1.婚約破棄とは残念です
「ジュリア、君には失望したよ。見ず知らずのこの国のために力を尽くそうとしてくれる【聖女】ショウコに対する非道の数々……私が聞き及んでいないとでも思ったかい?全く、なんて愚かなことをしてくれたんだ。王太子妃、ひいては王妃としての教育はどうやら無駄だったようだ」
【ラーシェ】という名の世界がある。
その世界において魔術大国と名高いここ、ヴィラージュ王国。
その王都のはずれにある広大な敷地全体を使って建てられた、国立ヴィラージュ総合学園……魔術科をはじめとして騎士科、淑女科、官僚科といった科に分かれ、才ある若者を育てるという名目で貴族のみならず平民にも広く門戸を開いている。
就学年齢は13歳から18歳、貴族の従者として入学した者には就学年齢外でも可能という特例が認められているが、そのほかの生徒は18歳というこの国の成人年齢で卒業となる。
そしてこの日、厳かな卒業式を終えた生徒達はそのまま祝賀パーティに参加していた。
『国立』と名を冠しているだけあって、入学式や卒業式といった学園挙げてのイベントごとには王族や高位貴族の当主も列席する。
この日も国王、宰相、そして国の名だたる高位貴族が列席し、祝賀パーティを始めるべく王太子とその婚約者の登場を心待ちにしていた。
王太子ラインハルトは既に2年前にこの学園を卒業しているが、その婚約者はこの日をもって学園を卒業する。
そして正式に王族の一員となるべく、王太子との結婚が予定されている。
ざわり、と場の空気が揺れ、歓談していた生徒達は自然と端によって道をあけた。
王太子、ラインハルトの入場である。
キラキラとシャンデリアの光を反射して輝く黄金の髪、草原の緑を思わせる碧の双眸、白皙の頬に穏やかな表情を浮かべた彼は、制服姿の婚約者をホールの中央までエスコートすると不意にするりと腕を解き、向かい合うようにして立ち位置を変えた。
プロポーズだ、とその場に居合わせた誰もがそう思った。
このパーティが終われば正式に王族として迎えられる婚約者に、王太子が公開プロポーズをすることでパーティの開始を告げるつもりなのだ、と。
だがしかし、大方の予想に反して王太子が告げたのは冒頭の台詞。
そしてそれに付け加えるようにして、
「ジュリア……いや、ジュリアーナ・ローゼンリヒトとこの私、王太子ラインハルト・フォン・ヴィラージュの婚約をこの場において破棄する。これは王族としての正式な宣言であり、覆ることはない」
常の穏やかな表情を固く引き締め、そう高々と宣言した。
ざわり、とそれまでとは違った意味で会場内がざわめく。
それもそのはず、卒業生の中でも首席という名誉を賜ったローゼンリヒト公爵令嬢が、よりにもよってこの国において王族にも等しい扱いを受ける【聖女】に対し非道な虐めを行った、と王太子自ら告発したのである。
ローゼンリヒト公爵令嬢ジュリアーナは、艶やかな銀髪を腰の辺りまで伸ばし、知性溢れる赤褐色の瞳を持った華やかな容姿の美しい女性だ。
今はまだ年齢の所為か美女というより美少女と呼んだ方が相応しいが、それでもあと数年もすれば傾国の美女と呼ばれるだろうその美しさは、彼女の貴賎問わずに公正に接する態度や気品溢れる物腰とあいまって、社交界の高嶺の花と呼ばれている。
魔術科に所属する彼女は光と火という二つの属性を使いこなし、隣り合った異世界から召喚された聖女の魔術指南役にまで選ばれた実力を持った彼女が、よりにもよってその指導対象である聖女を虐めていたのだという。
まさか己の卒業祝賀パーティにおいてこのような告発を受けるとは信じたくなかったらしく、ふぅ、とジュリアーナは心を落ち着けるために一度深く息を吐き出し、そしてその父親譲りの意志の強そうな双眸でひた、と婚約者を見据えた。
「どうやら殿下はわたくしを断罪なさりたいようですが……それは何についてでしょうか?聖女様に対する非道の数々と仰られましても、身に覚えがございませんわ」
「開き直ろうとでも?」
「いいえ。ですから、わたくしが一体どのようなことを成したのか……具体的に仰っていただかないとお答え致しかねる、と申し上げておりますの」
「殿下、ここは私が」
と進み出てきたのは、王太子と同年でこの学園を卒業した現宰相子息であるサイラス・リデル。
