10.その手紙は理解不能です
【柊祥子様】
そのメモは……否、その手紙はその四文字から始まっていた。
恐らく手帳か何かを破って書いたものだろう、掌サイズのその紙に書き連ねられた文字はそう多くない。
キレイな字、と彼女はぽつりと呟く。
これを書いたのが見た目も流れる血筋も国籍すらもアジア人種ではない妹だとわかるのに、なのに彼女の走り書きはショウコのそれよりも整っていて読みやすい。
それを解読できるのがこの場においては彼女しかいないことが幸いして、字が綺麗だとか文章が流暢だとかそういったことが話題にならないのが唯一の慰めか。
「ショウコ様、その紙はもしや……妹殿、からでしょうか?」
「うん……そうよ」
「…………」
恐る恐るといった問いかけを発したのは騎士団のエリート、そしてそれに返されたショウコの肯定に取巻き達は苦虫を噛み潰したような顔になった。
本音では『生意気な女』『聖女様の温情を踏み躙って』『その手紙に呪いでもかかってるんじゃないか』と罵倒したいのだろうが、王太子の例の宣言もあってその手の言葉は禁句となっている。
公に禁じてはいない、ただ発言するならどうなっても構わないという捨て身になれということだ。
「……内容は、なんと?」
「言わなきゃ、ダメ?」
「いえ……ですが我々にも言えない内容、と判断させていただきますが」
「……そんなね、変な内容とかじゃないの。でも……」
【柊祥子様
貴方を姉と呼んだのは嫌味からだったと、気づいているでしょうか?
父を同じくしていても、愛された貴方と殺された私では立場が違う】
祥子は、愛されて生まれてきた子なのよ。と、母は口癖のようにそう言っていた。
幼い頃、気がつけば周囲の子にはいる『父親』が自分にはいないことに気づき、どうしてなのと拙い口調で母に問いかけた。
そうして返ってきた答えがそれだ。
父は生きている、だが事情があって側にはいられない。だけど祥子やその母親のことは愛してくれていて、どうしているのかと近況を問う連絡は今でも頻繁にあるという。
幼い祥子には母の話の半分も理解できなかったが、それでも父はどこかで生きていて自分達を大事に思ってくれていることはわかった。
父の写真を見た。……北欧系の美形な男性だった。
母と並べばお似合いなのにとこぼしたら、そうありたかったと母に泣かれた。
なんでも、父とは母想いあった恋人同士で結婚の約束までしていたのに、父の実家が大きな家だった所為でそれを反対され、父は幼い頃から定められていた許婚と無理やり結婚させられてしまったらしい。
その頃思春期を迎えていた娘は、両親の話をまるで恋愛ドラマでも見たかのように受け止めた。
引き裂かれる主役達は両親で、引き裂く悪役が許婚とその娘。
ドラマなら最後に悪役達は去り、主役達は手を取り合って結ばれる。
なんて素晴らしいの、と彼女は己の置かれた環境に酔った。
父が会いに来てくれるようになり、祥子はこれが私のお父さんよと周囲に自慢するようになった。
父もそれを嫌がることなく、むしろ行きたいと強請ったところに笑顔でエスコートしてくれる。
仕事の都合をあわせてきてくれているらしく、いつも数日でまた出かけてしまうが……それでも『最後』にはきっとハッピーエンドなんだわ、と祥子はそう疑わなかった。
その日は祥子の13歳の誕生日。
父の仕事の都合が合わないと母に聞かされた祥子は、来てくれなきゃヤダと駄々をこねた。
誕生日は『家族』揃って過ごしたい、そうするものだとみんな言ってるのに、と。
娘のわがままを聞いた父は、ないはずの予定を作ってまで祝いにきてくれた。
両親は秘密にしておきたかったらしいが……愛してもいない、扱いに困る娘を社会勉強に連れ出すという名目だったらしい、と知ってしまった祥子は『悪役登場ね!』と意気込んだ。
父がホテルに入ろうとしたところを、待ち伏せてじゃれつく。
すぐにわかった……父と同じアッシュブロンドの髪、コバルトブルーの瞳、父によく似た怜悧な顔立ち……母によく似た純日本人の顔立ちである祥子が持たない、紛れもない父の遺伝子を濃く受け継いだ少女。
悔しかった。だから父は自分のものなのだと主張したくて大袈裟に抱きつき、だけど意地悪な子だと思われたくなくて『仲良くしようね』と手を差し伸べた。
