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俺の勇者はロリ巨乳  作者: 梶田一回転
旅立ち編
5/6

君の名を呼ぶ

前話のあらすじ:カノンたんもハァハァ

バロン峠。

ガゼル村の西の端。

その一番高いところに、俺とアスカは並んで立っていた。


この峠を越えれば、もうそこはガゼル村ではない、未知の世界だ。

冒険の始まりを前に、俺たちは二人揃って振り返って。

山の向こうにある魔国のそのまた向こうから昇る太陽が、収穫間近の小麦を金色に照らしていくのをただ眺めていた。

この金の絨毯は何度も目にした景色だけれど、それでもやはり俺の心を奪う。


「なあ、アスカ」

「ん?」

「俺はさ、ちゃんとエリスの息子でいられたかな? カノンとミーシャの兄貴で、いられたのかな?」


喉の奥からやっと出てきた言葉は、俺の意思に反して湿っていて。

こんな弱さをアスカに見せるなんて、とか、どうしても格好つけたことばかり考えてしまう。


「俺は風呂で、カノンに何も言えなかった。何て言えばいいのか、分からなかったんだ」

「大丈夫だよ」


気がつけば、アスカの両手が俺の手を包み込んでいた。

小さくて細いその指は、少しだけ冷たい。

その冷たさは、もしかすると心の温かさなのかもしれなかった。


「見れば分かるのだ。アムロたちは、ちゃんと家族やってたよ。あたしの知らない音色が、あの家には流れてたから」


――だから、アムロをあの家から連れ出すのは、少し心が痛かったのだ。


ふと漏れ出してしまったのであろうその呟きは、所在なげに虚空を彷徨った。

行き場を無くした彼女の心はやっぱり温かくて、俺は自然と笑ってしまう。

でもそしたら、彼女の心は誰が温めるのだろう。

アスカの冷たい手を、一体誰が包んでやれるのだろう。


神様は残酷だ。

ミツキとあんなに寂しい別れをさせておいて、今度はミツキと会いたければ家族とお別れをしろと言う。

お姫様を救出する王子様になれだなんて、無理難題を仰る。

おのれは出資者か。


そして、その責任を背負う役目を、こんな胸だけ成長した小さな女の子に負わせるのだ。

勇者ってのは多分、俺たちが思っているほど綺麗なものじゃない。


「ありがとな」


俺はアスカの手をそっと解いて、彼女の頭をくしゃくしゃと撫でた。

彼女は笑ったような泣いたような表情を浮かべて、けれど何も言わない。


彼女の頭越しに、俺はもう一度村の風景を見て。

この村が俺の第二の故郷だと思えるのなら、今はそれだけでいいよな。

俺のここでの十二年間が間違ってないと心が知っているのなら、村を離れる選択は正しいんだよな。

たとえ離れていたって、心は寄り添えるよな。


どれだけ自分に言い聞かせても、心はやっぱり雨模様だ。

生乾きの逡巡を抱えたまま、俺は前を向く。


「行こっか」


俺の呟きにアスカは無言で頷いて、人力車に戻った。

そして俺も、悲鳴を上げる体に鞭打って試作2号機を引き始めるのだった。




======




魔法を使えばいいのだと気づいたのは、山をいくつか越えた時だった。

風属性魔法で馬車を浮かせ、空中を運ぶのだ。

少々魔力の消費が大きい気がするが、人力で運ぶよりはずっといい。


それに、転生してきた俺の体質はどうやら特殊らしい。

こうして魔力消費の激しい魔法を連打しても自分の魔力が枯渇するどころか、減っている気さえしなかった。

バイゼンさんが言っていたのは、このことだろうか。

確かにこれなら、魔法石はいらないな。


「キャー、なんかジェットコースターみたいなのだ! アムロー、もっとやって!」


アスカはというと、空中に浮いた人力車の上ではしゃいでいる。

要望にお応えして人力車を激しく動かしてやると、両手を挙げてキャッキャと喜んだ。

ガキだな。

俺も見た目はガキだが。


だが、アスカの明るさに俺の頬も自然と緩んでいた。

邪気の無いガキの笑顔は、問答無用で周りを笑顔にする。

世界平和への道は、案外子供が作るのかもしれないな。


「よーし、次はすごい急降下いくぞ。覚悟しろよ!」

「あ、飽きたからもういいのだ。それよりお腹がすいたのだ。アムロ、何か作って」


ガキが!

クソガキが!

