもなくば大人しくしていなさいな」
挑発されている、とレオは反射的に身構える。
ジュリアーナにもそれが伝わったのだろう、彼女はゆっくりと息を吸って吐き、挑戦的に瞳を光らせるセイラに真っ直ぐその赤褐色の瞳を向けた。
「わたくしが誇れるものなど、そいう多くはありませんし貴方に理解していただけるかどうかもわかりません。ただ、ここまでわたくしについてきてくれた使用人達や従者、多くの領民に慕われる叔父様、彼らの信頼に応えられる存在でありたいと自分自身そう願っておりますの。わたくし自身、剣が得意なわけでも弓を使えるわけでもなく、魔力が人一倍多いことと複数属性の魔術を使えることくらいしかありませんけれど」
「…………」
ギリッ、とここで初めてセイラが悔しそうに歯噛みした。
前半部分の信頼関係云々はともかく、ジェイルと同じ複数属性を扱うというところが気に入らなかったのだろう。
わかりやすい人だな、とレオは呆れ半分感心半分でセイラを見つめた。
もしここがヴィラージュ王国の社交界であるなら、令嬢はひたすら感情を隠して互いに笑みを浮かべながら腹の探りあいに徹する、というのが礼儀である。
人前で感情を出すなどみっともない、ましてや異性のことで他者と堂々と張り合ったり自慢げに自己アピールをしたりするのは、それはそれははしたない行為として噂されても仕方のないことなのだ。
しかし基本的に上下関係のないこの帝国においては、実力こそ全て。
どういった分野であれ、それが法に触れる内容でない限りはその人個人の能力として誇り、必要ならば他者を踏み台にしてでも欲しいものを手に入れる。
そんな弱肉強食なこの帝国国民らしい、堂々と誇れるものをセイラは持っている。
そして、ヴィラージュ王国出身のジュリアーナにはそこまでの気概はない。
簡単に打ち負かせると高をくくっていたのだろう、なのに至極冷静に正論で返されて彼女は少し焦りを覚えているようにレオには見えた。
「…………あなた、名は何と言ったかしら」
「ジュリアーナと申します」
「そう。それじゃジュリアーナ、私と勝負しましょう?私の護衛とあなたの護衛を戦わせて、勝敗を競い合うの。こちらは三人いるから三回勝負、でどう?」
「つまりこちらの護衛は三回戦う、ということかしら?」
「ええ、そうよ。勿論、自信がないというなら他の護衛を手配してもらっても構わないけど」
どうする?とジュリアーナの視線がレオを捉える。
どうしたものか、とレオはセイラの護衛であろう三人を見据えてしばし考えこみ、そして
「承知しました」
と、使用人らしい口調で了承の意を示し、腰を折った。
善は急げ、とばかりに連れてこられたのは訓練場のような場所だった。
なんでも普段は下級士官達の訓練に使われているらしいが、この日だけはセイラが独自のコネを使って特別に場所を譲らせたとのこと。
これで、セイラが少なくとも軍の中にコネを持っていることがわかる。
ますます注意が必要だな、とレオは念入りに柔軟体操をしながら少し離れた場所にいるジュリアーナにも気を配り、万が一にも戦闘中に何か仕掛けられることがないように、こっそりと耳元のイヤーカフスから『落ち人仲間』に通信を送った。
このカフスは以前から試用されていた通信用の魔術具を更に改良し、携帯電話のように互いの脳波を認識しあうことで相手とダイレクトに会話を繋げる、という魔力を持たない者にも使える仕様になっている。
送り先の相手を事前に登録しておくことが必須だが、それでもこの国に来ている『落ち人』全員にパスが繋がるように登録されているため、特に不自由することはない。
(頼むぜ、サクラ。皇太子殿下に繋ぎが取れそうなのはあんたくらいだ)
セイラとジュリアーナがここにいることを、急いでジェイル殿下に伝えてくれ。とレオはそうサクラに頼んだ。
それを伝えたからどうということもないのだが、もしセイラが卑怯な手段に出た時にはそれを駆け引きの材料として用いることも辞さない覚悟だ。
そうこうしているうちにセイラが一人目の護衛に、行きなさいと命じた。
それはジュリアーナの部屋を攻撃してきた、弓矢を携えた大男。
彼はレオが立つ場所から対角線上に最も離れた場所に立ち、矢をつがえて構える。
レオも腰に提げた剣を鞘から抜き、上段の構えを取った。
「はじめて!」
セイラの掛け声とほぼ同時に、ひゅんっと矢が飛んでくる。
予測していたレオはそれを上から叩き切り、次から次へと繰り出される矢を剣を振り回すことで叩き落としていく。
が、彼はその場を動こうとはしない。
どっしりと構えたレオを見て焦ったのか、弓使いの男の攻撃のリズムが乱れ始める。
立て続けに矢を射掛けてきたかと思えば、一瞬の間が空く。
その隙を見逃さず、レオはダッシュで距離を縮めて男の弓に向かって剣を振り下ろした。
ギュイン、と耳障りな音を立てて弦が切れる。
崩れ落ちるようにその場に膝をついた男の首筋に、レオの剣が突きつけられる。
「チェックメイト」