期待通り父には『いい子だね』と頭を撫でられたが、マドカという名のその少女は顔色一つ変えず差し出された手を無視して背を向け、小さく何事か呟いた。
祥子にはなんと言ったのかわからなかったが、父には聞こえたらしい。
突然いつもの穏やかさをかなぐり捨てた父が、祥子の理解できない言葉で怒鳴り、あっちへ行けとばかりに少女の小さな体を力任せに突き飛ばした。
「!!」
バランスを崩し、車道へ落ちていく華奢な体。
猛スピードで迫りくるスポーツカー。
それが、あの世界で最後に見た光景だった。
結局、その後どうなったのかわからないまま白い光に包まれてこちらの世界に召喚されたため、マドカが車に轢かれたのかどうか、父がどうしたのか、ショウコは知らない。
召喚の場にはマドカも一緒だったため、最悪の事態にはならなかっただろうと予測できたが、一度も彼女と話すことなく別々の区域に行かされたこともあって、そのうち彼女はマドカの存在すら忘れてしまっていた。
断罪の場に、彼女が現れるまでは。
彼女からの手紙には、『愛された貴方と殺された私』とあった。
父は決して人殺し……しかも情がないにしても血の繋がった娘を殺すような、そんな人じゃないとショウコはそう信じている。
殺そうとしたんじゃない、たまたま立っていた場所が悪かっただけ。
父はショウコを守ろうとしてくれただけで、マドカに殺意を持っていたわけじゃない。
そう弁明したいのに、彼女はそれをさせてはくれない。
(やっぱり彼女は『悪役』なんだね……あの時だって私を責めてたし……)
断罪の場で、何度か彼女に冷ややかな目を向けられた。
父にそっくりなあの綺麗な顔で睨まれ、スマホの件では嫌味すら言われ。
両親にとってだけでなく自分にとっても彼女はやっぱり『悪役』なんだと、そう思い知らされて怖くなった。
ショウコは両手を交差させて自分をぎゅっと抱きしめ、ぶるりと身を震わせる。
傍にいた男たちは一様に心配そうな顔で彼女を覗き込んだり、そっと肩に手を置いたりしてどうにか『王族の宣言』に触れないように愛しい彼女を慰めようと必死だ。
「大丈夫だ、ショウコ。何があっても私が……私達が傍にいるから」
「そうですよ、聖女様。貴方を脅かすものは我々が排除します」
「そんな暗い顔しないで。キミは明日、正式に王太子殿下の婚約者としてお披露目されるんだろ?だったらほら、笑って笑って」
「……聖女様の微笑みこそ、国民にとって何よりの『祝福』となりましょう」
「みんな…………ありがと」
儚げな微笑みを浮かべたショウコに、男達もようやく少し安堵したように表情を緩める。
彼女の笑顔は、彼らの癒し。
例え自分一人のものにならずとも、傍で見つめていたい、いつも幸せそうに笑っていて欲しい、そんなごく普通の恋する男の思考が彼らの中の大半を占めている。
ただその陰に、泣く者がいることを彼らは、そして彼女は本当の意味で理解していない。
放り出して捨てた元恋人、突然関係の破棄を一方的に突き付けられた元婚約者、そしてその家族達。
彼女達、彼らがどれだけ理不尽な思いに苛まれているか、その一端をあの偽りの断罪の場で見聞きしたにも関わらず、それが自分達の所為だとはわかっていない。
彼らにとって聖女だけが世界のすべて……聖女に仇成す者は即ち敵であり、排除すべき対象であるのだから。
彼らは、知らない。
あの断罪の日以降、自分達の立場が徐々に危うくなってきていることを。
王太子ラインハルトは、ジュリアーナが無実であるとアリバイ証明に協力した王妃の証言をも無視して断罪を強行し、そのため王妃派と呼ばれる貴族一派からの信頼を失い、今後の協力を得られなくなった。
更に日和見ではあるが慎重派の国王からは、再教育と称して他国への留学を推し進められており、彼の帰国と同時に留学先の第三王女を第二妃として迎える手はずが既に整いつつある。
宰相子息サイラスは、将来の宰相候補として時に父の仕事を手伝うことすらあったというのに、あの断罪の日以降は飼い殺しと言わんばかりに仕事を取り上げられ、彼もこれ幸いと執務室に寄り付かなくなってしまった。
これは、公よりも私人であることを優先させる彼に重要な書類を見せるわけにはいかない、という宰相の公人としての判断であり、それは即ち彼が宰相候補から脱落したのだと周囲に知らしめる結果となっている。