よろしい、ならば戦争だ。

世界平和なんて永遠に来ないのだ。





「はっはっは! 敗者は大人しく地面に這いつくばっていればよいのだ!」

「おどりゃクソ森……憶えてろなのだ」


数分間の魔法の打ち合いの後、そこにはがっくりと項垂れる敗者とそれを見下す勝者の図があった。

たとえ異世界であっても戦争があれば勝ち負けが生まれ、そこから上下関係がはっきりしてくるのだ。

ギギギ……とばかりに悔しがるアスカの頭を足で突つきながら、俺はしばらく勝利の余韻に浸った。


いくら勇者と言えど、アスカはまだ幼い。

どうやら戦闘面では俺の方が上のようだ。

本気出したおっさん舐めんなよ。


「ちょうど家から持ってきたイノシシ肉の薫製があるんだけど、弱くて生意気な勇者さんにはあげられないなあ」

「なっ……! 確かにさっきはあたしの負けだったけど、それとこれとは話が別なのだ。人は皆平等、その肉を半分寄越すのだ」

「それ平等どころか強奪じゃね?」

「だって肉が欲しいのだー! お腹すいたのだー!」


アスカは地面に仰向けになって足をばたつかせた。

必死か。


「仕方ない。今回ばかりは特別だぞ」

「わーい! アムロのそういうとこ好きー!」


俺が鞄の中から取り出した薫製をアスカに向かって放ると、アスカは顔を輝かせてキャッキャとはしゃいだ。

本当にコロコロと表情が変わるやつだ。

やれやれ。

見てて飽きないというか、見てるこっちが疲れるというか。


「あ、ちょっと待つのだ。アムロのことだから、この薫製を予め舐めといてあたしとの間接キス狙ってるに違いないのだ」

「一度お前の中の俺に対する人物像ってやつを徹底的に矯正しなきゃならんみたいだな」

「調教プレイは嫌なのだー」


まずは素の性格から調教が必要だった。

誰だ、アスカに調教プレイなんて言葉を教えたやつは。

ミーシャか、ミーシャなのか?

アムロイズムは、俺自身の知らないところで着実に受け継がれているらしい。

よきかなよきかな。


「女の子がそんな言葉を使うんじゃありません。俺しかいないからって、少しは恥じらいってやつを持ちなさいよ」

「勇者だから恥ずかしくないもん!」

「恥ずかしいやつだなあ」


俺が肩を竦めると、アスカはケラケラと笑った。

思えば、こっちの世界に来てから家族以外でこんな風に話した女の子は、アスカが初めてかもしれない。

ガゼル村の子供たちは俺の黒髪を敬遠し、誰も友達にはなってくれなかったのだ。


「お前ってさ、俺の髪の色全然気にしないよな」

「え、何で?」


ふと何気なく投げかけた問いに、アスカは心底不思議そうな顔をした。


「や、黒髪って、不吉だなんだって言ってあんまり良い風に思われてないだろ?」

「あたしが召喚される前の世界では、黒い髪なんて普通だったよ? それに、カエデも黒髪だし、カエデの師匠のヤスダも黒髪なのだ」

「そっか。お前は別の世界から召喚されてきたんだもんな。こっちの常識にも囚われないってことか」


ん?

ヤスダ?

どっかで聞いたことがあるような、ないような……。

まあいっか。


「さて、腹ごしらえもしたし、そろそろ出発するか」

「えー、まだ休憩したいのだー」

「お前は試作2号機のコクピットに座ってるだけじゃねえか」

「でももう少し休みたいのだ。あれはあれで腰が痛いのだ」


などとごねるアスカの手を引っ張りながら再度旅路を行こうとしたその時。


「しっ! 静かに」

「どうしたのだ?」

「木の陰から俺たちを見ている奴がいる。それも、一人じゃない」

「ど、どうするのだアムロ」

「大丈夫、気づいていれば奇襲なんて意味を成さない。こっちに分がある。俺に任せて」


嘘っぱちだ。

今の今まで何の気配も感じなかった。

それをわざわざ俺に気づかせたのだから、向こうは存在を主張してきているのだ。

相手は手強い。


それでも、緊張という文字を顔に貼り付けたかのようなアスカの表情を見てしまえば。

俺おしっこちびりそうだなんて、口が裂けても言えなかった。


「相手は多分盗賊だ。ある程度戦利品を渡してしまえば深追いはしてこない。攻撃をいなしつつ、荷物を落として逃げるぞ」

「うん」


盗賊というものは実にしたたかだ。

地の利がある場所でしか仕掛けてこない上、常に数においても有利になるように戦場をコントロールする。

勝利を確信した場合にのみ、旅人やパーティーを襲うのだ。


だが、逆に言えば、彼らはリスキーな戦法はとらないということだ。

彼らが満足するだけの戦果を与えてしまえば、俺たちの命くらいは見逃してくれるだろう。


「3つ数えたら全速力で西へ走れ。ただ道を走るだけでいいから」

「に、西ってどっちなのだ?」

「馬鹿野郎、太陽が昇る方だ」

「え、それはひ」

「1、2、3! 走れ!」


俺はアスカの尻を蹴り飛ばした。

別に俺にそういう趣味があるわけじゃない。

ただそこに尻があったのだ。


アスカはあたふたしながらも、俺の言う通りに山道を走り出す。

その姿を視界の端に収めながら、俺は杖を構えた。

直後、足元の地面が爆発した。


朦々と土煙が立ちこめる。

予め罠を張っていたのか俺が知らない土属性魔法を使ったのかは分からないが、相手のその攻撃は地面をガッポリと抉っていた。


嘘やろ?

殺す気やん、これ……。


戦慄する俺の前に、木の陰からぞろぞろと盗賊が姿を現した。

その数、1、2、3、4……5人か。

しかも、皆さんご丁寧にナイフを持ってらっしゃる。

あれ、もしかしなくてもこれピンチじゃね?

絶対絶命ってやつじゃね?


こんな時はどう対処すればいいんでしょうか。

これってトリビアになりませんか、よろしくお願いします。





「ガキ二人で死の峠を越えようとは……。不用心にもほどがあるな。馬鹿な奴らだ」

「フヘへへ。格好の餌食だぜ」


半円形に囲む布陣を維持しながら間合いを詰めてくる盗賊を相手に、俺は杖を構えたままジリジリと後退した。

ガゼル村からいつも眺めていたこの山が死の峠などと呼ばれていたとは……。

つーか初っ端からハードモードすぎじゃね?

こういうのって最初の敵はスライムとかから始まるもんじゃねえの?