「……?」
「あー、意味わかんねぇか。けどいっぺん言ってみたかったんだよなぁ、これ」
俺の勝ち、とレオはジュリアーナに笑顔を向ける。
ここは全く心配していなかったらしいジュリアーナも、同様に余裕の笑みを浮かべた。
セイラも大体予測がついていたらしく、表情は崩れない。
ただ、すごすごと戻ってきた男の脛を力いっぱい蹴っ飛ばし、解雇だ処刑だと罵声を浴びせている。
(処刑……ね。やっぱあの護衛、奴隷か何かか。きったねーなぁ)
こちらは正真正銘の護衛だが、あちらさんはこのときのために雇い入れた奴隷身分の者であるらしい。
最初からこの対決が目的だったのか、それともこうなってもいいように備えていたのかは不明だが、何にしても用意周到すぎて仕組まれていたとしか思えない。
奴隷制度はヴィラージュ王国にも、そしてレオの生まれ故郷にもなかった。
だからというわけでもないが、奴隷だから何をしてもいいという考えには抵抗を覚える。
役に立つかもしれないから雇う、役に立たなかったから殺す、これではまるで家畜以下ではないか。
全ての奴隷がそんな非道な扱いを受けているわけではないし、この国が実力主義を掲げている以上奴隷身分であってものし上がれる道があるはずだ。
だとしてもやはり、胸糞悪いことには代わりがなかった。
「さてっと。次勝てば三戦目はなくなるわけだし、さっさと終わらせようぜ」
「生意気な口を利いてくれるじゃない。そう簡単にいくと思わないことね」
行きなさい、と次に命じられたのはレオと同じ剣士……大剣を背負った化け物のような巨体の男だった。
レオもそこそこガタイはいい方だが、この大男に比べると子供と大人くらいの体格差に見える。
まともに剣戟を受ければ潰されるのがオチだ、ならば、と彼は先手必勝とばかりに駆け出した。
大男も大剣を構え、雄叫びを上げながら突進してくる。
(げ、イノシシかよ!?)
ドドド、と土煙を上げて突進してくる姿は、まるで大型の獣。
まるでイノシシか闘牛のようだと不意に閃いたレオは衝突する寸前にひらりと横に跳び……案の定すぐに止まれず行き過ぎてしまった男の背後に一撃入れる。
どうにか止まった男がぐるりと向きを変え、剣を振りかざしてまたしても突進してくるのを見て、彼は寸前でまた身をかわす。
遊ばれているのがわかったのだろう、大男はぐがあああああっとモンスターの如き咆哮をあげると、今度はノッシノッシと弾むような足取りで駆け寄ってきて、めちゃくちゃに剣を振り回す。
旗色が悪いことはわかっただろうが、負けたら処刑なだけあって彼も必死だ。
レオはバックステップを踏みながら剣をかわし、かわし続けながらどうやって決着をつけるか考えていた。
命がかかっているだけあって恐らく彼はギリギリまで諦めないだろう、だがさすがにここで止めを刺すわけにもいかない。
ジェイルがここにかけつけて止めに入ってくれれば何とかなるかもしれないが、この短い間に見聞きした限りではそんなことをしてくれる律儀な性格とも思えない。
むしろ、どう決着をつけるつもりかと面白がって煽ってくれそうな気すらする。
そんなことを考えていて、気をそらしたのがまずかった。
不意に、訓練場の隅からごうっという音と共に火柱が上がる。
それがちょうどジュリアーナのいた場所辺りだと気づいた時にはもう遅い、火柱の中に揺らめく人影がひとつ……。
「ジュリア、ッ!!」
ここぞというタイミングで打ち込まれた剣をまともに受けてしまい、レオが初めて膝をつく。
畳み掛けるように襲ってきた二撃目をスライディングでどうにかかわし、彼は視線を傍観者……三人目の魔術師風の男へと向けた。
ニヤリと口元を歪ませたその男が…………自分の放った火柱に全身を包まれるのは、そのすぐ後。
「甘く見ないでいただけますこと?わたくし、こう見えてもかの魔術大国で公爵令嬢を務めておりましたの。勿論、放たれた術を返すことくらい、わけありませんわ」
己に向かって放たれた攻撃を、そっくりそのまま相手に返す。
かすり傷にはかすり傷を、重傷には重傷を、そして致命傷には致命傷を。
とはいえ殺してしまうのは彼女としても不本意であるため、すぐに水の術を放って火を消してやる。
それでも広範囲にわたって肌は焼け、息も絶え絶えといった様子だ。
ぐがぁっ、と空気を読まない大男が再び剣を振りかぶったところで
「……やめなさい……っ。やめなさいと言っているのが聞こえないのっ!?」
叫ぶように、セイラが割って入った。
主の命令は絶対であるのか、ここでようやく大男も動きを止める。
「…………ここは負けておいてあげるわ」
「…………そう」
「それよりそこのあなた!そう、レオとか言ったわね。あなたを我が家で雇ってあげるわ。給金はそちらの家の倍出すし、特別に私の護衛にもさせてあげる。どう?いい条件だと思うけど」
どうしてそうなった、と呆気に取られながらも、レオはしかし
「だが断る」
とこういう場においては定番の断り文句を口にした。