11.『落ち人』マサオミの苦悩
第三章は『落ち人』編です。
国境付近を治める領主の邸、敷地内に建ついささかこじんまりとした別邸に今、大慌てで担架が運び込まれている。
その上で静かに横たわるのは、アッシュブロンドの少女。
彼女を乗せた担架は別邸の中央部、本来なら会合や食事会などに使用するホールに運び込まれ、そっと床に下ろされる。
ホールであらかじめ待ち受けていた者達は、足早にその場を去っていった領主お抱えの密偵達を見送るでもなく、ゆっくりと眠るように横たわる少女に近づき、そして
「やぁぁぁぁっと帰ってきたぁぁぁぁぁっ!!お帰りぃぃぃっ、オレの可愛いマドカ!!」
「なぁにが『オレの可愛いマドカ』よ!その前に『プロトタイプ』をつけなさいよ、このオバカ!!」
「あべしっ!」
がばりと圧し掛かるように少女を抱きしめた明るい茶髪の青年、その背後からプラチナブロンドの男が間髪いれずに青年の後頭部を平手で殴打し、呻き声をあげてそのまま倒れこみそうだった青年の襟首を掴んだ厳つい男が彼をひょいっと床に放り投げる。
その間わずか1分。
できのいいショートコントのようだが、これが彼らのいつもの光景だ。
「ったぁ……ミシェルもレオも容赦なさすぎだっつーの。いいじゃんか、人形に抱きつくくらい」
「いいわけないでしょ。どっからどう見ても変態がいたいけな女の子襲ってるようにしか見えないわよ」
「あ、それ同感」
「マサオミはぁ、ほんっとにマドカのこと大好きだもんねぇ?」
にやにやと意地の悪い笑みを浮かべるアリアの発言に、周囲の『落ち人』達もうんうんと頷く。
ただマサオミだけは慌てたようにぶんぶんと首を横に振り、何言ってんだよ!とアリアに食ってかかった。
「ご、ごごごごごご誤解されるようなこと言ってんなよ!べべべ別にオレは、お嬢のことそーゆー意味で好きなんじゃないからな!?たっ、ただオレのこと助けてくれた恩人だからっつーか、とにかく尊敬してんの!恋愛感情とかじゃねーから!わかった!?」
「「はいはい」」
どんなに否定しようとも、真っ赤になってキョドりながらの言葉では説得力がまるでない。
仲間である彼らの微笑ましそうな視線に耐え切れず、マサオミはウガーッと意味不明な雄たけびを上げながら、別室へと足早に消えていった。
実際、ここにいる『落ち人』達は皆マドカやジュリアーナに恩義を感じている者ばかりだ。
優秀な兄と比較されて育ったマサオミは、染み付いてしまった人間不信の所為でこちらの世界でも上手く馴染むことができず、虚勢を張って内心潰れかけていたところをマドカの「一緒に来ますか?」の言葉で心を救われ、それ以来彼女を慕っている。
ローゼンリヒト公爵に見初められて公爵夫人にまでなったサクラは、最初に現れたところが下町だったこともありあわや身売りの道に進みそうになったものの、『スタッフ募集』という『落ち人』にしかわからない募集広告に応募したことで、ジュリアーナ付きの侍女として取り立てられた。
元薬学博士のミシェルは、薬師として細々と生計を立てられるまでになってはいたが、ある日突然とある貴族を毒殺しようとしたというあらぬ疑いをかけられ、騎士団に追われていたところをローゼンリヒト公爵に身柄を保護され、後にマドカによって冤罪であると証明されている。
アリアは音楽学校で優秀な成績をおさめた生徒だったが、友人面した同級生の嫉妬に合って喉を潰されかけたことで引きこもることとなり、マサオミをも上回る人間不信となった。が、同様に人間不信だったマドカと触れ合うことで徐々に心の傷は癒え、他人との距離感の取り方もわかりはじめてきた。
この中で一番の古株であるレオは、ローゼンリヒト家に公に護衛として雇われている。最も『落ち人』らしい経緯を持つ彼は、自分を護衛にと選んでくれたジュリアーナや、剣の師匠と呼んでくれるマドカを本当の妹のように愛し、守るのだと誓っている。
彼らは皆、この世界からは逸れた存在。
傍から見れば個性豊かで自由奔放、好き勝手に生きているように思えるが、その内心で思うことは同じ。
自分を救ってくれた、認めてくれた、受け入れてくれたジュリアーナ、そしてマドカを守りたい、ただそれだけだ。
「ただいまー。……あら、マサオミは?」