「覚悟はできたか? 小僧」


盗賊の頭らしき人物が、ニヤリとした笑みを浮かべた。

鋭い犬歯が鈍く光る。

だが、そいつはかなり重要なことを勘違いしていた。


「いやすまん、実は俺アラサーなんだわ」

「アラサー? なんじゃそりゃ」

「ガキだと思って侮るなってことよ」


俺は杖を高々と掲げた。

エリスから貰った杖をしっかりと握れば、魔力が杖内を循環し増幅される……ような気がする。


「これでも俺はかつて世界中を旅した魔法使いなんだぜ。この身一つで魔物を倒し続け、どんな過酷な状況も切り抜けてきた実力者なのだ(ここまで全て妄想)。そんな俺の最終奥義を特別に見せてやる。ありがたく思え」

「こいつ……ただのガキじゃねえぞ!?」

「寿限無寿限無五劫の擦り切れ海砂利水魚の水行末雲来末風来末食う寝る処に住む処藪ら柑子の藪柑子パイポパイポパイポのシューリンあと忘れた。必殺! 逃げるが勝ち!」

「くそ、こいつ!」


俺は踵を返し一目散に逃げた。

ひたすら逃げた。

分が悪い相手に正面からぶつかるほどの愚策はない。

俺とアスカが生き残ることが、俺たちの勝利条件なのだから。


試作2号機は捨て置いた。

中の荷物で盗賊たちが満足してくれるのを祈るしかない。


山道を走りながら後方へ注意を向けると、数人が追ってきている気配があった。

やはりそう簡単に逃がしてはくれないか。

あとはアスカがどれだけ先行しているかが勝負の分かれ目……なのだが、早くも俺の目はアスカの背中を捉えていた。


「おい、何やってんだ本気で走れ」

「だって、あた、し、うんどう、にがて、で」


うちの勇者様はすでに息も絶え絶えだった。


「何真っ正直に短距離走しようとしてんだ。魔法を使えばいいだろ」

「だって、そんな魔法、知ら、ないし。あう!」


と、アスカは石ころに躓いて盛大に転んだ。

やばい。

焦りが俺を支配する。

盗賊たちの足音はすぐそこまで迫っていた。

俺だけならまだしも、果たして運動音痴な勇者を連れて逃げ切れるのか?


「ほら立て。時間がない」

「……腰が抜けて立てないのだ。てへ」

「全然可愛くないから。可愛さの欠片も無いから」

「……腰がイっちゃって立てないのだ。アヘ」

「お前巨乳だったら何やっても許されると思うな、くっ」


アスカを立たせるのに手間取っていると、後方からナイフが飛んできた。

回転しながら迫り来るそれを、俺はなんとか杖で弾き飛ばす。

いよいよ、逃げ切るのは諦めた方が良さそうだ。


だが、だからといって何の策も無いまま立ち向かうのか?

アスカを庇いながら、手練の盗賊たちに対抗できるのか?