明るい茶色の髪に細いフレームの眼鏡、そして髪と同色の双眸を細めた彼は真っ直ぐに王太子の『元』婚約者を射抜き、手にした報告書の束を見せ付けるように軽く振った。
「かつての総騎士団長ローゼンリヒト公のご令嬢だからと、あまり調子に乗らないことだ。貴様が聖女様へ成した嫌がらせの数々、騎士団の方で既に調べは済んでいる」
「……そうでしたか。それで、どういう結果が出ておりますの?」
「わかっているだろうに、白々しい。…………罪を認めるならこの場は穏便にと気遣ってくださった殿下の温情を踏みにじろうと言うのだな。ならば俺も遠慮はしない。貴様の犯した罪を、全生徒及び来賓の方々にもお聞かせしようではないか」
庭園を歩いていた聖女ショウコに泥水をかけた。
寮の部屋に忍び込んで予備の制服を切り裂いた。
異世界から持ち込んだ機械を取り上げ、叩き壊した。
寮のバルコニーから突き落とした。
声高に告げられたその『犯罪行為』に、パーティに参加していた他の生徒もさすがにざわりと騒ぎ出す。
来賓として招かれている名だたる貴族の当主達も、聖女に対してなんてことをと顔を青ざめさせている。
ただ一人、若きローゼンリヒト公爵だけは平然とした顔でジュリアーナを見つめているが。
だがそこに制止の声がかからないことで、ジュリアーナは気づいてしまった。
王太子が独断で始めただろうこの断罪は、国王や宰相も既に承知の上であったのだと。
さもなければこのような祝いの場において、王妃教育の大半を終えた公爵令嬢の罪を告発するなどとっくに邪魔が入ってしかるべきであるだろう、と。
ジュリアーナが何も言わないことに気を良くしたか、サイラスはなおも続ける。
「ことは半年前に遡る。昼休み、騎士科と魔術科の狭間にある中庭において、魔術科の男子生徒2名が聖女ショウコ様に出会った。だが聖女様は頭からつま先まで泥濡れで、男子生徒達が事情を聞いても答えられずずっと泣いておられたのだという」
「それがわたくしと何の関係がございますの?」
「とぼけても無駄だ。件の男子生徒が、聖女様にお会いする少し前に何か大きな物を抱えるようにして足早に中庭を後にする貴様の姿を目撃している。何を抱えていたのやら……隠そうとしていたようだった、とも聞いているが?」
「…………半年前、ですか。でしたら……ええ、恐らくそれはわたくしで間違いありませんわ」
「認めたな。では次だ」
ですが、となおも言い募ろうとしたジュリアーナを遮り、サイラスは次なる容疑について話し始めた。
鍵がかかっていたはずの寮の自室において、聖女のクローゼットにかかっていた予備の制服がずたずたに切り裂かれていた……その証拠として、寮母であるマザー・クリスティナが実際に自分の目で切り裂かれた制服を確認したのだ、と。
「お待ちください。寮の自室は全て個人認証の魔術がかけられているのですよ?それを、部屋の主に気づかれることなく他の生徒が破ることは不可能ですわ」
「その点については聖女様の侍女に確認を取ってある。聖女様に急変あり、と嘘の手紙で呼び出され、その際に慌てて部屋の鍵をかけ忘れたのだと。戻ってみれば制服がずたずたに切り裂かれた状態で捨て置かれており、その傍に長い銀の髪と風の魔石が落ちていたそうだ」
「まぁ。……銀の髪はわたくしだけではございませんのに」
「聖女様に関わりのある者の中では、銀の髪は貴様一人だ」
少し考えるようにしてから「確かにそうですわね」と応じたジュリアーナ。
サイラスは「では次だ」と書類に目を落とし、ふんと鼻を鳴らして見下すように顎をくいっと引き上げた。
次の容疑に関しては余程その調査内容に自身があるのだろう。
次は反論などさせないぞ、という気概が明るい茶色の双眸に宿っている。
「聖女様が召喚された際、身に着けておられた異世界の科学技術……『すまほ』という名であるらしいその通信機器を、貴様が取り上げた上で床に叩きつけて壊した……これに関しては説明するまでもない。ここな王太子殿下が証人となってくださったのだから」
そうですね、殿下?と視線を向けられたラインハルトは、ゆっくりと頷く。