「別室篭もり中。ところでマドカは?一緒じゃなかったの?」
「んー、それなんだけど……」
言ったものかしらね?と首を傾げるサクラ。
だが他ならぬマドカのことなら今教えずともすぐに誰かが突き止めるだろうからと、彼女は困ったような笑みを浮かべつつ、ひとまず座りましょうかと他の三人をぐるりと見渡した。
そうして語られる、マドカが倒れたという事実。
「やっぱり、プロトタイプとの常時同調状態は厳しかったってことかしら……あれ、脳波に直接リンクするから、負担も大きいわよね。それを何日も……何週間も続けたんですもの、限界がきて当然だわ」
「それだけじゃない。報告を受けてる限りじゃ、4体もの魔獣に取り囲まれて応戦したんだろ?あのアホ王太子の使者とやりあいながら魔獣の相手とか、俺でも倒れるわ」
「ええ、それもあるけど…………戻ってきて早々、軍の入隊試験を受けさせられてるの」
「はぁ!?」
「嘘でしょ!?」
彼らはまだ、この国の住人として認められてはいない。
本来なら国境の関所を通り、役所でしかるべき手続きを済ませて領主の認可を貰い、更に最終的に皇帝の承認を貰えれば無事国民として認められ、証明書も発行されるのだが……彼らは正規の手続きを踏んでこの国を訪れたわけではなく、なおかつとびきりのわけあり物件であるためか、中々その承認とやらが貰えずにいるのだ。
当然、国民でない以上は行く先も制限されるし監視もつく。
学校に通うことも就職することもできず、勿論軍の中途編入試験など受けられるはずもない、のだが。
「軍の最高責任者は皇太子殿下、そしてそのすぐ下の総司令官がカインとかいうあの目つきの悪い護衛ね。その護衛……カインがマドカの身元保証を請け負うという形で、試験が行われたらしいの。なんでも、こちらが抱える諸々の事情に国ごと巻き込まれてくれる代わりに、帝国側の事情にも巻き込まれて欲しいと交換条件をつけられたそうよ」
入隊試験には文句なしの実力を見せ付けて合格、マドカはこのメンバーの中では一番乗りで帝国国民として今後軍の仕事をこなすことになる。
それだけならまだいい。……それだけであったならまだ、サクラも怒る気にはならなかったはずだ。
だがマドカの身元を保証するにあたり、カインがとった言動こそサクラの怒りを一気に頂点まで押し上げた原因だった。
「言うべきかどうかわからないけど、そのうちイヤでも噂になるでしょうし…………彼はね、マドカを自分の婚約者だと紹介したの。既に実家のご両親にも了承を貰ってある、正式なお相手だ、って」
「…………それ、どーゆーことだよ?」
いつの間にか、別室の扉に凭れるようにしてマサオミが立っていた。
彼は不機嫌そうに腕を組み、サクラを睨みつけている。
「……マサオミ」
「なんでお嬢が会って間もない陰険顔の軍人なんかと婚約しなきゃいけねーんだよ?事情に巻き込むとか巻き込まれるとかよくわかんねーけど、それと婚約となんの関係があんだよ!?」
「ちょっとマサオミ、落ち着きなさい」
「お前らもなんでそんな冷静でいられんだよ!?お嬢が倒れたんだぜ?しかも無理やり婚約とかさせられて……急にそんなこと言われたって、はいそうですかなんて納得できるわけねーだろうが!!」
言うなり、彼は駆け出す。
そのままホールを突っ切り、外へ。
別邸から外に出てはいけないという命令はされていないため、その姿は次第に遠くなり見えなくなってしまう。
「……納得してるなんて誰も言ってねーだろうが。バカか」
吐き捨てるようにそう言ったのは、普段なら静かに傍観しているレオ。
彼も内心では怒りをたぎらせているようだが、この世界に来てもう10年近くなるからかなんとなく察したものがあるようだ。
「マドカがその話を受けた以上、俺達がやかましくあーだこーだ言うのは逆効果だ。婚約に関しても、何かメリットがあるからそうしたんだろ」
「そうね。とにかく今は、マドカの体調を整えるのが第一、ってとこかしら」
「まぁそうなんだけどな……あの飛び出してったバカ、どうするよ?」
「放っときなさい。おなかが空けばそのうち戻ってくるわよ」
「んー……それ、なんだけどねぇ……すごぉく言いにくいんだけどぉ」
と、口を挟んだのはアリア。