異世界に転生したからといって、神様からチートな能力を授けられたわけじゃない。

隠れた才能が眠っていたわけでもない。

俺の武器は、ミツキに教わった魔法と、エリスに貰った杖だけだ。


やれるのか、俺に。

平和な日本で暮らしてきて、殺し合いとは無縁な生活を送ってきた、この俺に。

この世界に来てからも、魔物程度しか倒したことないのに。

今だって、足の震えが収まらないというのに。


いや、違う。

これは武者震いだ。

殺らなきゃ殺られるんだ。

そして殺されるのは俺一人じゃない。

アスカだっているのだから。


だったら。


「うおおおおおおおお!!」


俺は悲鳴にも似た叫び声をあげながら、ただ突進した。




======




失敗した。

また肝心なところでミスをした。

あたしはいつもこうだ。

あの時も、そして、今だって。

大事な場面で、必ず取り返しのつかない失敗をする。


みっきぃに聞いた情報が正しければ、アムロの魔法の腕は相当なものの筈だった。

それに加えてあの性格だ。

盗賊に襲われたって、のらりくらりとやり過ごせただろう。


そう、足手まといのあたしがいなければ。

あたしが、転んだりしなければ。

ちゃんとアムロの指示通りに動けていれば、こんなピンチにはならなかった筈なのに。


あたしを守るように盗賊たちと向き合ったアムロの背中は大きかった。

けれど、その背中からは普段の余裕が感じられない。

愚かなあたしは、その時になって初めて事の重大さに気づいた。

不吉な予感がする。

あたしがアムロに声をかけようとその時。


「うおおおおおおおお!!」


凄まじい絶叫が木々を揺らした。

盗賊たちの中の一人に向かって、アムロが地面を蹴っていた。

盗賊もナイフで応戦しようとするが、アムロの方がずっと速かった。

膝を折ってナイフでの攻撃をかいくぐり、盗賊の懐に潜り込む。

その顔に杖を突きつけるまでは一瞬だった。


「ダークインパクト!」


容赦ない詠唱とともに、杖の先から黒い花が咲いた。

盗賊の顔が、巨大な花に包まれる。


どう、と。


血飛沫を上げながら仰向けに倒れた盗賊の体に、首から上は付いていなかった。

首から噴き出す血を浴びて、あたしは思わず後ずさった。

アムロはその死体に目もくれない。


「て、てめえ! よくもムッツリーニを! どうなるか分かって—―」

「アイスニードル!」


激昂した盗賊の体に、幾つもの氷の刃が突き立った。

何が起こったのか分からない。

そんな表情のまま、その盗賊は絶命した。

一際大きな氷が盗賊の首を貫き、その体を背後の木に縫い付けていた。


「っ——」


あたしは声にならない悲鳴をあげる。

自分の五感全てが、今この場で起こっていることを拒絶していた。


「ライトニング!」


アムロの逆襲は終わらない。

攻撃の隙を狙って後ろから迫っていた敵を、極太の雷が襲う。

断末魔さえもかき消す轟音が山を揺らした後には、かつて人であったのであろう炭が燻っていた。


目を覆いたくなるような光景。

それでも、あたしは光に引き込まれるように目を背けることができなかった。


駄目だ。

アムロはこんなことをしちゃ駄目だ。

あたしは、人殺しをして欲しくてアムロに付いてきてもらったんじゃない。

みっきぃを助け出して、みんなで仲良く旅をして、それで……。


こんなに簡単に人が死ぬなんて。

訳が分からないよ。

こんなの、絶対おかしいよ。


涙が止まらなかった。

あたしが何か行動しなきゃと思った。

アムロを殺人鬼にしてはいけないと、そう強く思った。


「メキドフレ――」

「やめてアムロ! もうやめて!!」


気づけば、あたしは次なる魔法を放とうとしていたアムロの腰に抱きついていた。

旅の仲間がどこかへ行ってしまいそうな気がして、あたしはアムロを逃がすまいとひたすらに強く抱きしめた。

命の危険を考えている余裕はなかった。

必死だった。


アムロの動きが凍り付いたように止まる。

あたしは恐る恐る、顔を上げてアムロを見た。


ギクリとした。

あたしを見下ろすアムロには、表情と呼べるものがまるでなかった。

まるで殺戮を命令された機械のように無表情だった。


目を逸らしたいのに、体が言うことを聞いてくれない。

何かを伝えたいのに、口が動かない。

その代わりに、ただ力を込めてアムロを抱きしめた。


だって、ついさっきまであんなに楽しく話してたのに。

冗談を言い合って、喧嘩をして、それでも笑い合った空間だったのに。

それが一瞬でこんなことになるなんて。

あたしは、笑ってるアムロじゃなきゃ嫌だ。


数秒の静けさの後。

アムロはハッとしたように目を見開くと、その瞳にいつものアムロが帰ってきた。

同時に、盗賊に向けていた杖をダラリと下ろした。


「もういいだろ、帰ってくれ」


それはまるで力の籠っていない呟きで。


「俺たちの馬車に全ての荷物が入ってる。それ持って帰ってくれ。頼む」


アムロは疲れたように虚空に言葉を放った。


「ちっ。化け物が」


盗賊のリーダーらしき男が、捨て台詞とともに仲間に撤退の合図を送る。

盗賊たちは木々の中に溶けるように、あっという間にいなくなった。


静けさを取り戻した戦場には、血生臭さだけが残り。

あたしたちもまた、二人きりで取り残された。


「……痛いよ、アスカ」


優しく振り掛けられたその声に、あたしの堤防が決壊した。

戦闘の爪痕が残る山の中で、あたしはアムロの腰に縋ったまま泣いた。

それはもうびゃあびゃあ泣いた。

アムロは何も言わず、あたしが泣き止むまでずっと頭を撫でてくれていた。





「ごめん。怖い思いさせた」


夜。

小さな焚き火を二人で見つめていたら、不意にそんな言葉をかけられた。

まるで独り言のようなその呟きは、燻る炭の中に飲み込まれてく。

思わずアムロの方を見ると、彼の顔を焚き火がチロチロと照らしていた。

小さな炎がその瞳に揺れている。


そんなに悲しい顔をしないで欲しい。

梵ミスをしてアムロの計画を台無しにしたのもあたしで、アムロがあたしを護って闘うのをただ見ていたのもあたしで、挙げ句の果てに自分の感情だけに流されてアムロを縛り付けたのもあたしなのに。