宮廷魔術師シオンは、あの断罪の日に明らかとなった醜聞について何度か上司に呼ばれて事情を聴かれたが、全くといっていいほど反省の色が見られなかったこと、自分は悪くないという主張ばかりで挙句その自殺した女性に責任転嫁する姿まで見られたため、しばらく謹慎という形で魔術師棟への立ち入りを禁じられた。
彼もまたこれ幸いと聖女の元へ日参し、いずれは王太子妃となる彼女の専属魔術師となるのだと勝手に公言している……が、実際はタイミングを見て宮廷魔術師の職を解任されることになっている。
近衛騎士エディは、あの日サイラスが高らかに宣言した『騎士団での確固とした調査の結果』を数名の聖女信者達と捏造したことが明らかになり、騎士団からの自主退団を求められた。
だが彼はそれを不当なものとして王太子に訴え、これまで通り聖女の護衛として側近を務めることを許されている。
しかし騎士団の訓練にも出ず、命令も聞かない状態は既に騎士ではないとして、騎士団サイドでは彼を解雇したとみなし、接触を断っている状態だ。
「ショウコ……すまない。君の憂いを晴らしてあげたいと何度も使者を送ったのだが……」
側付き達が名残惜しそうに退出した後、ラインハルトは浮かない顔でぼんやりとするショウコをそっと抱き寄せ、耳元で囁くようにそう告げる。
優しく髪を撫でられながら慰められ、ショウコは泣きそうになりながらもふるふると軽く頭を振って「いいの」と返し、「わかってるから」と付け加えた。
「私……あの子に嫌われてるの。パパを……お父さんを、独り占めしちゃったから。だからきっと、もう戻ってくれることなんてないの。謝りたくても、誤解を解きたくても、それが出来ないなんて辛いけど……でも、もういいの」
「……君は優しいな。それが仇にならぬよう、全力で守らねば」
「もう。私に全力を尽くしちゃったら、ラインハルト様のことは誰が守るの?お願い、自分の身も大事にして……」
「わかってる。私は次期国王だ、ちゃんと自分のことも守るさ」
国王に、男子は一人だけ。
王位継承権を持つ者はラインハルトだけではなかったが、彼が王太子となった時点で皆継承権を放棄しているため、事実上次期国王は彼ということになる。
故に現国王は彼の性根を鍛え直そうと近々留学するようにと申し渡しているが、その前にラインハルトは次期王妃となる者として聖女ショウコを指名し、正式なお披露目を済ませてしまおうと考えた。
そうなってしまえば、例え他から政略結婚の話を無理やりねじ込まれても、己の隣に常に置く正妃はショウコだと公言することができる。
しかし彼は、国内の名だたる貴族を招待したあの卒業祝賀パーティにおいて、大々的に無実の筆頭公爵令嬢を断罪したという恥を晒し、己がしっかり引き継がなければならない人脈も信頼も期待も全て失墜させてしまった。
そんな彼が次期王妃は聖女であると華やかなお披露目を行ったところで、民衆の心をつかむどころか張りぼての権威をひけらかすだけで終わるだろう。
そしてそれはきっと、彼がこの国の最高権力者となった後も変わらない。
民衆はきっとこう思っている。
愚かでも盲目でも構わない、だからせめて国民を虐げる王にはならないで欲しい、と。
国の上層部に位置する貴族達はこう思っているはずだ。
愚かであり盲目でもあるのなら、せめて他者が実権を握っても知らずにおとなしくしていてくれればいい、と。
ところで、マドカからの手紙には続きがあった。
立場云々と書かれたそのすぐ横に『だから』と接続詞が続き、だがそこでペンを止めて散々迷ったのかトントンと何度かペン先を打ちつけた跡が残っている。
そして数行空けた下、少しだけ大きな文字で書かれた一文は、その前の『だから』から続けると意味不明な文章となり、ショウコは結局その部分は意味がないんだろうと判断してしまった。
だから、その部分こそがマドカが言いたかった本音であり、そこに決定的な決別の意思がこめられていたことなど、彼女は気づかない。
【柊祥子様
貴方を姉と呼んだのは嫌味からだったと、気づいているでしょうか?
父を同じくしていても、愛された貴方と殺された私では立場が違う。だから
聖女やるならお好きにどうぞ】