「光属性魔術の訓練をするからと、ジュリア……ジュリアーナがショウコを連れ出したと聞いてね。ならばと労いを兼ねて茶の席に誘おうと出向いたんだが、訓練場ではショウコが地面に倒れて泣いているし、ジュリアーナは真っ青な顔で珍しく慌てているし。傍にショウコが大事にしていたその『すまほ』とやらが落ちていたのだが、既に壊れてしまっていた。この状況で何もなかったと言えるかい?」
「…………それは」
「それは?」
「……いいえ」
言い訳をしようと思えばできた、だがジュリアーナは潔くその言葉を飲み込んで自らの罪を認めるように視線を俯けた。
この場において言い訳を並べることは、王太子ラインハルトにも宰相子息サイラスにも更に好奇の目を向けてくる周囲の者にも悪印象を与えてしまう、彼女にはそれがわかってしまったからだ。
しかしこの殊勝な態度を肯定ととったサイラスは、鼻息も荒く次の……列挙されていた最後の罪について断罪すべく、報告書をめくった。
そして、まるでいくつもの殺人を犯した大罪人を見るような蔑む目で、憤りをこめてジュリアーナを見下ろす。
「一ヶ月前の……あれはそう、年に4回の一斉実力試験が終わったその日の夜のこと。その夜は特別大きな満月であったため、聖女様は寮の最上階にある展望用のバルコニーで月をご覧になっていた。他の生徒も何人か庭に出て月を見上げていたそうだが、そこに大きな悲鳴が聞こえた。見上げると、聖女様が風の魔力に守られてふわりふわりと落ちてきていて、その先……バルコニーから見下ろす長い銀の髪の生徒がはっきりと目撃されている」
聖女がバルコニーで月を見上げていると、突然何者かに背中を突き飛ばされバルコニーから落下。
しかしあらかじめ身を守るためにと国の要職である宮廷魔術師から魔道具を渡されていたため、咄嗟に風の魔術が発動し彼女の身を包んで守ってくれたお陰で、大事には至らなかった。
そして庭に出ていた生徒に、バルコニーから下を見下ろす長い銀髪の生徒が目撃されている。
確かに銀髪の生徒はジュリアーナだけではないが、彼女が王太子ラインハルトの婚約者であること、その王太子と聖女ショウコがここ最近急接近していること、まことしやかにひそやかにジュリアーナがショウコを虐めているという噂が広まっていることなどから、目撃した生徒達はそれがジュリアーナだと確信してしまったらしい。
「騎士団からの報告によれば、その夜寮母が貴様の所在を確認したところ、貴様は部屋にはいなかったそうだな。なんでも、急遽実家に用事ができたと慌てたように寮を出たのだとか。おおかた、己のやらかしたことの重大性に気づいて逃げ出したのだろう。……違うか?」
「言いがかりですわ」
「では聞く。その『実家への用事』というのは具体的になんだ?」
「それ、は……申し上げられません」
「ふん、話にならんな。貴様はあろうことか聖女様へ狼藉を働いた大罪人として、卒業の取り消しは無論のこと、爵位剥奪の上極刑に処すのが妥当と既に結論が出ている。殿下、よろしいですね?」
うむ、と即座に頷かれたのを見て、ジュリアーナは絶望した。
あの穏やかで誰にでも分け隔てなく優しかった王太子、そんな彼が婚約破棄を宣言したばかりの元婚約者に向ける目は限りなく冷たい。
それはきっと、この宰相子息同様聖女に心を奪われてしまっているからだ。
そのことには薄々気づいていて、だがそれを嘆きはしても邪魔をしようなどとは決して思わなかったのに。
(信じては、いただけなかったのですね……)
残念ですわ、と彼女は俯く。
やがて、宰相子息に指示されたらしい騎士が数名姿を現し、ジュリアーナの左右について拘束しようと手を伸ばす。
が、すぐに「ぐぁっ」と騎士らしからぬうめき声を上げて飛び退き、剣呑な目をジュリアーナの背後に向けた。
「罪人を捕らえるその手で、我が主に触れないでいただきたいものですね」
かつん、と床が鳴る。
それはこの学園の、騎士科の生徒が履くぴったりとしたブーツがたてる音。
ジュリアーナには振り向かなくても、それが誰であるのかわかる。
彼女のことを『我が主』と呼ぶのは、従者の中でもたった一人……彼女個人に対して忠誠を誓った者だけだ。
「……マドカ」
「はい。お待たせしてしまい、申し訳ございません。マドカ・クリストハルト、遅ればせながら参上致しました」