あたしに力が無くて、考えも足りなかった。

ただそれだけで。


「ううん、アムロは何も悪くない。むしろ謝らなければならないのはあたしの方なのだ」


おかしいな。

勇者って、世界の英雄のはずなのにな。


「勇者、失格だね」


何故だろう、その時涙が零れ落ちたのは。

アムロと出会ってからというもの、どうも涙腺が緩くていけない。

こっちの世界に来るまではこんなこと無かったのに。

お調子者のアスカちゃんでいられたのに。


「アスカはさ、単純に強いことだけが勇者の資格だと思う?」


あたしの涙に気づいたのか、それとも見ていなかったのか。

アムロは焚き火の炎を見つめたまま、そんな問いをあたしに投げかけた。


「俺はそうは思わない。少なくとも、俺が母さんやミツキを尊敬しているのは、あの人たちが強いからじゃない」

「……」

「俺はさ、勇者ってのは、他人の願いを背負う存在だと思うんだ。その点、アスカはしっかり勇者やれてるよ」

「……ひっく」

「だから、勇者は弱くたっていいんだよ。重さに負けて背負いきれなくなったら、潔く周りに頼ればいい。それだって強さだ」

「……あむろぉ」


何とも弱々しい声が出た。

こんなはずじゃなかったのにな。

その言葉が、ぐるぐると脳内を回り続ける。


「ほら」


優しく抱き寄せられた先、アムロの胸は、想像以上に温かかった。

少し汗と血の匂いがするアムロの服を、あたしの涙が濡らしてく。


「力が足りなかったのは俺だ。次からは、もっと上手くアスカを護るから。今日みたいなことには、もうならないから」

「アムロはずるいのだ……」

「ごめん」

「怖かったのだ……」

「うん」

「本当に怖かったんだから」

「うん、ごめん」


そうやって無様にアムロに責任転嫁しつづけるうちに、だんだん焚き火は弱くなっていって。

その煙が星空に溶け込む頃、あたしたちはどちらからともなく夢の中へ吸い込まれていった。


「俺は、人を殺したんだな」


意識を失う直前、小さな呟きが聞こえた気がした。




======




「ごめん、お待たせー」


夕日が柔らかく差し込む、放課後の昇降口。

鼓膜をふやかすようなその声に、俺は心を躍らせる。

俺は無意識のうちに自分の頭に手をやり、そこでついさっき髪の毛を整えたことに気づいた。


「よ。大丈夫、全然待ってないから」


行き場を無くした右手を、そのまま軽く挙げて挨拶する。

振り向けば案の定、そこには加奈子ちゃんがいた。

夕焼けに照らされた長い髪は春風に揺れ、ここまで駆けてきたのか、頬はほんの少し上気している。

敢えて言おう、天使であるとッ!


