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冬が終わるまで  作者: なつる
十一月
8/17

 五嶋の真意はちゃんと伝わったようで、しのぶはたびたび手土産つきで夜の教官室にやってきた。

 さすがにアルコールを持ってくることはなかったが、学校近くのコンビニで買い込んだ食糧を携えてやってきては、気のすむまで他愛もない話を繰り広げた。


 しのぶは本当に頭のいい学生だと、五嶋は改めて思った。

 一回り以上も年の離れた学生とは話が合わないことが普通なのに、しのぶはどんな話にでもついてくる。際どいことを言ってもうまく切り返してくるし、返す刀で斬られることもしばしばだ。頭の回転が速い人間でないとこうは行かない。

 他意があるのかないのか、単に友達が少なくて話し相手がいないだけなのか。

 五嶋としてはしのぶの話は結構おもしろいし、退屈することがないのでいいのだが……


 しのぶは自分のことをどう思ってるのだろう?


 そんなことを考えて、五嶋はふと笑ってしまった。自分にもまだそんな感情が残っているとは。

 大体、相手は学生だ。そして自分は教師。

 他人より倫理とかモラルという言葉に縁遠い五嶋でも、学生と教師の間に横たわる一線の意味くらいわかる。


 ましてや、相手はあの「渡部しのぶ」だ。

 男を手玉に取ることなど屁でもない彼女のことだ。きっと深い意味はないのだろう。彼女にとって五嶋は、身近に見つけたグチを聞いてくれる話し相手の一人なのだ。

 教官室のブラインド越しに外を眺めると、既に日は落ち、夕闇が辺りを包んでいた。

 空から舞い落ちる細雪が地面をうっすらと覆い、見るもの全てを淡く白く化粧させている。


 もうすぐ十二月。冬休みが近い。休みが明ければ一月、あっという間に二月になって、五年生は早い春休みに入る。

 三年生の春から三年間付き合ってきた学生たちとももうすぐお別れかと思うと、感傷的になるというよりはホッとする気持ちだ。

 恩師とは言い難い担任だったことはまちがいない。それでも、進学なり就職なりしてここを巣立っていく学生たちは、少しは自分のことを思い出してくれるだろうか──


 未だ遠い春に想いを馳せていると、慌しい声が教官室に飛び込んできた。

「ケータイの充電切れちゃった。先生、充電器ある?」

 ノックとほぼ同時にドアが開いて、返事をする暇もなくしのぶが入ってきた。

「オレは携帯電話なんて持ってないぞ」

「マジで? 信じらんない」

 ソファに荷物を放り投げ、まるでここの主のように部屋の中を闊歩しながら携帯電話の残り電池を確認している。


「あーやっぱダメだ……電源入んない」

「んなもの使えなくったって生活できるだろ」

「使えないと不安なのよ」

 振ろうが叩こうが、どうやっても電池は回復しない。しのぶはとうとうあきらめて、電話をカバンに放り込んだ。


「先生マジで持ってないの? 不便じゃない?」

「別に。家に帰れば固定電話あるし、ここにもあるからな。それに携帯なんか持ってたら、休日も面倒な仕事の電話がかかってきてイヤだろうが」

「うーん……確かにそれもあるわよねぇ」

「休日くらい好きなことに集中したいもんだ」

「何言ってんだか。平日だって集中してるじゃない」


 そう言うしのぶの目線は、机の上の競馬雑誌に向かっている。返す言葉もない。

 しのぶはまた勝手にコーヒーを淹れて飲み始めた。ここは五嶋の城だというのに、もはや我が物顔だ。


「ねぇ先生、中間テスト、どこ出るの?」

「そんなこと教えられるか」

「何よ、ケチ!」

「テストの心配する前に、時間数の心配をしたらどうなんだ? ギリギリだろ」

「平気よ、ちゃんと考えてるから」

「そんなこと言って、急に病気でもしたらどうするんだ? え?」

「大丈夫。こう見えて身体は結構頑丈なの」

「ちゃんと飯、食ってるのか?」

「食べてるよ。何? 今日は人の心配ばっかりして……」

「若くして荒んだ生活送ってると、年取ってから急にくるぞ。もう老化が始まってんじゃないのか?」

「ちょっと! 失礼ねぇ……」


 今日は一体何時までつき合わされるのだろうか。

 他愛もない話をただしているだけで、気がつけば二時間も三時間も過ぎていることがある。おしゃべりに没頭しているわけではないのに、しのぶと話し込むと不思議と時間が経つのを忘れてしまう。

 ふと時計を見ると、既に一時間が経っていた。


「……つーかさ、あの先生目がやらしいんだよね。エロイ目で人のこと見るなっつーの」

「お前がエロイ服ばっかり着てるからだろうが」

「今時このくらいの服じゃ、男だって簡単に振り向きゃしないよ」

「そうかぁ? そんな胸元大きく開いた服着てりゃ、男なら誰だって目が行くと思うけどな」

「そう? 先生も見たいの?」

「見せてくれるのか?」

「タダじゃダメー」

「金取るなら別にいいや」

「ホントは見たいんでしょ?」


 内線電話のベルが鳴った。

「もったいつけるなよ」

 軽口を叩きながら五嶋は受話器を取った。


「はい、五嶋です」

『こちら学生課です。まだいらっしゃいましたか』

「そちらこそ遅くまでご苦労様です。で、どうかしましたか?」

『先生のクラスに渡部しのぶって学生がいましたよね?』

「はいはい、おりますが」

 しのぶに目を向けると、彼女はきょとんとして見つめ返してきた。

『その渡部しのぶの叔父と名乗る人物から、電話が入ってましてね』

「電話?」

『ええ。なんでも本人の携帯に電話しても繋がらないし、自宅には電話がないようで、連絡が取れないって学校にかけてきたみたいなんですよ』

「はあ……何か火急の用でもあったんですかね?」

 そう言いながら、五嶋は言い知れえぬ不安に胸騒ぎがし始めていた。


『先生、彼女の居場所……なんてご存知ありませんよね?』

「はあ……居場所と言うか……本人なら目の前におりますが」

『えっ? そこにいるんですか』

「はあ……たまたまですがね。本人に代わりますよ」

 それ以上の野暮な詮索をされたくなかったので、早々にしのぶに受話器を差し出した。


「お前に電話が入ってるそうだ」

「私に?」

「叔父さんかららしいが」

 しのぶは恐る恐る受話器を受け取ると、向こう側の職員と話し始めた。

「渡部です……はい、繋いでください」


 叔父らしき人物と話し始めたしのぶは、最初はただ気のない返事を繰り返しているだけだったが、次第にその顔色が変わってきた。

 電話を持つ手が細かく震えている。いつしか無言となり、無表情な顔は青ざめ、彼女の細面を一気に憔悴させた。


「……うそ……」

 一言呟いて、しのぶの身体が急に崩れ落ちた。


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