普段は他人の会話に滅多に口を挟まない彼女が珍しい、と他の三人が一斉に視線を向けるが、彼女は気まずげに視線をそらして言いにくそうに口をもごもごとさせる。
「別にぃ、わざと見逃したわけじゃないのよぉ?言おう言おうと思ったんだけどぉ……」
「わかってるわ、別に怒らないから。何を見たの?」
「その……ね。マサオミが出てったすぐ後にぃ……床に寝てたプロトタイプちゃんがさぁ、急に起き上がって窓から出てっちゃったのよぉ」
「なんだって!?」
そういえば、と床に置きっぱなしになっていた担架の方を見るが、アリアの告白を裏付けるようにそこは無人となっている。
機能停止されて横になっていたプロトタイプマドカの姿はどこにもなく、すぐ傍にある窓も全開状態だ。
マサオミに気をとられていたとはいえ、こちらの異常に気づかなかったことを悔やむべきか、それとも機能停止状態だったプロトタイプマドカがどうして起動したのか訝しむべきかわからず、残された4人は困ったように顔を見合わせた。
別邸を飛び出したマサオミは一人、町を見下ろせる小高い丘の上に来ていた。
膝を抱えて座り、ぼんやりと町を見下ろす。
と、背後に人の気配を感じた彼は「なんだよ」と振り返ることなく不機嫌そうに声をかけた。
「わざわざ追っかけてきて、笑いモンにでもするつもりかよ」
「…………」
「いいさ、笑えよ。自分でもわかってんだよ、バカなことしてるって。頭じゃわかってても、どーしようもねーんだからしょうがねーだろ?」
「…………」
「黙ってねぇで何とかい、っ!?」
「…………?」
不気味な沈黙に堪えかねて座ったままぐりっと背後に目をやると、そこにいたのはアッシュブロンドの少女。
マサオミの驚きの表情に、彼女は意味がわからないというようにきょとんと首を傾げている。
「おっ、おおおおおおおお嬢っ!?ななな何でこんなとこにっ!!大体、倒れて寝込んでんじゃなかったのかよ!?」
「…………?」
「いやいや、首ひねってる場合じゃなくてだな!なんだ?熱で朦朧としてんのか?」
「…………」
熱?とでも言うように額に手をぺたりと当てる『マドカ』の様子に、さすがのマサオミもおかしいと気づいたようだ。
彼はまじまじと『マドカ』を上から下まで見つめ、ああなんだとちょっとだけ残念そうな顔つきになった。
「なんだ、プロトタイプの方か……はー、マジびっくりしたぁ。つか同調まだ完全に切れてなかったんだな」
今度は意味が通じたらしく、プロトタイプマドカはこくりとひとつ頷く。
プロトタイプと本体は、脳波で同調している。
そのためプロトタイプの動きや思考回路はまんま本人のそれであり、リンクしている間は食事を摂ったり会話したり睡眠を取ったりすることもできる。
今回は動かす前にマドカの魔力をギリギリまで充填していたこともあり、機能停止した後もまだ僅かに残ったその魔力を使って、こうして動けているのだろう。
(心配、させちまったってこと、だよな……あー、なんかカッコわりぃ)
「なんか、さ……オレ、急に不安になっちまって。ほら、オレって元々家族とかにそう縁があるわけじゃなかっただろ?だからこのチームが、オレの家族みたいにいつの間にかなってたみたいで。や、わかってんだよ?皆いつかは結婚して……あれ、ミシェルとかどうすんだ?まぁいいや、とにかく大体は結婚してバラバラになっちまう。けど、そういうのすっげぇ寂しいなとかってさ。ははっ、ガキみてーだな、オレ」
「…………」
「お嬢にはさ、幸せになってもらいたいって思ってんだ。これ、マジな話。だから……あー、なんつーか、政略的な?そういう繋がりとかヤな感じだなーって。だから無性に腹立って、駄々こねて、勝手に飛び出して。あーもう、カッコ悪いったらねーわ」
「…………」
『マドカ』は何も言わない。
もしかすると何か言うだけの力が残っていないのかもしれないが。
彼女はただ、マサオミの隣に座ってその柔らかい茶色の髪をくしゃくしゃと撫で続けていた。
マサオミもされるがままになっている。
やがて日が沈み、マサオミのおなかがぐぅっと情けない音を立てた頃になってようやく、『マドカ』は今度こそ眠るようにその場に倒れて動かなくなった。
「しょうがねーなぁ」
口ではそう言いながらも、彼の表情は明るい。
「…………ありがと、な。お嬢」