「本当? ごめんね、職員室でウシガエルに捕まっちゃって」

「そっか」


ウシガエルというのは、生活指導の先生のことだ。

何の捻りもなく見たまんまをあだ名にされてしまった、可哀想な先生である。


「最高学年になったんだから恥ずかしくない服装をしろー、とか、進路についてちゃんと考えてるかー、とか。やんなっちゃうよね、もう」


加奈子ちゃんはぺろっと舌を出した。

その仕草が殺人的に可愛くて、俺は急いで脳内シャッターを切る。

たったそれだけの仕草で、俺の心を苦しいほどに鷲掴んで離さない。

俺の幼なじみこと、俺のクラスメイトこと、南条高校のアイドルこと五十嵐加奈子は、今日も絶好調だ。


きっとウシガエル先生も、どんなことでもいいから加奈子ちゃんと話したかっただけなのだ。

きっかけを探した結果がうざったいお説教になってしまうのは、ウシガエル先生の不器用なところではあるのだけれど。


男なら、可愛い女の子と会話したいに決まっている。

五十嵐加奈子をアイドルという偶像へと押し上げて、崇め奉る。

そして、南条高校のアイドルは、どうすれば野郎共が喜ぶのかをよく知っていた。

わきまえていた。


「じゃ、いこっか?」

「お、おう」


突如腕を掴んできた加奈子ちゃんに、俺は何も反応することができず。

曖昧3センチな頷きを返したまま、ただ彼女に引っ張られるままに歩を進めた。

その可愛さに、あざとさに、俺もまた飲み込まれていく。


「カズ君ったら顔赤いよ? どうしたの?」

「いや、何でもないから。首から上だけシャア専用になってただけだから」

「ふふ、何それー」

「え、そんなに変かな」

「うん、変。でも、とってもカズ君らしいと思うよ?」


加奈子ちゃんの笑い声を、散りゆく桜の花びらが攫っていく。

その声があまりに心地よくて、春風に身を任せて全身で浸る。

けれど、今になって思い返してみれば。

その笑顔は、冴えない幼なじみに向けられた、残酷な嘘だったのかもしれない。


「今日はどうしよっか? どっか行きたいとこある?」

「うーん、久しぶりに、クレープ食べたいかなって。カズ君の奢りで」

「はいはい、りょーかい」


舌先で溶けるチョコレートのような甘みを、口いっぱいに味わう。

彼女と歩く一分一秒を噛み締める。

あの日食べたチョコの苦味を、俺たちはまだ知らない。

超平和バスターズは永遠だ。





「あれ、先輩じゃないですか。奇遇ですね」


そんな声をかけられたのは、加奈子ちゃんと並んで校門を出た時だった。

同時に、俺の心を二つの感情が支配する。

一つはその声が男のものでなかったことに対する安堵で、もう一つは面倒くさい後輩に出会ってしまった後悔だ。


ポニーテールをぴょこんと揺らしながら校門の陰から姿を現した鈴木は、格好の遊び道具を見つけた時の顔をしていた。


「よう鈴木。お前部活の練習中じゃないのか?」

「おっとー。先輩がデートしてるぅー。しかも相手は」

「みーんみーんみーん」


俺は仕方なく季節外れの蝉の鳴き声の真似をしながら、鈴木の口を塞いだ。

お前は絶対そうやって騒ぐと思ったから、先手を打ったのに。

察しろよ。


「そんなんじゃないから。ただ駅前のクレープ屋に一緒に行くだけだから」

「それって思いっきりデートなんじゃ」


違うんだなあ。

普通はそうでも、この幼なじみの場合は違う。

こんなイベントはデートになんて換算されないのは、昔から嫌というほど思い知らされてきた。

のせられて、勘違いさせられて、でも最後には落とされて。

そんな若さ故の過ちを、一体何度繰り返してきたことか。


南条高校のアイドルは、天然の小悪魔なのだ。

小悪魔どころじゃない、大悪魔だ。

でもそんなところも可愛いZE☆


「本当にそんなんじゃないから。というかもしデートだったら高校の全男子生徒の恨みを買っちゃうから」

「ふーん」

「こいつも俺のことは昔からアウトオブ眼中みたいだし」

「へーえ」


納得したような声を出しながらも、口元がにやけている。

こいつめ。

その大きなおっぱい揉むぞ。


「じゃ、私ブルーベリーチョコバナナでいいんで」

「え? 俺がわざわざ買ってくるの?」

「当たり前じゃないですか。厚かましさ大賞最有力候補の私を舐めてもらっちゃあ困ります」

「受賞はしてないのか」

「私は謙虚ですからね」

「謙虚という日本語の使い方が傲慢すぎる……」


さすがに後輩の使いっ走りになるような格好悪い姿を加奈子ちゃんに見せるわけにはいかないので、何とか宥めようとしていると、不意に反対側から袖を引っ張られた。


「もう。カズ君、早く行くよ?」


振り返れば、両頬をぷくっと膨らませて拗ねてますアピールをしている幼なじみがいた。

表情がいちいちずるい。

そうしていつも俺は、彼女のペースに巻き込まれていく。

その瞳に見つめられるだけで簡単に胸が高鳴って、感情の欠片を散らかしたまま抗えなくなる。


「お、おう。そういうことだから。またな、鈴木」

「楽しんでー」


にへらと笑う鈴木後輩にあと二言三言もの申したいところだったが、加奈子ちゃんに袖を引かれて強制的に退場した。





「……本当に眼中になかったら、ずっと一緒にいるわけないじゃん。あの子も、私も」


鈴木の小さな声は、まるで蠟燭の火のように春風にかき消されて。

俺の耳に届くことなく空に消えた。





誰もいない寂れた公園。

ペンキの剥げかけた青いベンチに、俺たちは並んで腰掛けた。

手に持ったクレープを頬張れば、甘さはさらに上書きされて。


「カズ君のクレープ美味しそう。一口ちょーだい」

「ほれ」

「いいの? わーい」


俺が差し出したクレープの端を、小さな口が突つく。

たったそれだけで、俺の胸を充足感が満たしていく。


「おいひー」

「そっか」


その120点満点の笑顔が見られるのなら、クレープくらいいくらでもあげますがな。

クレープ一つでとびきりの笑顔を浮かべられる加奈子ちゃんが安っぽいのか、そんな笑顔で大満足の俺の方が安っぽいのかは、意見が分かれるところではあるけれど。

とにかく俺たちは今、まるで本物のカップルのように、同じ時間に同じ感情を共有していた。

ただそれだけの事実が、俺の脳を麻痺させる。

『楽しい』だけが、この場を支配する。


「ねえ、加奈子ちゃん」

「ん? なーに?」


一度麻痺してしまえば、そう思い込んでしまえば、楽しさを持続させるのは簡単だ。

そうやって自分を騙す方法を、俺はよく知っている。

上澄みだけ掬い取って沈殿物には目を背けていれば、誰も傷つかずにいられるのに。


「加奈子ちゃんの好みの男性って、どんなタイプ?」

「え? ……あ、うーんとねえ」


なのに、何でこの雰囲気をぶち壊すようなこと聞いちゃうんだよ、俺の馬鹿。


「いや、やっぱ今のは無し! そ、そろそろ行こっか。家まで送るよ」

「えと、うん、そうだね」


そしてどこまでヘタレになれば気が済むんだよ、俺の阿呆。


昔のようにはいかない。

無邪気に笑い合っていた俺たちはもういない。

アイツはどんどん美人になって、俺たちの会話はしょっちゅうぎこちなくなって。


でも俺は、お前が笑っているのをどこかで見られれば、それで充分だから。

だから、胸が痛いような気がするのは、多分気のせいだ。

心の底に落ちた一滴の雫は、いつかの夏の夜の線香花火の想い出で。

だから俺は大丈夫。

『楽しい』だけを感じていれば、俺はきっと大丈夫。





橙色が蒼色に変わる時間の帰り道。

ビルの間から辛うじて差す夕日が、俺たちの長い影を寂しげに地面に落とした。


「でねー? お父さんは野球を見たいんだけど、お母さんと嘉寛はバラエティーが見たくて」

「うん」

「それで、いっつもリモコンを争って、お父さんと嘉寛が喧嘩しちゃうんだ。子供だと思わない?」

「確かにな」

「本当、困ったもんだよ。あ、そうだ、カズ君から一度ビシッと言ってやってよ。嘉寛、カズ君の言うことだけはちゃんと聞くから」


言葉の表側だけを読むなら、それは単なる家族の愚痴で。

裏側まで読み取るとすれば、それは一体何だろう。

アイドル系幼なじみと会話の駆け引きをするには、彼女の笑顔は俺にはちょっと眩し過ぎた。


「あーあ。もう家に着いちゃった。楽しい時間はあっという間だね」


そういう残念そうな表情は、彼女の本物の気持ちなのだろうか。

そんなことをいちいち勘ぐってしまう俺は、本当に嫌なヤツだ。

アスファルトの上の石ころを蹴飛ばせば、ころころと転がって側溝に落ちた。


「クレープ食べに行くくらい、いつでもできるじゃん。また行こうよ」

「そだね」


軽く頷いて、彼女は家の門に手をかけた。

しかしすぐには門を開けずに、顔だけ俺の方へと振り返る。


「あの、さ。さっき、私の好みのタイプは、って質問あったじゃない?」

「う、うん」

「私のタイプはね、」

「……っ」


締まった空気に耐えきれずに、思わず唾を飲み込んだ。


「若干引きこもりで、根暗で、オタクで、コミュ障で、運動音痴で、鼻がニンニクで、たまに何か臭い時があって」

「…………」

「でも、実は隠れイケメンで、脇毛がちょっと濃くて、とっても優しいんだぁ」


うっとりと虚空を見上げた彼女に、思わず勘違いしそうになる。

そんなことはないって知っている筈なのに、諦めきれない心の奥底の勘違いが懲りずに頭をもたげてくる。

でも、あるいはそれは、本気で勘違いしてもいいってことなんだろうか。


「それって……」

「うん。カズ君もよく知ってるひとだよ」


刹那、見つめ合う。

透き通るような瞳に映り込んだ俺の顔は、何故だか少し歪んでいた。


いいのか、そんなこと言って、そんな顔しちゃって。

俺、間違えちゃうぞ。

春は恋の季節だなんて痛い思い違い、しちゃうぞ。


加速した想いは、もう止まらない。


「今日はありがと。クレープ美味しかった。またね」


無言のやり取りは一瞬だった。

笑顔と共にそう別れの挨拶をして、今度こそ手を振りながら家の中へと入っていく彼女の姿に、俺は必死に手を伸ばしーー。




======




「加奈子ちゃん!」


俺は自分の声で飛び起きた。

いつの間にか、夜空に浮かぶ星を掴むかのように手が伸びていた。

星空が霞んで見えるのは涙のせいか、それとも心が荒んでいるからか。

どうやら、盗賊との一件で心に傷を負ったのはアスカだけではなかったらしい。


日本でもヤハーネでも、夜空の景色は同じだ。

変わらず、無言で俺たちを見守っている。

何千万年前の光が、俺たちの想いを汲み取るように瞬いていた。


「夢、か……」


嫌な夢を見たものだ。

ほとんど忘れていたはずの、十年以上前の前世の記憶が蘇るなんて。

いや、違うな。

忘れてないから、あんな夢を見るんだ。


俺が孤独を感じる時には、猫のようにじゃれてくる癖に。

俺が気持ちを抑えられなくなる度に絶妙に距離を置かれて、揺さぶられて。

そんなアイツが眩しくて、切なくて、苦しくて、嫌いで……、それでもやっぱり嫌いになんてなれなかった。

異世界で十二年も暮らしてなお、俺は前世の片想いの相手に囚われている。

脳を優しく刺激する甘美な胸の高まりを、ずっと探している。


「吹っ切れたと思ってたんだけどなあ」


確かにリセットされたのに。

痛くて恥ずかしい前世の俺は死んで、おっぱい大好きな変態の俺に生まれ変わったはずだったのに。

エリスのおっぱいを吸ったり、ミツキに魔法を教わったり、妹たちの面倒を見たり、黒髪だと指差されたり、おっさんたちと魔物を狩ったり、らじばんだり。

忘れたい記憶を忘れられるくらいには、充実した日々だったはずなんだけどなあ。


今を生きようとすればするほど、忌々しいほどにこびりついて離れない。

笑顔も、声も、匂いも、色鮮やかに再現される。

モノクロにしたはずの前世を、今一度鮮やかに染め上げる。


あの頃あんなに甘酸っぱく感じた恋の味は、今となってはしょっぱくてほろ苦い。

今の俺がどんな冒険をしようと、どんなに満たされようと、胸の中に残った前世の俺は、ずっと孤独のままなのだろうか。

焦がれるように求めたあの子を、ずっと追いかけ続けるのだろうか。

今、俺の隣にいるのはあの子じゃなくて、ちっぽけな勇者だというのに。


「んん……。やめるのだ。カレーは飲み物じゃないのだー」


可愛らしい寝言を言っているこいつも、不安に違いないのだ。

一人異世界に召喚されて、勇者なんてものを背負わされて、知らない少年との旅を強要させられて、あげくの果てには盗賊に襲われて、殺人の現場を見せられて。

望んでもいないのに、他人の世界の魔王の始末を押し付けられて。

怖くないわけがない。

どれだけ勇者だともて囃されようと、アスカはただの少女なのだ。

俺の腰に回された細い腕の重みが、ひどく小さなもののように感じる。


「寂しいに、決まってるよな」


柔らかな彼女の髪の毛を撫でながら、独りごちる。

絹のようにさらさらとした髪は音もなく流れて、彼女の頬を優しく撫でた。


フられたのがきっかけで交通事故死した俺と、別世界から召喚されて勇者の運命を背負った彼女。

もし孤独の塊と寂しさの塊が合わさって、二人になったなら。

お互いの心の隙間を埋めて、生きる意味を分け合えたなら。

そしたら俺たちは、パーティーと呼ばれるものになれるだろうか。


俺が、本当にこの世界に生きるために縋っても、許してくれるだろうか。


いや、彼女はコンマ一秒で許すだろう。

前世の俺が無くしてしまった無邪気な笑顔で、迷い無く。

だからこそ。


「俺が、がんばらなくちゃな」


儚く淡い命の灯火。

小さな勇者を支えるのは俺だ。

命を落とす空しさも、家族がくれる温かさも知っている俺が、護ってやらなくちゃならないんだ。

いつか、アスカが自分の置かれた立場の残酷さに気づく時がくるかもしれないけれど。

その時には、世界の醜さを押しのけて、生きる喜びを噛みしめられるように。

日本の美しさもヤハーネの美しさも知っている俺が、それまで目隠しをしてやろう。

見た目は少年でも中身は大人な俺が、隣を歩いてやろう。

そう、俺は名探偵なのだ。


「よし」


俺は決意を新たに、気合いを入れ直す。


盗賊と闘ったときには、俺の弱い部分が全部出た。

前世でフられたショックと、黒髪を理由に虐げられた寂しさと、命のやり取りなんてしたことがないのに魔法という大きな力を持ってしまった気持ちのひび。


これからは、そういう弱さを全部捨てて旅を続けよう。

もうアスカを泣かせるのはまっぴらごめんだ。


何の打算もなく、エロい感情もなく、アスカの力になりたいと、そう思う。

ぼやけていた思いは、彼女の寝顔を眺めるほどに強くなった。

もう、暴走なんてしない。


俺は後ろの木に背中を預けながら、朝日が昇るまで彼女の頭を撫で続けた。

あどけない彼女の寝顔が愛おしく感じられたのは、きっと俺がロリコンだからなんかじゃない。





翌朝。


「いてててててててて! 何するんだこのガキ!」

「それはこっちの台詞なのだ! 何で朝起きたらアムロに抱きしめられているのだ! どーりでぐっすりと寝られ……じゃなくて! えっちぃのは嫌いなのだ!」


そこには朝っぱらからアスカに手を噛まれた俺がいた。

まあ、とりあえずは、そうだな。

俺の勇者様の信頼を得るところから始めようと思う。

生きる理由には、充分すぎる。


「すまん、手が勝手に」

「土下座して詫びるのだ。倍返しだ!」

「そ、そんな……。土下座して足を舐めろだなんて……」

「勝手にプラスされてるし!」

「そんなこと……、できる!」

「こいつ骨の髄まで変態なのだ!」


前世のことは忘れよう。

俺が呼ぶべきは、加奈子ちゃんの名前ではない。

俺が今生きているのはヤハーネで、隣にいるのはアスカなのだから、俺はそろそろ訣別するべきなんだ。

じゃないと、また昨日みたいなことが起こってしまう。


「ほらアスカ、早く行くぞ」

「あ、待つのだ。あと一発殴らせるのだー!」


朝の日差しが降り注ぐ中、二人並んで、俺たちは再び歩き出した。

俺たちの作るシルエットはお互いに寄り添っていて、とても自立しているとは言いがたい。

でも、たまにはそんなパーティーがあってもいいと思うから。

俺とアスカが出会ったのは、この世界にとって意味のあるものだって、信じられるから。

迷っても、間違えても、二人いればきっと大丈夫だ。




======




「……俺じゃ駄目かな?」

「え?」


俺は家の中へと消えゆく加奈子ちゃんに追い縋った。


「引きこもりで根暗でオタクでコミュ障な奴、俺にやらせてくれないかな?」

「……カズ、君?」


必死だった。

戸惑い100%の加奈子ちゃんの表情は、もう目に入らない。

心臓が口から飛び出るんじゃないかと思うほど大きく脈打っている。

俺の思考を停止させたのは、加奈子ちゃんが好きなそいつが俺であって欲しいという願望だった。


「好きだ。ずっと好きだった」


そう、どうしようもなく好きだった。

堪えて、我慢して、気持ちを奥に押し込めて。

それでも、俺の世界は加奈子ちゃん一色だった。


「心はいつも君の傍にあった。何をするにも君のことを考えた。君と話すだけで、胸が高鳴った」


やめろ。

言っては駄目だ。

これまで俺を自制してきた言葉は、もう届かない。

だって、


「俺は加奈子ちゃんのことが、こんなにも……」


加奈子ちゃんの透き通った唇が動く。

その艶やかな赤は、涙に濡れていた。


「カズ君……」


一歩踏み出して彼女の背中に追いすがった、その結末は当然のように残酷で。


「こんな幼なじみでごめん。迷惑かけてごめん。でも、抑えきれないくらい好きなんだ。この気持ちだけ受け取ってくれたなら、俺はそれでいいから」

「カズ君……私ね、」

「ごめん、ごめんごめんごめん。でも好きなんだ。どうしようもなく好きなんだよッ……」


空しかった。

自分の『好き』は何百回だって表現できるのに、相手の『好き』を引き出すのがこんなに難しいなんて。

その二文字だけが一方通行に飛んでいくこの空気が、とてつもなく惨めだった。


俺が欲しがりすぎたのだろうか。

幼なじみのポジションに落ち着いたままただ笑ってさえいれば、あの甘さと楽しさは永遠に続いたのだろうか。

あるいは、甘さや楽しさだけじゃない恋愛を求めていれば、結末は変わったのだろうか。


リアルの恋は、いつか見た映画のようにドラマティックじゃない。


「ごめん、俺はもう君の前から消えるから。もう、君の幼なじみじゃなくていいから。もう、迷惑かけないから」


何かを言いたそうに、しかし言葉にならずに唇を震わせる加奈子ちゃんに背を向ける。

何年積み重ねた想いであっても、終わるときはあっけないものだ。

やりきれない思いとともに吐き気が込み上げる。

頭の中がガンガンと鳴ってうるさかった。





「うおおおおおおおおおおおおお!!!!」


いつしか降り始めた雨の中を、俺はチャリに跨がって全力疾走していた。

心の中に溜まった黒い感情を吐き出すために、俺は行くあてもなく、ただがむしゃらに自転車を漕いだ。

そうしていないと、自分が壊れてしまいそうだった。


どの道をどう走ったのか、今どの道をどの方向に走っているのか、そんな感覚もなくなってきた頃。

気づいた時にはもう遅かった。

自転車の車輪が側溝に落ち、俺は家の塀に嫌というほど体を打ち付けた。

反動で、今度は車道側に投げ出される。


だっせえ、何やってんだ、俺。

朦朧とする意識の中、自嘲しながら体を起こす。

その時には、俺の全身は車のヘッドライトと甲高いクラクションに包まれていた。


三上和弥の世界は、そこで終わった。

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